- 著者
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後藤 淳
- 出版者
- 東亜大学
- 雑誌
- 東亜大学紀要 (ISSN:13488414)
- 巻号頁・発行日
- no.11, pp.23-34, 2010-01
本論文は,前ソクラテス期の思想家たちが「質料」と「生命」あるいは「生命体」との関係を如何に考えたかについて,現存する諸断片と学説誌家たちの証言を資料としながら検証することを目的とする。彼らの多くは「生命」に関する言説を残してはいるものの,彼らがコスモスのアルケーとした「質料」とそれとの関係を十分に論じているのであろうか。筆者はこの検証を,1.モノ自身が何らかの生命的変質を生起するのであるか,それとも2.モノの変化により説かれる世界図式の中に生命に関する何らか別図式が重複転化されているのであるか,という二つの仮説を検討することにより行った。1.については,アナクシマンドロスの断片に関する証言や,パルメニデスが語る逆説的言説の中に生命の発生に関するものが残されてはいるものの,しかし,それらはすべて何故あるいはどのように質料が生命性を持つのかに関する論拠を欠くものであることを見た。さらに,2.についても,生命の座とされる「魂」を中心とする図式は,例えばヘラクレイトスにおいては,アルケーとされる「火」との質料的相似性を謳われてはいるものの,それにもかかわらず,それが持つとされる「思惟」の質料的側面に関する論拠が提示されていないために,曖昧であると判ぜざるを得ない。資料に基づく考察の結果,前ソクラテス期の思想の中では,コスモスのアルケーとされる「質料」と「生命」との関係は,明確な根拠を欠いたまま提示されている,あるいは,類似した同心的別図式を質料的世界の中に曖昧に重ね合わせたものであることが明らかとなった。