著者
深谷 訓子
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.41-54, 2005-06-30 (Released:2017-05-22)

It's often been suggested that paintings of "Cimon and Pero" must have evoked erotic sensation in the beholder of that time and the moral message was merely a pretext. This article tries to prove if it really was the case in seventeenth-century Netherlands. Both virtuous and erotic aspects are inherent in the story itself. Some representations of the theme were used for the promotion of charitable institutes, and some of them have been accused as being an erotic pin-up. Even the strict theologian such as Molanus, however, approved some kinds of paintings that derived from pagan antiquity as "moral images", and it is plausible that "Cimon and Pero" was seen as such. To see the actual situation, inventory documents are consulted. Some documents indicate that the paintings of Cimon and Pero were hung in voorhuys, the room almost public as the first room in which man received every guest. It is likely that Cimon and Pero could have been accepted not as a pretext but as the exemplum of piety at its face value.
著者
深谷 訓子
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.41-54, 2005-06-30

It's often been suggested that paintings of "Cimon and Pero" must have evoked erotic sensation in the beholder of that time and the moral message was merely a pretext. This article tries to prove if it really was the case in seventeenth-century Netherlands. Both virtuous and erotic aspects are inherent in the story itself. Some representations of the theme were used for the promotion of charitable institutes, and some of them have been accused as being an erotic pin-up. Even the strict theologian such as Molanus, however, approved some kinds of paintings that derived from pagan antiquity as "moral images", and it is plausible that "Cimon and Pero" was seen as such. To see the actual situation, inventory documents are consulted. Some documents indicate that the paintings of Cimon and Pero were hung in voorhuys, the room almost public as the first room in which man received every guest. It is likely that Cimon and Pero could have been accepted not as a pretext but as the exemplum of piety at its face value.
著者
中村 俊春 根立 研介 森 雅彦 河上 繁樹 安田 篤生 加須屋 誠 森 雅彦 河上 繁樹 安田 篤生 加須屋 誠 平川 佳世 深谷 訓子 皿井 舞 吉田 朋子 剱持 あずさ
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本研究では、近代的な展覧会制度が確立する18世紀以前のいわゆる前近代の日本・東洋および西洋で行われた「つかのまの展示」について、作品調査および関連史料の分析に基づき個別事例を精査するとともに、比較研究の視点を交えつつ、各々に関して同時代の宗教観、経済活動、政治的文脈、社会状況等に照らした詳細な考察を行った。その結果、今後、本領域において指標的な役割を果しうる包括的な成果を得た。
著者
幸福 輝 尾崎 彰宏 青野 純子 深谷 訓子 中田 明日佳 髙城 靖之
出版者
独立行政法人国立美術館国立西洋美術館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2012-10-31

17世紀オランダ美術の特質はなによりその写実的風景画や風俗画にあり、古代神話や聖書主題の作品を描いたルネサンスと対比されてきた。こうしてオランダ美術における「オランダ的なもの(オランダ性)」の解明が重要な課題のひとつとなった。他方、オランダの経済的繁栄の基盤は東西貿易にあり、芸術作品を含むあらゆるモノがオランダに集まっていた。そのような社会において異国の文化の受容は必然であり、「オランダ性」はオランダ固有の国内問題であると同時に、世界に向きあった国際化の問題でもあった。本研究では、特にアジアの視点から17世紀オランダ美術を再検討し、「オランダ性」に関する様々な調査研究をおこなった。
著者
根立 研介 中村 俊春 平川 佳世 武笠 朗 深谷 訓子 皿井 舞 武笠 朗 田島 達也 深谷 訓子 劔持 あずさ 皿井 舞 宮崎 もも 中尾 優衣
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

平成22年度は、研究代表者の根立は、8月下旬から9月初旬にロンドン・大英博物館、ウィーン・応用美術館、ケルン・東洋美術館を、また12月下旬中国・寧波・寧波市博物館及び蘇州・蘇州市博物館等を訪れ、日本の鎌倉・江戸時代の彫刻及び日本の古代・中世彫刻の規範である中国の南北朝・唐・宋彫刻の調査を実施し、資料収集を行った。また、国内では、霊験仏として名高く、模刻も盛んに行われた奈良・長谷寺十一面観音像の室町時代の模刻像の調査(於鳥取県倉吉市・長谷寺)等を実施した。分担者の中村は、昨年度に引き続き、西洋バロック美術の模倣と創造の問題に関して資料収集を行った。また、21年度から分担者となった平川は、9月にルーブル美術館(パリ)、サバウラ美術館(トリノ)、ドーリア・アンフィーリ美術館(ローマ)を訪れ、ルネサンス以降イタリアの宮殿装飾として定着した古代ローマの表象において北方ヨーロッパにおける伝播を確認する調査を実施した。連携研究者は、個々人のテーマを進展させたが、特に武笠朗は昨年度に引き続き、善光寺式三尊像の模刻を巡る研究を進展させた。なお、研究代表者根立は、本研究のテーマとも密接に関わる霊験仏の問題を『美術フォーラム21』22号(2010年11月発行)で特集として編集するとともに、根立、武笠が論考を発表した。なお、最終年度に入った本研究の成果を検討する研究会を、10月3日に実施し(第二回目は、東日本大震災の影響もあり中止となった)、活発な意見交換を行った。また、3月下旬には、研究代表者・同分担者・連携研究者8人の研究成果の論文を掲載し、この科研を総括する報告書を刊行した。
著者
根立 研介 中村 俊春 平川 佳世 安田 篤生 稲本 泰生 深谷 訓子 劔持 あずさ 松岡 久美子 宮崎 もも 中尾 優衣 田中 健一
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

美術史の転換期の問題は、何を強調するかで、美術史の語り方が大きく変わってくることもある。本研究は、従来美術史で語られてきた枠組みを再検討するための試みである。特に、大きな成果は、通常日本の古代末期に登場したとされてきた彫刻の和様の問題である。近年の日本史学の成果を取り入れると和様の成立は、中世初期とすることが可能かと思われ、和様は日本の中世期を貫く重要な様式であったことなどを明らかにした。また、この和様の成立には、中国の唐から宋への転換期の問題も深く関わることを明らかにした。
著者
深谷 訓子
出版者
尾道大学芸術文化学部
雑誌
尾道大学芸術文化学部紀要 (ISSN:13471910)
巻号頁・発行日
no.6, pp.31-41, 2006

尾道大学芸術文化学部美術学科西洋美術史報告・論文
著者
尾崎 彰宏 幸福 輝 元木 幸一 森 雅彦 芳賀 京子 深谷 訓子 廣川 暁生 松井 美智子
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

最大の研究成果は、「カーレル・ファン・マンデル「北方画家列伝」註解」が完成し、出版の準備を整える事ができたことである。この翻訳研究の過程で、以下の点が明らかになった。(1)マンデルは『絵画の書』において、inventie(着想/創意)、teyckenconst(線描芸術)、welverwen(彩色)という鍵となる概念を用いて、15、16世紀ネーデルラント絵画史を記述したこと。(2)マンデルは、自律的に『絵画の書』を執筆したのではなく、とくにヴァザーリの『芸術家列伝』に対抗する形で、ヴェネツィアの絵画論、とりわけロドヴィコ・ドルチェの『アレティーノ』で論じられている色彩論を援用した。つまり、マンデルのteckenconstは、ヴァザーリのdesegnoを強く意識しながらも、マンデルは本質と属性の関係を逆転した。ヴェネツィアにおける色彩の優位という考えとディゼーニョを一体化させることで、絵画とは、素描と色彩が不即不離の形で結びついたものであり、絵画として人の目をひきつけるには、属性として軽視された色彩こそが重要なファクターであるという絵画論を打ち立てた。(3)この絵画とは自律的な存在ではなく、鑑賞者の存在を重視する絵画観である。つまりよき理解者、コレクターが存在することで、絵画の意味はその「あいだ」に生まれるという絵画観が表明されている。このように本研究では、マンデルの歴史観が明らかになり、ネーデルラント美術研究のための新たなる地平を開くことができた。