著者
西村 昌也
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ6 『周縁と中心の概念で読み解く東アジアの「越・韓・琉」―歴史学・考古学研究からの視座―』
巻号頁・発行日
pp.105-141, 2012-03-01

ベトナムの形成史を考える時に、主要民族、キン族が居住した北部平野部において、その南域(タインホア省からハティン省あたり)は、先史時代より非常に興味深い役割を果たしている。 つまり銅鼓に象徴されるドンソン文化の核領域を形成しつつ、中部のサーフィン文化集団による大量銅鼓の移出を実現する。そして、後漢代以降、中国文化を積極的に受け入れた集団と山岳部でドンソン文化伝統を保とうとする二極化がおきる。また、時には、中部のチャンパなどと連合しながら、しばしば中国政権側に起義・反抗を行う。そのなかには、中国側政権にもともと近しい存在で、権力基盤形成を行い、反抗・起義に到った例もある。 独立達成の10世紀から李陳朝期を通じて、ベトナムはチャンパと抗争を繰り広げると同時に、文化的にも経済的にも様々な交流関係を深め、チャンパとの交流はベトナムが独自文化形成を行う上で大きく寄与していたし、チャンパ側も陶磁器生産技術などをベトナム側から導入している。 15世紀以降、タインホア、ゲアンなどの北部南域の人たちは、積極的に中部入植や政権樹立を行い、現在のベトナムに到っている。その地政学的位置から、北部南域の人たちは、中国とチャンパを両端として、ベトナムの政権を真ん中に据えつつ、振り子のように重心を変えながら、巧みに勢力拡大に努めてきたと言える。
著者
西村 昌也
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ1 『東アジアの茶飲文化と茶業』
巻号頁・発行日
pp.75-93, 2011-03-31

中国文化の影響の強いベトナムでは、中国の茶飲習慣受容や茶自体の輸入を古くから行っている。その一方、生茶、竹筒茶、さらには茶とは別種の植物の葉を用いる苦茶などの茶的飲料など独特の茶飲習慣もみられる。東アジア的視点では9 -10世紀頃の越州窯系陶磁器の輸出にともなう茶飲習慣あるいは茶器セットの伝来、17世紀後半から18世紀にかけての煎茶的飲茶習慣の伝来が、ベトナム茶飲史における大きな画期になっていると思われる。また李陳朝以来、仏教(禅宗)との関係も深い。そして、フランス植民地時代には茶業の大規模な拡大があり、それが今日の茶飲慣習の普遍化を促進している。
著者
グエン ヴァン・ダン 新江 利彦 西村 昌也
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ7 『フエ地域の歴史と文化―周辺集落と外からの視点―』
巻号頁・発行日
pp.481-495, 2012-03-01

トゥアティエン・フエ地域は、1306年以降キン族が多く居住するようになった地域であるが、1558年の阮潢入府以降本格的な開拓・入植が進み、各村落形成と共に手工業も発達した。そして広南阮氏政権は職人を軍隊組織(匠局)として組織し、船、武器、金属製品などの生産を行わせている。阮朝期前半には、引き続き匠局、司などの組織を発展させ、フエ都城やその周辺には、各種工廠を設け、造船、武器、青銅器(含銭)、工芸品の製造を行わせている。また、その影響や都城地域の経済的需要もあって、各集落で民間の手工業が専業化して、発展した。ただし、フエ都城域の経済規模の限界から、そうした手工業が、商業的理由で、大規模に発展するには至らなかった。
著者
チャン・ドゥック アイン・ソン 西村 昌也 上田 新也
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ5 『船の文化からみた東アジア諸国の位相―近世期の琉球を中心とした地域間比較を通じて―』
巻号頁・発行日
pp.63-88, 2012-01-31

17‒18世紀の中南部ベトナムは、広南阮氏支配のもと、造船に関する保護優先政策がとられ、国家の造船廠に船大工などの専門職人を匠兵制度に組織し、造船業を振興して、入植の歴史の新しさにもかかわらず、北部ベトナムに劣らないほどの造船技術力を身につけた。また18世紀半ば以降の南部ベトナムから中国への米穀輸出も造船振興に一役買っている。 18世紀末、西山朝に反抗する水軍整備のため、阮暎(後の嘉隆帝)は、南部のサイゴン(現ホーチミン市)やメコンデルタを本拠地にして、西洋船購入による造船技術研究を行い、活発な造船を行った。さらには造船のための材木資源開拓なども行い、同地域はアジアでもとも活発な造船地帯に成長した。 阮朝成立後、嘉隆帝は全国に造船工廠を設け、楹繕司管理の下、新造や修理を行った。そのなかで、都フエの郊外清タインフオック福社は、最も大きい造船工廠があったことで有名である。阮朝は、皇帝の巡幸やその随伴行、水軍、物資の運搬、各公務などに応じて、細かく船の型式やサイズなどを定め、また、管理・課税制度も設けている。また、明命帝期には、外装を銅板で覆った裏銅船や蒸気船(汽機船)などのように、西洋造船技術を模倣して行われたものもある。しかし、嗣徳帝期以降、西洋船の流入などにより、ベトナム自身の造船技術は停滞し、船舶は購入に頼るようになり、物資運搬なども華僑などに委託された。
著者
吾妻 重二 三浦 國雄 陶 徳民 湯浅 邦弘 二階堂 善弘 藤田 高夫 澤井 啓一 井澤 耕一 藪田 貫 原田 正俊 増田 周子 篠原 啓方 西村 昌也 于 臣
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2009

東アジア地域、すなわち中国、韓国・朝鮮、ベトナム、日本など「漢字文化圏」といわれる諸地域における伝統教養の形成と展開を、書院・私塾における教育と講学機能を通して学際的に考察し、多くの論文、図書を公刊した。他の個別作業としては、朱熹の書院講学の記録『朱子語類』の訳注を作成し、さらに大阪の漢学塾「泊園書院」およびその蔵書「泊園文庫」を調査して『泊園書院歴史資料集』や『泊園文庫印譜集』などを公刊するとともに、充実したコンテンツをもつ「WEB 泊園書院」を公開した。
著者
西村 昌也
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ6 『周縁と中心の概念で読み解く東アジアの「越・韓・琉」―歴史学・考古学研究からの視座―』
巻号頁・発行日
pp.105-141, 2012-03-01

ベトナムの形成史を考える時に、主要民族、キン族が居住した北部平野部において、その南域(タインホア省からハティン省あたり)は、先史時代より非常に興味深い役割を果たしている。 つまり銅鼓に象徴されるドンソン文化の核領域を形成しつつ、中部のサーフィン文化集団による大量銅鼓の移出を実現する。そして、後漢代以降、中国文化を積極的に受け入れた集団と山岳部でドンソン文化伝統を保とうとする二極化がおきる。また、時には、中部のチャンパなどと連合しながら、しばしば中国政権側に起義・反抗を行う。そのなかには、中国側政権にもともと近しい存在で、権力基盤形成を行い、反抗・起義に到った例もある。 独立達成の10世紀から李陳朝期を通じて、ベトナムはチャンパと抗争を繰り広げると同時に、文化的にも経済的にも様々な交流関係を深め、チャンパとの交流はベトナムが独自文化形成を行う上で大きく寄与していたし、チャンパ側も陶磁器生産技術などをベトナム側から導入している。 15世紀以降、タインホア、ゲアンなどの北部南域の人たちは、積極的に中部入植や政権樹立を行い、現在のベトナムに到っている。その地政学的位置から、北部南域の人たちは、中国とチャンパを両端として、ベトナムの政権を真ん中に据えつつ、振り子のように重心を変えながら、巧みに勢力拡大に努めてきたと言える。
著者
西村 昌也
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ6 『周縁と中心の概念で読み解く東アジアの「越・韓・琉」―歴史学・考古学研究からの視座―』
巻号頁・発行日
pp.105-141, 2012-03-01

ベトナムの形成史を考える時に、主要民族、キン族が居住した北部平野部において、その南域(タインホア省からハティン省あたり)は、先史時代より非常に興味深い役割を果たしている。 つまり銅鼓に象徴されるドンソン文化の核領域を形成しつつ、中部のサーフィン文化集団による大量銅鼓の移出を実現する。そして、後漢代以降、中国文化を積極的に受け入れた集団と山岳部でドンソン文化伝統を保とうとする二極化がおきる。また、時には、中部のチャンパなどと連合しながら、しばしば中国政権側に起義・反抗を行う。そのなかには、中国側政権にもともと近しい存在で、権力基盤形成を行い、反抗・起義に到った例もある。 独立達成の10世紀から李陳朝期を通じて、ベトナムはチャンパと抗争を繰り広げると同時に、文化的にも経済的にも様々な交流関係を深め、チャンパとの交流はベトナムが独自文化形成を行う上で大きく寄与していたし、チャンパ側も陶磁器生産技術などをベトナム側から導入している。 15世紀以降、タインホア、ゲアンなどの北部南域の人たちは、積極的に中部入植や政権樹立を行い、現在のベトナムに到っている。その地政学的位置から、北部南域の人たちは、中国とチャンパを両端として、ベトナムの政権を真ん中に据えつつ、振り子のように重心を変えながら、巧みに勢力拡大に努めてきたと言える。
著者
チャン・ドゥック アイン・ソン 西村 昌也 上田 新也
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ5 『船の文化からみた東アジア諸国の位相―近世期の琉球を中心とした地域間比較を通じて―』
巻号頁・発行日
pp.63-88, 2012-01-31

17‒18世紀の中南部ベトナムは、広南阮氏支配のもと、造船に関する保護優先政策がとられ、国家の造船廠に船大工などの専門職人を匠兵制度に組織し、造船業を振興して、入植の歴史の新しさにもかかわらず、北部ベトナムに劣らないほどの造船技術力を身につけた。また18世紀半ば以降の南部ベトナムから中国への米穀輸出も造船振興に一役買っている。 18世紀末、西山朝に反抗する水軍整備のため、阮暎(後の嘉隆帝)は、南部のサイゴン(現ホーチミン市)やメコンデルタを本拠地にして、西洋船購入による造船技術研究を行い、活発な造船を行った。さらには造船のための材木資源開拓なども行い、同地域はアジアでもとも活発な造船地帯に成長した。 阮朝成立後、嘉隆帝は全国に造船工廠を設け、楹繕司管理の下、新造や修理を行った。そのなかで、都フエの郊外清タインフオック福社は、最も大きい造船工廠があったことで有名である。阮朝は、皇帝の巡幸やその随伴行、水軍、物資の運搬、各公務などに応じて、細かく船の型式やサイズなどを定め、また、管理・課税制度も設けている。また、明命帝期には、外装を銅板で覆った裏銅船や蒸気船(汽機船)などのように、西洋造船技術を模倣して行われたものもある。しかし、嗣徳帝期以降、西洋船の流入などにより、ベトナム自身の造船技術は停滞し、船舶は購入に頼るようになり、物資運搬なども華僑などに委託された。原著:チャン・ドゥック アイン・ソン翻訳:西村昌也、上田新也
著者
西村 昌也
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ1 『東アジアの茶飲文化と茶業』
巻号頁・発行日
pp.75-93, 2011-03-31

中国文化の影響の強いベトナムでは、中国の茶飲習慣受容や茶自体の輸入を古くから行っている。その一方、生茶、竹筒茶、さらには茶とは別種の植物の葉を用いる苦茶などの茶的飲料など独特の茶飲習慣もみられる。東アジア的視点では9 -10世紀頃の越州窯系陶磁器の輸出にともなう茶飲習慣あるいは茶器セットの伝来、17世紀後半から18世紀にかけての煎茶的飲茶習慣の伝来が、ベトナム茶飲史における大きな画期になっていると思われる。また李陳朝以来、仏教(禅宗)との関係も深い。そして、フランス植民地時代には茶業の大規模な拡大があり、それが今日の茶飲慣習の普遍化を促進している。
著者
西村 昌也 大槻 暢子 篠原 啓方 岡本 弘道 三宅 美穂 宮嶋 純子 熊野 弘子 氷野 善寬 佐藤 実
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ1 『東アジアの茶飲文化と茶業』
巻号頁・発行日
pp.1-20, 2011-03-31

東アジアの核地域(中国,朝鮮,日本,琉球,ベトナム)では,非常に長期に亘っ て茶飲が行われ,それぞれの文化伝統に根ざした茶飲文化が発展してきた。本稿は, 文化のハードとソフトの相関性( 1 .現代社会における茶飲の軽便化, 2 .9-10世紀の 茶器(中国・越州窯製品など)の輸出期にともなう茶飲文化の伝播, 3 .17-18世紀の 煎茶文化の世界的普及),茶産業が起こした文化変化,言葉と茶あるいは茶器の関係, 茶導入時の在地文化の反応,茶と宗教あるいは儀礼,女性とお茶などをテーマに,東 アジア各地域を中心に一部は東南アジアやヨーロッパも含めて行った文化比較論である。
著者
西村 昌也 ファン・ミン・フェン
出版者
関西大学
雑誌
東アジア文化交渉研究 (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.187-219, 2008-03-31

15 pieces of bronze drum in Bình Định Province, central Vietnam are suggestive materials for understanding the technological and cultural contexts of the bronze drums in Southeast Asia. This paper considered its technological and cultural background based on the restudy of the bronze drum collection and their discovery sites. The chronological frequencies of the drum assemblage indicate that the duration of the bronze drum usage is not long successive period (1st C. BC to 2nd C.AD) and possibly stopped the bronze drum usage at the same time or in very short duration. Only Gò Rộng drum was identified as the possibly local-made drum by lost-wax technique and the other are transported from the northern Vietnam. No bronze drums later than the 3b period (later than the late 2nd C. AD) of Imamura's chronology are seen in not only Bình Định but also central and southern Vietnam, Cambodia, coastal area of Thailand and Malay Peninsular. During the 2nd C.AD, the early states formation or political integration with the strong influence from India and China are already evidenced in this region. Especially the Indianized ideas for the statecraft and religion possibly left no space for the survival of the bronze drum usage in their society. Thus this ending period of the bronze drum usage well accords with the real beginning of the Indianization in the Southeast Asia.
著者
西村 昌也
出版者
京都大学東南アジア研究所
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.3-32, 2008

Recent progress in the data collection and typological classification of bronze drums of northern Vietnam and its surroundings have made it possible to recognize the geographical distribution and chronology of bronze drum types (Pre-Heger I to Heger IV). All types show a limited distribution range and some have been played an important role as a ritual or prestige good in several ethnic societies. Therefore, combining archaeological advances with ethnography, historical documentation, and legend can provide a key to understanding the formation of present-day ethnic groups. The Heger I type of Dong Son tradition drums (2nd century BC to 1st century BC), which were cast in the local Dong Son cultural sphere, are almost all concentrated on the hilly area and lower plains to the south of the Red River. Furthermore, the distribution of the later Heger II type (3-4th to 8-9th century AD) and Pseudo Heger II type (11th to 15-16th century AD), some of which are still used by the Muong ethnic group, overlaps with the distribution of the former type in the mountain range. Heger II were cast in Guangxi and Pseudo Heger II were very possibly cast in the Thang Long or surrounding lowland area of the Red River Plain on behalf of mountainous ethnic groups. Although the area and people that produced bronze drums were changed in its long history, the people that used the drums remained the same in the Northern Vietnam. Furthermore, while the Viet-Muong ethnic group have a long-term tradition of using bronze drums, the Thai and Tay, the major Thai ethno-linguistic groups of northern Vietnam, have not retained such a continuous tradition. This is one contrast between the Thai/Tay and Viet/Muong groups. Another ethnic group that has retained a long term tradition of bronze drum usage is the Lo Lo (Tibet-Burma) of the northernmost area of Vietnam.
著者
西村 昌也 宇野 隆夫
出版者
金沢大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

大規模面積をもち,かつ各時代に亘って利用されてきた遺跡を構造的に理解することは,大規模発掘調査を除けば非常に困難である。本研究は,ベトナムにおける城郭遺跡や大型居住遺跡を対象に,小規模な発掘調査と地形の観察や測量調査、さらに地図資料の分析などから,遺跡の構造的理解をめざす研究を行ったものである。これまで構造的理解が未提出であった各遺跡に対して,地図資料分析と微地形観察調査とGPS測量を組み合わせた胡朝城遺跡の構造、試掘調査と微地形観察と測量調査を組み合わせたホアチャウ城の形成過程と時期別の構造、衛星写真と地形踏査によるチャンパの各城郭遺跡の構造などの全く新しい知見を提出し,後続研究が追随できるよう。その方法論を説明しつつ研究成果を出版した。