- 著者
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西村 聡
- 出版者
- 金沢大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2001
1.能楽雑誌とその複写物を種々入手して,東京及び地方の番組を豊富に収集できた。このことによって,金沢の番組の欠を補えるだけでなく,金沢の能楽師たちの他地方における活動の実態が明らかになってきた。基本資料の整備が進んだことが第一の成果である。2.本研究は金沢能楽会を事例とするが,同時代の状況の中にどう位置づけるか,全国的な傾向と比較することを絶えず心掛けている。たとえば明治の能楽復興が10年代の保護期と30年代の自立期の二つの山があることや,その間の20年前後には演劇改良の影響を受けることなどは,『明治天皇紀』の関連記事の分析によっても跡づけられた。3.一方,金沢に限って見れば,「加賀宝生」の語の使用は,藩末期の能楽の隆盛を回顧して,明治中期に行われるのが,文献上の早い例であることが分かった。また,昭和の戦後間もない頃に「加賀宝生」が金沢市の記念文化財に指定される際に,その定義に関する当時の公式見解が「指定理由書」の中に示されていて,同文書を再発見できたことは収穫であった。4.金沢は「空から謡が降る」土地柄と言われる。その根拠を何に求めるかが課題であったが,『北国新聞』の記事を整理して,そのいわれと変遷を明らかにした。そして,能楽協会会員名簿を基に都道府県別の在住会員の数を比べると,石川県は人口比で全国第2位に位置し,しかも三役が揃い,由緒ある舞台や装束等が伝存することからしても,現在も能楽が盛んな地域といってよいことが確認できた。5.金沢能楽会の設立趣意書の原態を推定し,発起人の顔触れから社会的背景を探り、趣意書の文体に見る金沢の事情と全国的な趨勢を浮かび上がらせた。同じ頃の『金沢開始三百年祭記事』『旧藩祖三百年祭記事』の新たな資料的価値についても明確にした。