著者
北野 信彦
巻号頁・発行日
pp.186-195, 2012-03-31

新しいアイヌ史の構築 : 先史編・古代編・中世編 : 「新しいアイヌ史の構築」プロジェクト報告書2012
著者
北野 信彦
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.7, no.9, pp.71-96, 2000-05-15 (Released:2009-02-16)
参考文献数
22

本稿では近世初頭~江戸時代にかけての近世期(17世紀初頭~19世紀中期)の出土漆器資料を題材として取り上げる。近年,江戸遺跡をはじめとする近世消費地遺跡の発掘調査では,漆器資料が大量に一括で出土することがある。出土漆器は,木胎・下地・漆塗膜面という異なる素材からなる脆弱な複合遺物であるため,個々の残存状況は土中の埋没環境によって大きく異なり,発掘調査時の検出・実測図作成等の遺物観察・保管管理・保存処理等の取り扱いにも苦慮する場合が多い。加えて漆器は,陶磁器類の古窯跡に対応するような生産地遺跡もほとんど検出されない。そのため,当該分野ではこれまで代表的な一部の資料の表面記載にとどまる場合が多かった。本稿では,これら漆器資料を生産技術面(材質・技法)から調査することを目的として,全国135遺跡,総点数16,578点の近世出土漆器資料(一部箱書き等により年代観がある程度確定される伝世の民具資料も含む)を用いて,(1)樹種,(2)木取り方法,(3)漆塗り技法,(4)色漆の使用顔料や蒔絵材料,の項目に分けた機器分析調査を網羅的におこなった。また文献史料や口承資料を用いて江戸時代の漆器生産技術の復元調査を並行しておこない,機器分析による出土漆器資料の材質・製法の分析結果を正当に評価できるような基礎資料を作成した。その結果,生産技術面から近世出土漆器を調査することは,個々の資料の品質を正当に評価して,渾然とした一括資料を組成別にグルーピングする上で有効な方法であることがわかった。また,これらは(1)トチノキ材やブナ材を用い,(2)炭粉下地に1~2層の簡易な塗り構造を施し,(3)赤色系漆にはベンガラ,(4)蒔絵材料には金を用いず銀・錫・石黄などを使用する,等の日常生活に極めて密着した量産型漆器が大半であることも確認された。その生産技術は,少なくとも4つの画期があり,北海道・東北・日本海側・大平洋および瀬戸内側に大分類される地域的特徴が同時に存在することがわかった。本稿では,以上の分析調査の結果をふまえて,生産技術面からみた近世漆器の生産・流通・消費の諸問題についても概観し,今後当該分野研究の基礎資料となるよう努めた。
著者
関根 達人 榎森 進 菊池 勇夫 中村 和之 北野 信彦 深澤 百合子 谷川 章雄 藤澤 良祐 朽木 量 長谷川 成一 奈良 貴史
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2010-04-01

中世・近世の多様な考古資料と文献史料の両方から、津軽海峡・宗谷海峡を越えたヒトとモノの移動の実態を明らかにすることで、歴史上、「蝦夷地」と呼ばれた北海道・サハリン・千島地域へ和人がいつ、いかなる形で進出したかを解明した。その上で、「蝦夷地」が政治的・経済的に内国化されていくプロセスを詳らかにし、そうした和人や日本製品の蝦夷地進出が、アイヌ文化の形成と変容にどのような影響を与えたか考察を行った。
著者
北野 信彦 窪寺 茂
出版者
独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

建築文化財の外観塗装材料や色調は、建造物自体のイメージを大きく左右する。そのため、この基礎調査は塗装修理を行う際にも大切である。本研究では、(1)個々の建造物の外観塗装材料の性質や色相、変遷に関する調査を行った。その結果、多用されたベンガラ塗装や漆塗装では時と場所に応じた塗装材料の使い分けが行われていたことが明確になった。そして、伝統的材料や技法を生かした新塗料開発の可能性も手板作成などを通してわかってきた。
著者
北野 信彦 小檜山 一良 竜子 正彦 本多 貴之 宮腰 哲雄
雑誌
保存科学 = Science for conservation
巻号頁・発行日
no.53, pp.67-79, 2014-03-26

During excavation in the center of Kyoto (O-ike site) from 2003 to 2004, many fourlobed jars were excavated. These jars were used to stock imported urushi paint from Thailand or Cambodia from the end of the 16th to the first half of the 17th century. At the same site many traditional urushi paint tools produced in Japan during the Momoyama cultural period were also excavated. Results of elemental analysis by Py-GC/MS showed that the urushi paint was composed of Melanorrhoea usitata, Rhus vernicifera, Rhus succedanla,or their mixture. But there is no idea as to what objects,other than nambanstyle exported lacquerware,imported urushi paint was used for. Analyses of five lacquerware excavated at O-ike site showed that the urushi paint was compound of a mixture of Rhus vernicifera and Rhus succedanla. This result is material evidence that imported urushi paint was used on urushi objects in Japan.
著者
北野 信彦 佐々木 良子 山田 卓司 本多 貴之 吉田 直人
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

現在、文化財建造物の漆塗装修理は極力日本産漆を使用が求められるとともに、漆塗料以外の塗装彩色修理には合成樹脂より伝統的な膠材料の使用が求められている。ところが日本産漆や膠材料の調達や使用量の算定、伝統的な金具の漆箔施工の仕様、さらには過去多用されたことが明らかとなってきた柿渋や固化不良が生じやすい乾性油系(油彩系)塗料の伝統的な仕様には不明な点が多い。本研究では文化財建造物における伝統的な塗装彩色材料・技術の系譜の解明と再評価をまず行う。そのうえでこれらの材料・技術を修理に応用した際の施工や保守管理方法の策定、3D技術を応用した復元彩色欄間の作成を資料活用として提示することなどを目的とする。
著者
北野 信彦 本多 貴之 佐藤 則武
雑誌
保存科学 = Science for conservation
巻号頁・発行日
no.49, pp.25-44, 2010-03-31

The present paper is a report on the study of the red coating paints used at the Nikko-Toshogu Shrine constructed during the early Edo period, particularly those newly built in the Genna age or reconstructed in the Kan,ei age. The coating methods used were simple, just one coating layer applied directly on the surface of the structure with no foundation underneath. This is very different from the method used for repair in the middle and late Edo period in which several layers of urushi coating were applied over a thick foundation. The raw materials of the pigments used for the reddish brown coating paints were mineral hematite (α-Fe2O3) containing much quartz (SiO2). Since some old documents record that akatsuchi was offered by the Tsugaru daimyo to the Tokugawa shogunate and that toshu was used as one of the red coating materials on wooden architecture at the Nikko-Toshogu Shrine, it is our understanding that these red pigments (mineral hematite containing much quartz) are the same materials as akatsuchi and toshu. Moreover, as a result of PY-GC/MS analysis of these coating materials, it became clear that urushi coating material to which a great amount of drying oil, starch and animal glue had been added was used as coating paint. Many of these coating materials were used accordingly to suit the character or the importance of each building.
著者
菅井 裕子 北野 信彦 山内 章
出版者
(財)元興寺文化財研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1996

新岩絵具は鉛ガラスを主体し、戦後の日本画制作に多用されてきている顔料の一つである。その変色について以下の通り調査した。1.変色した日本画作品の調査新岩絵具を用いて描かれ、約20年経過した日本画の画面に、変色した部分が観察された。制作後、どの時点で変色が起こったのかは不明である。群青色あるいは緑色の部分の表面が黒銀灰色に変化していた。下地は朱である。これらの箇所をX線回折により分析したところ、変色部分には硫化鉛(PbS)が生成している可能性があることを確認した。硫黄が導入された原因としては、(1)外部からのガス等によるもの、(2)朱下地によるもの、(3)その他、が考えられる。調査結果を受けて、朱の下地と新岩絵具との相互作用を加熱した条件で調べたところ、黒っぽい変色がみられた。室温化でこれらの反応が起こるのか追跡する必要がある。2.現代日本画の現地調査制作された当時の色調を示す客観的な判断材料がなかったため、明らかな新岩絵具の変色を確認する事はできなかった。3.新岩絵具の変色・回復試験変色試験に用いた新岩絵具は最も粒子の細かい「白」で、色目は緑青・黄土・水浅黄・桃色・銀鼠の5色である。試料は主に絵具を和紙上に膠を用いて塗布した試料(礬水引きの有無、胡粉下地の有無の区別あり)を使用した。1)高湿度下、二酸化硫黄10ppm、20時間:色変化の傾向は、黄土・銀鼠は黄変、水浅黄などはやや白化するなど、絵具の色により異なっていた。生成した物質が異なるためか、着色剤の状態が変化したためとみられる。2)高湿度下、硫化水素10ppm、20時間試験に用いた5色いずれも褐色化した。鉛及びその他の金属元素が硫化したことが考えられれる。3)高湿度下、ホルムアルデヒド25ppm、20時間この条件ではほとんど変化がなかった。長期の試験が必要である。上記の3条件のうち、1)では、胡粉下地・礬水引きのある試料、2)では胡粉下地あり、礬水引きなしの試料の変色程度がやや少なかった。次に3)については、今回の条件下では変色がみられなかったが、長時間暴露による影響が懸念される。パネルに使用されることのある合板の接着剤からホルムアルデヒドが発生する恐れがあり、影響の確認が必要である。一方、二酸化硫黄で変色した試料の回復がオゾンにより可能かを調べたが、部分的に元の色に近づくものの、ムラができてしまい、完全な回復には至らなかった。
著者
北野 信彦 本多 貴之
雑誌
保存科学 = Science for conservation
巻号頁・発行日
no.53, pp.1-18, 2014-03-26

Nio-do style suit of armor was a novel design suit of armor in the Momoyama cultural period(from the end of the 16th to the first half of the 17th century). Characteristics of this suit of armor are the appearance of a naked male body and flesh(skin)-colored coating. The present paper is a report on the observation and analysis of this flesh(skin)- colored coating and makie technique used to make the Nio-do suit of armor owned by Ichinomiya City Museum. Several elemental analyses including those using a microscope,PY-GC/MS and X-ray diffraction pattern,as well as cross-section analysis by observation were conducted on small pieces of coating layers. As a result,it was found that the flesh(skin)-coloredcoating is a mixture of white lead(2PbCO3・Pb(OH)2)and vermillion(HgS)to which dried oil was blended. As for the makie,small gold(Au)grains were used in the technique of hiramakie (Kodaiji makie)with harigaki and kakiwari, characteristic of makie of theMomoyama cultural period. In Japan,dried oil paint was first used in the Asuka-Nara period(from the end of the 7th to the first half of the 8th century),but its use was discontinued until the Momoyama cultural period when,according to old documents,oil painting technique was importedfrom Europe. Then,in the Edo cultural period,dried oil paint such as mitsuda and chang paint appeared. It is assumed that this oil painting material and technique was applied in making the flesh(skin)-colored coating of the Nio-do style suit of armor and that the makie technique was one that is characteristic of the Momoyama cultural period.