著者
岡 武史 山本 智
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.48, no.6, pp.417-424, 1993-06-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
40

科学は発展につれて細分化し,別の分野に居る研究者がお互いに理解しあえなくなる面もあるが,又一方では,今迄関連がないと思われていた二つの分野が,実は深く結びついていることが解り,新しい理解が産まれることもある.ここではその一例として,天体物理と分子物理の結びつきを示す最近の実験室での測定と,天文台での観測について大雑把に述べてみたい.
著者
藤田 智弘 南 雄人
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.9, pp.611-615, 2022-09-05 (Released:2022-09-05)
参考文献数
11

あなたは右利き・左利きどちらだろうか? 我々が左右対称ではなく利き手があるということは,物理的には鏡像反転対称性すなわちパリティ対称性が破れていると表現できる.最近,宇宙にも利き手があるという報告がなされた.もちろん宇宙には手はないが,宇宙の中を飛ぶ光に複屈折(birefringence)というパリティ対称性を破る兆候が観測されたのである.複屈折とは直線偏光している光の偏光面が回転する現象である.光が方解石や水晶などの異方性結晶の中を通ると複屈折が引き起こされることが知られている.偏光面の回転方向は右回りと左回りがありえるため,どちらかが選択される複屈折はパリティ対称性を破る現象である.素朴には真空である宇宙空間での複屈折,すなわち宇宙複屈折が起きるとは考えにくい.しかし,2020年に宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の衛星観測データを解析し,宇宙複屈折の兆候を観測したという報告がなされた.ビッグバンの際に発せられた光は,宇宙年齢である138億年にわたって宇宙を飛び続けたのち,欧州宇宙機関のPlanck衛星によって観測された.その結果によると,138億年の伝搬でCMBの偏光面が地球から見て右回りに0.35±0.14度回転していることが分かった.従来の観測では,宇宙複屈折の検出が難しかった.直線偏光を測定する検出器が回転していると,誤った複屈折角度を測定してしまうため,正しい観測のためには精度のよい検出器の較正が必要である.しかし,従来の観測では検出器の較正の系統誤差が大きいことで,観測が制限されていた.今回の観測では,Planck衛星がCMBの光だけではなく天の川銀河の光も観測していることを用いて検出器の較正をおこなった.地球に近い銀河の光が複屈折されていないことを利用すると,検出器の回転を較正できるのである.それにしてもなぜ,宇宙空間が複屈折を引き起こすのだろうか? 宇宙空間を満たしている未知の存在が,光の偏光面を回転させているのかもしれない.実際,超新星の観測などから我々の宇宙は加速膨張していることが知られており,その原因として暗黒エネルギーなる未知のエネルギーが宇宙空間を満たしていると考えるのが現代宇宙論では標準的である.暗黒エネルギーが宇宙膨張だけでなく光にも影響を与えるとすれば宇宙複屈折を説明できるかもしれない.暗黒エネルギーの候補かつ,光と相互作用し,さらにパリティ対称性を破るような仮説的存在としてAxion-Like Particle(ALP)が素粒子物理学・宇宙論ではよく知られている.実際,宇宙複屈折の報告前から,ALPは暗黒エネルギーとして宇宙を満たしているのではないかという提案がなされていた.さらに最近の詳しい研究によると,その質量が小さすぎない限りはALPは他の実験結果と無矛盾に観測された宇宙複屈折を説明できることが報告されている.CMBを観測する将来計画として,Simons ObservatoryやLiteBIRD衛星などが推進されている.これらの将来観測によって宇宙複屈折もより高精度で測定されることが期待される.さらに,宇宙複屈折の異方性(空の方向依存性)や時間発展を用いることで様々なモデルの検証もおこなえる.宇宙の利き手をめぐる研究は我々の宇宙物理への理解を大きく進めてくれるかもしれない.
著者
久野 純治
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.5, pp.331, 2022-05-05 (Released:2022-05-07)

新著紹介素粒子論の始まり;湯川・朝永・坂田を中心に
著者
横山 知大
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.73, no.6, pp.400-401, 2018-06-05 (Released:2019-02-05)

新著紹介ナノ構造物質の光学応答
著者
横山 知大
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.72, no.6, pp.402-407, 2017-06-05 (Released:2018-06-05)
参考文献数
28

トポロジーはこの30年ほどの物理学におけるキーワードの1つである.元々は物体の形状を穴の数などで分類する数学の分野だが,D. J. Thoulessらによって整数量子ホール効果がトポロジーの表現で理解できることが指摘された.波動関数が非自明なトポロジーを持つ物質・状態はトポロジカル物質・トポロジカル相と呼ばれ,トポロジカル絶縁体やワイル半金属などが研究されている.トポロジカル物質の特徴は保護された表面状態の存在である.これは真空中と物質中のトポロジーが異なるために現れる性質で,量子ホール効果のエッジ状態もその1つとして理解できる.整数量子ホール効果の場合,固有状態から幾何学的なベクトル場であるベリー曲率場が定義される.2次元ブリュアンゾーンにおいてベリー曲率場(の法線成分)を面積分すると,整数に2πを掛けた値となる.この整数はTKNN数またはチャーン数と呼ばれ,量子ホール効果のトポロジーを特徴付ける.ワイル半金属は3次元トポロジカル物質の1つで,そのバンドは円錐状の分散関係をともなう縮退点,ワイル点を持つ.本稿ではこのワイル点に関するトポロジーに着目する.ワイル半金属において,チャーン数は3次元ブリュアンゾーン中の結晶運動量の1成分を固定した2次元平面で定義される.その際,ワイル点はベリー曲率場を作り出すモノポールとして振る舞う.ベリー曲率場はそのモノポールによる磁場,チャーン数はその磁束のような関係がある.このため,ワイル点は「トポロジカル電荷を持つ」と表現される.トポロジカル物性は物質科学分野だけではなく,半導体ナノ構造・メゾスコピック系でも着目されている.例えば,擬1次元の半導体ナノワイヤ中に近接効果によってs波超伝導相関が染み出した系において,その超伝導領域の端に形成されるマヨラナ準粒子はトポロジカル相のエッジ状態として理解されている.超伝導体接合系は強磁性やスピン軌道相互作用との協奏,またはナノ構造・多端子構造による新奇物性の舞台として魅力的である.筆者も含めた最近の研究では,常伝導体に4つ(以上の)超伝導体を接合した多端子ジョセフソン接合において,アンドレーエフ束縛状態のスペクトルにワイル点(ワイル特異点)が現れることを報告した.常伝導領域では電子とホールが伝導するが,超伝導 / 常伝導領域の境界におけるアンドレーエフ反射によって電子とホールが結合して,アンドレーエフ束縛状態が形成される.超伝導電流は束縛状態を介して流れるため,その位相差に対する振る舞いが接合の性質を決める.N個の超伝導体があると,N-1個の独立な超伝導位相差が定義される.その全ての位相差に対してアンドレーエフスペクトルは2πの周期性を持つ.これらの位相差を「結晶運動量」,スペクトルを「エネルギーバンド」と考えると,多端子ジョセフソン接合は「人工的な物質」とみなすことができる.本稿では,この人工物質に現れるワイル特異点を紹介する.超伝導相関はs波の対称性のみを想定し,磁場・スピン軌道相互作用などがなくスペクトルはスピン縮退している,にもかかわらず特異点は現れる.これは「ナノ構造によるトポロジカル物性」である.さらに,特異点の検出という観点から,チャーン数による量子化された横伝導度について議論する.多端子ジョセフソン接合はまだ新しい研究対象であり,トポロジカルな性質も含めた多様な進展が期待される.
著者
當真 賢二
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.19-27, 2017-01-05 (Released:2017-12-28)
参考文献数
40
被引用文献数
2

ブラックホールは,一般相対性理論が予言する最も強い重力場のことであり,入ってしまうと光さえも出て来られないという領域である.これまでの40年以上の多波長電磁波観測の結果,宇宙にはブラックホールと考えられる天体が数多く存在することが明らかになってきた.最近では,重力波の検出により,さらに直接的にブラックホールの存在が証明された.ブラックホールは周囲の物質をすべて吸い込んでしまうというイメージがあるかもしれない.実際にはそうではなく,ブラックホールのスケールの数倍外側では,重力と遠心力が釣り合ったケプラー運動が可能である.そのような領域からは光が逃げ出ていて観測できるし,またプラズマ粒子の一部も高エネルギーを獲得して遠方まで逃げ出すことができる.物質がブラックホール周辺から逃げ出す過程の中で最も顕著で不可思議なものが,相対論的ジェットである.これはブラックホール周辺から細く絞られて流れ出す,速度が光速にきわめて近い噴流である.銀河はその中心に超巨大なブラックホールを有すると考えられているが,銀河のうちの活動的なものに相対論的ジェットが付随している場合がある.また宇宙で最も明るい突発現象であるガンマ線バーストは,恒星サイズのブラックホールが高密度な環境で誕生した際に駆動する相対論的ジェットを正面から見たものであると考えられている.相対論的ジェット形成には多くの基本的問題が残っている.まずジェットのエネルギー源が確定していない.物質源も不明である.さらに物質を細く絞りつつ光速近くまで加速する機構についても未だ議論が続いている.そしてジェットがブラックホールの大きさの10億倍程度もの長さスケールにわたって安定的に流れる理由,かつ安定な流れの中の一部が散逸して輝く理由も明確でない.これらは長年にわたって議論されてきているが,ここ10年数値シミュレーション研究が大幅に発展したのを契機に,議論の枠組みがそれまでと質的に変わった.また問題には他の相対性理論が重要でない天体の物理に基づく直観では理解しにくいものがある.本稿では,そのような点に留意し,諸問題に対する現在の議論の枠組みを丁寧に説明することを試みる.そのあとエネルギー源について焦点を絞り,回転ブラックホールがプラズマ中に定常的に電磁エネルギー流を作るというBlandford-Znajek過程についての理解の進展について詳述する.相対論的ジェット形成は,相対性理論とプラズマ物理の間にある基礎物理的な問題であるが,その謎の解明は多くの関連分野に波及するだろう.ガンマ線バーストの起源は星の進化論や重力波生成と密接に関連している.また宇宙最遠方の天体の一つでもあり,観測的宇宙論に貴重な情報を提供する.およそ100億光年という長い距離のガンマ線伝播という事実を使って量子物理の検証にも使われる.活動銀河のジェットは,銀河や銀河団の進化に影響を与える.また両者のジェットはともに高エネルギー宇宙線や高エネルギーニュートリノの放射源の候補である.さらに偏光を含む最新電磁波観測の発展を促す.本論には,これらの関連する話題や将来への展望も紙面の許す限り含めたい.
著者
米谷 民明
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.113, 2020-02-05 (Released:2020-08-28)

追悼藤井保憲先生を偲ぶ
著者
仲澤 和馬
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.198-207, 2022-04-05 (Released:2022-04-05)
参考文献数
62

原子核は通常,u(アップ),d(ダウン)クォークが構成要素の陽子( p)と中性子(n)「核子と総称」でできている.加速器を用いると核子の仲間であり,第3のs(ストレンジ)クォークを含むハイペロンを作成できる.核子とは異粒子のハイペロンは,パウリの排他律に抵触せずに核の深部にまで到達できる.すると,核子とハイペロンだけでなくハイペロンどうしの相互作用(引力か斥力か,など)を,u,d,sクォーク3つで作られる8種の粒子間で統一的に調べることができる.一方このハイペロンは,宇宙で最高密度の中性子星の中に出現すると考えられている.バリオン間の相互作用の理解が進めば,中性子星の内部構造を解き明かすヒントが得られると期待されている.我々は,sクォーク2個が関与する相互作用の理解を進めてきた.二つのΛ粒子間,Ξ粒子と核子の間の相互作用である.1963年,このようなsクォーク2個を含む原子核:ダブルハイパー核が,原子核乾板(以下,乾板とする)中に発見されたと報告された.ダブルハイパー核を作るには,Ξ-(dss)粒子を乾板中でそっと止めて,乾板を構成する原子核に吸収させるのが効率的に思われる.相互作用を知るには,Ξ-粒子がどの程度深く束縛するか,また吸収した核の内部の陽子とΞ-粒子との反応で作られるΛ(uds)粒子二つが核内にどの程度束縛されるかを測定する必要がある.それには,通常の原子核で質量欠損を測り核子間の相互作用を知るのと同様に,ダブルハイパー核の質量欠損を測定すればよい.質量欠損は,ダブルハイパー核の生成・崩壊に関連するすべての荷電粒子の飛跡の長さから得られるそれぞれの運動エネルギー,および運動量保存から求められる.我々は,30年以上にわたりダブルハイパー核探査実験を進めてきた.1991年に,高エネルギー加速器研究機構(KEK)でK-ビームを照射した原子核乾板中に,ダブルハイパー核が確かに存在することを確認した(E176実験).それ以降,やはりKEKで実施したE373実験,さらに大強度陽子加速器(J-PARC)を使ったE07実験を遂行してきた.現在までにそれらの実験から,47例のダブルハイパー核候補事象を原子核乾板で検出した.Ξ-粒子が14Nに深く束縛した原子核(Ξハイパー核)では,その束縛エネルギー(BΞ-)から,強い相互作用が関与するs-orbit(基底状態)とp-orbit(第1励起状態)に対応すると考えられる準位構造が見えてきた.一方,二つのΛ粒子を束縛した原子核(ダブルΛハイパー核)では,その束縛エネルギー(BΛΛ)が原子量に対して直線的に変化するという興味深いようすが見えてきた.Λ粒子間の相互作用エネルギー(ΔBΛΛ)から,核種によって強さの相違は見られるものの,Λ粒子同士の間には弱い引力的な相互作用のはたらくこともわかってきた.原子核乳剤を2.1トン使った,世界最大規模のE07実験に使用した乾板には,まだ多くのダブルハイパー核事象が眠っている.乾板全面で探査・検出すべく,読み取り装置の高速化と機械学習モデルの開発を進め,数年後には多くの新たな知見が得られるものと期待している.
著者
西村 純
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.67, no.12, pp.816-821, 2012-12-05 (Released:2019-10-18)
参考文献数
12

1920年代にボーアの研究所で過ごした仁科芳雄は1928年に帰国したが,我が国における現代科学普及の重要性を考え,長岡半太郎に依頼してディラックとハイゼンベルグを日本に招請している.仁科自身も1931年には京都大学で講義を行っていた.湯川・朝永はこれらに刺激を受けて量子力学の研究に進んだと云われている.仁科は1931年に理研に彼の研究室が発足すると,宇宙線の研究に取り組み,理論的研究,マグネット霧箱による中間子の研究,深部地下での観測,緯度効果,連続観測等広範にわたる研究を展開した.仁科研究室は戦争末期に壊滅的な被害を受けたが,我が国の宇宙線研究は戦後,多くの方々からの支援の下に発展し,新しい展開を見せて今日に至っている.
著者
吉岡 信行
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.14-22, 2022-01-05 (Released:2022-01-05)
参考文献数
44

多体系の織りなす物理現象を調べることで,森羅万象と我々人間の知識を結ぶことができる.同時に,この魅力的な橋渡しを行うことは,長きにわたって物理学者の前に立ちはだかる難問でもある.古典・量子の系を問わず普遍的に現れるボトルネックの一つが,系のサイズに対する「次元の呪い」である.これは,ヒルベルト空間やスピン配位空間などの探索空間が拡大し,厳密に計算するために必要なコストが膨れ上がる,という問題だ.次元の呪いは,大規模な問題を取り扱うにあたって,原理的に回避できないため,効率的かつ精密に近似する手続きが必要となる.計算機性能が今ほど高くなかった時代から,現象の本質を抽出するような低次元表現の理論的研究は盛んに行われてきた.古くは熱力学や統計力学などの,マクロな系の性質を少数の「特徴量」によって体系的に理解する試みに始まり,様々な理論体系が創出されていった.ただし,そのような発展を遂げてなお,全容が明らかになっていない多体物理現象は山のようにあることを鑑みると,大規模な数値計算による解析は,今後ますます重要性を増していくものと考えられる.特に,物理的直感をはじめとした「科学者によるバイアス」を,極力排除した手法が求められるが,これもまた一筋縄でいく問題ではない.このような問題意識に基づいて,「広大なデータ空間を網羅するような,強力な非線形関数」を探し続けてきた研究分野の一つが,機械学習である.画像認識などのタスクに向けて設計された数理モデルの中でも,最も成功しているものの一つとして挙げられるのが,ニューラルネットワークだ.計算機の演算性能の向上や最適化アルゴリズムの発達によって,ニューラルネットワークは,多岐にわたるデータ処理において,圧倒的な威力を発揮するようになってきた.ここで,量子多体系における波動関数や,古典多体系における熱平衡状態などといった物理的な記述もまた,「データの分布」とみなせることに注目しよう.多体状態の特徴量もまた,強力な「特徴抽出能力」を有するニューラルネットワークによって,学習することが可能なのではないだろうか.実際,物理量の特徴をコンパクトに表現でき,多体現象を効率的かつ大規模に調べることが可能だとわかってきた.ニューラルネットワークが捉えることのできる空間での実効的な多体物理を調べる「変分計算」や,測定からもとの状態を推定する「トモグラフィ」など,好例は尽きない.野心的な試みの中には,観測結果を元に背後の支配方程式をニューラルネットワークに学習させることで,新たな物理法則を発見できないか,という試みもある.古典計算機だけでなく量子デバイスの演算性能が向上し続けている今,両ハードウェアの恩恵を享受する受け皿が求められている.より強い表現能力を求める動きは,機械学習・量子多体物性などの分野の垣根を超え,加速し続けている.そのような潮流の中で,ニューラルネットワークによる表現は,さらなる異分野融合を促す鍵の一つになっていくだろう.
著者
三澤 貴宏
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.4-13, 2022-01-05 (Released:2022-01-05)
参考文献数
61

超伝導は最も魅惑的な物理現象の一つである.電気抵抗0で電流を流せる驚異的な性質から,基礎物理からの興味だけでなく,産業応用の可能性も盛んに研究されている.長らく超伝導は極低温で発現する現象であったが,1986年の銅酸化物高温超伝導体の発見はそれまでの常識を覆し,超伝導転移温度がはるかに高くなりうる可能性を示した.さらに,2008年鉄系超伝導体の発見は銅酸化物に限られてきた高温超伝導が別の物質群でも起きることを示し,銅酸化物との類似点・差異から超伝導機構を理解しようとする研究が全世界的規模で行われている.長年の研究によって,これらの高温超伝導の主たる駆動力は固体の電子間の相互作用にあるというコンセンサスが形成されつつある.しかし,電子間の相互作用がどのようにして高温超伝導をもたらしているのかはまだ明確な答えに至っていない.起源解明を拒んできた主な原因は,固体中の電子間相互作用の大きさを定量的に評価する計算手法の不在と,電子間相互作用の効果を精緻に調べる計算手法の不在であった.この20年で固体中の電子間相互作用の理論研究は大きく進み,これらの困難が解消されつつある.発展の鍵の一つは固体の電子状態を記述する有効ハミルトニアンの非経験的な導出法の進展である.これによって,構成元素・格子構造の情報のみから固体の電子間相互作用の情報を定量的に評価できることが可能になり,物質ごとの電子相関の差異を定量的に議論することが可能となった.もう一つの発展は有効ハミルトニアンを解析する手法の発展である.量子格子模型を解析する計算手法の進展はめざましく,精度向上だけではなくて,従来は困難であると考えられてきた有限温度計算,非平衡計算,スペクトラム計算が可能になりつつある.この有効ハミルトニアン導出と有効ハミルトニアン解析を融合させた計算手法は「第一原理強相関計算手法」といわれ,高温超伝導・量子スピン液体に代表される新奇量子相の起源を解明できる手法として注目を集めている.この第一原理強相関計算手法を鉄系超伝導体・銅酸化物高温超伝導体に適用した.超伝導状態を含む実験相図を再現したうえで,系統的にハミルトニアンのパラメータを変化させることによって,一様電荷感受率の増大と超伝導の安定性が一対一に対応していることを明らかにした.この計算結果は高温超伝導の主な駆動力は,「一様電荷感受率の増大」=「相分離への不安定性に伴う電子間の有効的な引力」であることを示唆している.さらに,銅酸化物高温超伝導体の界面で観測されている超伝導転移温度が金属側のドーピング濃度によらずに一定に保たれる現象が,積層方向の自由度を利用した相分離への不安定性の解消でよく説明できることを示した.これは高温超伝導の背後に一様電荷感受率の増大があることを支持する結果となっている.第一原理強相関計算手法は大きな成功を収めているが,計算手法の高度化とともに新規参入への障壁が高くなっている.この障壁を取り除くために,開発した計算手法をオープンソースソフトウェアとして共有する活動が活発になっている.この活動の一環として,我々は第一原理強相関計算手法を実行するソフトウェアを公開・普及する活動を行っている.
著者
町田 洋
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.76, no.7, pp.444-449, 2021-07-05 (Released:2021-07-05)
参考文献数
24

熱伝導は我々の日常生活に密接に関係する物理現象である.人類は長い営みの中で様々な物質の熱伝導の良し悪しを見極め,用途によって適材適所使い分けてきた.たとえば火を使って調理をする際は金属製の器具を用いることが一般的である.なぜなら金属は熱伝導がよいために,火の熱を効率的に食材に伝えることができるからである.金属の熱伝導のよさは金属中を自由に動き回ることができる伝導電子の存在に依る.しかし固体における熱伝導の主役は電子だけではない.室温で最も熱伝導のよい固体は,伝導電子が存在しない絶縁体のダイヤモンドであり,銅に比べ5倍も熱伝導率が高い.ダイヤモンドにおける熱の担い手は,フォノンである.固体の量子論は,フォノンを気体分子のような粒子として扱うことで,絶縁体の熱伝導を説明することに成功を収めた.しかし気体分子と異なり,フォノンの運動量はフォノンどうしの散乱において必ずしも保存されないので,フォノンは気体分子と同一ではない.ところが固体ヘリウムなどごく一部の物質では,フォノンの運動量が保存される散乱が支配的な温度領域が存在する.そこではフォノンどうしが頻繁に衝突するほど熱がよく伝わるという,固体の散乱現象に慣れ親しんだ者にとってはにわかに受け入れ難い現象が生じる.またフォノンの運動量は四方を囲む結晶の壁との衝突を通してのみ結晶に受け渡されるため,フォノンは円管内を流れる粘性をもった流体のように結晶内を運動し熱を運ぶ.このことから同現象は,フォノンの流体力学的熱輸送とよばれる.現象の華々しさの反面,その発現にはフォノンの運動量が失われる散乱を凍結させるための極低温と不純物等を含まない極めて純良な試料が必要とされ,これらの容易に満たし難い制約条件のために,同現象にまつわる研究は近年に至るまで50年ほど大きな進展がなかった.最近,我々は熱伝導率測定から,2次元層状物質の黒リンとグラファイトにおいてフォノンが流体のように熱を輸送する温度領域が存在することを見出した.特筆すべきは両物質とも試料が特段純良ではない点であり,長らく考えられてきたことに反して,フォノンの流体力学に必ずしも試料の純良性は必要ではないことが明らかとなった.むしろ不純物によるフォノンの散乱を陵駕するほどに,運動量が保存されるフォノンどうしの散乱を活発化させる特殊なフォノン構造が鍵となっている可能性がある.さらにグラファイト試料の積層方向の厚さを薄くしていくと,フォノンの流体力学的性質が顕著になるとともに熱伝導率が増加し,最も薄い試料では室温でダイヤモンドの熱伝導率を超えることが明らかとなった.これは薄いグラファイトシートが優れた熱伝導特性をもつことを示しており,ナノスケールのデバイスの排熱を促進する技術の向上に資する重要な知見になると考えられる.現象の背景にはグラファイトの極めて異方的なフォノン構造が関わっていることが示唆されるが,満足のいく解釈は得られていない.フォノンの波としての性質を考慮に入れて,グラファイト中のグラフェン層間の界面におけるフォノンの散乱を理解することが今後の課題である.