著者
金子 和哉 伊與 田英輝 沙川 貴大
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.73, no.6, pp.361-369, 2018-06-05 (Released:2019-02-05)
参考文献数
41

ミクロな運動を記述するニュートンの運動方程式やシュレーディンガー方程式は,時間反転に関して対称である.一方,マクロな現象を記述する熱力学は,熱平衡状態への緩和や熱力学第二法則に代表される不可逆性をもつ.一見すると,可逆なミクロの力学と不可逆な熱力学は矛盾している.このミクロとマクロの整合性の問題は,19世紀にはボルツマンが議論し,20世紀初頭にはフォン・ノイマンが量子力学に基づき研究をしたが,解決には至らなかった難問である.近年,冷却原子などの実験系で理想的な孤立量子系が実現されるようになり,不可逆性の起源をめぐる問題が再び注目を集めている.理論と実験の両面から,シュレーディンガー方程式に従った時間発展で,量子純粋状態でさえも,熱平衡状態へ緩和(熱平衡化)することが明らかになってきた.理論的にも,従来の統計力学を使わず,量子力学だけから熱平衡化を理解する試みがなされている.とくに,「量子多体系において,全てのエネルギー固有状態が熱平衡状態を表す」という固有状態熱化仮説(Eigenstate Thermalization Hypothesis, ETH)が,熱平衡化を説明する機構として有力視されている.ETHは,数値計算で多くの非可積分系において確認されているが,数学的な証明はない.一方で我々は,一般の並進対称な局所相互作用する量子多体系において,「(全てとは限らない)ほとんどのエネルギー固有状態が熱平衡状態を表す」という弱い形のETHを証明した.また,以上とは異なる研究の流れの中で,第二法則の基礎についても大きな進展があった.とくに重要なのは,「ゆらぎの定理」の発見である.ゆらぎの定理は,エントロピー生成のゆらぎを考慮することで,第二法則を不等式ではなく等式の形で表現したものだ.第二法則は,ゆらぎの定理から自然に導かれる.しかし,孤立量子系の熱平衡化の研究とは異なり,ゆらぎの定理は統計力学を基にしている.とくに熱浴の初期状態として,通常のカノニカル分布を仮定しているため,冷却原子などの緩和過程には適用できない.というのも,熱浴の初期状態は一般にカノニカル分布とは限らないからだ.では,これら二つの研究の流れを統合し,熱浴の初期状態が量子純粋状態のときにも,第二法則とゆらぎの定理を示すことができるだろうか.我々はこの問題に取り組み,熱浴の初期状態がエネルギー固有状態の場合にも,第二法則とゆらぎの定理が短い時間の間では成り立つことを数学的に証明した.証明の鍵となるのは,ETHに加えて,量子多体系の相互作用の局所性である.相互作用が局所的な量子多体系では,情報の伝搬速度に上限が存在することが,リープ・ロビンソン限界(Lieb-Robinson bound)として厳密に示されている.これを利用して,我々は熱浴がカノニカル分布ではないことの影響を厳密に評価した.我々の結果は量子力学と熱力学第二法則を直接的に結び付けるシナリオを明らかにしたと言え,量子多体系の非平衡ダイナミクスのより深い理解につながることが期待される.
著者
深谷 英則 大野木 哲也 山口 哲
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.210-214, 2020-04-05 (Released:2020-09-14)
参考文献数
17

Atiyah–Patodi–Singer(APS)の指数定理は,境界のある多様体上の数学の定理である.こう書くと難しそうで拒否反応を示す読者もいるかもしれないが,もともと指数定理は物理学を起源としていて,実際,電子と電磁場の性質を関係づけるものである.4次元で平坦な時空を考え,電場E,磁場BとしてAPS指数定理を書き下すと,となる.ここで,左辺のn±は電子の満たすDirac方程式でカイラリティ(運動方向に対するスピン演算子)という性質が±1の解の個数を表す.右辺のcは次元だけで決まる定数,第二項はη不変量とよばれ,境界面Yに伝導電子が現れたとき,そのDirac演算子の正の固有値と負の固有値の差を表す量である.したがって,APS定理は電磁場の情報(を時空間で積分したもの)と,電子の全体のDirac方程式の解の個数,および境界上に現れる電子の情報の三つの物理量を結びつけるものである.さらに,この定理の右辺第一項は,絶縁体の内部(バルク)の重い電子の有効作用と考えられ,表面(エッジ)の伝導電子の時間反転対称性の量子異常の相殺を説明する.すなわち,APS定理の第一項(バルク電子の寄与)がゼロでない場合,それに応じて必ず第二項の起源となる境界上の伝導電子(エッジ電子)が現れなければならず,合計が整数になるという性質が,系全体での時間反転対称性を保証する.この性質は,近年注目されているトポロジカル絶縁体の性質と一致する.トポロジカル絶縁体とは,内部で電子がギャップを持ち,絶縁体としてふるまうが,表面ではギャップが閉じてよい伝導性を示す特殊な物質である.上記で示したAPS指数定理の性質は,量子異常の相殺を通じて,トポロジカル絶縁体のバルクエッジ対応を説明する,その数学的保証を与える.このことから,近年,素粒子論,物性理論の研究で注目されている.しかし,APS定理のオリジナル論文は難解で,しかも物理的に実現されるとは考えられない非局所的な境界条件をフェルミオン場に課すことで定理を導いている.2017年,私たちは素粒子論でよく知られた手法を使って,APS指数定理と同じ結果を与える新しい定式化を見出した.非局所的境界条件を必要とせず,ドメインウォールフェルミオンとよばれる,トポロジカル絶縁体のよい模型となる演算子を用い,APSと同じ結果を与える物理量を定式化した.この新しい定式化は計算もより簡単なので,「物理屋でもわかるAPS指数定理」として発表した.この研究は数学者からも大きな反響を呼び,指数定理の専門家である古田幹雄氏,松尾信一郎氏,山下真由子氏が加わり,物理,数学の分野をまたがる共同研究へと発展した.その結果,「任意のAPS指数に対し,それと同じ結果を与えるドメインウォールフェルミオンの演算子が存在する」ことの数学的証明を与えることができた.この証明ではさらに1次元高い時空の指数定理を異なる2つの方法で評価,それぞれがオリジナルのAPS指数および私たちの新しい定式化と一致することで示された.この結果は任意の偶数次元,任意のリーマン計量を持つ多様体上でのAPS指数について成り立つものである.
著者
川合 敏雄
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.227-235, 1986-03-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
3

最近では工学者もしきりにハミルトニアンを口にします. それは物理学者の使い方と同じ場合もありますが, 制御工学者のいう〓はより広い意味をもっています. 最適制御の理論は最大原理という大きな枠で, これを特殊な対象に適用すると力学をはじめとする自然法則が出てきます. この文では最大原理を日常の言葉で理解しながら, 物理法則を制御の目で眺めなおしてみます.
著者
豊田 長康
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.74, no.5, pp.296-297, 2019-05-05 (Released:2019-10-02)
参考文献数
2

特別企画「平成の飛跡」 Part 1. 物理学をとりまく環境の変化国際環境の変化――論文数の分析より
著者
九後 汰一郎 中村 真
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.171-173, 2022-03-04 (Released:2022-04-05)
参考文献数
2

ラ・トッカータ あの研究の誕生秘話ゲージ理論における九後・小嶋形式
著者
森前 智行
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.98-101, 2019-02-05 (Released:2019-08-01)
参考文献数
7
被引用文献数
1

話題量子計算で出来ること・出来ないこと
著者
吉野 元
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.76, no.9, pp.589-594, 2021-09-05 (Released:2021-09-05)
参考文献数
18

深層ニューラルネットワーク(Deep Neural Network, DNN)を用いた機械学習は,深層学習とよばれ,画像認識,機械翻訳などで身近なものとなった.しかしその高い学習能力のメカニズムはよくわかっておらず,ブラックボックスとして使われている面が無視できない.最先端の応用では様々なノウハウが駆使されるが,単純化した状況設定から考える物理学の発想がこのブラックボックスにメスを入れるのに役立つであろう.ニューラルネットワークを用いた機械学習はスピングラスに端を発するランダム系の統計力学,情報統計力学において伝統的に重要なテーマである.Nビットの入力を,Nビットの出力に変換する「関数」を,DNNでデザインすることを考えてみよう.このNをDNNの「幅」とよぶことにする.入出力を含めて,ネットワークには多数のニューロンがある.あるニューロンの状態を変数Siで表そう.これが入力信号h=∑j Jij Sjの関数としてSi=f(h)で決まるとする.ここでSjは隣接する,上流側,すなわち入力層に近い方の層にあるニューロンの状態でJijはシナプス結合とよばれる.f(h)は活性化関数とよばれる.このDNN(このさき機械とよぶ)は多くの調節可能なシナプス結合Jijをもち,これを調節してデザインできる機械の全体集合をΩ0としよう.統計力学的には次のような問いが立つ.M個の異なる入出力データの組が訓練データ(境界条件)として与えられたとして,これに完全に適合する機械は,シナプス結合Jijを色々変えて,何通り作ることができるか? この「正解の集合」をΩとし,その統計力学を考えるのである.学習の問題で重要なのは,訓練データである.人工的だがシンプルなシナリオとして,(1)ランダムな入出力データ,(2)Ω0から無作為に選んだ一つの「教師機械」にランダムなデータを入力し,対応する出力を取り出し,この組を「生徒機械」の訓練データとする,というものがある.(1)はガラス・ジャミング系の統計力学に深く関係する.他方,(2)はいわば結晶(隠された「教師機械」)を推定する統計力学である.DNNの構成要素として最も単純なのは,符号を取り出す関数f(h)=sgn(h)を活性化関数とするもので,ニューロンの状態はイジング変数Si=±1になる.これはいわゆるパーセプトロンの一つである.単体の場合は(1)(2)のシナリオともに深く理解されている.しかしこれを多数組み合わせたDNNの理論解析は困難とされてきた.この困難は次のように克服できる.まず,全パーセプトロンの入出力関係が満足されることを拘束条件として導入することにより,シナプス結合JijのほかにニューロンSiも力学変数に加えることができる.これによって,入力と出力を多段階の非線形写像で結ぶ問題が,局所的な相互作用をもつ多体系の統計力学として捉え直される.得られた系には入出力層以外にランダムネスはない.ここで重要なヒントとなるのは,無限大次元の剛体球ガラスなど,近年急速に発展したガラス・ジャミング系の平均場理論である.そこではハミルトニアンにランダムネスがない系に対してもスピングラスなどランダム系で用いられたレプリカ法が強力なツールとなることが明らかになっている.レプリカ法で理論を構成して解析した結果,熱力学極限N(幅),M(データ数)→∞で,比α=M /Nの増大とともに(1)レプリカ対称性の破れを伴うガラス転移,(2)結晶化が,ネットワークの両端から逐次的に起こって解空間Ωが狭くなること,ネットワークが十分深ければ中央部に「遊び」(液体領域)が残されることがわかった.これはある種の濡れ転移とみなせる.現実的には幅Nは有限であり,転移はクロスオーバーとなり,系は深さ方向にダイナミックスが変化する複雑な液体となる.
著者
小澤 正直
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.157-165, 2004-03-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
39

古典力学は,過去の状態を完全に知れば,それ以後の物理量の値を完全に知りうるという決定論的世界観を導いたが,量子力学は,測定行為自体が対象を乱してしまい,対象の状態を完全に知ることはできないことを示した.ハイゼンベルクは,不確定性原理により,このことを端的にかつ数量的に示すことに成功したといわれてきたが,測定がどのように対象を乱すのかという点について,これまでの関係式は十分に一般的ではなかった.最近の研究により,この難点を解消した新しい関係式が発見され,これまで個別に得られてきた量子測定の精度や量子情報処理の効率の量子限界を統一的に導く第一原理の役割を果たすことが明らかになってきた.
著者
筒井 泉
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.69, no.12, pp.836-844, 2014-12-05 (Released:2018-09-30)
被引用文献数
1

ベル不等式とベル定理の物理的な意義について,その歴史的背景と今日における影響を含めて解説する.EPR論文で提示されたアインシュタインの量子論に対する懐疑的立場は,ベルによって局所実在性を持つ隠れた変数の理論として体現されて,実験的にその可否が検証可能な形となった.それが2者間の相関に関するベル不等式であり,これまで数多くの検証実験が行われてきたが,本稿ではこれらの実験に共通する問題点と近年の展開を概観し,その物理的意味を吟味する.実験的に明らかとなったベル不等式の破れは,物理量の実在性がアインシュタインが想定したような局所的なものではなく,非局所的にも測定の状況(文脈)に依存するものであることを示唆している.
著者
山崎 正勝
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.56, no.8, pp.584-590, 2001-08-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
17

日本は第二次世界大戦期に核兵器を開発しようとした国の一つだったが,その正確な実態は,これまでほとんど知られてこなかった.計画に参加した物理学者たちの研究資料を分析することで,最近,彼らが行った研究の内容が次第に明らかになりつつある.ここでは,特に理化学研究所の人々が構想していた「ウラニウム爆弾」が,原子炉暴走型の爆弾構造であったことが示されている.
著者
堀田 昌寛 遊佐 剛
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.69, no.9, pp.613-622, 2014-09-05

現在広範なテーマを巻き込みながら,量子情報と量子物理が深いレベルから融合する量子情報物理学という分野が生まれ成長しつつある.なぜ様々な量子物理学に量子情報理論が現れてくるのだろうか.それには量子状態が本質的に認識論的情報概念であるということが深く関わっていると思われる.ボーアを源流とする認識論的な現代的コペンハーゲン解釈は量子情報分野を中心に定着してきた.この量子論解釈に基づいた量子情報物理学の視点からは存在や無という概念も認識論的であり,測定や観測者に対する強い依存性がある.本稿ではこの「存在と無」の問題にも新しい視点を与える量子エネルギーテレポーテーション(Quantum Energy Teleportation;QET)を解説しつつ,それが描き出す量子情報物理学的世界観を紹介していく.QETとは,多体系の基底状態の量子縺れを資源としながら,操作論的な意味のエネルギー転送を局所的操作と古典通信(Local Operations and Classical Communication;LOCC)だけで達成する量子プロトコルである.量子的に縺れた多体系の基底状態においてある部分系の零点振動を測定すると,一般に測定後状態の系は必ず励起エネルギーを持つ.これは基底状態の受動性(passivity)という性質からの帰結である.このため情報を測定で得るアリスには,必ず測定エネルギーの消費という代償を伴う.またアリスの量子系は量子縺れを通じてボブの量子系の情報も持っている.従ってアリスは,ボブの系のエネルギー密度の量子揺らぎの情報も同時に得る.これによって起こるボブの量子系の部分的な波動関数の収縮により,測定値に応じてアリスにとってはボブの量子系に抽出可能なエネルギーがまるで瞬間移動(テレポート,teleport)したように出現する.一方,この時点ではまだボブはアリスの測定結果を知らない.またアリスの測定で系に注入された励起エネルギーもまだアリス周辺に留まっており,ボブの量子系には及んでいない.従って対照的にボブにとってはボブの量子系は取り出せるエネルギーが存在しない「無」の状態のままである.このように,現代的コペンハーゲン解釈で許される観測者依存性のおかげで,エネルギーがテレポートしたように見えても因果律は保たれている.非相対論的モデルを前提にして,系のエネルギー伝搬速度より速い光速度でアリスが測定結果をボブに伝えたとしよう.アリスが測定で系に注入したエネルギーはボブにまだ届いていないにも関わらず,情報を得たボブにも波動関数の収縮が起こり,自分の量子系から取り出せるエネルギーの存在に気付く.そしてボブは測定値毎に異なる量子揺らぎのパターンに応じて適当な局所的操作を選び,エネルギー密度の量子揺らぎを抑えることが可能となる.その結果ボブは平均的に正のエネルギーを外部に取り出すことが可能となる.これがQETである.このQETは量子ホール系を用いて実験的に検証できる可能性が高い.一方,相対論的なQETモデルはブラックホールエントロピー問題にも重要な切り口を与える.
著者
米谷 民明
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.72, no.4, pp.231-235, 2017-04-05 (Released:2018-03-30)
参考文献数
12

南部力学と南部ブラケットは,通常のハミルトン形式の拡張として,南部が1973年に提唱した新しい力学形式である.その概要と意義を非専門家向きに解説する.また,弦理論およびM理論との関連,影響についても簡単に触れる.
著者
戸田 盛和
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.185-188, 1996-03-05
参考文献数
33
著者
大井 万紀人
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.73, no.10, pp.733-734, 2018-10-05 (Released:2019-05-17)

新著紹介多粒子系の量子論
著者
梶田 隆章
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.63, no.9, 2008-09-05
著者
深川 宏樹
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.34-38, 2017-01-05 (Released:2017-12-28)
参考文献数
13

物理法則の中には「ある汎関数に停留値を与える現象が起こる」と言い表せるものがあり,これらの総称を変分原理と呼ぶ.良く知られた例は,解析力学で教えられるハミルトンの原理である.散逸のない系の運動方程式は,作用汎関数に対する停留値問題を解くことで求まる.散逸のない完全流体に対しても,各流体粒子に付随した物理量の時間発展を見るラグランジュ描像では,質点系と同様にして運動方程式を得る.一方,空間に固定された点での物理量の時間発展を見るオイラー描像では,変分原理で完全流体の運動方程式を得るには,ラグランジュ座標が補助場として必要である.この定式化が通常の変分原理とは異なるため,補助場を巡って様々な議論がなされた.我々は,この定式化が「評価汎関数に停留値を与える最適制御を求める」という最適制御理論の枠組みの中にあることを見出した.物理系を制御入力のある力学系(制御系)とみなし,作用汎関数を評価汎関数とみなせば,最適制御理論はハミルトンの原理の自然な拡張となる.これを用いれば,完全流体の速度場は制御入力に,ラグランジュ座標は制御される状態変数に,ラグランジュ座標と速度場の関係は制御関数に,それぞれみなせる.次に,散逸のある物理系について述べる.粘性流体では粘性により力学的なエネルギーが熱エネルギーに不可逆的に変換され,単位時間あたりの散逸されるエネルギーの量は散逸関数で表される.これを考慮に入れた変分原理にオンサーガーの変分原理があり,ソフトマター分野では広く使われている.ただし,この変分原理では,散逸関数が二次形式に限られるなどの制限がある.我々は,オンサーガーの変分原理とは異なる方法として,先ほどの制御理論による枠組みを拡張して,散逸関数に制限がなく,より一般的な系を記述できる変分原理を提案した.散逸系ではエントロピーの時間発展は,他の物理量の時間発展に依存するが,エントロピーの値は他の物理量と時間の関数では与えられない.このような依存関係を非ホロノミック拘束条件と呼び,系を非ホロノミック系と呼ぶ.我々は,非ホロノミック系の最適制御問題を定式化し,これを散逸系に適用することで,散逸系の運動方程式を導出した.通常,ナビエ・ストークス方程式は,運動量保存の式に,圧力や応力の具体的な式を代入して導出される.さて,ネーターの定理によると,系に連続な対称性が存在すれば,これに対応する保存則が存在する.例えば,空間並進対称性は運動量保存則を,空間回転対称性は角運動量保存則をそれぞれ導く.したがって,物理系の運動方程式は保存則を導く対称性を満たすことが要請される.また,運動方程式が偏微分方程式で与えられた場合には,系の時間発展は初期条件と境界条件に依存し,物理系では境界値問題が良設定になることが求められる.更に,マクロな系では,エントロピーの時間発展が熱力学第二法則を満たす必要がある.我々は,物理系を制御系とみなしたときに,制御関数,汎関数,拘束条件を先に述べた物理系が持つ制約に矛盾しないように定める方法も与える.本稿の前半では,我々の変分原理を質点系の例で説明し,後半では,ニュートン流体や粘弾性体の運動方程式の導出をする.我々の方法は,既存の散逸系の変分原理にあった汎関数に課せられた制限がなく,より複雑な系の運動方程式の導出ができる.
著者
森田 健
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.7, pp.427-432, 2020-07-05 (Released:2020-11-01)
参考文献数
17

ブラックホールは,天文学,相対性理論,宇宙論,素粒子論など様々な分野で,様々な理由により重要な研究対象である.特に素粒子論では,ブラックホールは情報喪失問題と呼ばれる未解決問題に関係して注目されている.この問題はホーキングによって示されたブラックホールが量子力学の効果で熱的な蒸発をするという予言(ホーキング輻射)に端を発する.ある天体が重力崩壊により,ブラックホールを形成し,その後,ホーキング輻射によって完全に蒸発したとする.すると天体を形成していた物質の情報が,最終的には熱的な情報になるので,元々あった物質の情報が失われてしまう.これは量子力学のユニタリティーに反する過程となっており,量子重力が通常の量子力学と大きく異なることを意味する.ただし,ホーキング輻射の導出にはいくつかの近似が用いられており,本当にユニタリティーが破れるのかはまだわかっていない.この問題はブラックホールの情報喪失問題と呼ばれ,量子重力を理解する上で避けては通れない課題である.これまで情報喪失問題に関して様々な研究がなされてきたが,ここでは特にホーキング輻射の発生機構に注目する.ファインマンの講義録で繰り返し強調されるように,重要な物理現象は直感的に説明されるべきである.しかしホーキング輻射は,数学的な導出がそれほど難しくないにもかかわらず,物理的に単純な説明をするのが難しい.もしホーキング輻射を単純に理解することができれば,情報喪失問題解明において役立つはずである.実は近年,セント・アンドルーズ大学のジョバナッツィ(Giovanazzi)によって,1次元自由フェルミ流体における流体ホーキング輻射と呼ばれるホーキング輻射と類似した現象が,物理的に非常に明快に説明できることが示された.彼は流体ホーキング輻射を,流体を構成する粒子の視点から考察した.そして流体ホーキング輻射が,単なる1次元逆調和振動子ポテンシャル中を運動する粒子の量子力学の問題に帰着することを発見した.この問題は量子力学の初学者でも理解できるほど簡単に解くことができる.これによって1次元自由フェルミ流体という特殊な状況ではあるが,ホーキング輻射の理解がずっと深まった.この結果を応用することで,逆調和振動子ポテンシャルが関連する系ではホーキング輻射に類似した量子現象が起こることを示せる.特に逆調和振動子ポテンシャルは,古典カオスにおいてバタフライ効果を引き起こす上で重要な役割を果たすことが知られている.そのため古典カオス系を量子化することでも,ホーキング輻射に関連した量子論的な熱現象が起こると予測される.カオスやバタフライ効果は我々の日常生活で,ありふれた現象なので,実はホーキング輻射も身近な現象なのかもしれない.しかしカオスにおけるホーキング輻射が,ブラックホールの情報喪失問題でどのような意味を持つのかはまだわからない.一般に多体系におけるカオスは熱平衡化を引き起こし,粗視化を通して系の初期状態の情報を失わせる.そのため何らかの意味で,ブラックホールの情報喪失問題と関係があると考えられるが,その解明は今後の課題である.