著者
廣松 悟
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.98-113, 1991-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
71

当論文においては,英米圏の都市地理学における都市空間概念の展望に基づいて,英米の近代都市において社会問題群が確立,制度化されるための歴史的な条件の探求に関わる作業仮説が提示される。 注目に値するのは,都市自体は人類史を通じて重要ではあったが,特にそれが理論上重要な分析単位となったのは,地理学のみならず他の社会科学一般においても今世紀初頭になってのことに過ぎないといった事実である。この歴史的事実を説明しうる仮設の一つは,先の「都市問題」の形成は,社会空間の全域を覆う特異な政治的監視制度でもある近代国民国家の成立と密接に関連していたというものである。近代都市は,領域国家制度のもとでは,特にその社会的「監視」の観点からみた統治上の効率性の関数として規定された。従ってここに,都市地理学を含めた社会諸科学の都市に関する様々な言説と実践が登場し,先の問題群を制度化すべく,「社会と空間の連関」という特有の問題機制に従って,相異なる概念化に基づいた都市諸学の制度化を実現させることになったと考えられる。中でも,都市空間に関する一般理論は,都市問題を普遍的な既成事実として自明視するような,歴史社会上特異な「実践の閉域」の形成に大きく寄与してきた。今世紀初頭の初期シカゴ学派から最近の都市社会学や都市地理学に至る一貫した思考は,まさにこの特異な領野を構成する上で効果の大きな,都市の一般理論の構築に向けられていたのである。そこでは,この一般理論の対象となる「近代都市」の社会歴史的な存立条件自体を相対化するような,客観的な視座にはかなり欠如していた。そのため,こうした社会と空間に関する極度に.一般的な問題機制は,範域(空間)としての都市を社会として定式する観点と,個別社会を範域(空間)として把握する視点との狭間でほとんど解決不可能な不整合を生み出し,近代都市という歴史地理上特殊な空間に関して,ほとんど無秩序に形成されたかの如きパターン概念の束を生産する結果をもたらしてきた。 現在求められているのは,近代都市という,言説・制度を含んだ歴史社会的にきわあて特殊な閉じた領域に対する一貫して分析的な視座である。中でも,近代国民国家が各々の,歴史社会上特殊な集団や社団を,その領域社会統治上の組織支配単位の一っとして変容させ,主に法人都市の形式によって法的に包摂し,引き続いて,それを永続的な「社会問題の場」として維持することを通じて監視と管理の体系である都市諸学の成立を促し,それらの総合的な作用として結果的に社会の総体的な都市化を招いてきた一連の近代都市に関わる歴史過程が,改めて実証的かっ分析的な研究課題として掲げられなければならない。
著者
海津 正倫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.149-164, 1985-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
21 27

ガンジス川・ブラマプトラ川下流にひろがるベンガル低地の自然堤防を分類し,それらの形成環境,形成時期および形成過程に関する考察をおこなった。 本地域の自然堤防は,大規模に発達するが不明瞭なもの,大規模かつ明瞭なもの,連続的に分布するもの,不連続に分布するものの4種類に分類することができる。これらのうち,連続的に分布するものはさらに,顕著に蛇行するもの,樹枝状に分岐するもの,小規模に不規則に分布するものに細分類され,不連続なものも,弧状に分布するもの,斑状に分布するもの,河道および河岸にみられる河道州上に発達するものに細分類される。 大規模で不明瞭な自然堤防は,紀元前300年頃までにおけるガンジス川の河道変遷に伴って,大規模で明瞭な自然堤防は,ガンジス川の派川によってそれ以後に形成され,18世紀中頃までにすでに存在していたと考えられる。一方,弧状および斑状に分布する自然堤防は,ブラマプトラ川がマドブプールジャングルの東側を流れていた1830年以前に,それぞれブラマプトラ川本流および支流によって形成されたと考えられる。ガンジス川およびブラマプトラ川が現在の河道を流れるようになってからは,洪水時の水深が深く長期間湛水する地域では樹枝状の自然堤防が,湛水深があまり深くないか浅い地域では蛇行する自然堤防が発達する。現在の河道沿いの地帯では,新旧の河道州上に自然堤防が不規則に分布し,ベンガル湾に沿った潮汐の影響を受ける地域では非常に密度の高い水路に沿って小規模な自然堤防が連続的に分布する。
著者
Ryoji SODA
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.139-164, 2000-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
46
被引用文献数
2 2

This paper examines the living strategies of the indigenous rural-urban migrants in Sarawak, Malaysia, by observing their social, economic, and political activities. In the study area, Sibu town, the population of the Iban increased rapidly in the 1980s locating mainly in squatter areas. Although their organizing ability was not strong, they did conduct profitable negotiations with the administration for their housing condition in cooperation with other ethnic groups. Consequently, they acquired new housing lots in a resettlement scheme, which helped them establish more stable lives in the urban area. However, most of them, including those employed in the formal sector, still intend to return home after retirement and maintain their various rights to property in home villages. Some urban dwellers have a flexible interpretation of their custom to remain as a member of the original village. The strong tie with home village community, however, does not necessarily shackle the urban dwellers. Their choice of staying in a local town is the core of their living strategies, which enable them to continue circulating between urban and rural areas, and make careful preparations for their future life after retirement.
著者
杉田 倫明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.74-82, 1985-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
20
被引用文献数
2 2

森林蒸発散に影響を与える因子について,夏季のアカマツ林における熱収支・水収支の観測結果にもとづいて議論した。潜熱フラックスは,渦相関・熱収支法によって得た。樹冠の濡れの程度は,樹冠に付けたウェットネスインディケーターによって求めた。また,遮断量はスルーフォール,樹幹流,林外雨量の値から算出した。さらに,アカマツ林と隣接した牧草地の蒸発散量をアカマツ林の対照データとして利用した。これらのデータの解析の結果,以下の結論が得られた。1)濡れた樹冠の蒸発散速度は,乾いた樹冠のそれと比して,30%程度大きい。したがって,短い時間スケールでは樹冠の濡れは蒸発散量決定における重要な因子である。2)日蒸発散量に対しては,樹冠の濡れは重要な因子ではない。これは,一日中樹冠が濡れていることがまれだからである。3)アカマツ林の日蒸発散量は草地のそれより平均して35%多い。この差は,基本的には両者の有効エネルギーの差に起因する。
著者
Kazutoshi ABE
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.70-82, 1996-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
157
被引用文献数
3 5

The postwar development of Japanese urban geography is divided into four periods. The amount of research in urban geography has increased, expanding study targets and analytical methods. With an increase in studies of urbanization in the 1950s, heated debate ensued and stimulated urban geographers, leading to the subsequent development of urban geography. There are two approaches, to regard a city as a specific point or as an area. The former is represented by studies on the central place and the urban system, while the latter is represented by studies on the internal structure of a city. These two have been dealt with almost equally by Japanese urban geographers. The trends of urban geography comprise the following points: an emphasis on the functional aspects; the introduction of more quantitative approaches; and an increase in the number of studies of foreign cities. Two points are indispensable for the further development of Japanese urban geography: controversy and theorization. The implications of the former are evident, judging from the role that debate played in the initial urbanization controversy. Clearly, progress cannot be made without dispute and debate. Theorization is equally important. Quantitative geography was originally oriented toward theory, although theorization can be accomplished without the use of a quantitative approach. Whether quantitative or nonquantitative approaches are taken depends on the attitude of researchers, but both provide Japanese urban geography, which has traditionally depended on imported foreign accomplishments for its development, with an opportunity to transmit information internationally.
著者
柿本 典昭
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.203-211, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
14
被引用文献数
1 2

本稿は個々の漁村の研究を通じて水産に関する地理学的研究をこころみる際に,どのような配慮がなされるべきかを,主としてわが国の場合を中心に論述したものである. 漁撈行為=狭義の漁業も,人類の最も初源的な行為の一つであるから,人類の自然に対する根元的な反応・適応のあるべき姿を学びとることが出来ると思われているので,伝統的な農業や狩猟業と同様に,すぐれて文化的な現象と考えられる.したがって,従来の伝統的な研究視角としての経済地理学的視角・集落地理学的視角のほかに,文化地理学的視角が必要であると考える立場が支配的となって来た.このような考え方をとる代表的な研究者の一人,斎藤毅の所説に触発され,斎藤論文の批判的な評価をおこないつつ,筆者自身の考え方を披瀝してみた. 結論的にいうならば,陸上と海域の双方を生産と生活の場とし,双方の生態系を監視する立場を保持し続けて来た沿岸住民の生活の場としての臨海集落の研究が,まず何よりも重要な課題となって登場して来るであろう.このような臨海集落は,わが国の場合,旧藩時代以来,伝統的に漁浦とよびならわされて来た小さな村落社会=生活体を形成し,現在の漁業協同組合を構成するような生活体に,系譜的につながっているケースが多い.したがって,この漁浦は,斎藤の指摘するような地理学と水産学の双方の境界領域に形成される一種のフロンティアとして,水産地理学樹立のための研究対象に位置付けられるであろう.何故ならば,斎藤も指摘するように,現実に即し,地域に即したきめ細かい水産地理学的な研究には,前述のような経済地理的・集落地理学的・文化地理学的といった限定された一つの研究視角によらない総合的・包括的にとらえるべき領域,すなわち,水産誌・地域漁業政策論的なもののウエイトが高まって来るにつれ,各々の漁村とその背域の地域(沿岸部海域と沿岸陸上域の双方)の実態の正しい把握が必要となるからである. さらにまた,200カイリ時代の到来によって形成された,あたらしい世界的漁業の秩序=水産究間秩序に対応するためと,沿岸域(陸上)の正しい利用の仕方を理解する時の出発点と考えられるからである.
著者
Tsunetoshl MIZOGUCHI
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.21-41, 1996-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
188
被引用文献数
1 1

This paper reviews major studies in historical geography in Japan published after 1988. After a brief summary of the recent trends in historical geography in Japan, the studies are reviewed under five headings: 1) Changes of rural landscape, 2) Urban transformation, 3) Population and migration, 4) Traffic and transportation, and 5) Religious and imagined world.
著者
斎藤 功 菅野 峰明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.48-59, 1990-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
1 4

武蔵蔵野台地の既存の集落の辺境に開かれた新田集落は,平地林の落ち葉等を活用し,耕種農業,ついで近郊農業を行ってきた。このような地域に新しい主要道路が開通することによって,農家は都市化への急速な対応を迫られるようになった。本稿では小平・田無・東久留米市の境界地帯を事例として,新青梅街道の開通により農民が都市化へいかなる対応をしたかを解明した。 農民の都市化への対応は,一般に通勤兼業が先行する。しかし,農地に執着する農民が,農地を道路や不動産業者に販売した場合,その代金は自宅の新築改築および広い敷地にアパートや貸家を建てて家作経営を行うものが多かった。ついで道路に沿う農地に対しては,道路関連産業の要請により,農地を販売するのではなく賃貸する者も現れた。賃貸の農地は,新車・中古自動車展示場やレストラン,資材置場や倉庫および流通センター等に活用された。 農地を活用した自営的な兼業としては,ゴルフ練習場などのスポージ施設経営が群を抜き,この狭い地域に6つのゴルフ練習場が設立され,わが国最大のゴルフ練習場集中地区となった。ゴルフ練習場ではバッティングセンターやテニスコートぽかりでなく,顧客のためにレストランやゴルフショップを併設する場合が多い。専門度の高いスポーツ施設経営者は,農業経営から離れ産業資本家に脱皮したといえる。 地価の高騰は,一般のサラリーマンに一戸建の家の購入を困難にさせているが,農家が賃貸マンションを建てたりしているので,人口密度は高くなる。しかも,自家用車の所有率が高いため,駐車場需要が高いので駐車場を経営している農家も多い。このように農家では,アパート・マンション・貸家等の家作経営や農地の賃貸など,何らかの農外収入を得ている。しかし,残存した農地では,スーパーマーケットと契約して野菜類を栽培したり,直売している。
著者
山本 健見
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.127-155, 1993-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
73
被引用文献数
4 5

本稿は,ドイツの代表的大都市の中から,都市人口に占める外国人の比率が高く,しかも外国人全体の中に占めるトルコ人比率が特に高い都市である西ベルリン,ケルン,デュースブルクと,外国人比率は高いがトルコ人はユーゴスラビア人につぐ第2位集団でしかないミュンヘンとシュトゥットガルトとを取り上げて,各都市における民族的少数集団の空間的セグリゲーションの状態と程度を描くとともに,その要因を考察することを目的とする。その際,空間的セグリゲーションは,問題となる社会集団間の社会的距離を反映するという古典的人間生態学の理論の妥当性を検証することも,本稿の目的の一つである。 ドイッの大都市を事例としたこのテ・一マに関わる既往の諸研究は,アメリカの黒人ゲットーなどと対比して,ドイッ各都市に共通する特徴を重視してきた。しかし,ドイツ各都市において民族的少数集団が集積・集中している地区の特徴は類似しているものの,民族的少数集団の空間的セグリゲーションの程度に関する各都市の間の差異はかなり大きい。ドイツの各都市は固有の特徴を示しており,古典的人間生態学の理論は妥当しない場合が多い。類型的に見れば,北部の経済的に停滞してきた都市,すなわち西ベルリンとデュースブルクで空間的セグリゲーションの程度が大きく,南部の経済的躍進の著しい都市,すなわちミュンヘンとシュトゥットガルトで小さい。ケルンは両者の中間に位置付けられる。 このような類型的な特徴を説明するためには,民族的少数集団の側の居住地に関する主観的選好という要因よりも,構造的な要因に,すなわち各都市の形成史に制約された住宅供給の特質という要因を重視すべきである。本稿では,デュースブルクを事例として公益住宅企業が果たした役割を考察し,またミュンヘンを事例として「社会住宅」の果たした役割を考察した。その結果,空間的セグリゲーションに関する古典的理論からすれば逆説的なことであるが,差別が空間的分散を生み出し,また住宅供給側の主観的差別の欠如ないし小ささが空間的集中をもたらしていることが明らかとなった。
著者
Loren SIEBERT
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.1-26, 2000-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
58
被引用文献数
1 2

Department of Geography and Planning, University of Akron, Abstract: Japan's ancient provinces were converted into modern prefectures after the Meiji Restoration of 1868. In the Kanto region, the eight former provinces of Musashi, Sagami, Awa, Kazusa, Shimosa, Hitachi, Shimotsuke, and Kozuke were reorganized into the seven prefectures of Tokyo, Saitama, Kanagawa, Chiba, Ibaraki, Tochigi, and Gunma. At the same time, railroads were being built to provide a new transportation method linking geographic areas. To what extent and how rapidly did the new prefectures replace the old provinces in geographic perception? One measure of that acceptance is how the new prefectures influenced the names given to rail companies, lines, and stations, all of which were created after the province system was replaced. Mapping and categorizing of rail names from 1872 to 1995 shows that province-based names significantly outnumbered prefecture-based names. This is especially true for station names, but is strongly apparent for rail company and line names as well. For line names, provincebased names have outnumbered prefecture-related names throughout the period. Only in the case of company names has the number of prefecture-related names (including those based on a capital city with the same name as the prefecture) finally exceeded the number of provincebased names. Spatially, province-based company, line, and station names are spread extensively throughout most of the Kanto region, whereas prefecture/capital-based names are found primarily in and around Tokyo itself. These temporal and spatial patterns reveal that the provinces have lived on in geographic perception long after their official demise.
著者
松本 栄次
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.50-62, 1994-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
26
被引用文献数
1

ブラジル北東部地方(ノルデステ)の主要な地生態系としては, 1) 湿潤熱帯気候下で深層風化した結晶質岩地域に発達するマール・デ・モロス型地生態系, 2) 同じく湿潤熱帯気候下で,未固結の堆積物からなる台地地域に見られるタブレーロス型地生態系,および, 3) 熱帯半乾燥気候下で有刺灌木林(カーチンガ)に覆われた侵食小起伏面からなるペディプレーン型地生態系がある。それぞれの地生態系における植生の破壊によって生ずる特徴的な劣化プロセスは,ハーフオレンジ(円頂丘)斜面におけるラテライト皮殻の形成,タブレーロス台地面における「白砂」の生成,および土壌侵食によるペディプレーンの露岩地化である。 ほとんど石英砂のみからなる不毛な土壌である白砂の生成は湿潤熱帯でもっとも特徴的な地生態系劣化プロセスのひとっである。タブレーロス台地上の白砂は,鉄・アルミニウム酸化物が地下浅所に析出して形成されたハードパンを不透水層として,その上に貯留され,またはその上を流動する酸性の浅層地下水の作用によって生成される。 タブレーロス台地面のように砂質な土壌の場合,森林の伐採によって蒸発散量が減少し土壌水分が増加する傾向がある。このような地中水の増加・地下水面の上昇は,ハードパンを浅所に形成し白砂を生成する上で有利な条件である。こう考えると,人間が白砂の生成を助長している可能性が高いと言える。
著者
白坂 蕃
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.68-86, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
53
被引用文献数
2 2

わが国の山地集落では,1950年代後半から著しい人口減少がみられた.一方,経済の高度成長によって,山地に対するレクリエーション需要が増大してきた.そしてレクリエーション活動の地域的展開に伴い,既存集落の変貌や新しい観光集落の形成がみられた.特にスキー場の開発による集落の変貌と,新しい集落の形成はその典型である. 筆者は,スキー場がその集落の形成・発展において重要な役割を演じ,スキー場と集落がひとつの複合体として機能する場合を,「スキー集落」と規定した.そして,スキー場の地域的分布の条件を考えるために,日本におけるスキー場の開発過程とスキー・場の地理的分布を明らかにした.さらにスキー集落をその起源により類型化し,スキー集落形成の諸条件を明らかにした. わが国のスキー場の地理的分布をみると,年最深積雪量50cm以上の地域で,しかも滑走可能期間が110日以上の地域に著しい集中がみられる.これらの自然条件に加えて,スキーヤーの発源地が基本的には大都市であるために,スキー場の立地には交通条件が大きく関与している.また,一般に日本のスキー集落の形成にあたっては,温泉の存在がその発展に大きな条件になっている.さらにスキー場の開発には広大な土地が必要であるため,スキー集落の形成においては,スキー場適地の土地所有形態が重要な要因で,これには共有地の存在が有利な条件となる. わが国におけるスキー集落は多種多様であるが,筆者は,それぞれの集落の起源や変貌の過程によって日本のスキー集落は基本的に二つに類型化できることを明らかにした.すなわち,第1は,既存の集落がスキー場の開発によって,従来の集落を著しく変貌させた「既存集落移行型スキー集落」である.第2は,スキー場が開発され,地元民の移住などにより,従来の非居住空間に新しい集落が形成された「新集落発生型スキー集落」である.
著者
吉野 正敏
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.149-160, 1989

この論文は先ず気温・霜・降雨・霧・日照などの気候条件について論じ,次にそれらがゴム,茶,米,サトウキビなどの栽培に与えるインパクトについて論じた。寒波はまれではなく,上記の熱帯作物にひどい被害をもたらす。斜面では冬もなく夏もないよい気候は1,300mから1,650の高度に認められる。谷間や盆地底では周辺の斜面とは異なる条件をもっており,違った作物栽培や異った収穫季のために利用される。春の干ぽつは年によりひどい。灌潮iがその対策のために必要である。また,気候変動,寒波,局地循環などの気候条件が西双版納の山地農業の発展を考える上で重要であることを論じた。
著者
溝口 常俊
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.83-102, 1987
被引用文献数
1

現在のバングラディシュの商品流通において,定期市とならんで重要な役割を果たしているのが行商人である.本稿は,従来ほとんど顧みられることのなかった行商人に焦点をあて,その空間的,時間的行動を明らかにすることを目的としている.種々雑多な行商人の中でも,最もポピュラーなアルミニウム食器の行商人を選び,行商先の村,販売額,掛売額等を聴き取った.<br> アルミニウム食器の生産・流通経路は,まず諸外国から輸入されたアルミインゴットが,チッタゴンからダッカへと運搬され,工場で各種の食器が生産される.それが卸売店を経てマーケットタウンの小売店および全国に散らばる行商人販売網を通して消費者にわたる.<br> ミルザプール(ダッカ北西70kmの町)に拠点を構える行商人の行動様式をみると,年間のスケジュールでは,乾期に出稼ぎ地で行商をし,雨期は自村で漁業をおこなう.行商活動は9人のグループを組み共同生活をしながらおこなわれる。食料,生活必需品は共同購入するが,行商であげた利益は各自の財産となる.販売圏は根拠地からおよそ6km圏内で,それぞれ天秤棒を担いで売り歩く.各自得意先の村と顧客を持っており,一週間のスケジュールとしては金曜日(ムスリムの休日)に休みをとる傾向がみられる.仕入れはダッカおよび近隣の町カリヤクールの卸売店でおこない,グループの1人が交代で月に1~2回でかける.<br> 各自200人前後の顧客を持っており,彼等に対して,中古品を回収するとともに,掛売をしている.この販売方法が買手にとって都合がいいばかりでなく,売手にとっても結果的には高収益をもたらすことになっている.<br> さて,ムスリムが多数を占める社会ゆえかムスリムの女性はもちろん,ヒンドゥーの女性すらめったに外出しない.高密度に分布している定期市への買物も男性がおこなう.それゆえ,戸別訪問してくれる行商人が彼女たちに強く求められるのである.事実,筆者がある1日,行商人につきそって取材した時,女性がいききと品定いめに現われた.また,行商人の「未収金帳簿」の顧客リストに少なからず女性の名前が連ねられていた.サリー,腕輪などもその多くをほとんど行商人から入手している.<br> 今後の課題として,アルミ食器以外の多種多様の行商人の行動様式を,本稿で試みた空間的および時間的行動調査を通して分析し,明らかにしていきたい.
著者
野尻 亘
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.129-144, 1992
被引用文献数
1

わが国の地理学においては通勤の研究は主として都市圏の分析に応用されてきたが,海外の地理学においては,交通手段の選択の問題に大きな関心が示されている。それは特に非集計モデルの発達,社会交通地理学研究の進展によって,自動車を利用できない状況にある人々,移動制約者の空間行動に関心が向けられてきたからである。しかし,わが国では既存の統計の不備もあって,自動車通勤や自家用車普及率の地域的な違いは地理学研究では看過されてきた。現在でも1960年代より急速に進展したモータリゼーションの勢いはなお衰えていない。それと同時に,東京をはじめとする大都市圏に人口が集中し,衛星都市が外延的に拡大していく一方で,農山漁村や衰退産業地域の斜陽化は著しい。そこで, 1980年の国勢調査ならびに運輸省等の統計によって,全国各都道府県・都市の通勤利用交通手段の選択比率・世帯あたりの自家用車普及率を調べたところ次のような地域的なパターンがあきらかとなった。公共交通利用通勤者が自家用車利用通勤者を上回っているのは,東京・大阪の2大都市圏と札幌・仙台・名古屋・広島・北九州・福岡の広域拠点都市とその周辺の限定された地域に認められること。公共交通利用通勤者の比率が高く,世帯あたりの乗用車普及率が低いのは東京・大阪2大都市圏内の衛星都市に著しいこと。東京・大阪2大都市圏を除いた国土の大部分で通勤に最もよく利用されているのは自家用車であること。しかし,特に関東北部から中部地方にかけての日本の中央部において,自家用車の利用率と普及率が著しく高いのが目だつことがわかった。以上の結果は,過密する大都市圏においては,道路渋滞や駐車用地の不足が自家用車の保有や通勤利用の抑制要因となっていることを反映していよう。さらにわが国では,公共交通を利用して通勤することが一般的である大都市圏と,自家用車を利用して通勤することが一般的である地方中小都市・農山漁村との生活様式の違いが著しいことが確認できた。モータリゼーションは,利便性だけではなく,公共交通の衰退をはじめ,移動制約者などの交通弱者のモビリティ剥奪などのさまざまな問題を生じさせつつある。本研究は,基本的な事実を統計上から再確認したものにすぎないが,今後の交通行動研究の基礎資料とすべく,さらに1990年国勢調査のデータとの変化を分析することを予定している。
著者
太田 勇
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.115-129, 1985
被引用文献数
1

シンガポールの今日の経済繁栄は,全国民の英語化政策に象徴される強力な国民統合への努力に負うところが大きい.政府関係者はもちろん,ほとんどすべてのシンガポール人学者が,この政策を高く評価している.しかしその反面,独立後20年間に強行された華語系人への抑圧は語られず,現在の政治的安定と物的生活の向上にのみ注意が払われがちである.ここへ至るまでに,英語系エリート主導の人民行動党政府が,いかに華語教育を衰退させたか,いかにアジア系公用語の地位を低下させたかがもっと重視されてよい。筆者はこの観点から,シンガポールの経済繁栄は多数派の華語華人の文化的敗北をもたらし,華語の社会的機能を少数派言語のマレー,タミル両語並みに低めたことに言及した。<br> また,英語国化をとげつつあるが,シンガポール独自の文化的特色を反映させた言語の土着化には賛成が少なく,イギリス英語至上の思想が指導者層に一般化している.彼らにとっては,国際的に通用する英語こそが習得に価いするのであり,局地的にしか使われない型の英語は異端なのである.それは,国の経済規模が小さく,政治的には国際情勢の影響を大きく受ける小島国が,もっとも効率よく自言語を発展させる智恵の表れでもあろう.かくして,シンガポールはその経済発展の基盤と,将来の言語文化の方向とを,植民地時代の遺産継承の形で確立している.
著者
金田 章裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.1-20, 1986
被引用文献数
1

条里プランの完成・変容・崩壊のプロセスやその古代・中世における機能について,絵図類における表現に注目しつつ,包括的な検討を進めた。<br> 条里プランは, 8世紀の中頃に,すでに存在していた条里地割に加えて条里呼称法が導入されることによって完成した.これは,三世一身法と墾田永年私財法の下での私領の増大と,それに伴う土地の記録・確認作業の急増に対応するものであったと考えられる.従って,条里プランは律令と共に中国から直輸入されたものでも,班田収授の開始と共に完成した形で存在したものでもなかった・また,唐代中国の一般的な土地表示法とも異なっており,古代日本の実情に合わせて次第に完成度を高めていったものであり,この点では都城プランにおける土地表示法とも同一軌道上にあった.<br> このような条里プランは,一条一巻として作製された班田図に明示されて使用されたが,これには条ごとに里を連続して描いたものと,条ごとではあっても,里を一つ一つ個別に描いたものとがあったと考えられる.現存する絵図類には,この双方の様式を反映したものを確認することができる。<br> このような条里プランは,班田制崩壊後もさまざまな土地関係の許可あるいは権利・義務などの単位として,中世に至るまで重要な役割を果し続けた.とくに坪の区画が果した意義は大きく,これが今日まで広範囲にわたって条里地割を存続させ,村落景観の基盤となっている大きな理由である.<br> これに対して,里の区画の方は条里呼称の単位として以上の機能を本来は有していなかったが,荘園あるいは村の境界として使用された場合もあった. 条里プランは,定着度の高い地域では16世紀まで機能し続けたが,中世には必要:性や情報量の多寡によって,絵図類などの表現にさまざまな間違いを生じていることもあった.<br> 以上のような条里プランの完成・定着・崩壊のプロセスとともに,土地表示法は典型的には,古代的地名の条里地割に対応する分割ないし再編,条里呼称法と古代的小字地名の併用,条里呼称法のみによる表示,条里呼称法と小字地名の併用,といったプロセスをたどり,遅くとも16世紀末までに,現状のように小字地名のみによる表示法へと変化した.これらの各段階は歴史的な社会的・経済的段階と対応するものであり,同時に日本の村落景観の形成プロセスないし画期にかかわるものである.条里プランは,日本の歴史地理研究において,重要:かつ有効な手がかりとなるものである.
著者
Shin KAJITA
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.147-158, 2001-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
27
被引用文献数
1

This paper aims to summarize the mechanisms of public investment as a social policy in remote rural areas in Japan. It includes findings from former studies as well as a case study undertaken in Shimane by the author, and it discusses the function of public investment in terms of the relationship between the three major groupings involved in the local civil engineering industry. These groups are the “primary labor force group” (PLG) which consists of workers born before or in 1935, the “secondary labor force group” (SLG) which consists of workers born after 1935, and the “local civil engineering companies” (LCECs). In the 1970s and 1980s. there was a strong mutual dependence between the PLG and the LCECs in remote rural areas. PLG workers gave higher priority to maintaining a traditional rural lifestyle and hoped to find jobs in their local area, hence jobs for them should have been created through public works projects. The LCECs also wanted a cheap and quantitatively flexible labor force for public works projects, so public investment worked effectively as a regional social policy. However, as the PLG workers retired and a new generation of workers entered the work force, the disparity between the supply of and demand for labor in the civil engineering industry has increased and the role of public investment as a social policy has been weakened. These changes suggest that the so-called “kaso problem” is generation-specific and that public investment as a social policy for remote rural areas is nearing its end.
著者
Juliet Mavis BOON
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.159-186, 2001-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
66
被引用文献数
3 3

Urbanization and monetization systems have contributed to the reclamation and exploitation of mangroves, which have had some significant effects on the livelihood of those who rely on it. Informal uses of mangroves have received very little attention because they do not contribute to national revenue, and the inextricably linked effects of urbanization and monetary systems on mangrove degradation is lacking. The purpose of this study is to examine the socio-economic impacts of development on mangrove ecosystems and those who depend on it in four coastal villages of Samoa. Fifty households' questionnaire-assisted interviews were conducted first, to provide the social, cultural and economic value of mangroves to the local inhabitants. Second, to identify activities that have changed mangrove ecosystems, and then, to examine how these activities have changed the local inhabitants' social, cultural, and economic relationships with their environment. Findings suggest that, in two cases, land reclamation has strictly and seriously degraded mangrove resources particularly in terms of marine food supplies. For two other cases, increased accessibility to town and the monetization of the rural economy are also factors involved in the decline in quantity and size of fish catch due to the increasing reliance on sales of mangrove food resource for cash. This study supports the position that modern developmental initiatives must be carefully monitored to ensure that they do not undermine the social and economic well-being of resident communities, particularly in areas such as Samoa where a large proportion of the population relies on land and marine resources for their survival.
著者
Aung KYAW
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.199-211, 2001-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
19

There are two steps in Technopolis development: attraction of high-tech industries to the designated areas, and construction of technology linkages between these incoming high-tech plants, existing plants, local universities and government R & Ds. The latter step of Technopolis development is examined in this paper using the example of Koriyama technopolis. Data used in this study are derived from questionnaire surveys and personal interviews with the high-tech plant managers in the Koriyama technopolis area. It turns out that industry-university-government technology linkage formation is not well developed due to the absence of proper information channels and lack of interest from the high-tech plants in the results of technological cooperation. These problems seem to stem from the nature of branch plants and the historical technological development of Japan. Therefore, a long time period is necessary for the formation of technology linkages in provincial areas.