- 著者
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金田 章裕
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 地理学評論 (ISSN:02896001)
- 巻号頁・発行日
- vol.59, no.1, pp.1-20, 1986
- 被引用文献数
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条里プランの完成・変容・崩壊のプロセスやその古代・中世における機能について,絵図類における表現に注目しつつ,包括的な検討を進めた。<br> 条里プランは, 8世紀の中頃に,すでに存在していた条里地割に加えて条里呼称法が導入されることによって完成した.これは,三世一身法と墾田永年私財法の下での私領の増大と,それに伴う土地の記録・確認作業の急増に対応するものであったと考えられる.従って,条里プランは律令と共に中国から直輸入されたものでも,班田収授の開始と共に完成した形で存在したものでもなかった・また,唐代中国の一般的な土地表示法とも異なっており,古代日本の実情に合わせて次第に完成度を高めていったものであり,この点では都城プランにおける土地表示法とも同一軌道上にあった.<br> このような条里プランは,一条一巻として作製された班田図に明示されて使用されたが,これには条ごとに里を連続して描いたものと,条ごとではあっても,里を一つ一つ個別に描いたものとがあったと考えられる.現存する絵図類には,この双方の様式を反映したものを確認することができる。<br> このような条里プランは,班田制崩壊後もさまざまな土地関係の許可あるいは権利・義務などの単位として,中世に至るまで重要な役割を果し続けた.とくに坪の区画が果した意義は大きく,これが今日まで広範囲にわたって条里地割を存続させ,村落景観の基盤となっている大きな理由である.<br> これに対して,里の区画の方は条里呼称の単位として以上の機能を本来は有していなかったが,荘園あるいは村の境界として使用された場合もあった. 条里プランは,定着度の高い地域では16世紀まで機能し続けたが,中世には必要:性や情報量の多寡によって,絵図類などの表現にさまざまな間違いを生じていることもあった.<br> 以上のような条里プランの完成・定着・崩壊のプロセスとともに,土地表示法は典型的には,古代的地名の条里地割に対応する分割ないし再編,条里呼称法と古代的小字地名の併用,条里呼称法のみによる表示,条里呼称法と小字地名の併用,といったプロセスをたどり,遅くとも16世紀末までに,現状のように小字地名のみによる表示法へと変化した.これらの各段階は歴史的な社会的・経済的段階と対応するものであり,同時に日本の村落景観の形成プロセスないし画期にかかわるものである.条里プランは,日本の歴史地理研究において,重要:かつ有効な手がかりとなるものである.