著者
ナウファル A.S.M.
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.225-247, 1988-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
32

スリランカ最大の内陸都市キャンディは,16世紀末から19世紀始めまで,シンハラ王国の首都であった。しかし, 1815年に同王国がイギリスの植民地の支配に降って首府が島の西海岸の主要港湾都市コロンボに移されたため,キャンディは旧王宮,仏歯寺,要塞などを残すだけの古都となった。後に,茶プランテーションの隆盛と共にその生産物集散地としての機能が付け加わる。 1948年の独立以降は,伝来の宗教・文化的機能の外に,地方行政,教育,商業,サービス関係の中心地として,活況をとり戻している。 この歴史過程で,キャンディはシンハラ人の外に幾つもの民族集団が市内で同居するようになった。これら異なった民族間の居住パターン,つまり「住みわけ」問題を分析するのがこの論文の目的である。その場合,分析の対象とする民族としてはシンハラ,タミル,ムスリムに限定し,また,その分析の基準としては特化係数 (Representation Ratio), 相違指数 (Index of Dissimilarity), 住みわけ指数 (Index of Segregation), 集中化指数 (Index of Centralization) を採用し, 1985年に行ったフィールド調査にもとついて分析した。 その結果明らかになったのは, (1) 市内全域でみた場合,優勢民族集団であるシンハラ人は,特定の集中居住地区を持つのではなく, 23区に分散して居住が見られるのに対して,少数民族集団であるタミル人及びイスラム教徒のムスリムの場合は都心の商業地区ないしそれに近い地区に集中居住するパターンが確認されたこと, (2) 居住地の空間分布は社会,経済的レベルによってそのパターンを異にすること,つまり高所得者層の居住地区では居住も生活の様式も非常に均質であり,また低所得者層の居住地区でも民族集団は混在し,明瞭な住みわけが確認できないのに対し,中間の所得者層の居住地区では相互に異質性,相違性が高く,住みわけが起こりやすいこと, (3) 客観的に観察できる相違度はシンハラとタミルの間で最も高く,次にシンハラとムスリムの間であり,タミルとムスリムの間では相違度が最も小さいことなどである。また, (4) 集中化指数を見た場合も,ムスリムとタミルが都心により近い地区に集中していることが明らかになった。
著者
三上 岳彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.14-22, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33
被引用文献数
10 11

主に日記の天候記録にもとつく日本の歴史時代の気候復元研究の成果を概観すると,次の2種類に大別できる。第一は,特定地点の天候記録を長期間にわたって収集・整理し,天候の出現頻度の変動傾向や周期性を明らかにしようとするものである。これに対して,第二は,特定の期間(例えば飢饉年)におけるできるだけ多数の地点の天候記録をもとに,天候の空間的分布を把握し,それらの時間的変化から天候推移や季節異常を議論するものである。いずれの場合にも,定性的な天候データをいかにして観測データと比較しうる定量的なデータに変換するかが重要課題となる。 次に,いくつかの具体的研究事例に基づいて,日本の歴史時代の気候特性を明らかにする。気候復元の問題点についても若干の考察を行なう。最後に,諸外国の研究の現状をふまえて,日本における歴史時代の気候復元研究の将来を展望する。
著者
新見 治 鈴木 裕一 肥田 登
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.23-34, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
90
被引用文献数
1 1

わが国の地理学研究者による最近の水文学研究には, 2つの潮流が存在する。一つは水文循環の物理的過程を究明する水文学研究であり,もう一つは水文環境,すなわち水と人間の関係を総合的に扱う水文誌的研究である。この報文では,特に水文誌の基礎となる地理学分野での研究動向を把握し,今後の研究上の課題について考察した。 地域レベルでは,日本の水収支や水文環境の特性のほか,降水の時空間的な変動特性が研究されてきた。水利用に関しては,高度経済成長期の水資源開発や水問題,工業用水道事業の成立と展開,都市化と農業用水などについて論議が深められた。 流域レベルにおいては,マンボなどの在来の地下水利用技術,地下水を利用した融雪システム,水利用と環境問題,地下水管理など,地域の地下水環境と水利用に関する研究が数多く行われた。都市化と水との関係に着目し,水利秩序の再編成過程,水利転用の展開,灌漑用溜池の潰廃のほか,都市化地域の水文環境と水利用に関する事例研究も進められた。このほか,洪水と水害,ダム建設と社会問題,離島の水などにも関心が向けられた。 このように,水と人間の関係を扱った研究は地理学の様々な分野において多数存在するにもかかわらず,これら基礎的研究によって得られた地理学的情報は水文誌の視点から総合的に整理されていないのが現状である。水文環境や水利用に関する情報の表現方法の開発,水循環と水収支を基本的概念とする水文誌記載の具体的な試み,そして水文誌の記載方法の確立などが,今後のこの分野での重要な研究課題である。
著者
大矢 雅彦 中山 正民 高木 勇夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.35-49, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
18
被引用文献数
5 8

(1) 平野地形をつくるもっとも重要な要因は上流から運搬されてくる砂礫の質,量である.これは流域の地形,地質と密接な関係をもっている.この地形,地質には著しい地域差がある. 一般的に日本は山地地域は地盤の隆起を,平野は沈降をくりかえしてきた.そして平野地形は河川が山地より運搬してきた砂礫によって形成されてきた. (2) 平野における基本的な地形要素の組合せは次のようになる. 扇状地+自然堤防(後背湿地)+デルタこれらの地形要素とその組合せは洪水の繰返しによって形成され,その代表例は中部日本の濃尾平野である. (3) しかし,実際には沖積平野の地形要素の組合せには著しい地域差がある.この地域差をもたらした重要な原因は上流における盆地及び遷急点をもった峡谷の有無である.盆地があると上流から供給された砂礫のうち,かなりの部分が盆地で堆積してしまい,小粒径のものだけが峡谷を経て流下する.このため扇状地はないかあっても小規模となる.これらの事を最上川など数河川の河床砂礫の粒度分析でたしかめた.盆地・峡谷の機能はその形態,規模,縦断勾配などによって異なる.これらの相違は河川の流向が島孤に対して平行であるか,交叉するかによって影響を受けている.また,海岸部では沖積面は基準面(海面)変動の影響をうけている. (4) 沖積扇状地,自然堤防,後背湿地,デルタなどの地形要素とその組合せの特色は洪水の歴史を示すものである.それ故平野の地形分類を行えば将来万一洪水氾濫があった場合の洪水の状態の予測が可能のはずである.水害地形分類図の価値は濃尾平野をおそったべラ(伊勢湾)台風によって立証された.この他地形分類図は地震の際の液状化地点の予測にも利用できる.
著者
籾山 政子 加賀美 雅弘 佐藤 都喜子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.50-58, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
30

わが国における医学地理学研究は近年の研究テーマの多様化に,その著しい発展を見てとることができる。たとえば,住民の医療行動を空間的に分析した医療圏研究,あるいはこれを民俗的現象と結びつけた研究などに多くの関心が寄せられつつある。しかし,わが国の医学地理学の主流は,なお疾病死亡の地域較差をテーマとした研究にあるといえよう。この種の研究,とりわけ,その分析対象と方法は世界的動向と比較的類似している。しかし,一方,ここにはわが国独特の研究動向,すなわち籾山による疾病死亡の季節変化に派生する一連の研究がある。本報告は,この種の研究を取りあげ,わが国の医学地理学研究の特色および今後の展望を検討したものである。 近年つぎつぎに刊行された疾病地図は,本分野の社会的重要性を喚起したものとしてきわめて重要視されている。なかでもわが国における死因の第一位を占めてきた脳卒中死亡の地域較差は,これを契機にして,地理学をはじめ,疫学,人類生態学,統計学など,多彩な方面から検討されている。地理学においては,かかる地域較差を規定するような地域的要因,とくに気候的要因,それに加えて社会経済的要因の解明が,統計学的に進められている。そこでは,対象となる地域のスケールを変えることによって,疾病と地域とのさまざまな関係が解明される。これら諸関係を地理的スケールに応じて整理することが,地理学的現象としての脳卒中死亡,ひいては疾病全般の意味を吟味することになり,今後の医学地理学研究の展開にとって重要なポイントとなるであろう。
著者
斎藤 毅
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.74-77, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
20
被引用文献数
2 1

この小論は,わが国の地理教育の方法論的発達のうち,発生的認識論に基づく方法論について,特に人文主義的地理学の立場から展望し,その問題点を指摘しようとするものである。 地理教育論は必ずしも応用地理学の一分野ではなく,地理学を中心に,教育学,現象学的哲学,児童心理学,文化人類学,自然科学教育論などとの境界領域に,一つの認識の体系として形成されるべきものとするのが筆者の立論の立場である。 1970年代の初頭以来,文化地理学や人文主義的地理学の発展に伴って,こうした理念のもとに,わが国においても地理教育の方法論が発達してきた。 そこでは《世界像》の概念が導入されたが,これは世界観の視覚的表象であり,ピアジェの児童世界観の概念を地理学的視点から発展させたもので,誰しもが記憶の発達と共に,様々な場所的体験によって構築していくものと考えられている。《世界像》の概念が新らしい地理教育論で重視されるのは,これが人々の空間的行動の基礎となり,発達と共に次第に変容するものだからである。児童世界観に基づく世界像の構造と,それが科学的世界観に依拠する世界像,すなわち近代地理学の描き出すものに変容する過程については,なお仮説的部分が少くない。従って,その実証的研究が必要であるが,わが国においても,すでにハートの方法論を援用して,多方面にわたり研究が進められている。 この様な方法論を《発生的地理教育論》として概念づけると共に,今後,多くの実証的研究によって一層体系的に発展させることが期待されている。
著者
小林 健太郎 金田 章裕
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.78-98, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
143
被引用文献数
1 1

比較的実りの多かったこの10年間の日本歴史地理学の成果のうち,以下の6つのテーマについて,その動向を紹介した。 作物栽培の起源は縄文早期に,水田稲作は縄文晩期に湖るようであり,水田分布は弥生中期に本州北端にまで達し,弥生・古墳期の水田のほとんどが極めて小区画であるという従来とは大きく異なった考古学的知見が得られた。 2) 古代都市の復原研究が進み,中国と日本の都城の比較研究も行なわれて,類似点と相違点についての知見が加わった。日本における都市計画の起源にかかわる議論も行なわれた。交通路の研究も活発であり,律令期における整然とした直線状の道路計画の展開の実状が知られるに至った。これらの都市や主要施設の立地・配置とその計画における同時代の人々の空間認識についての議論も始められた。 3) 条里地割と条里呼称法とからなる条里プランが,従来の通説とは異なって, 8世紀の中頃に完成したものであることが判明し,それが古代・中世において果した役割や,広範囲に分布する条里地割をめぐる議論・分析が進んだ。古代・中世の条里地割内部やそれ以外の部分の土地利用についての研究も主要な研究テーマの一つとなった。村落の領域や形態についても研究が進展し,広範な集村化現象や散村の展開の事実も知られるに至った。 4) 中世の市場集落の分布や景観についての研究が進展したが,商品流通からみると当時は市場の有機的な階層構造が成立していなかったとの主張も行なわれた。日本歴史地理学の主要なテーマである城下町研究も進展し,特に,先駆的な戦国城下町や城下町の構造をめぐる議論が展開した。 5) 近世の藩政村と村落共同体との関係や,村落の構造に関する研究が蓄積され,労働・結婚をめぐる人口移動についての研究も発表された。従来からの新田開発研究に加え,近世農書を資料とする分析も加わった。 6) 中・近世の日本では,様々な絵図が数多く作成されたが,これらの絵図の従来からの分析に加え,これらを用いて当時の空間認識にせまろうとする研究が始められた。又,中世の説話から生活空間の深層構造にせまろうという研究も展開した。
著者
氷見山 幸夫 実 清隆
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.99-110, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
67
被引用文献数
1 1

土地利用は地理学の重要なテーマの一つであり,研究の歴史も古い。しかし,本邦の地理学界においては,それは都市地理学や農村地理学等に付随して扱われることが多く,土地利用学としての発展は遅れていた。また土地利用が他分野で扱われる機会が増え,拡散しまとまりを欠く事態となり,関連研究の集約・整理と,より良い国土利用を目指しての研究の方向づけと振興が求められていた。そうした背景の下で, 1985年10月に日本地理学会に土地利用研究グループが設置され,更に1987年8月には国際地理学連合主催・日本地理学会後援の土地利用国際会議が旭川・札幌で開催され,多大の成果をあげた。本稿はこれらの成果を基に,本邦における1980年代の土地利用研究を概観し,各研究課題の位置付けと問題点を明らかにし,今後の研究のあるべき方向を提示するものである。
著者
高橋 伸夫 菅野 峰明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.111-119, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
49
被引用文献数
4 4

日本の大都市は第二次世界大戦後,大きな変化を遂げてきた。大都市への人口集中とそれに伴う郊外化,通勤圏および都市圏の拡大,そして商業・工業活動の郊外への進出によって,大都市の内部だけではなく,都市圏全域にわたって地域の再編成が行われた。また,近年の経済活動の分散により,大都市圏は多核的な構造に変化しているともいわれている。 本論文は,第二次世界大戦後の日本の大都市地域に生じた顕著な現象に注目しながら,大都市圏の地理学的研究の動向を考察し,そのなかの問題を検討した。 大都市圏研究は,大都市への人口集中による郊外化,つまり大都市周辺部の都市化の研究から始まり,大都市の成長過程や大都市圏の構造などが主な研究テーマとなった。日本には大都市圏を的確にとらえる統計単位がないため,大都市圏を実質的に設定する試みがいくつかなされてきた。アメリカ合衆国のMSAに相当するような統計単位を設定する試案もあったが,まだ広く使用されているわけではない。 近年,日本の大都市圏にみられる現象としてあげられるのは,欧米の先進諸国と同様に,人口と経済活動の分散(郊外化)である。そこで,大都市圏の現象を,人口の郊外化,都市内部から郊外への工場の移転,小売業の郊外化,雇用の分散,人と財の流れと結びつき,オフィス活動,高層建築物と地下街の増加,住宅地域の形成と発展に分け,これらについての研究動向と問題を展望した。 大都市圏における中心都市の相対的地位の低下にもかかわらず,日本の大都市の中心部はオフィス活動を中心とする第三次産業が集中し,都心の衰退という現象はみられない。また,インナーシテイ問題も大きな問題とはなっていない。 大都市圏の近年の構造変化に関する研究には,残された課題が多い。従来の研究においても,大都市圏化や大都市圏の変容を一側面から分析する研究がほとんどであった。大都市圏の変容を推し進めるメカニズムに関する研究,大都市圏を総合的に検討する研究,そしてその変容過程を示す説明的あるいは概念的モデルの検討などは,残された課題の最重要なものの一例であろう。
著者
林 上 日野 正輝
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.120-140, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
83
被引用文献数
4 5

日本における卸売業システムの空間的パターンは,これまでずっと東京と大阪を中核都市とする二極構造によって特徴づけられてきた。しかしながら1960年代以降は,産業構造の変化と大企業本社の集中に対応しながら,卸売業取引は東京に集中するようになった。その結果,卸売業の空間的システムは単一システム構造へと変化していった。同時に,札幌,仙台,広島,福岡などの広域中心地が,それらの地域における重要な卸売業中心地になった。 戦後の経済成長にともなって輸送貨物量は驚くほど増大し,輸送手段にも格段の発達がみられた。トラック輸送の発展にともない,倉庫や食料品卸売市場などの施設のなかには都市中心部から大都市の郊外に移動するものが現われた。主要な都市の郊外に建設されたトラック・ターミナルや卸売商業団地は,卸売業施設の都心部から周辺部への移転を促進する役割を果たした。 日本の小売業システムにおける最も顕著な変化は, 1960年代の初頭以降に,スーパーマーケットやスーパーストアが全国的規模や地域的規模で急速に発展したことである。こうした店舗は,都市の階層システムを通して普及していったセルフ・サービス・システムと多店舗システムによって特徴づけられる。小売業は郊外地域で発展したため,大都市の内部では商業地域に関して対照的なパターン(郊外対都心)が生ずるようになった。 モータリゼーションは,都市階層のあらゆる段階で購買地域の構造に再編成をもたらしたもう一つの要素である。新たに発展した商業地域が自動車でやって来る消費者を吸引する一方で,既存の小規模な商業地域は厳しい競争を強いられるようになった。以前は中心地システムに対応していた購買中心地の空間的パターンは,こうした影響の下でその階層的特徴を徐々に失っていった。
著者
佐藤 哲夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.117-133, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
2 1

本稿はバングラデシュ低地部における水稲の作付体系の実態を土地条件および社会経済的条件の両側面から評価し,稲作技術変化の可能性について検討したものである.調査地は同国南西部の低湿地に位置するバゲルハート県モラハート郡で詳細なデータは主としてムラでの住み込み調査によって得た。この調査地はランドサット画像によれば付近は深水田が卓越する地域に含まれる. この低湿地は,通常小さな自然堤防によっていくつかのブロックに仕切られており,雨季には湛水するが,乾季には中央部まで干上がって耕作されている.このような湿地はビル(bil)と呼ばれている.ここでの水稲作は,季節的な水位変動に対応して,収穫期の異なる稲の混播や混植,ジュートやゴマとの混作を特徴としている. 慣行的な作付体系の中では,9月および11月に収穫する稲を雨季初めに混播するものが最大面積を占める.近年導入された改良品種の乾季作は,潅漑さえ整備されていれば大部分の土地で可能なので,将来は慣行的作付体系との競合が予想される.ただし生産費からみた場合には,水利費の軽減が重要な課題である. 滞水期間の長くて乾季初めに稲の移植作業を完了できない最低位部では,危険回避のため伝統的に浮稲の単作が行われている.浮稲単作は土地集約度が低く土地生産性の点では不利であるが,犂耕の回数が少なくて済むなどの理由から,労働生産性は必ずしも低くはなく,商業的経営の性格が強い経営体で作付率が高い. 減水を利用した乾季の伝統的な移植稲作の場合,種子費の節約や耕起の省略が可能となるが,仮畦畔造りと移植作業が加わることで,生産費の合計は混播作とほぼ同じになる. 小作制度では収穫を折半する分益小作が一般的であった.その場合の地主の収益が実勢地価に対する比は,土地を抵当として信用小作を行った場合の利子率と均衡していることが確認された. 経営体の性格は,核家族制をとるムスリムの場合と,直系家族制をとるヒンドゥーの場合とでも異なる.前者が労働の機会費用に敏感で商業的性格をより強く示すのに対し,後者は土地貸借や兼業が少ないなど自給的性格がより強い.このような経営体の性格の違いは,水稲の作付体系にも反映しており,前者では単播浮稲の作付率が高くなっている.
著者
海津 正倫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.164-178, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
10
被引用文献数
50 75

ベンガル低地の沖積層について,ボーリング柱状図の検討や堆積物の粒度分析などをおこない,沖積層の層序を明らかにするとともにその区分・対比をおこなった.さらに,珪藻分折結果や14C年代測定結果などにもとづいて堆積環境の変遷や地形変化について考察した. 本地域の沖積層は粒度組成の顕著な変化によって細分され,下位から,最下部層,下部層,中部層,上部層,最上部層の5部層に分けられる.このうち,ブラマトラ=ジャムナ川氾濫原において深度約40~90m(現海面下約30~80m)に発達する最下部層は最終氷期最盛期頃に堆積した砂礫層で,日本における沖積層基底礫層に対比される.最下部層をおおう下部層は礫を若干混入する砂層で,その上部は褐色を呈している.これは,一時的に陸上において風化作用を受けたものと考えられ,この下部層の堆積以後に,海面底下にともなう不整合が形成されたと考えられる. 下部層と中部層の境はベンガル底地の各地においてかなり明瞭である.中部層以上の堆積物は細粒で,粘土,シルト,シルト混り砂等から成る.また,上部層や最上部層中には比較的顕著な泥炭の堆積も認められる.これらの各部層においては顕著な粒度組成の変化が認められ,ベンガル低地における地形変化や堆積環境の変化が反映されていると考えられる. 下部層以上の各部層の堆積時期は,下部層がおよそ12,000年前頃まで,中部層が10,000(あるいは8,000)年前頃まで,上部層が6,000(5,000)年前頃までの各時期に堆積し,最上部層がおよそ5,000年前頃以降に堆積したと考えられる.この間,12,000~10,000頃の問におこった一時的な海面底下期をはさんで海水準はいわゆる「シェパード曲線」的な海面変化曲線を描いて上昇し,現在に至っている.また,上部層下部の堆積期には比較的顕著な海域の拡大が認められ,中部層や上部層中部には比較的顕著な粗粒堆積物の堆積期が認められる.さらに,粘土やシルトなどの細粒堆積物の堆積した最上部層の堆積期には,ベンガル低地全体に水域が広がるような排水不良の状態が出現したと考えられる.
著者
村田 昌彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.179-194, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
24
被引用文献数
4 5

古日記中の天候記録を利用して,歴史時代(東京では1710年から1895年まで,大阪では1714年から1895年まで)の梅雨入りと梅雨明けを復元した.観測時代(1896年から1980年まで)の梅雨入りと梅雨明けと復元データを結合して,その長期変動傾向を検討した結果,以下のことが明らかになった. (1)梅雨明けと梅雨の継続日数には強い正の相関,梅雨入りと梅雨明けには弱い負の相関がみられた. (2)長期変動傾向として,1770年頃,1810年頃,1860年頃,1920年頃が梅雨明けが早く継続日数が短い期間,1740年頃,1780年頃,1830年頃,1870年頃,1950年頃が,梅雨明けが遅く継続日数が長い期間として挙げられる.また,周期性を調べた結果,梅雨明けと継続日数およそ60年の長周期の存在が確認された. (3)梅雨入り,梅雨明け,梅雨の継続日数には,小氷期とその後の時代とで,大きな差がみられない. (4)梅雨明けが遅い年に,東北地方で冷夏が発生しやすいことが,歴史時代から観測時代を通じて成り立っており,天明,天保,慶応・明治の各凶作の時代に,特に梅雨明けが遅かったことが分かった.
著者
杉谷 隆
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.195-202, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
15
被引用文献数
1 1

模型水路実験の結果では,河岸段丘は浸食状態下における網状流路の砂礫堆から形成される.これらの段丘は,実験条件の変化がきわめて緩慢である場合には,しばしばすぐに浸食されてしまうか,または新たに形成される砂礫堆によって覆われてしまう.本稿は,このような段丘形成過程を日光・根通り川の完新世の段丘について検証した. 根通り川河谷に発達する段丘面は,古いものから順にT1, T2, T3, T4, T5面に区分される.T1およびT3面はそれぞれ最終氷期末期およびヒプシサーマル期に形成された堆積段丘面であり,それ以外はこれらを下刻して形成された面である.T2面は,最終氷期末期から完新世にいたる過渡期の急激な浸食営力によって形成されたものである.一方,T4およびT5面は,次の2つの理由によって実験結果と調和的である. (1) T4およびT5面上の旧河道・旧砂礫堆の分布は,実験流路における分布パターンと酷似している. (2) T4, T5面および現河床の縦断曲線は,実験流路において見られる顕著な波動を重畳させている. これらの段丘面の比高は,上述のような河床の波動の振幅の大きさに入ってしまうため,段丘面は実験において観察されたように,浸食されたり新たに形成された砂礫堆によって覆われてしまいやすい.これらの状況は,ヒプシサーマル期以後には急激な下刻を生じさせるほどの流況の変化がなかったことを示している.
著者
山下 脩二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.1-13, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
37
被引用文献数
8 8

本報告の目的は最近の日本におけるヒートアイランド現象に関する研究を,特にその気候学的側面を中心にして概観し,展望することである。先ず,都市化という観点から都市気候の形成プロセスを概念的に把握し,研究の位置づけを可能にした。つまり,都市化は人口の集中,地表面構成物の改善,生活空間の地上・地下への拡大で表現できる。そして,これらが地表面における幾何的・物理的特性や熱的条件を変化させ,その結果が放射収支・熱収支・水収支の改変となり,ヒートアイランドの誕生となる。以上のプロセスのうち,現在わが国で研究されているものや,とくに関心が寄せられているものについて触れた。気候学的関心としてはまず現象としてのヒートアイランドの把握である。分布的特徴と最大ヒートアイランド強度の出現時刻について述べ,人口との関係についてアメリカや西ヨーロッパとの違いを明らかにした。次にヒートアイランドの形成要因について,都市表面の幾何的凹凸(ラフネスパラメーター,大垣市),天空率(多摩川流域の都市),土壌水分(川越市)の面から考察した。しかし,これらはいずれも人口の場合と同様相関的関係であり,地理学的関心は高いが,ヒートアイランドの物理的構造へと結びつけていく必要もある。さらに都市の放射収支と熱収支について概観し,考察した。放射収支については夜間のヒートアイランドと長波長放射場との関連について主として小林 (1979, 1982) の研究を紹介した。熱収支の体系的研究はわが国ではなされておらず,顕熱や潜熱を個別に扱っているにすぎない。また,都市キャニオン内での熱収支の体系的観測も今後に待つほかない。最後に今後の研究課題・方向について言及した。
著者
スパイヤー R. 吉野 正敏
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.137-153, 1986-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43
被引用文献数
3 9

スリランカにおける気候要素と米作との関係を分析し,次のことを論じた.第1に最近の110年間について米の収量の長期傾向をみると1950年までは年々の変動は小さく,その後は大きい。第2に水稲栽培に関係する気温・降水量・放射・蒸発散などの気候要素との関係を論じ,最も強い制約を与えるのは降水量であることを示した.第3に米のは種および収穫面積,収量と降水量との関係を相関係数と傾向線の分析によって示した.その結果,これらの米作の諸量:は降水量偏差との2次式で表現される。第4には特にドライゾーンにおける潅漑の重要性について議論した.最後に,最近の米作における諸問題を展望した.種々の農業気候の問題のうち,米作を進展させ,干ばつ常習地域における減収を軽減するために2~3の提案を行なった.
著者
Arthur GETIS 石水 照雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.154-162, 1986-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
4

日本の3大都市圏のうち,名古屋は現代アメリカ都市に類似した街路パターンをもち,自動車保有率が高い。この名古屋大都市地域について, 1973年および1979年の石油ショックによるエネルギー費用の増大が,その機能的土地利用ないし居住・雇用のパターンにどのような影響を及ぼしたかを考察した. 中心都市名古屋の中央部では,日本の他の大都市でも見られるように,人口が減少し,商業活動の増加および高地価によって,同市を直接とり囲む近郊地区への人口移動が行なわれ,それら近郊地帯は急速に成長しそいるが,なお人口増加に対する大きな潜在力をもっている. 1973年の石油ショックに照らして,人口増加の緩慢化が予期されたが, 1969-75年間を通じて,名古屋の近郊地帯では,人口増加が見られた. エネルギー費用の増大は,日本人にとって顕著な支出となり,個人生計費の中でエネルギー費用が占める割合が拡大し,自動車のサイズ拡大の傾向が鈍化し,その使用頻度が減少するという形で対処が行なわれた。 1975-79年期以降,愛知県では新規工場の設立が顕著に下降し,新しい工業用地の開発が減少し,鉄鋼・輸送用機械・繊維・衣服など主要部門での成長が鈍化ないし衰退している. 名古屋市では,工業発展が鈍化しているが,繊維工業を除きその変化は顕著ではない.豊田市での工業発展はかなり減速した.名古屋から郊外への工業分散は,同大都市地域におけるかなり大きな人口の郊外化を十分説明するほど大きくはなく,近郊における工業発展は,その増加の上で顕著とはいえない.日本では,土地の供給不足および集約的利用から地価が高騰しているが,名古屋の中心地区でも,以前のちゅう密・低層の住宅地域が商業地域へと変容してきている. 日本では,公共および民間の相当多くの雇用機関による従業者への住宅手当や通勤の実費支給,および政府による国鉄・私鉄両者に対する補助金がある。このような補助金供与は,通勤者が運賃距離よりも時間距離の方を重視させる傾向をもつ. 電力供給の潜在的可能性から見て,工業発展の可能性のある地域は,愛知県では,とくに名古屋の近郊であると思われる. 名古屋大都市地域では,エネルギー費用がいっそう高騰して初めて,エネルギー費用が人口および工業の郊外分散ないし他地域分散を誘導すると思われる.
著者
宮内 崇裕
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.1-19, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
54
被引用文献数
4 9

本稿の目的は,東北日本弧の非火山性外弧に属する上北平野の第四紀地殻変動を地形学的方法と火山灰編年学的方法によって区分・編年のなされた段丘の変位や基盤の地質構造から明らかにすることである.そして,以下のような結果を得た. 上北平野の西縁は,第四紀前期における三浦山断層と辰ノロ撓曲の活動によって奥羽脊梁山脈や三戸丘陵から分化した.辰ノロ撓曲の運動は鮮新世より第四紀を通じて継続してきた.この構造線は平野周辺の地域を上北ブロックと奥羽-三戸ブロックの2つのブロックに分けているようにみえる.平野北部では東西の軸をもつ褶曲運動が,平野南部では北方への傾動運動がみられる.北方への傾動運動は北上山地の曲隆を示唆する.ほぼ南北にのびる活構造は,第四紀の東北日本に卓越する東西水平圧縮の広域応力場のもとでの地殻短縮を示しているが,東西方向に軸をもつ地殻変動は同じ応力場では起こりにくい. 平野全体の隆起運動は少なくとも第四紀後期には継続している.段丘の変位が褶曲運動や傾動運動に伴うものであるとすると,上北ブロックは最近12万年間には0.1~0.2mm/年の速度で広域に隆起してきたことになる. 奥羽-三戸ブロックの広域隆起速度は,辰ノロ撓曲の活動を加えることによって0.3~0.41mm/年と推定される.上北平野のこのような広域隆起は,日本海溝から平野の沖合にかけて発生した大地震に伴う地殻変形,あるいは東北日本弧の長波長の地殻変動によるものと考えられる.
著者
梅原 弘光
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.20-40, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33
被引用文献数
1 1

1970年代のフィリピンでは,それまで停滞といわれていた稲作農業が,「緑の革命」と呼ばれた技術革新の影響で,非常に大きな変化を経験した.本稿では,それがどのような性格のものであったか,その変化のパターンはどうか,その地理学的意味は何か,を考察する.そのための接近方法として,ここでは革新技術の基本構成要素と考えられる種子,投入財,それに融資の三要素に注目し,それがもたらした変化を検討する. その結果明らかとなったのは,フィリピンでは稲作における種子生産の専門化が大いに進んでいること,農業投入財ならびに機械力への依存がますます高まったこと,資金需要の増大にたいする農業融資の著しい拡大,などである. ここで注目しなければならないのは,投入財需要が急速に増大したにも拘わらず,それが,よくいわれるように,国内の農業関連産業を大きく刺激することはなかった点であろう.むしろ,投入財はもっぱら外国資本もしくは海外からの輸入に大きく依存した.その結果,国内では商業部門だけが特に盛んとなった.「商業エリート」の台頭は,まさしくこうした事態を反映するものである. もう一つ重要なのは,稲作技術革新の普及が,結局,先進工業国による開発途上国の市場的統合に向かっている点であろう.特に興味深いのは,技術普及のための小農融資額が,米不足時代に近隣諸国から輸入した米の支払い代金の額にほぼ等しい点である.従来,フィリピンは食糧をタイやビルマなど域内諸国に大きく依存していた.技術革新の導入により米の自給を達成したものの,今度は投入財を先進工業国からの輸入に大きく依存することになった.政府の積極的な小農融資拡大は,フィリピンの対外市場関係のこの転換をもたらすものであった.
著者
斎藤 功 矢ヶ崎 典隆
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.66-82, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
20
被引用文献数
3 3

ブラジル北東部は伝統的に海岸部のサトウキビ地帯,内陸部のセルトン(半乾燥地域の粗放的牧畜地帯)および両者の漸移地帯のアグレステに区分されてきた.しかし,その区分の指標は必ずしも明確ではない. 本稿ではパライバ州の海岸部カーボブランコから内陸部のパトスまで,ほぼ東西に10km(海岸部は5km)ごとに1km2の調査地点35カ所を選定し,土地利用調査を実施した。つまり,1km2内の栽培作物,果樹,牧場の形態等を記載する集約的調査と地形,牧柵,残象作物等の景観観察を併用することによって,東西270kmにわたる土地利用の地帯的変化を明らかにすることを目的とした. その結果,海岸部はジョアンペソアの都市化地区,タブレイロスのサトウキビ栽培地区,パッチ状タブレイロスの根茎作物栽培地区の3地区に区分された.また,アグレステは地形性凹地・トウモロコシ・フェジョン・綿花栽培・パークランド型牧場地区,地形性多雨・トウモロコシ・フェジョン・サバナ型牧場地区,密生有刺潅木林牧場地区に区分された。さらに,粗放的牧畜によって特色づけられるセルトンは,疎生有刺潅木林のボルボレマ高地区とパトス盆地地区に区分された.したがって,全体的にみるとパライバ州の農業的土地利用は,景観的にも8つの農業地区から成立していることが明らかになった. 以上の結果は家畜飼養と栽培作物のムニシピオ別統計分析および道路脇の小商品農産物の直売店の観察からも裏付けられた.