著者
野澤 秀樹 Hideki Nozawa
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.127-142, 2009-03-19

柳田國男は、周知のように日本民俗学の創設者であり、日本近代の学問形成に大きな影響力を及ぼしたひとである。小田内通敏は、日本の近代人文地理学の成立に大きく貢献したひとりである。小田内は、人文地理学の確立をもとめて柳田農政学の門をたたいた。かれが師と仰ぐ新渡戸稲造と柳田によって創設された「郷土会」は、「土地と人の結びつき」から郷土、地方の形態・基盤の研究を行っていた。郷土会の活動を通して柳田は民俗学の、そして小田内は人文地理学の確立を目指したのである。柳田はやがて郷土会のあり方に不満を持ち、「郷土研究」をより総合的な学問に位置づけ、その「総論」として民間伝承論・民俗学の確立を目指した。それは郷土(村)の生活を生活の外形、生活の解説、生活の意識などの三つの資料から総合的に捉えようとするものであった。柳田は、各郷土、地方の調査研究から得られえたこれらの結果を比較総合することによって日本の民族に固有の思想と信仰と感情を明らかにすることを最終目標としたのである。郷土研究はそのための「手段」と位置づけられた。したがって柳田においては、郷土の個性を追求することではなく、それらを貫く、一般性、共通性を追求する科学研究が目指されていた。一方小田内は、郷土、地域の特性、個性を追求することをかれの学問―人文地理学の目標においていた。彼らの方法に基づいて行われた研究が、柳田民俗学を結集した日本の山村・海村生活の調査・研究であり、また小田内指導下の文部省郷土教育の綜合郷土研究であった。前者では村をひとつの有機体として捉えていない点に、後者では郷土の綜合、個性を捉えていない点に問題があった。いずれにしても二人の「郷土研究」の方法の違いはかれらの学問観・科学観の違いによるものであった。
著者
黒須 正明 Masaaki Kurosu
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of The Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.97-107, 2016-03-25

人工物は様々な形で進化してきたし、今後も進化すると考えられるが、その過程において重要なのは意味性、すなわち、当該人工物が目標達成にとって有意味であるかどうかという基準である。その有意味性を確立する上で、客観的品質特性と主観的品質特性の双方が重要な役割を果たすが、特に主観的品質特性において審美性は重要な要素といえる。本論では後半、審美性という品質特性に焦点をあて、人工物のなかでも食具、さらには箸の取り扱い方に注目し、その進化のプロセスにおける審美性の在り方について論じた。
著者
高橋 和夫
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.23-33, 1997

ペルシア湾情勢の将来を語ることは,専門家のする事ではない.この地域は,予言者の墓場である.いわく,イランの王制は安泰である.いわく,イランの革命政権は短命である.いわく,イラン・イラク戦争がイラクの短期間での圧勝に終わる.などなどである. しかし,その将来を敢えて展望して見ると,不安定な要素が多い.四つの変化の流れが合流してアラビア半島諸国を洗うだろう.それは,人口爆発,石油収入の低下,アメリカ軍の存在が引き起こす民族・宗教感情高まり,そして指導者の世代交代である.またイラクではサッダーム・フセインの独裁が続いている.しかし,この長期不安定政権にもいつかは変化が訪れるであろう. こうして見ると,ペルシア湾岸諸国で一番安定感があるのはイランである.そのイランでは緩慢ながらも革命熱の低下するプロセスが進行してる.革命体制の「進化」が起こりつつある.この進化に注目して,イランとの批判的な対話を進める日本やEUと,イラクとイランの同時封じ込め,いわゆる「二重封じ込め」政策を掲げるアメリカとの間に齟齬が生じている.イランの国内情勢の変化に対応した「進化」が,アメリカのイラン政策にも求められている.
著者
島内 裕子
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.132(1)-122(11), 2011

吉田健一には、神戸とその周辺の土地の食べ物や酒について書いたエッセイがある。それらのエッセイの記述の背景には、当地を案内してくれた須磨在住の詩人・竹中郁の存在があった。竹中郁が書いた同様のエッセイと読み比べながら、吉田健一の神戸周辺の「味わいエッセイ」を検証すれば、そこに選ばれている食べ物や店の選択に、竹中郁が大いにかかわっていたことが明らかになる。このことはそのまま、吉田健一の記述に対する注解ともなり、吉田文学をより深く理解するための一助となろう。
著者
蘇 雲山 河合 明宣 奥宮 清人 Tetsuya Inamura Yumi Kimura Kiyohito Okumiya
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of The Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
no.33, pp.45-67, 2015

高所では一般に、エネルギー摂取量が低い一方、運動量が多いため、糖尿病や高血圧などの生活習慣病はもともと少ないと考えられてきた。しかし、生活スタイルの変化によって、近年、急激に生活習慣病が顕在化してきた。そこで、本研究では、インド・ラダーク地方に焦点を絞り、文化人類学と栄養学と医学の共同により、高所環境に対する人間の医学生理的適応と生態・文化的適応を明らかにし、そして、近年の変化によって適応のバランスがどのように崩れ、それが高所住民にどのような影響を及ぼしているかを明らかにすることを主な目的とした。 本稿では、まず、ラダークの都市レー(標高3600m)の概要、チャンタン高原(標高4200-4900m)の遊牧民とドムカル谷(標高3000-3800m)の農民・農牧民の伝統的生活とその変化、及びその背景について論じる。つぎに、それぞれの地域で実施した健診調査のうち、栄養学調査の結果、および分析について論じる。 チャンタン高原の人びとは、以前はヤクとヤギ・ヒツジの遊牧と交易によって生計を立ててきた。遊牧については、基本的に固有のシステムが継承されている。一方、かつて行われていた、北のチベット、西のザンスカル等との長距離のキャラバン交易は、消滅した。 ドムカル谷では、農耕とともに、ヤク、ゾモ(ウシとヤクの交雑種)、ゾー(ゾモの雄)、バラン(在来ウシ)などの移牧が行われてきた。ドムカルにおける農牧複合は、この地方の厳しい自然環境に適応した、独自の特徴を持っている。それは相互扶助などの社会システムによって支えられてきた。しかし、若者が軍関係の仕事につくため、村外に出ることが多くなり、家畜の飼養は急激に減少し、むらの生活も近代化して大きく変化してきた。その背景には、中国との国境紛争、舗装道路の開通、政府による食糧配給による援助、さらに、レーの都市の拡大・観光化や軍の需要などによる市場経済化などがある。 ラダークにおける食事調査により、高所環境という食料入手の困難な環境を反映した、質・量ともに乏しい栄養状態を明らかにした一方、レーやドムカルでは過栄養やこれに関わる生活習慣病も見過ごせない問題となっていることが明らかになった。さらに、栄養摂取と糖尿病との関連を分析すると、エネルギー摂取量の多い人だけではなく、少ない人にも糖尿病がみられた。エネルギー摂取量の少ない人では、食品摂取の多様性が少なく、炭水化物に偏った食事内容になっていることも要因の一つと考察できる。 現在の人々の食の嗜好からも食事の変化をみてとることができた。特に大麦から米・小麦への主食の転換は、元来の高所住民の伝統的な食生活の中心を大きく変えるものであり、生活習慣病の増加の一因となることが懸念される。伝統的な食生活を見直すこと加え、野菜などの摂取頻度の少ない食品群の補強がうまく行われること、さらに健康に関する知識の向上が今後ますます重要になると考えられる。
著者
島内 裕子
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of The Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
no.33, pp.158-145, 2015

本稿では、近世に出版された徒然草の注釈書の中から、『徒然草吟和抄』(1690年刊)に焦点を当て、その注釈態度を考察する。 本稿が『徒然草吟和抄』に注目するのは、十数種類の注釈書の注釈内容を集約した『徒然草諸抄大成』(1688年)が成立した以後の注釈書であること、および、挿絵付きの注釈書であることの二点から見て、徒然草の注釈書の中で、独自の位置を占めると考えるからである。 この二点に着目して、『徒然草吟和抄』の注釈態度を考察することで、「諸抄大成以後」における徒然草注釈書の可能性を見極めたい。さらには、『徒然草諸抄大成』に集成された注釈書の中から、どの注釈書が、『徒然草吟和抄』において、参照・摂取されている頻度が高いかが明らかになれば、徒然草注釈書の中で、後世に残ってゆく注釈書の特徴も明確になるであろう。 『徒然草吟和抄』は、これまで徒然草注釈書の中で、あまり注目されてこなかったように思われる。それだけに、近世における徒然草注釈の全体像を概観するための、一つの具体例として、貴重な存在であると思う。
著者
島内 裕子 SHIMAUTI Yuko
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.122-110, 2013-03-21

北村季吟(一六二四〜一七〇五)は、生涯に二つの徒然草に関する注釈書を著した。四十四歳の時に刊行した『徒然草文段抄』(一六六七年)は、その後、広く流布した。これは徒然草に関して書かれた膨大な注釈書群の中でも、定番的な地位にあり、近代以後にあっては、欧米の日本学者たちが徒然草を外国語に翻訳する際にも、参照されている。一方、季吟が八十一歳の時に、五代将軍・徳川綱吉に献上した『徒然草拾穂抄』(一七〇四年)は、『徒然草文段抄』の詳細な注釈を、わかりやすく簡略化して、そのエッセンスをすっきりとまとめている。 本稿では、まず、近世前期の徒然草注釈書の中に、『徒然草文段抄』の特徴と個性を明確化する。そのうえで、北村季吟が晩年に到達した徒然草観、ひいては、古典の注釈書のあり方の一端を、『徒然草拾穂抄』の注釈態度の中から見出すことを試みた。 なお、各種の徒然草注釈書における注釈内容を具体的に比較するにあたって、本稿ではひとまず、徒然草の第二十段までを対象とする。その際に、諸注釈書が指摘する徒然草と和歌・物語との関わりに絞って考察した。
著者
柳沼 良知 鈴木 一史 児玉 晴男
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.91-98, 2010

カリフォルニア州では、公立学校での教科書配布に必要な、印刷や製本にかかる多額の費用を削減するため、教科書の電子化とオープンソース化の検討を行っている。また、日本国内でも、「すべての小中学生がデジタル教科書を持つ」という環境の実現を目指す民間主導のコンソーシアムが発足した。このような教科書の電子化は、電子化の方向性から、「書籍の電子化」と「アプリケーションの書籍化」に大別することができる。このため、本稿では、まず、これまでの教科書の電子化の試みを「書籍の電子化」と「アプリケーションの書籍化」に分類し、それぞれの動向について述べる。次に、教科書や映像、それらの検索機能などを組み合わせたプロトタイプシステムの開発について述べ、「書籍の電子化」と「アプリケーションの書籍化」の観点から議論する。
著者
井口 篤 Atsushi Iguchi
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.63-69, 2011-03-22

本稿は、西洋中世が現代日本の大衆文化においてどのように表象されているかについて考察する。はじめに、西洋中世に端を発するイメージが今日の世界においても繰り返し現れることに言及する。これは一般的に「中世主義」と呼ばれる文化現象であり、この現象においては、これまでに様々な形のナショナリスト的、宗教的、そして学問的イデオロギーが互いに争うように「ヨーロッパ」という概念を我がものとしようとしてきた。しかし日本はヨーロッパと地政学的に隔絶しており、現在の領土を正当化するために中世ヨーロッパという概念を喚起することはない。にもかかわらず、中世西洋のイメージは戦後日本の大衆文化において頻繁に利用されてきた。本稿は、11世紀の北欧を描く幸村誠の連載漫画『ヴィンランド・サガ』を分析することにより、日本の大衆文化における中世ヨーロッパの我有化は、現実逃避的とは到底言えないことを示す。作者の幸村にとって、中世ヨーロッパの日本人にとっての他者性はまったく障害ではない。幸村は亡命と帰郷という重要なテーマを作品の中で技巧的に展開することに成功している。この亡命と帰郷というテーマは、人間の一生が神への帰郷であると捉えられていた中世ヨーロッパにおいても重要であった。幸村の作品は一見中世ヨーロッパの社会を忠実に再現しようと試みているだけに見えるが、暴力、信仰の危機、仮借なき搾取に溢れる社会を読者に提供している。
著者
石井 祥子 奈良 由美子 鈴木 康弘 稲村 哲也 バトトルガ スヘー ナラマンダハ ビャンバジャブ Shoko ISHII Yumiko NARA Yasuhiro SUZUKI Tetsuya INAMURA Sukhee BATTULGA Byambajav NARMANDAHK
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of The Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.19-33, 2023-03-25

筆者らは、2017年10月から、JICA草の根技術協力事業(パートナー型)「モンゴル・ホブド県における地球環境変動に伴う大規模自然災害への防災啓発プロジェクト」を実施してきた。当初計画では、2022年9月までの5年間を予定していたが、COVID-19感染症流行のため、それ以後は現地での実践活動が継続不可能となった。幸い、これまでの成果と今後の活動の可能性が認められ、約1年半をめどにプロジェクト延長が承認された。そこで、筆者らは、2022年8-10月にウランバートル市とホブド市を訪問し、約2年半ぶりに本格的に活動を再開することができた。 本稿では、感染症流行により活動が制限された状況下における持続的な取り組みと、渡航が再開された2022年後半の活動をまとめる。主な内容は、防災カルタ大会の開催、市民を主体とする防災ワークショップの開催、そして映像コンテンツの制作と評価・活用についてである。
著者
杉浦 克己 Katsumi Sugiura
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the University of the Air (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.252(25)-237(40), 1999-03-31

古語拾遺は大同二(八〇七)年、斎部広成が、平城天皇の朝儀についての召問に答えて撰上したものである。国語史の分野では、特に万葉仮名書の語句を貴重な上代語の資料として重視し、この方面からの研究を中心に内容全体の解釈に資する研究が進められてきた。しかし、現存伝本は中世以降のもののみであり、本文に注された訓読そのものを中心とした研究は必ずしも多くはなかった。 今般、主要な伝本の訓読を調査し、相互に比較検討することによってその特色を明らかにする作業に着手し、先ず第一段階として現存最古の完本である「嘉禄本」及び「暦仁本」(共に天理図書館蔵)を取上げ、訓読の歴史的な変遷とたどる上での指標となる、いわゆる「使役句形」の訓読を個々の例について比較することによって、各々の訓読上の特色考える上での見通しを得ることを試みた。 この結果、嘉禄本は中世の吉田(ト部)家ゆかりの『日本書紀』諸伝本に見える訓読に近い性格を持っていること、暦仁本も基本的には同様であるが、若干の部分についてこれとは異なる性格を併せ持つ可能性があること、の二点を明らかにすることができた。 今後この見通しの元、詳細な訓読の比較検討を試みると共に、他の伝本についても考察の範囲を順次拡大して行きたい。
著者
青山 昌文 AOYAMA Masafumi
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.47-54, 2012-03-22

本論文の目的は、フランスにおける芸術教育と生涯教育の現状とその歴史的基盤の研究である。 エコール・デュ・ルーヴルが述べているように、広範囲の一般の人びとに、芸術作品に関する学知と多様な研究方法と意味を開示することは、エコール・デュ・ルーヴルの1882年創設以来の使命の一つなのである。この精神においてこそ、エコール・デュ・ルーヴルの聴講生は、受講者数の制限はあるものの、正規学生向けの講義のうちの幾つかの講義に出席可能なのであり、作品を前にしての演習をも受けることができるのである。 このような公開の性格は、コレージュ・ド・フランスにおいても、注目すべきものである。 芸術は、ヨーロッパ市民社会において高い位置を占めており、芸術の社会的重要性が、芸術教育のこのような公開の性格の基盤をなしているのである。
著者
島内 裕子 Yuko Shimauchi
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the University of the Air (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.138(1)-119(20), 1998-03-31

本稿は、従来あまり知られていない吉田健一の翻訳や初出誌など、管見に入ったものを紹介しながら、主として、昭和二〇年代から四〇年代までの彼の文学活動を概観する。 特に昭和二四年六月から昭和三五年八月まで、中断を挟みながらも通巻四八号にわたって刊行された『あるびよん』は、当時の吉田健一にとって、作品発表の舞台の一つとなった雑誌であり、そこに寄稿した評論やエッセイなどは、後にいくつかの単行本に再録されて、彼の英文学論を形成するものとなっている。また、『あるびよん』に掲載された座談会や鼎談などは、その性格上、彼の著作には直接入らないが、そこでの発言は彼の文学観や人間観を知るうえで重要なものであるし、その後どの単行本にも収められなかったごく短いエッセイなどもある。現在最も詳細な集英社版『吉田健一著作集』全三〇巻補巻二巻は、補巻を除いて、単行本として刊行されたものに限り収録しているので、これらの小エッセイは見過ごされがちであり、年譜などに記載されていないものもある。また、現代においては、吉田健一と言えば評論家というイメージが強いが、翻訳家としての側面も忘れてはならず、その翻訳の中に、年譜類に記載されていないものがあり、さらに、日本の古典の現代語訳の仕事も行なっている。 吉田健一の文学世界は実に多彩で多様であるが、その本質を究明するためには『吉田健一著作集』に収録されていない短いエッセイや、数々の翻訳書なども含めて研究する必要があるし、初出誌と単行本でどのような推敲や改変が行なわれているかを調査することも必要となってくるであろう。本稿では、そのような観点から、吉田健一の文学活動の一端を考察するものである。
著者
戸ヶ里 泰典 橋爪 洋美 関根 紀子 波田野 茂幸 安藤 優樹 Taisuke TOGARI Hiromi HASHIZUME Noriko ICHINOSEKI-SEKINE Shigeyuki HATANO Yuki ANDO
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of The Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.1-6, 2022-03-25

目的:近年では医学系学会の学術誌においては、論文投稿にあたり研究倫理委員会の承認を条件としているケースが多い。本研究は、日本国内の学協会のうち人文・社会科学系分野に登録されている団体の機関誌における研究倫理に関する配慮規定、および、研究倫理審査の承認を投稿条件としているのかを明らかにすることを目的とする。方法:2021年度前半期(4月から9月)に日本学術会議等が作成する学会名鑑に登録学会のうち、哲学・史学を除く人文・社会科学分野、および境界領域でもある環境学・情報学・総合工学の各領域を関連分野として登録している1117団体を抽出した。このうち機関誌に関する情報公開をしている1076団体を分析対象とした。結果:研究対象者の権利保護に関する倫理について言及していた学会は153団体(14.2%)であった。分野別に検討した場合心理・教育系は96団体で、分野全体の36.1%の団体が記載していたが、他の領域では分野全体の10%に満たなかった。研究倫理指針や綱領のうち、人を対象とする(生命科学・)医学系研究に関する倫理指針を挙げていた学会は39団体(3.6%)で、学会独自の倫理指針・綱領を挙げていた学会は111団体(10.3%)であった。学会独自の倫理指針は心理・教育系で多く、系全体の25.9%である69団体が該当した。投稿にあたり研究倫理委員会の承認を必須としている学会は42団体(3.9%)であった。これも心理・教育系で多く 分野全体の7.5%になる20団体であった。他分野ではそれぞれの分野全体の2.0~ 4.3%にとどまった。結論:学際領域の学会では医学系研究倫理指針に基づいた対応が行われている傾向があるが、医学系以外の行動科学系の学会でも国際的な動きと連動して人を対象とする研究倫理対応を強化している可能性がある。研究倫理委員会のニーズが高まっているとともに、審査が研究の枷とならず礎となるようなシステムを模索することも必要だろう。
著者
廣瀬 洋子 Yoko Hirose
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of The Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.93-99, 2015-03-20

この論文の目的は、放送大学の障害者支援の現状を紹介することにある。そのために、第一にこの領域の国際的な動きを概観し、第二に、近年の日本の高等教育における障害者支援の進展について議論する。米国、英国、EU諸国、豪州では強力な障害者差別禁止法によって、教育分野での差別が解消されてきた歴史がある。日本においても2013年に障害者差別解消法が成立し、2016年4月から施行されることになった。しかし、その実現のためには、乗り越える課題が山積している。第三に、放送大学の障害者支援、とくにICTを活用した支援について議論する。障害のある学生にとって学びやすい教材や教授法を開発することは、多くの学生にとって有益で、豊かな学びの環境を作り出すことにも繋がっている。
著者
稲村 哲也 大貫 良夫 森下 矢須之 野内 セサル良郎 阪根 博 尾塩 尚 Tetsuya Inamura Yoshio Onuki Yasuyuki Morishita Cesar Yoshiro Nouchi Hiroshi Sakane Hisashi Oshio
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of The Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
no.33, pp.79-95, 2015

1898年に秋田で生まれた天野芳太郎は、30歳のときに中南米にわたって実業家として成功し、後にペルーのリマ市に考古学博物館を創設した人物である。 天野は少年時代から考古学に関心をもっていたが、その関心を決定づけたのは、1935年のマチュピチュ訪問であった。天野はマチュピチュで、そこに住んでいた野内与吉という日本人に出会い、彼の案内で一週間ほどマチュピチュを踏査した。 しかし、第二次世界大戦が始まると、天野は総てを失い、北米の収容所に入れられたあと、日本に送還された。戦後の1951年に再び南米に向かい、ペルーで事業を再開し成功するが、後半生は古代アンデス文明の研究と土器、織物などの考古遺物のコレクションに身を投じ、1964年リマに博物館を設立したのである。 それに先立つ1956年、当時東京大学助教授であった泉靖一がリマで天野芳太郎と出会った。泉はすぐにアンデス研究を始め、調査団を組織し発掘を始めた。最初のコトシュ遺跡の発掘で、アメリカ大陸最古の神殿を発掘した。東京大学はそれ以来アンデスの研究で大きな実績を重ねてきた。 岡山出身の実業家森下精一は、1969年リマで天野芳太郎の博物館を訪問し、古代アンデスの土器や織物のすばらしさに衝撃を受け、中南米の考古遺物を蒐集し、1975年自らも岡山県に博物館を開設した。 筆者らは、放送大学のTV特別講義「古代アンデス文明と日本人」を制作し、2015年秋田でそのテーマの展示会を企画し実現した。本稿では、それらの内容を中心に、日本人による古代アンデス文明研究、その背景としての先人たちの「運命的」な出会い、そして秋田で開催した展示会について論じる。
著者
大石 高典 山下 俊介 内堀 基光 Takanori OISHI YAMASHITA Shunsuke UCHIBORI Motomitsu
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.63-75, 2013-03-21

2011年度放送大学学長裁量経費による研究助成を得て、放送大学に保管されている放送大学特別講義『HUMAN:人間・その起源を探る』の一部素材映像のアーカイブ化を行った。一連の作品は、撮り下ろし現地取材に基づく単発のシリーズとしては、放送大学のみならず、日本におけるこれまでで最大の教育用人類学映像教材作成プロジェクトであった。未編集のものを含む当該講義取材資料のうち約40%に当たる部分のアーカイブ化を行うとともに、当時現地取材や映像資料の作成に関わった放送大学関係者と自らの調査地に取材チームを案内した研究者らを中心に聞き取り調査を行った。「ヒューマン」シリーズ撮影から、既に15年以上が経過しているが、狩猟採集民、牧畜民、焼畑農耕民など、アフリカ各地の「自然に強く依存して生きる人びと」に焦点を当てた番組の取材対象地域では、取材後も撮影に関わった研究者自身やその次世代、次次世代におよぶ若手研究者が継続的に研究活動を行っている。これらの研究者との議論を踏まえれば、「ヒューマン」シリーズのラッシュ・フィルムの学術資料としての価値は、以下にまとめられる。(1)現代アフリカ社会、とくに生態人類学が主たる対象としてきた「自然に強く依存」した社会の貨幣経済化やグローバリゼーションへの対応を映像資料から考察するための格好の資料であること。(2)同時に、ラッシュ・フィルムは研究者だけでなく、被写体となった人びとやその属する地域社会にとっても大変意味あるものであり、方法になお検討が必要であるものの対象社会への還元には様々な可能性があること。(3)映像資料にメタデータを付加することにより、調査地を共有しない研究者を含む、より広範な利用者が活用できる教育研究のためのアーカイブ・データになりうること。本事例は、放送教材作成の取材過程で生まれた学術価値の高い映像一次資料は、適切な方法でアーカイブ化されることにより、さらなる教育研究上の価値を生み出しうることを示している。このような実践は、放送大学に蓄積された映像資料の活性を高めるだけでなく、例えば新たな放送教材作成への資料の再活用を通じて、教育研究と映像教材作成の間により再帰的な知的生産のループを生み出すことに貢献することが期待される。
著者
坂井 素思 Motoshi Sakai
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.37-46, 2014-03-20

社会の中で観察される「信頼」には、二つのタイプが存在する。個別信頼と一般信頼である。個別信頼とは、信頼する側と信頼される側との間に、明確なひとつの理由が存在する場合に立てられるものである。たとえば、ひとりの技術者が、機械の利用者の求めに応じて、故障した機械を修理する場合に、その持てる技術の故に、信頼性を獲得することができる。専門的な技術という明確な理由があるために、この技術者は信頼性を獲得することができる。 ところが、集団や組織の内部における信頼のあり方は、このような個別の理由で存在する訳ではない。複数の理由が重層的に織りなす構造を持っている。このような一般信頼には、どのような特徴があり、どのようにして成立するのだろうか。この小論では、企業家タイプの比較検討を通じて、リーダーシップ概念の比較の中に、この一般信頼の意味を追究したい。