- 著者
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成 恵卿
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- no.4, pp.p167-196, 1991-03
十九世紀末から始められた英訳の歴史において、注目すべき一冊は、フェノロサ=パウンドによる『能―日本古典演劇の研究』 'Noh' or Accomplishment, a Study of the Classical Stage of Japanである。これは、パウンドがフェノロサの能の遺稿を編集・完成した本であるが、この一冊を世に出すまで彼が注いだ情熱や努力は並々ならぬものであった。その周辺には、伊藤道郎、久米民十郎、郡虎彦などの若い日本人芸術家たちがおり、パウンドの能理解、とりわけ舞台面での理解を助けた。一九一六年に出版されたこの一冊は、西洋の読者に、能の劇世界の美と深さを広く伝えるとともに、同時代の芸術家たちにも新鮮な衝撃を与えたのである。この時期におけるパウンドの能への関心は甚だ高く、自らも能をモデルとした幾つかの劇作品を書いた。 能訳集の出版の仕事を終えた後も、パウンドの能への関心は消えることなく、特に一九三〇年代からは能への関心が再び高まり、以降能は、パウンドにとって、自分と日本とを結ぶ重要な媒介物となった。 後年のパウンドの生涯には、能にまつわる興味深いエピソードが多い。それらのエピソード、そして書き残された様々な文章からは、彼の能への愛着さらには執着が鮮やかに浮かび上がる。 パウンドの能理解には、確かに限界があり、断片的なものにすぎないところがあった。また時には、懐かしい過去の思い出として、かなり理想化された節も窺える。しかし、能の文芸的価値がまだ日本でも十分に認められていなかった時期に、能に前述のような強い関心を示したことは注目に価する。なお、彼のそうした能への情熱が、周辺の人々にまで少なからぬ影響を及ぼした点を考えるとき、西洋世界への能の伝達史において、彼が果たした役割は大きく、かつ意義深いものであったと言える。