著者
李 善愛
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.35-52, 2006

本研究は、村人が鯨とのかかわりを持って培ってきた地域文化に焦点を当てる。そして、村人の最後の捕鯨砲手や鯨肉専門店を営む韓国唯一の鯨解体士、3代目の鯨肉専門店経営者、鯨祭推進委員、漁業管理船船長とのインタビュー内容に基づき、1986年捕鯨モラトリウム前後における国際政治や社会変化の中、鯨とのかかわりを持ちながら築き上げていく地域文化の生成過程を明らかにする。
著者
大賀 郁夫
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.1-38, 2003-03-20

中世期以来,南九州地域に広くみられた門は,村落結合や百姓の日常生活単位であり,かつ領主の年貢賦課単位であった。その門は,近世期にはいり地域の領主権力によって様々な体制や制度のもとに編成されていった。日向国日杵郡山間部の門は慶長期には家父長制的経営体であると同時に年貢の賦課単位として位置づけられていたが,その後新領主有馬氏により新地開発と収奪強化が強行されヽまた自然災害による飢饉もあり在地構造は大きく変容する。それに伴い門も変化をみせ,特に寛文-延宝期を境に村々では門の再編成が進められる・高千穂郷岩戸村では慶長期に六四門であったが,一七世紀末には編成・消滅の結果六六門に増加すると同時に四組に編成され,この組が年貢賦課単位となっていく。門の編成は地域によって異なり,数門が組に編成されるほかに周辺門と併合して一門となったり,また単独の門のまま存続していく門もみられた。新たに再編成された門は,以後領主の年貢賦課単位として,また村内では小村的な百姓の生産・生活の基本単位としてなっていくことを明らかにした。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.101-126, 2009

マーサ・ヌスバウムは、社会正義の三つの未解決の問題のひとつとして、正義をすべての世界市民に拡大するという問題を取り上げている。ヌスバウムは、この問題に対してケイパビリティが国際的な重なり合うコンセンサスの対象となりうる構想を提唱する。この構想がヌスバウムのグローバル正議論である。ケイパビリティ・アプローチには人間の尊厳に基づいた人の権原という構想が中核にあり、グローバル正議論はケイパビリティ・アプローチをグローバル化するアプローチである。ケイパビリティ・アプローチをグローバル化する際に制度が重視され、グローバル構造のための十原理が提起される。この十原理は、不平等な世界において人間のケイパビリティがいかに促進されうるかについて少なくとも考える手助けとなるものである。ヌスバウムのグローバル正議論はコスモポリタン正議論と見なしうる。ヌスバウムは、ロールズの政治的リベラリズムを受け継ぐにもかかわらず、ロールズの正議論と国際正議論には批判的である。ロールズの正議論において正義の主体が人間であるのに対して、ロールズの国際正議論においては民衆が主体となり、ロールズの正議論と国際正議論ともに、社会契約論にヒュームの正義の環境を結びつける理論に基づいて、契約の形成者と正義の主要な主体を合成するために、相互利益が得られるおおよそ平等ではない当事者を正義の主要な主体とは数えないという問題がある。ヌスバウムのグローバル正議論に対する社会科学者からの批判を検討する。最後に、コスモポリタン正議論としてのベイツ、ポッゲ、そしてヌスバウムの理論を検討し問題点を指摘する。
著者
有馬 晋作
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.1-14, 2008-03-07

2007年1月、宮崎県は官製談合事件の出直し選挙により元タレントの東国原知事が誕生した。保守王国宮崎で、無党派層の多くの支持を得た新知事は、全国的な注目を集めた。当選直後、議会はオール野党であり、行政手腕も未知数で県政運営を不安視する声もあった。だが、知事の県外への高い発信能力によって観光面の成果も現れはじめ、県民の高い支持も得ている。その行政運営は、選挙で掲げたマニフェストを用いたマネジメントを導入しようとしている。そこで本稿は、東国原県政の半年間の特色を、マニフェストをキーワードに分析する。
著者
寺町 晋哉 Shinya TERAMACHI 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.103-119, 2020-03-06

本稿は、女子の友人関係トラブルに対する教師の介入を検討することで、友人関係というインフォーマルな関係性が教師の介入に影響を受けること、そうした介入にジェンダー・バイアスが存在し、結果的に女子の関係性が劣位に置かれることを明らかにする。 先行研究は、ジェンダーの視点、インフォーマルな関係性、教師と児童生徒の再帰的関係のうち、いずれか一つが欠けている。これらの課題を克服するために、本稿では、女子の友人関係トラブルに対する教師の介入に着目する。分析に際して、Francis・Paechter(2015)が提示する三つの視点を用いている。 分析の結果、以下の三点が明らかになった。第一に、児童の関係性にかかわる教室秩序の形成にとって教師たちの理念や介入が重要であることである。第二に、児童間関係に対する教師たちの認識や介入に、ジェンダー・バイアスが歴然と存在し、女子たちは「関係性を重視する」という認識が、教師たちの介入を方向づけていたことである。また、教師たちは女子たちの関係を「ドロドロしたもの」と認識し、解決すべき課題にしているからこそ、何らかのトラブルが発生した場合、「トラブルの発端である関係性」そのものに焦点を当て、トラブルだけでなく女子たちの関係性にも介入していく。第三に、教師たちはケアの倫理が立ち現われやすい関係性に焦点化した介入を行いながら、その解決には自律的な主体であるという捻れた責任を女子に負わせていたことである。
著者
川瀬 和也 Kazuya KAWASE 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-12, 2021-03-10

本稿の目的は、行為者性に関する階層理論を整理し、その射程を明らかにすることである。現代行為論においては、心的態度の階層によって自律を説明し、これを通じて行為者性とは何かを明らかにしようとする階層理論が影響力を持っている。本稿では、H. G. フランクファートの階層理論、M. E. ブラットマンの計画理論、C. M. コースガードの実践的アイデンティティに訴える理論の三つを、心的態度の階層性に加えて何が必要だとされているかという観点から整理する。また、特にブラットマンの計画理論と、コースガードの実践的アイデンティティに基づく理論を比較し、両者において人格の同一性についての理解の違いが問題となっていることを示す。また、人格の同一性の捉え方によって、「操作の問題」への応答が変わることを明らかにする。これを通じて階層理論にとって人格の同一性をめぐる問題の重要さが増していることを明らかにする。
著者
大賀 郁夫 Ikuo OHGA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.1-26, 2018-03-09

幕末期の一連の政治史において、薩摩・長州・土佐・越前各藩など雄藩が、重要な役割を果たしたことは言うまでもないが、藩全体の八割を占めた九万石以下の小藩はいかにして幕末期を乗り切り、維新を迎えたのだろうか。本稿では、日向延岡藩七代藩主であった内藤政義が記した自筆『日記』から、元治~慶応期に譜代小藩である延岡藩の動向を考察した。政義の交際は、実家の井伊家、養子政挙の実家太田家、それに趣味を通じて交流のあった水戸徳川家など広範囲にわたる。元治元年七月の禁門の変以降、二度に及ぶ長州征討に政挙が出陣しているが、江戸にいる隠居政義は高島流炮術や銃槍調練に励む一方、政局とはかけ離れた世界に居た。政義は梅・菖蒲・桜草・菊観賞に頻繁に遠出し、また水戸慶篤と品種交換や屋敷の造園に勤しんだ。在所からの為替銀が届かず藩財政は破綻に瀕しており、慶応三年末、薩摩藩邸の焼き討ちを契機に政義は在所延岡への移住を決断する。六本木屋敷に養母充真院を残したまま、翌慶応四年四月、政義は奥女中や主な家臣家族ともども品川を出船し延岡へ向かった。幕末期の譜代小藩の動向を窺うことができる。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.77-100, 2011-03-04

国際政治経済学にはアメリカン学派とブリティッシュ学派の間に「相互無視」という状態がある。ブリティッシュ学派の創始者の一人としてスーザン・ストレンジにその責任の多くが負わせられている。しかしながら、ストレンジは、国際政治経済学におけるブリティッシュ学派の確立ではなく、むしろ国際政治経済学という学問分野の確立をめざしてきたのである。ストレンジは、安全保障、生産、金融、そして知識からなる構造的権力に基づくリアリズムを主張し、そして既存のリアリズムには批判的であった。この立場からすると、古典的リアリズムの多極システム、ネオリアリズムの双極システム、そしてリアリズムの覇権国モデルが批判されることになる。そしてストレンジはグローバル政治経済のリアリティを直視するという意味でもリアリストであった。それゆえ、ストレンジは変貌するグローバル政治経済についての認識を欠くアメリカの政策とアメリカの国際政治経済学にはきわめて批判的であった。なぜならば、ストレンジは、アメリカの衰退どころかアメリカを非領土的帝国であると捉え、そしてグローバル政治経済において国家から市場へと権威がシフトし、グローバル・ビジネス文明が出現していると捉えたからである。さらに、ストレンジは、経済学の方法論を援用するアメリカン学派の国際政治経済学にも批判的であった。こうした意味でストレンジを批判的リアリストと呼べるかもしれない。最後に、アメリカン学派からの批判とそれに対するストレンジの反論を検討するとともに、ストレンジの国際政治経済学を批判的に考察する。
著者
住岡 敏弘
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.243-256, 2012-03-02

人格教育をめぐる政策としては、「人格教育における連携事業」(Partnership in Character Education Project)が有名である。この事業は、1994年に、クリントン政権のもとで成立した『アメリカ学校改善法』(Improving America's Schools Act)のなかで規定され、人格教育プロジェクトについて州政府に対する補助金規定が盛り込まれた。その後、ブッシュ政権のもとで2002年に成立した『落ちこぼれ防止法』(No Child Left Behind Act)においてもこの事業は引き継がれ今日に至っている。しかし、「人格教育における連携事業」創設以前にも、連邦政府は既に人格教育に対する補助金事業を行っていた。1981年10月には、『シティズンシップの原理の教授に教育分野の包括補助金を使用する権限を付与する法律(An Act to authorize the use of education block grant funds to teach the principles of citizenship)(PL97-313)』が成立し、レーガン政権下での『初等中等教育法』の改正法である『1981年教育統合改善法(Education Consolidation and Improvement Act of 1981)』チャプター2の包括補助金から、シティズンシップ教育プログラムの改善に対して補助金が支出することが可能になったのである。この規定にもとづき、人格教育プログラムの改善にも連邦資金が使われてきたのである。本論では、シティズンシップ教育に対する連邦政府の公的関与に対する本格的な分析の前段階として、同法成立に向け連邦議会で提出された法案ならび公聴会での論議についての確認を行った。
著者
四方 由美
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.63-73, 2010-03-05

本稿は、「宮崎における女性史資料保存の研究」として、宮崎における地域女性史の可能性を探ろうとするものである。研究の背景として、歴史学において常に客体であった女性が、歴史の主体として認識されるようになった経緯を述べた上で、歴史学が地域史を焦点化する過程、地域の女性たちが自ら語り・記述・保存する地域女性史について整理する。さらに、地域女性史の成果を地域別に比較し、成果が多くある地域の特徴を導き出すことにより、宮崎における地域女性史による女性史資料保存の可能性について探る。本稿では、女性史サークルの存在が果たす役割に着目し、愛媛県の2つの女性史サークルへの調査結果の考察をおこなった。また、宮崎において活動をはじめた女性史サークルの取り組みについても紹介する。
著者
四方 由美
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.89-102, 2003-03-20

メディア表現について異議を唱える際,その根拠に中立性に基づく客観的基準が求められ,「不快かどうか」を批判の根拠とすることは主観的であるとされる。「ジェンダーとメディア」研究では,ジェンダー概念が客観的で中立性をを持つものとして「ジェンダー」という語を用いることで,メディア批判に正当性を持たせてきたが,それはマイノリティにとっての「表現の自由」を「促進」しないばかりか,客観性を重んじる近代主義的行為であり差別の解消を志向するという意味からは欺瞞であるともいえる。本稿は,日本における「ジェンダーとメディア」研究の展開を概観しながら,ジェンダー概念を用いてメディア批判をすることについて検討し,「ジェンダー中立」の意味をとらえ返し,表現の自由は誰のためのものなのか,「快/不快」でメディア表現を語ることについてポスト構造主義の視角からその可能性を示したものである。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.99-118, 2004

現代日本は愛国主義化している。その日本とはどのようなものであり、そしてそれがどのような問題をもたらすのか。こうしたことを考察するために、愛国主義への対抗軸とじてコスモポリタニズムを置き、それに「大きな政府とリベラル・デモクラシー」と「強い国家とネオリベラリズム」との対抗関係を交え、その中で特に、「強い国家とネオリベラリズム」と「民主的コスモポリタニズム」の対抗関係に注目したい。この対抗関係はグローバリゼーションの文脈における対抗関係でもある。これを軸に現代日本における争点となる問題を検討する。すなわち、憲法、教育基本法、そして歴史認識/戦争観について考えることにしたい。最後に、以上の議論を現代日本の課題としてまとめ結論とする。
著者
田宮 昌子
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.323-342, 2009-03-06

本研究は、戦死した親族(筆者の父方の叔父)の遺品を日中戦争従軍時のものを中心に整理し、史料として保存・公開することを目指す。目下、遺品として21世紀初頭の今日まで残った、20世紀初頭から中葉までの記録を留める品々を、個人の私有物から社会に共有される史料とするために裏づけ作業を加えている。関連する文献に当たることは勿論であるが、現場に実際に足を運んで文献では得られない実感を得ること、今まさに世を去りつつある体験者の肉声を聞くことも合わせて行ってきた。今年度は個人終焉の地である沖縄を沖縄戦慰霊の日の6月23日を挟んで訪ねた。小稿では主にこの沖縄訪問・調査について報告する。
著者
倉 真一 長谷川 司
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.41-61, 2010-03-05

大正時代、宮崎県そして青島が鉄道網の伸張にともない全国的な鉄道網に統合されていくなか、「日向青島絵はがき」は誕生した。当初、「日向青島絵はがき」の二大ジャンルは、「風景絵はがき」と「植物絵はがき」であった。これらの絵はがきを構成したのは、皇族や学者ら中央からの来訪者が「日向青島」にむける「統治のまなざし」や「科学のまなざし」であり、同時にローカルな生活世界における地元の人々による意味づけであった。その後、昭和に入ると「日向青島絵はがき」は大きく変容していくことになる。その変容過程の背景にあったのは、「統治のまなざし」や「科学のまなざし」にかわる「観光のまなざし」の優越化であり、「日向青島」とそのイメージが、ローカルな生活世界から「脱埋め込み化」されていくという二つの大きな変化であった。その結果、「日向青島絵はがき」における青島とそのイメージは「南国化」し、「白砂青松」にかわって「ビロー樹」をシンボルとする、「ビロー樹絵はがき」という新ジャンルが形成されていったのである。
著者
倉 真一
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.113-128, 2006

本稿は1980年代以降に創刊された新興の保守系オピニオン誌の一つである『SAPIO』における外国人言説を考察したものである。1989年の創刊から1990年代前半までの在日外国人に関連する記事を分析した結果、「われわれ=日本人」という主体による「混住社会ニッポン」の実現が90年代初頭には語られていたが、そこで暗黙に想定されていた「外国人」とは、『SAPIO』の主要な読者である企業サラリーマン層からみて同質性が高く、理解可能でコントロール可能な客体、いわば他者性を縮減された「外国人」であった。しかし「外国人犯罪」に関する記事のなかで、「外国人」=加害者(主体)と「日本人」=被害者(客体)という図式が強まり、「外国人」を理解やコントロールが困難な他者性を孕んだ主体として表象するようになるにつれ、最初期の「混住社会ニッポン」を構想する主体としての「われわれ=日本人」という言説は後退し、やがて「混住」というキーワードは誌面上から消えてしまう。かわりに誌上に現れたのは、日本社会にとって〈有益な外国人〉-〈有害な外国人〉という二項対立的な図式であり、それが1990年代後半以降における『SAPIO』の外国人言説の基調をなすことになる。
著者
梅津 顕一郎 Kenichiro UMEZU 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.193-202, 2022-03-10

本稿は、社会学的消費文化論の理論枠組みに関する一考察の試みである。かつて若者文化論、メディア文化論等に接点を持ち、ポスト・モダン化する現代社会を説明する有力な議論枠組みの一端を担ってきた所謂消費文化論は、今日、有効な理論的役割を果たしているとは言えない状況になっている。 これに対して本稿では、大塚英志が1989 年の『物語消費論』以来、幾度となく修正を試み展開してきたと思われる「物語消費」の概念を中心に、消費と物語性に関する従来の議論を再整理することで、消費文化論の社会的有効性を再生する足がかりを模索する。筆者は80 年代の消費文化論に対しては批判的な立場であり、その問題視座の根幹をマーケティングと80 年代の我国に於けるポスト・モダニズムの接点に置いていることを公言している大塚にとってその現代社会論的な貢献について筆者のような観点から議論することは、必ずしも本人の執筆意図に即したものであるとは言えないだろう。しかし筆者は大塚の議論が、益々グローバル化する情報社会の下での、消費を介した認識や社会観、あるいはアイデンティティの形成に対して批判的な議論を展開するための、有効な道具となりうる可能性を孕んでいると考える。彼の提示する「サーガ(saga)」としての大きな物語という概念は、J.F. リオタールが提起した「ナラティブ(narrative)」としての大きな物語とは本質的に異なるものである。しかしそれは決して概念的誤謬によるズレではなく、むしろ「物語」の変質を言い当てたものである。 ここでは、大塚の「サーガとしての物語」と、J.F. リオタールによる「大きな物語」の概念について比較検討を行い、それらを大澤真幸による3 つの時代区分に当てはめることにより、シミュラークルも含む記号的価値の消費と、それを通じた世界認識の概念地図を、試論的に構築していく。
著者
四方 由美 福田 朋実 Yumi SHIKATA Tomomi FUKUDA
出版者
宮崎公立大学人文学部
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.33-49, 2016

本稿は、2015年12月28日に行われた「日韓外相会談」に関する新聞報道(2015年12月24日から2016年1月23日の朝日新聞および読売新聞)の分析から、「慰安婦問題」に関する新聞の議題設定の状況を明らかにすることを試みたものである。分析の結果、「日韓外相会談」に関する新聞報道は、この会談が慰安婦問題を「解決」に向かわせる出来事として伝えたこと、慰安婦問題は韓国、米国、北朝鮮など他国との関係においても言及されることなど、いくつかの傾向を導出した。
著者
四方 由美 大谷 奈緒子 北出 真紀恵 小川 祐喜子 福田 朋実 Yumi SHIKATA Naoko OTANI Makie KITADE Yukiko OGAWA Tomomi FUKUDA 宮崎公立大学人文学部 東洋大学 東海学園大学 東洋大学 宮崎公立大学 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities Toyo University Tokaigakuen University Toyo University Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.79-92, 2019-03-08

本稿は、宮崎公立大学人文学部紀要第25巻第1号に掲載の「犯罪報道の共起ネットワーク分析(1)」(以下、前稿)に続き、犯罪報道分析を行い、その結果をジェンダーの視点から考察したものである。週刊誌報道を対象にKHコーダーを用いて頻出語句を抽出した上で、共起ネットワーク分析を行い、事件報道において何がどのように関連付けて伝えられているのか、数量的かつ体系的にとらえることを試みた。犯罪事件の報道において女性被害者、およびその関係者の伝えられ方について特徴を導出することができた。
著者
新井 克弥
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.1-16, 2004

これまでコミュニケーション論において焦点をあてられてきたのは情報の伝達的側面であった。どのような方法によれば相手に情報が伝わるかを課題に、機械における情報伝達プロセスをシミュレートする形で検討がなされてきた。だが、情報化社会が進展する今日、このような戦略は有効性を失いつつある。情報が膨大化、価値観が多様化することで、人間間の情報伝達においては情報が正確には伝わらないことが基本となってしまったからだ。それでも人間はコミュニケーション動物であり、いかなる形であれ他者と関わりあい続ける欲求がなくなることはない。本論ではF.マルチネの、コミュニケーション機能のオルタネティブである表出的側面についての議論を検討することで、情報が伝わらない現代人における新しいコミュニケーションの有り様を提示している。
著者
倉 真一 Shinichi KURA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.45-64, 2020-03-06

本稿は、保守系オピニオン誌『SAPIO』における2010 年代の外国人言説を分析したものである。分析の結果、明らかになった点は以下のとおりである。 第一に、2000 年代に現れた移民や外国人を管理する主体としてのネーションは、2010 年代に入っても「外国人参政権法案」や「ヘイトスピーチ」、「年間20 万人移民受け入れ構想」といった政治的争点が浮上するたびに、同誌上において再確認されていった。 第二に、2014 年の特集記事「移民と在日外国人」において、「移民国家ニッポン」というビジョンを実現する統治的主体として、移民や外国人を管理する主体としてのネーションは位置づけられた。外国人や移民が「日本的な価値観や美徳、文化や慣習」を受け入れる(=同化)客体として構築される一方、統治的主体としての「われわれ」=ネーションは、彼らを教導する「寛容な」主体として構築された。 第三に、移民や外国人を管理する主体としての潜在能力を発揮できない(移民や外国人を十分に客体化できない)事態に直面する時、「移民国家ニッポン」というビジョンは揺らぎ、それを実現すべき統治的主体としてのネーションの不安が惹起されることになる。2010 年代後半、特に2018 年の2 つの特集記事を通じて、さらに「移民国家ニッポン」というビジョンの揺らぎ、統治的主体の不全感や無能感へと進んでいった。その結果、特集記事での移民や外国人のイメージも、ポジティブとネガティブ両方を含むものから、外国人犯罪に象徴されるネガティブなイメージのみが前景化していった。 第四に、2010 年代の雑誌『SAPIO』における外国人言説は、同誌の創刊当初の外国人言説を特徴づけていた「混住社会ニッポン」というビジョンの揺らぎとその失効の過程と重なり合う。「移民国家ニッポン」というビジョンとその揺らぎは、『SAPIO』誌上における外国人言説の四半世紀を経た回帰としても把握できるものである。