著者
日下 宗一郎 五十嵐 健行 兵藤 不二夫 藤澤 珠織 片山 一道
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.119, no.1, pp.9-17, 2011 (Released:2011-06-21)
参考文献数
41
被引用文献数
8 8

江戸時代は,急激な人口増加とその後の人口安定,また陸・海路による交易網の発達によって特徴づけられ,コメや野菜や魚介類を主要な食物としていたと言われる。そのような江戸時代の人々の食性を,遺跡から出土した人骨を用いて実証しようとするのが本研究である。伏見城跡遺跡(京都市)より出土した江戸時代人骨および動物骨からコラーゲンを抽出して,炭素および窒素の安定同位体比を測定した。合計で27個体(男性9個体,女性12個体,子ども6個体)の人骨を分析に用いた。それにより,伏見江戸時代人の食性,その性差を検討することを目的とした。江戸時代の伏見の人々は,タンパク質源を淡水魚類に強く依存した食生活,もしくは陸上生態系から得られるC3植物と海産あるいは淡水魚類などを主たるタンパク質源とする食生活を送っていた可能性を示した。江戸時代の都市では,食生活が米,野菜,魚介類からなり,アワやヒエ,キビなどC4植物の消費が少ないとする古記録を考慮に入れると,後者の食生活像が支持される。また,男性の炭素同位体比は女性よりも高く,より多くの海産魚類や貝類などを摂取していた可能性がある。また,年齢が上がると子どもの窒素同位体比は下がる傾向があり,これは母乳の摂取と離乳の開始に関連していると考えられる。
著者
溝口 優司
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
pp.140418, (Released:2014-06-03)

2008 年に富山市小竹貝塚から発見された縄文時代前期の女性頭蓋である小竹貝塚1 号人骨と,東北,関東,東海,山陽地方の縄文時代中・後・晩期人集団,中国の安陽青銅器時代人集団,東南アジアの新石器―鉄器時代人集団,オーストラリアのCoobool Creek 更新世後期人集団との類縁関係を,頭蓋計測値12,10,9,6 項目に基づく典型性確率によって検討した。その結果,小竹貝塚1 号人骨は,これらの集団の中では,東北地方の縄文時代中・後・晩期人女性集団に最も近いことが示された。他地方の縄文時代早・前期個体標本についても同様の分析を行なったところ,小竹貝塚1 号人骨が似ていた東北地方縄文時代中・後・晩期人女性集団に最も類似しているのは北海道の北黄金K13 個体であること,そして,この北黄金K13 は東北地方の縄文時代中・後・晩期人よりも中国の安陽青銅器時代人や東南アジアの新石器―鉄器時代人にもっとよく似ていることが示された。このような事実に基づいて,縄文時代早・前期相当期におけるアジア人の移住・拡散過程について試行的な考察を行なった。
著者
米田 穣 向井 人史 蔡 錫圭
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.116, no.2, pp.161-170, 2008 (Released:2008-12-27)
参考文献数
32
被引用文献数
1 1

本研究では,国立台湾大学医学院体質人類学教室が収蔵する人骨コレクションに関する総合的研究の一環として,人骨中に残存するコラーゲンの炭素・窒素同位体比から,彼らが利用したタンパク質源を推定した。中央山地の高地に居住するブヌンの生業は,粟に特化した焼畑農耕と狩猟を主としたとされるが,骨コラーゲンの同位体比は陸上生態系およびC4植物の雑穀に依存した個体がある一方,窒素同位体比が比較的高い水産物に依存した可能性のある個体も検出されている。しかし,戦前の民俗調査では,ブヌンの漁撈活動は社によって大きく異なることが記されており,その意義についてはさらに議論が必要である。一方,台湾各地の先史時代遺跡から出土した古人骨では,非常に多様性に富んだ食生態が示された。海産物の利用やC4植物である粟などの雑穀の利用について,時代および地域間で大きな変動があったようだ。残念ながら,今回分析した古人骨資料は,帰属する文化層などの出土状況の記録が失われているので,今後放射性炭素などで,人骨の年代決定をすすめ,あわせて出土状況が明らかな古人骨資料のデータを積み重ねることで,台湾における食生態のダイナミックな変遷を明らかにできるだろう。
著者
山田 博之 濱田 穣 國松 豊
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.122, no.2, pp.133-143, 2014 (Released:2014-12-19)
参考文献数
50
被引用文献数
1

小型類人猿シロテテナガザル(Hylobates lar)について犬歯形態の詳細な記載と大きさの性的二型性を明らかにすることを目的に研究を行った。テナガザルの犬歯は従来いわれているように性的二型性が小さく,雌雄間で形態が非常によく似ている。歯冠頬側面の概形は上顎犬歯でサーベル形,下顎犬歯は不正四辺形を呈する。オスに較べてメスの形態特徴を挙げると,1)サイズが小さい,2)歯冠浮彫像の発達が弱く,全体に丸みを帯びている,3)下顎犬歯の近心shoulderの位置が歯冠高の約1/2にある,4)歯頚隆線がよく発達していることである。歯冠サイズによる犬歯の性差では,上・下顎の歯冠基底部のサイズや歯冠高でオスの方が有意に大きい。一方,下顎犬歯では歯冠近遠心径に対する歯頚部エナメル質の膨らみはメスの方が大きく,有意に強い性差を示す。歯冠の高径,とくに下顎犬歯の尖頭から近心shoulderまでの距離が最も強い性差を示す。犬歯の形態やサイズに性的二型がみられることはペア社会を構成するテナガザルでもある程度雌雄の違いが大きさや形にも存在することを示す。
著者
小宮 孟
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological science. Japanese series : journal of the Anthropological Society of Nippon : 人類學雜誌 (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.113, no.2, pp.119-137, 2005-12-01
参考文献数
125

縄文時代の内湾漁撈は,スズキとタイを主な漁獲対象に展開したと考えられている。しかし,東関東の内湾沿岸部にある9ケ所の中後期貝塚から任意に採取した104本の柱状貝層サンプルを水洗したところ,アジ,イワシ,ウナギ,フナなどの小型魚類遺存体が高い頻度で分離された。内湾貝塚産魚類の主体は,従来の発掘で見落とされたこれらの小型魚が構成すると考えられる。ただし,魚種構成は地域差が顕著で,臨海部の遺跡では沿岸性小型魚が,内陸の遺跡では淡水魚が,そして,それらの中間域の遺跡では汽水魚が優占する。遺跡産魚類相を決定する1次要因が縄文人の漁撈にあるとすれば,この地域の内湾漁撈の主体は想定領域内に出現する小型魚の漁獲と消費に適応したシステムだったと推定される。しかし,想定領域内に海が存在しない遺跡からも大量の小型海魚のほか,タイなどの高級魚がしばしば出土することから,特定の海産物が経済的な取引をつうじて集団間を頻繁に移動した可能性がある。したがって,今回のデータは漁撈だけにとどまらず,魚類資源利用にかかわる当時の経済や社会のしくみを再検討する材料としても重要と思われる。<br>
著者
古賀 英也
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.110, no.2, pp.71-87, 2002
被引用文献数
5

西南日本出土の縄文時代から現代に至る人骨683体について, ハリス線の出現状況を調査した。現代人の上&bull;下肢骨で出現部位を検討した結果, ハリス線は下肢の大腿骨遠位端や脛骨近位端で最も高頻度に出現すること, また, 未成人骨で多く見られ, 成人期では加齢と共に出現頻度が減少する傾向が確認された。時代変化については, 縄文人骨でのハリス線出現率は30.8%であったが, 弥生時代以降は, 時代, 地域により多少の高低はあるものの, ほぼ50%の高い出現率を示し, 経年代的低下傾向は認められなかった。ただ, 同じ弥生時代でも地域差が大きく, 土井ヶ浜遺跡 (海岸区), 広田遺跡 (離島) 出土人骨では, それぞれ20%, 7.4%と低かった。また, 古墳人骨では, 墳丘墓よりも, 横穴墓の人骨で重症例が多く観察された。
著者
中橋 孝博 飯塚 勝
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.106, no.1, pp.31-53, 1998 (Released:2011-07-01)
参考文献数
77
被引用文献数
3 5

弥生文化がいち早く開花した北部九州において, 縄文から弥生への変革を担ったのは土着の人々か, それともこの時期に大陸から渡来した人々なのか, この点について出土人骨に関する形態学的, 人口学的な観点から考察を加えた。当地域の弥生人骨の出土は中期に集中しており, 縄文晩期~弥生初期の住人については資料欠落のため, 直接的な検討ができない。しかし, 中期人骨を判別分析した結果によると, その中に含まれる縄文系弥生人の比率は10~20%に留まり, 殆どが渡来系弥生人で占められている。中期の前半と後半でも人骨形質に変化はなく, こうした人口構成は遅くとも中期初めまでに形成されたと考えられる。もし, 水稲耕作を柱とする弥生社会の出現と発展が土着の縄文系弥生人に依るものだとすると, 200~300年後の同地域に, 形質の大きく異なる渡来系の人々が大多数を占めるような社会が出現することは説明困難である。考古学的諸事実から, 初期渡来人の数は土着集団に較べて少数であったと考えられるが, 土着系集団と渡来系集団の間に人口増加率で大きな差があったと想定すれば, 弥生中期に至るまでの人口比の逆転現象は説明可能である。弥生文化の開花とその発展は, 当初より渡来系集団が牽引者となり, 急速に自身の人口を増やしていった可能性が高い。
著者
金澤 英作
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
pp.201110, (Released:2020-12-05)

日本における歯の人類学は,戦後隆盛期を迎えたがその萌芽は明治時代からあった。小金井良精をはじめとする人類学者がむし歯や抜歯風習の研究を始めていた。昭和になってから藤田恒太郎が現れ,歯の解剖学を確立するとともに,歯のもつ様々な形態の研究を通して歯の人類学の可能性を示した。その門下からは多くの歯の人類学者が出たが,その一人が埴原和郎であった。埴原は特定の歯の変異形質がアジア人に多く出現することを示し,これをモンゴロイド・デンタル・コンプレックスと呼んで発表した。埴原に続く世代では,縄文人や弥生人のような日本の古人骨やアジア太平洋地域の様々な集団の歯の形質が調べられ,日本人の成立過程やアジアにおける人の移動に関する仮説などが出された。1990年代は歯の人類学が最も盛んな時期であり,メトリックやノンメトリック形質ばかりでなく,三次元形態,古病理学,霊長類の歯,咬耗,咬合,遺伝など様々な観点から人類学的研究が行われたが,2000年以後になると次第に研究者は少なくなってきている。歯の持つ情報は無限であると思われるが,そこから何を引き出すかが今後の課題であろう。
著者
香原 志勢
出版者
日本人類学会
雑誌
人類学雑誌 (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.108, no.1, 2000-07
著者
片山 一道 土肥 直美
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.116, no.2, pp.149-153, 2008 (Released:2008-12-27)
参考文献数
26

ポリネシア人の祖先となったと考えられるラピタ人など,オーストロネシア系オセアニア諸語グループが,そもそもは台湾あたりに出自したとする出台湾(Out of Taiwan)仮説,あるいは‘Express Train to Polynesia’(ETP)仮説は,言語学や考古学の分野で有力視されている。その仮説を人類学的方法で検証するための試論を展開した。台湾先史時代の墾丁寮人骨と,ラピタ人骨など,太平洋の先史時代人骨との間で頭骨形態を予備的に比較することにより,前者がラピタ人などの変異内に収まることを示した。今後,詳細な研究が期待できる。
著者
安達 登 梅津 和夫 米田 穣 鈴木 敏彦 奈良 貴史
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.122, no.2, pp.157-166, 2014

青森県尻労安部洞窟より出土した2本の遊離歯について,理化学分析に基づいた個人識別をおこなった。これら2本の歯は1つが下顎左第三あるいは第二大臼歯,もう1つが上顎右第二大臼歯と同定され,重複はなかった。これらの試料の炭素・窒素安定同位体比は非常に近似しており,同一人物に由来すると考えて矛盾しない結果であった。また,較正放射性炭素年代はそれぞれ4286–4080 calBP(68.2%)および4280–4080 calBP(68.2%)と測定され,同時代のものと考えて矛盾しなかった。ミトコンドアリアDNA(mtDNA)解析の結果,これらの試料は解析した範囲で塩基配列が一致し,ハプログループは北海道縄文時代人およびアムール川下流域の先住民・ウリチにみられるD4h2と判定された。mtDNA解析の成功を踏まえて,より個人識別能力の高い核DNAのShort Tandem Repeat(STR)解析をおこなったところ,解析した座位の全てで正確な判定が可能であり,その判定結果は完全に一致した。上記の分析結果から,この2本の大臼歯は同一人物に由来する可能性が極めて高いものと考えられた。本研究は,遺跡から解剖学的位置関係を保たずに出土した,相互に接合しない複数の縄文時代人骨試料が同一人物に由来することを,理化学分析によって証明した最初の事例である。
著者
平田 和明 長岡 朋人 星野 敬吾
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological science. Japanese series : journal of the Anthropological Society of Nippon : 人類學雜誌 (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.112, no.1, pp.19-26, 2004-06-01
参考文献数
15
被引用文献数
3 14

鎌倉市の由比ヶ浜地域には大量の中世人骨が出土している静養館遺跡,由比ヶ浜南遺跡(単体埋葬墓),中世集団墓地遺跡(No. 372)および材木座遺跡の4遺跡があり,これらの出土人骨の刀創の特徴を比較検討した。刀創受傷率は材木座遺跡が最も高く65.7%であり,次に静養館遺跡が6.6%で,中世集団墓地遺跡は1.4%,由比ヶ浜南単体埋葬人骨は1.3%であった。刀創人骨のうちの斬創が占める割合は,静養館遺跡が100%,由比ヶ浜南遺跡が66.6%,中世集団墓地遺跡が75.0%,材木座遺跡が2.7%であった。一方,掻創が占める割合は材木座遺跡が82.3%で圧倒的に高く,中世集団墓地遺跡は2個体だけで25.0%,静養館遺跡と由比ヶ浜南遺跡の出土人骨には掻創は認められなかった。由比ヶ浜地域(前浜)は主として14世紀に中世都市鎌倉の埋葬地として使用されたと考えられるが,遺跡間および同一遺跡内の各墓抗間においても人骨の埋葬形態に差異があることが明らかであり,今後の広範囲な分野から更なる解析・検討が必要である。<br>
著者
佐伯 史子 萩原 康雄 奈良 貴史 安達 登 米田 穣 鈴木 敏彦 澤田 純明 角田 恒雄 増山 琴香 尾嵜 大真 大森 貴之
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.124, no.1, pp.1-17, 2016
被引用文献数
2

岩手県大船渡市野々前貝塚から出土した縄文時代晩期の熟年男性1体(1号),胎児ないし新生児1体(2号),壮年後半から熟年前半の女性1体(3号),熟年女性1体(4号),3歳程度の幼児1体(5号)の計5体について,形態人類学的および理化学的分析を実施した。人骨の年代は放射性炭素年代測定により3150~3000年前(cal BP)と推定された。形態学的検討およびDNA分析の双方から,野々前貝塚人骨が縄文時代人に一般的な形質を有することが明らかとなった。ミトコンドリアDNAのハプログループが判明した3体(1号N9b1,4号N9b*,5号M7a2)に母系の血縁関係は認められなかった。特筆すべき古病理学的所見として,出土成人3体全ての外耳道に明瞭な外耳道骨腫が確認された。これは,野々前貝塚の人々が水中(潜水)ないし水面域での漁撈活動に従事していた可能性を示唆するものである。炭素・窒素同位体比の分析では海産物を多く摂取していた食性が提示されており,外耳道骨腫の多発との関連がうかがわれた。また,出土成人3体全ての頸椎に重度の椎間関節炎が生じており,野々前貝塚の人々が頸椎に強い負荷のかかる生活環境にあったことが想起された。
著者
篠田 謙一
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological science. Japanese series : journal of the Anthropological Society of Nippon : 人類學雜誌 (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.116, no.2, pp.154-160, 2008-12-01
参考文献数
30
被引用文献数
1

歴史時代と現代の台湾原住民の関係について考察する目的で,国立台湾大学が所蔵する台湾原住民ブヌン族の古人骨試料からDNAを抽出し,ミトコンドリアDNAの分析を行った。合計で34体分の肋骨サンプルを実験に用い,最終的に25体で塩基配列データを得た。全体で15のハプロタイプを区別したが,特定のハプロタイプが多数を占めると言うことはなく,多様性が保たれていることが判明した。次にハプログループ頻度を用いて現代の原住民8集団との系統関係を解析した。その結果,今回のサンプルは現代のブヌン集団に最も近縁であることが示され,少なくともブヌン族では歴史時代からの遺伝的な特徴が,そのまま保存されていることが証明された。また各集団の遺伝的な関係は,基本的には地理的な近縁関係を反映していることも明らかとなった。今回の研究は,これらのサンプルに解析できる量のDNAが保存されていることを明らかにし,博物館・大学に収蔵されている人骨試料が,現在では収集が困難になりつつある原住民のDNAサンプルの供給源としても大きな価値があることを証明した。<br>
著者
澤藤 りかい 蔦谷 匠
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.128, no.1, pp.1-19, 2020

<p>従来の免疫的な手法によるタンパク質の検出と異なり,質量分析を利用したタンパク質の分析は,微量のタンパク質も検出でき,誤同定の恐れが小さく,処理能力が高く,未知のタンパク質を網羅的に解析できるという利点をもつ。2010年代以降,考古・人類学的な資料として学術的意味をもつ生物遺物体に存在する過去のタンパク質を,質量分析計を用いてハイスループットまたは網羅的に分析する古代プロテオミクスの研究が盛んになってきた。こうした古代プロテオミクスの手法は,特定のタンパク質のスペクトルパターンから分類群を判別するペプチドマスフィンガープリンティング(ZooMSなど)と,試料中に存在するタンパク質を網羅的に同定するショットガンプロテオミクスに分類できる。現在行なわれている古代プロテオミクスの研究は,生物試料の分類群の判別と系統推定,遺伝情報の推定,有機物の同定,生理状態をあらわすタンパク質の検出,食性の推定,という5つのカテゴリーに大別できる。質量分析によるプロテオミクスに一般的な問題や,過去の試料を分析する際に特有の問題があるものの,古代プロテオミクス分析の利点を活かした研究は今後さらに増加し多様化していくものと予想される。</p>
著者
澤藤 りかい 蔦谷 匠
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
2020

<p>従来の免疫的な手法によるタンパク質の検出と異なり,質量分析を利用したタンパク質の分析は,微量のタンパク質も検出でき,誤同定の恐れが小さく,処理能力が高く,未知のタンパク質を網羅的に解析できるという利点をもつ。2010年代以降,考古・人類学的な資料として学術的意味をもつ生物遺物体に存在する過去のタンパク質を,質量分析計を用いてハイスループットまたは網羅的に分析する古代プロテオミクスの研究が盛んになってきた。こうした古代プロテオミクスの手法は,特定のタンパク質のスペクトルパターンから分類群を判別するペプチドマスフィンガープリンティング(ZooMSなど)と,試料中に存在するタンパク質を網羅的に同定するショットガンプロテオミクスに分類できる。現在行なわれている古代プロテオミクスの研究は,生物試料の分類群の判別と系統推定,遺伝情報の推定,有機物の同定,生理状態をあらわすタンパク質の検出,食性の推定,という5つのカテゴリーに大別できる。質量分析によるプロテオミクスに一般的な問題や,過去の試料を分析する際に特有の問題があるものの,古代プロテオミクス分析の利点を活かした研究は今後さらに増加し多様化していくものと予想される。</p>
著者
瀧川 渉 伊達 元成 小杉 康
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.119, no.2, pp.49-74, 2011 (Released:2011-12-22)
参考文献数
71

北海道・噴火湾北岸の豊浦町小幌洞窟では,1952・1961年の発掘調査により7個体の人骨が出土しているが,このうち出土状況が明らかな人骨は1個体のみで,それ以外は撹乱を受け帰属層位すら不明である。2006年の第二次調査では,洞窟東方の岩陰から頭部を欠いた男性人骨の埋葬が確認された。今回,これらの人骨の帰属時期と性格を明らかにすべく各人骨から試料を採取し,放射性炭素(14C)年代を測定した。噴火湾沿岸の出土人骨は海洋リザーバー効果と海洋深層水の湧昇流の影響で年代測定値が数百年古く示される傾向にあるため,安定同位体分析の結果を参考に陸上・海洋起源の炭素混合比を見積り,これを基にIntCal09とMarine09を合成した暦年較正プログラムにより年代補正を試みた。この方法は伊達市有珠4遺跡において火山灰の降下年代との照合からその有効性が確認されている。検討の結果,小幌洞窟出土人骨の多くが続縄文時代に属すると見なすことができ,一部個体は頭蓋や歯の形態学的検討からも大きな矛盾は生じないが,2号人骨のみ擦文時代に位置づけられる可能性が浮上した。また,岩陰出土人骨は較正年代と副葬品の煙管,四肢長骨・手骨・下顎骨の形態学的検討から勘案し,17世紀後半以降のアイヌと判断された。