著者
やまだ あつし
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 = Studies in humanities and cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.19, pp.91-98, 2013-06

1945年に一度断絶した日本と旧植民地台湾との貿易関係は、1950年にGHQと中華民国間の協定によって、バーター貿易をドルに換算し清算決済する制度(オープンアカウント制度)で正式に復活した。この決済制度と毎年の貿易計画は1961年に通常の現金取引に移行するまで、11年間にわたって日台貿易関係を規定し続けた枠組みであった。従来の日台貿易についての研究は、1950年になぜこの枠組みをGHQと中華民国が導入したのかを国際政治の変化から解説したもの、そしてこの枠組みにより台湾の米や砂糖がどのように日本に輸出されたのかを台湾側資料によって分析したものであった。日本側がこの枠組みをどう運用することで台湾へ再進出を遂げていったのかは、日本側資料がなく分析されなかった。本論は、去年(2012年)公開された『日華貿易及び支払取極関係一件』および『日華貿易及び支払取極関係一件会議議事録』を利用し、日本国がどう中華民国と交渉し台湾へ経済再進出を遂げようとしたのかについて、『会議議事録』第1巻の1955年第2回会議を事例に分析するものである。この第2回会議は貿易交渉の性格を、1950年代前半の貿易計画会議から、1950年代後半の価格会議へと変えたいわば分水嶺にあたる会議である。日本側はどんな論理を展開したのかを明らかにする。
著者
川本 徹
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 = Studies in humanities and cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.34, pp.11-27, 2020-07

本稿は2019 年公開の映画『トイ・ストーリー4 』の作品論であり、同時に本作のシリーズ全体における位置づけを考察するものである。過去の長編三作がフロンティアの類型的イメージと自由に戯れながらも、それが想起させる思想や価値観と距離を置いてきたとすれば、『トイ・ストーリー4 』はむしろそうした思想や価値観に接近する側面を有している。映画のオープニングとエンディングを中心に、詳細なテクスト分析をほどこした上で、シリーズにもたらされた変化の意味について検討する。
著者
成田 徹男
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.11, pp.145-154, 2009-06

本稿では、明治期以降の日本語資料において、カタカナの占める位置は、どのようなものか、ということをみるために、手始めとして夏目漱石の『坊ちゃん』を対象とし、漱石が、『坊ちゃん』という作品の表現手段のひとつとして、カタカナをどうつかったか、あるいはどうつかおうとしたかを考える。全体の構成は次のようである。「0.はじめに 1.『坊ちゃん』のカタカナ表記語 2.語種と、表記の字種との関係1-外来語の、表記の字種(以上前稿「その1」)」以下、3.語種と、表記の字種との関係2-和語の、表記の字種4.「笑い」について5.漱石の表記態度6.おわりにが、本稿「その2」の対象部分である。「3.語種と、表記の字種との関係2-和語の、表記の字種」では、和語として分類したカタカナ表記語のうち、「生き物:バッタ、ゴルキ、イナゴ、モモンガー(4語)」について、カタカナ表記されている理由を、読みやすい漢字表記がないこと、などと推測した。また、擬態語や和語の畳語は原則としてカタカナ表記されないこと、擬音語にもひらがな表記の例が多いことを指摘し、笑い声を除く擬音語について、カタカナ表記されている理由を、高い鋭い音が意識されているためではないかと考えた。「4.「笑い」について」では、「アハハハ」は山嵐、「エヘヘヘ」は野だいこ、「ホホホホ」は赤シャツというように、笑い声の特定のカタカナ表記が、主要な登場人物につかわれ、その人物の性格描写と関連していることを指摘した。「5.漱石の表記態度」では、語種を基準とした機械的な文字のつかいわけはしていない、という点と、和語のカタカナ表記は、かなり意図的なものである可能性が高い、という点を指摘した。漱石の表記態度には、現代の日本語話者の表記態度に通じるものがある、と考えられる。
著者
野矢 充
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 = Studies in humanities and cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.33, pp.15-38, 2020-01

朝日新聞、毎日新聞、読売新聞について、憲法改正関連記事面積を1年間測定したところ、改憲派の読売よりも、9条堅持派あるいは改憲慎重派の朝日・毎日の面積の方が大きいことが判明した。それはなぜかを追究したのが本稿である。紙面に掲載された識者の数をはじめ、憲法改正の国民投票やデモ・集会を取り上げた記事など様々な点で量に開きがあることを確認した。報道する際のフレームの分析や、新聞報道量と受け手との関係を研究した「アジェンダセッティング(議題設定)理論」を組み合わせて考察し、朝日・毎日のフレームは側面的な議題が多様なため記事量が膨らむことが分かった。ただ、本稿は、安倍内閣の改憲発議前の局面に限っての調査結果であり、長期プロセスの中で記事量の逆転現象はあるのか課題は残る。同理論においては、本稿のようなメディア間の論調や量の違いを扱ってこなかっただけに、理論の裾野を広げた点で学術的な意義があると考える。
著者
楢崎 洋一郎
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.9, pp.53-67, 2008-06

生徒の教育記録の開示に関する従来の議論では、教育の理論と実践に根ざす議論があまりなされないまま、個人情報保護条例に基づく全部開示の流れが強まった。しかし、学校・教員が児童生徒に適切な指導や公正な入試を行いたいならば、事実や評価を正確かつ適切に記載するとともに、知らせるべきでない評価は不開示にすべきである。そこで、裁判例を素材に、評価の性質を教育学の観点から捉え直した上で、文書、項目および記載内容の不開示事由該当性を検討した。第一に、指導要録は、児童生徒の発達段階や在学関係、文書や評価の性質を検討した。請求者が在学児童生徒の場合、(1)事実および知らされている評価については開示、(2)学習評価のうち、目標準拠評価は開示、個j人内評価は教員の説明を補って開示、絶対評価と相対評価は不開示、(3)人物評価のうち、個人内評価は教員の説明を補って開示、絶対評価は不開示とすべきである。請求者が卒業生の場合は、(1)事実、(2)学習評価については不開示事由に該当しないが、(3)人物評価のうち、絶対評価は教員の説明を補って開示、個人内評価は開示とすべきである。請求者が保護者の場合は、すべての記載について教員の説明を補って開示とすべきである。第二に、調査書は、開示制度の有無と開示の時期を検討した。(1)事実および知らされている評価については開示、(2)知らされていない評価は、合否発表前ならば不開示、合否発表後ならば開示とすべきである。
著者
梶田 美香
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.127-140, 2008-06-25

音楽科教育は表現領域と鑑賞領域に大別されているが、鑑賞教育は常に表現領域と比べて軽視される傾向にある。これは教材選択や評価方法などについての困難が大きな要因のようだが、根底には音楽の持つ抽象性や鑑賞行為が極めて個人的であるという特性との関連があるのではないだろうか。本稿では、はじめにアメリカで論争となった音楽教育哲学の二つの音楽観(美的音楽教育とプラクシス的音楽教育)を提示する。ベネット・リーマーの掲げる美的音楽教育は1980年代のアメリカで支配的な音楽教育観となったものであるが、音楽至上主義とも言えるこの教育観は、美的経験こそが音楽教育の目指すものであるとするもので、そのためには音楽の構造理解こそが必要であるとの立場である。これに対して音楽が社会の中で何らかの意義を持っているとの立場に立ったのがディヴィッド・J・エリオットのプラクシス的音楽教育である。これは音楽の実用性を指すものではなく、個人の目的に応じた「正しい行為」としての音楽との関わりを指している。この二人の音楽観は「本質知」と「行動知」の対立としてアメリカで音楽教育哲学論争を引き起こすものとなった。筆者はこの二つの音楽観から日本の鑑賞教育への何らかの示唆があるのではないかと考え、学習指導要領(音楽科)が掲げる目標と内容を分析し、本稿で課題の提示を試みる。
著者
小島 俊樹
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.14, pp.177-190, 2011-02

名古屋市立高校における学校納入金の未納者数は、09年度6月において前年度の5倍以上となった。この原因は不景気を背景として、高校生の世帯に貧困層が拡大しているためと推測した。子どもの貧困率として相対的貧困率がよく採用されるが、これでは高校生のように養育費がかかる年齢には低すぎる基準と思われる。むしろ、自治体が用いる基準である、給与所得控除を足し夫婦2人世帯で年収450万円(2005年)が妥当な基準と考える。これを基準とすると、高校生世帯の約30%が貧困層であると推定される。授業料減免者数の生徒総数に対する割合の推移(1996年~2006年)をみると、11年間で約3倍になっており、貧困層の拡大が急激にすすんでいる。名古屋市立の全高校を対象にした調査から、授業料減免者を普通科・職業科・定時制で分けてみると、職業科・定時制に集中していることが明らかになった。さらに、授業料減免の対象者が市民税非課税で、ほぼ相対的貧困基準に相当するため、そこから高校生世帯の貧困基準に基づき推定してみると、職業科・定時制生徒の世帯の半数前後が貧困層に該当すると考えられる。最後に、学校納入金未納者の担任への調査を通じて、高校生の貧困世帯は、今回の不景気により親の失業などで新たに貧困層へ加わる世帯と、すでに貧困世帯であったがリストラや賃下げなど今回の不景気のしわ寄せで更に貧困となった世帯、これらの2類型があると思われる。
著者
石川 洋明
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.5, pp.37-49, 2006-06

男性の「男らしさ」について、調査データ(N=218、非無作為抽出、回答者は男女双方)の二次分析により検討した。多変量解析の結果、「男らしさ」は、行動様式で6つ、意識でも6つ、配偶者とのコミュニケーションで3つの成分が抽出された。成分得点の回答者属性による差から、50代既婚男性が性暴力問題に最も懐疑的で家庭外達成志向が強く、20代男性が最も感情表現や子のケアに積極的であることがわかった。また、男性の回答から、「男らしくない」と言われるのは、配偶者への期待が低く、仕事を断れる人、「男らしくありたい」と思う人は、近所づきあいがよく、仕事を断ることができず、男は経済力・忍耐が必要で家事には向かないと思っている人であることがわかった。総じて、ワークライフバランスのうちではワークに特化することが男らしさである、と考えられていることが確認された。ただし、40代と既婚者に、それにとどまらない傾向も見られた。
著者
榎木 美樹
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 = Studies in humanities and cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.27, pp.203-236, 2017-01

「官・産・市民社会」によるパートナーシップ(官民連携)のインドにおけるグッド・プラクティスとして位置づけられるPEACE BY PPEACE プロジェクト(PBPプロジェクト)は、公的機関のJICA、民間企業のフェリシモ、インドのNGOチェトナが協働して企画・運営されたもので、オディシャ州カラハンディの綿花栽培農家に対し、有機農法への転換支援とその子弟への就学支援を行ってきた。日本企業の本来のコア・ビジネスを活かした戦略的CSR活動として、総合的農村開発の文脈に位置づけられる事業である。公的資金をほとんど投入せずに立ち上がり、6年間の累計基金総額が9,000万円規模であるという意味ではレバレッジ効果が非常に高い事例である。PBPプロジェクトのユニークさの一つは、取引を公正化するサプライチェーンの構築(公正貿易の要素)に加えて、消費者から集められた資金が基金として再度インド農民に還元されるという二重支援体制のプロジェクト・デザインにある。また、本来の基金活動から派生していく活動の多様性も特徴的である。さらに、事業地として最貧困地として名高いオディシャ州カラハンディが選定されたことで、支援ターゲットが重層化する意味あいを帯びることとなった。ストーリー性としても極めて精密につくり込まれている。他方で、汎用的なエッセンスの抽出とマニュアル化が期待されるグッド・プラクティスであるが、属人的な要素が強いことも特徴の一つである。
著者
福吉 勝男
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.7, pp.19-34, 2007-06-23

佐々木・金編『公共哲学』(東京大学出版会、全20巻)におけるヘーゲル理解(国家主義哲学と市民社会論)の検討後、「市民社会と公共哲学」の代表者(トクヴィル、アーレント、ハバーマス、パットナム)との関係上にヘーゲルを位置づける。
著者
樋澤 吉彦
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.34, pp.45-57, 2020-07-31

本稿は、日本精神保健福祉士協会(協会)より提案されている"Psychiatric Social Worker"(PSW)から"Mental Health Social worker"(MHSW)への名称変更の妥当性について、「社会福祉士」とは別建てで制度化した精神保健福祉士法(P法)制定時の根拠に焦点化したうえで、ごく基本的な事項の整理検討を行うことを目的としている。名称変更についてはむろん様々な意見があるものの、その契機として総じていえることはすなわちPSW の活動領域が「メンタルヘルス」領域全般に拡大しているという点である。この点は名称変更に対する是非とは別に概ね肯定的に了解されていた。この点をふまえたうえで、P法制定の経緯、及びその根拠について当時の厚生省の見解をもとに整理を行った。P法制定議論のなかで「求められていた人材」とはすなわち「医師、看護婦等の医療関係の有資格者」しかいない精神病院において「病棟を離れて病院内外を行き来するパイプ役として精神障害者の社会復帰を支える専門職種」、「精神障害者の社会復帰のために必要な医療的なケア以外の支援を行う人材」であった。またその「対象」は、「社会福祉士」との「住み分け」を意識されたうえでの、主に精神科病院に入院しているか、あるいは地域において生活しているかに関わらず「社会復帰の途上」(社会復帰を遂げていない)にある精神障害者であった。さらにその「業務の範囲」は、あくまで「社会復帰の途上」にある精神障害者が主として治療/支援を受けていることが想定される精神科病院、社会復帰施設、そして保健所等の行政機関が想定されていた。協会によるMHSW への名称変更の根拠の一つとして、精神保健福祉士の業務が「医療的支援」及び「メンタルヘルス課題をもつ国民」全般に対する領域にまで「拡大」してきている点があげられているが、当時の厚生省が明言しているように、少なくともP法制定時の議論ではメンタルヘルスは国家資格としての「精神保健福祉士」の活動領域としては想定されていなかった。その後、2010(平成22)年の障害者自立支援法改正の一つとしてP法改正がなされたが、本改正に至るP法改正検討会では精神保健福祉士の領域拡大がうたわれており、結果的に従来役割に「精神障害者の地域生活を支援する役割」が加えられる方向で改正が行われた。すなわち「社会福祉士」とは別建てで必要とされた精神保健福祉士は端的に「メンタルヘルス」領域における「ソーシャルワーカー」となったのである。P法制定時の経緯とともに「社会福祉士」との「住み分け」の課題を棚上げしたうえで、現時点におけるPSW の活動をそのまま表すのであれば、「MHSW」の略称は正しいという結論となる。
著者
吉田 一彦
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.190-167, 2010-06-30
著者
佐野 直子
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.91-117, 2017-01-31

本論文は、消滅の危機に瀕する言語(危機言語)の一つであるオクシタン語を用いてイマージョン教育を実施しているNPO団体であるカランドレートと、カランドレートの教員の養成を担う高等教育機関アプレーネの参与観察やインタビュー調査を通して、近代の「十全な<言語>」理念に対する批判的な検討を行うことを目的とする。多くの危機言語の復興運動は、幼少時からの育成のための学校教育が中心となってきたが、40年近くにわたって独自のイマージョン教育活動を続けているカランドレートでは、生徒のみならずオクシタン語で教える教員ですら当該言語の「母語話者」ではなくなっている。カランドレートの意義とは、幼少期からの言語習得による擬似的「母語話者」の育成や、「母語話者」によって社会全体で使用される「十全な<言語>」像の保持にあるのではなく、成人になってからでも当該言語を徹底して習得し、当該言語を使用することを職業とし、オクシタン語を次世代に伝えたいという強い欲望を持つ教師という「十全な話者」が作り出されることであり、欲望としての言語を効果的に使用する「特別な場」を提供することである。
著者
古山 萌衣
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.15-29, 2014-12-30

本論は日本が援助国として深く関わるカンボジアについて、そこでの障害者問題に注目したものである。既存の統計データをもとにカンボジアにおける障害者の現状を分析し、今後の障害者福祉・教育施策の課題について検討を行った。まず、内戦終結からの復興および開発途上にあるカンボジアにおける障害者の実態として、中高年層の男性障害者を中心に、現在も戦争被害による影響が色濃く残っている。一方で、若年層の障害者においては、農村部では医療体制の未整備、都市部では交通事故の増加等を背景とする障害比率が高くなっている。このような現状について、戦争・紛争時代の戦後処理の一環として、地雷・不発弾被害者を含む戦争被害者を中心とした障害者支援施策を図るというこれまでの取り組みから、今後は戦争被害者に対象を限定しない幅広い障害者問題への対応および支援施策の展開とともに、国民生活に関わる社会政策の推進が広く求められるということを主張した。また、カンボジアにおけるインクルーシブ教育の推進について、障害者教育は「Education for All」のコンテキストのなかで議論されるべき課題であることを指摘した。カンボジアにおける国民全体の識字率および就学率は向上する傾向にある一方で、障害者についてはその教育レベルは低調な状況にある。基礎教育の完全普及において、依然として貧困やジェンダー、都市部と農村部の地域差は、教育機会を制限する要因となっている。「Education for All」をめざす教育開発のなかでその課題解決・対応と同様に、「障害」による特別な教育的ニーズについての対応が求められるということを主張した。
著者
福吉 勝男
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-16, 2004-01-10

現代的視点からヘーゲル家族論のもつ積極的意義と問題点および課題について検討した。まず、積極的意義として次の三点が指摘される。第1は、子どもの「自立」と「人格の自由」の重要性を強調した点である。第2は、一夫一婦制婚姻を婚姻形態の原則として確認している点である。そして第3には、「家系」の廃棄という民主主義思想を貫いている点である。次に、問題点として以下の諸点を指摘しうる。第1は、男女特性観、男性による女性支配観が鮮明にみられることである。第2は、先の男女特性観と密接に連関して、「市民社会」で職業に就く(男性たちによる)自由競争の重視ないしは偏重の考えが明確にされていることである。そして第3には、男女ともに自立した「個人」で家族を形成し、「個の自立を基礎とする共働き家族」と言い表わされる「現代家族」の視点が欠如している点である。こうした問題点からしたがって、今日私たちが家族論を検討するさいに重要な課題として考えなければならないことは、男女が共同してともに「家庭」にも「社会」にも参画しうる社会(「男女共同参画社会」)の推進に向けて、どのような内容の家族・社会政策を要求し、そしてそれをいかにして実現し実施していくのかということである。
著者
山田 美香
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.113-125, 2009-12-23

本稿は、日本占領時期に、主に慈善団体による学費支援の視点から、香港の教育がどのような状況であったのかを論じるものである。香港の日本占領時期の教育政策の多くは、戦乱で閉校していた既存の私立学校の再開を許可し、日本語教育を推進するというもので、一般の中国人子弟のための学校は国民教育の一環ではあったが、日本語教育の延長として捉えられていた。曹必宏も指摘しているように、現地のものが入学できる日本側の設立した教育機関は、警察官練習所である憲査教習所、官立東亜学院など「職業訓練学校」であった。香港占領地総督部は、教育管理には成功したが、学費免除生の財源を中国人に任せ、戦局が悪化する中、徐々に教育事業を停滞させた。
著者
森 哲彦
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.18, pp.167-192, 2012-12

ヨーロッパ哲学は、古代ギリシアに始まる。古代ギリシア哲学の3つの時期区分のうち、ホワトヘッドは「プラトン的」立場から、プラトンを含む第二期に注目し、第一期のソクラテス以前哲学者達を顧慮しない。これに対し、第一期ソクラテス以前哲学者達を高く評価する哲学者達が、数名挙げられる。本論では、西洋哲学の起源は、その哲学者達が指摘するように、第一期ソクラテス以前哲学者達に有ると考え、それらの第一期哲学者達の解明を、試みるものである。なお本論では、副題で示すように、ディールス-クランツ『断片』とカント批判哲学の論述を用いるものとする。本論文の構成について、哲学の兆候を示す哲学以前、前期自然哲学で自然の原理を問うミレトス学派、また別個にピュタゴラス学派、ヘラクレイトスを取り上げる。更に存在と静止のエレア学派、後期自然哲学の多元論と原子論、そして認識論のソフィスト思潮の特質をそれぞれ論述する。この試論は、「哲学的自己省察」の一つである。
著者
福島 利奈子
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.14, pp.161-175, 2011-02

現代ではあまり馴染みのないコルセットだが、昔の女性たちには欠かすことのできないものだった。コルセットの歴史は長く、中世以降、衣服における男女差が確立し、女性の身体の曲線美をコルセットの使用によって表現するようになった。一時は鳴りを潜めていたコルセットだが、その後復活し、女性には「女らしさ」が求められ、長く着用されていくことになる。女性は社会的に抑圧された存在であり、女性たちが求められた女らしさは、男性の視線によって理想化されたものであった。そして、人々が装うのは、身体を保護するというためだけではなく、社会的な属性や地位等の表現手段ともなっていた。その後、次第に女性の衣服改革が起こるようになる。女性のライフスタイルの変化が理想の女性像まで変え、自然で直線的な身体の表現へと移行した。第一次世界大戦を境に、より女性の社会進出は進み、仕事に適さないコルセットや丈の長い衣服は消えていく。その過程を、コルセットの追放に貢献したとされるアメリア・ブルーマー、ポール・ポワレ、ガブリエル・シャネルの三人に焦点を当てて検討する。以上の問題を踏まえて、近代から現代にいたるまで長きに亘って女性が身につけてきたコルセットとはどのようなものであったのか、そしてそのコルセット着用の要因と、それほどまでに広く普及していたコルセットを女性たちがどのように脱ぎ捨ててきたのかを考察する。