著者
谷口 由希子
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.63-75, 2016-01-31

本論文は、子ども時代の貧困の持続性について考察する。具体的には、子ども時代に児童養護施設などの社会的養護を経験し、なおかつ施設退所後にホームレス生活を経験した11名を対象にインタビュー調査を行い、子ども時代からホームレス生活に至るまでの生活史を分析した。その結果、第1に、ほとんどのケースにおいて社会的養護からの離脱後には施設や家族との関わりはなく、勤務先の寮などで生活している。保護者も頼ることができず「帰る場所がない」居住環境にあるため離職がホームレス経験に直結している。第2に、子ども時代から大人になりホームレス生活に至るまで社会的養護の事由となる家族基盤の脆さは一貫してある。すなわち、子ども時代は社会的養護というシステムに包摂されるが、社会的養護が発生する問題自体は、子ども時代を経て大人になった時点においても解決されず、施設での生活や高校卒業等の教育歴を獲得することによっても生活の立て直しが容易ではないことが示唆された。
著者
加藤 麻由美
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.77-91, 2003-01-10

多文化主義は当初多民族国家カナダにおいて社会統合のための政策として採用され、その後オーストラリア、西ヨーロッパ、アメリカ合衆国などへ普及していった。しかしながら、多文化主義は文化的差異の間の新しい均衡を目指しているために、社会分裂の危険性や西欧文化の否定につながるというパラドックスに悩まされることになる。反多文化主義派は、これまで特権的な地位を占めていた西欧文化の優位性が失われるのではないかとの脅威を感じている。本稿ではグローバル社会の現在、民主主義思想から生まれてきた新たな社会統合原理としての多文化主義の可能性と問題点について概説し、多文化主義の限界を乗り越え、その可能性をより発展させる戦略としてディアスポラおよびハイブリディティ概念の活用を提案する。
著者
菅原 真
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.13-27, 2009-06-30

フランスの1789年「人および市民の権利宣言」における「市民」概念は、外国人を排除する観念であるのか。本稿は、この問いにささやかな検討を加えるものである。この問いに対して、フランスの公法学説には二つの対立する見解がある。第一の説は、人権と市民の権利の間を「分離切断」し、外国人を含む全ての人に属する権利と、外国人には保障されずフランス市民だけに限定された権利とに区別する考え方である。第二の説は、人権宣言の起草者たちの「普遍主義」的ないし自然法論的観点からこの1789年宣言を再定位するというものである。1789年宣言の諸条項それ自体を再検証し、またフランス革命初期における立法者意思、1789年当時においては「普遍主義的潮流」が「ナショナルな潮流」を上回っていたこと等を総合的に斟酌すると、この第二説の解釈が妥当性を有すると考えられる。
著者
菅原 真
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.13-27, 2009-06-30

フランスの1789年「人および市民の権利宣言」における「市民」概念は、外国人を排除する観念であるのか。本稿は、この問いにささやかな検討を加えるものである。この問いに対して、フランスの公法学説には二つの対立する見解がある。第一の説は、人権と市民の権利の間を「分離切断」し、外国人を含む全ての人に属する権利と、外国人には保障されずフランス市民だけに限定された権利とに区別する考え方である。第二の説は、人権宣言の起草者たちの「普遍主義」的ないし自然法論的観点からこの1789年宣言を再定位するというものである。1789年宣言の諸条項それ自体を再検証し、またフランス革命初期における立法者意思、1789年当時においては「普遍主義的潮流」が「ナショナルな潮流」を上回っていたこと等を総合的に斟酌すると、この第二説の解釈が妥当性を有すると考えられる。
著者
柴田 英知
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.38, pp.47-81, 2022-07-31

2021 年9 月30 日に通水60 周年を迎えた愛知用水は、世界銀行の融資を受けた戦後初の地域総合開発事業であり、日本の経済発展を支えた社会基盤のひとつである。近年、望ましい官民連携のあり方を考える参加型プロジェクトとして再評価されるべきとの声もある。愛知用水の発起人である久野庄太郎は、今日でこそ、愛知用水の生みの親として顕彰されているが、一時期、愛知用水建設推進運動から追放され表舞台から消えていた。その後、久野が愛知臨海工業地帯の誘致や愛知海道(第二東海道)という地域開発事業の推進などに従事したことは、『人間文化研究』第37号の拙稿にて明らかにした。 本稿は、その空白期間、久野の会社倒産による破産や愛知用水の建設推進運動からの追放、西田天香が主宰する一燈園への隠栖と、その後の心境の変化などについて考察する。特に、久野が執筆した小冊子『光水(旅行)漫録』が書かれた経緯と内容に着目する。 考察の結果、1954年に破産してから1961年に免責になるまでの期間は、久野にとって空白の期間ではなかったことが判明した。愛知用水の建設推進運動から追放され、一燈園への隠栖による内省の時期をへて、久野は、愛知用水はつくるだけでは「駄目」で、それを「保全する必要と仕方」が大切であるとの「大乗愛知用水観」に達した。それをふまえて、愛知臨海工業地帯の誘致、三町合併、佐布里池の建設推進などに新たな気持ちで取り組んだ。そのために活用されたのが『光水(旅行)漫録』であった。 存在が確認されている『光水(旅行)漫録』は、16冊のB6、A5あるいはB5判の冊子で、大きく4つのテーマに分類される。久野の「大乗愛知用水観」にもとづく愛知臨海工業地帯の誘致が中心テーマだが、他にも、農業開発地域の視察報告、愛知用水への提言、具体的には地域住民の人心開発や愛知用水公団や愛知用水土地改良区への提言、受益農民向けの営農方法の改善、そして、久野が新たに立ち上げた献体検眼団体である不老会の紹介などが語られた。これらの語りは、久野の内省と農業開発の枠をこえた地域総合開発観の深化であった。 この経験が、1962年10月からの個人雑誌『躬行者』の発行や、愛知海道(第二東海道)の建設推進への伏線となる。今まで言われてきた「愛知用水の久野庄太郎」から大きく「地域総合開発の久野庄太郎」に舵を切ることになったのが、この空白の期間であった。
著者
福島 利奈子
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.161-175, 2011-02-01

現代ではあまり馴染みのないコルセットだが、昔の女性たちには欠かすことのできないものだった。コルセットの歴史は長く、中世以降、衣服における男女差が確立し、女性の身体の曲線美をコルセットの使用によって表現するようになった。一時は鳴りを潜めていたコルセットだが、その後復活し、女性には「女らしさ」が求められ、長く着用されていくことになる。女性は社会的に抑圧された存在であり、女性たちが求められた女らしさは、男性の視線によって理想化されたものであった。そして、人々が装うのは、身体を保護するというためだけではなく、社会的な属性や地位等の表現手段ともなっていた。その後、次第に女性の衣服改革が起こるようになる。女性のライフスタイルの変化が理想の女性像まで変え、自然で直線的な身体の表現へと移行した。第一次世界大戦を境に、より女性の社会進出は進み、仕事に適さないコルセットや丈の長い衣服は消えていく。その過程を、コルセットの追放に貢献したとされるアメリア・ブルーマー、ポール・ポワレ、ガブリエル・シャネルの三人に焦点を当てて検討する。以上の問題を踏まえて、近代から現代にいたるまで長きに亘って女性が身につけてきたコルセットとはどのようなものであったのか、そしてそのコルセット着用の要因と、それほどまでに広く普及していたコルセットを女性たちがどのように脱ぎ捨ててきたのかを考察する。
著者
村田 志保
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.119-133, 2012-12-21

「お忙しいですね。」「お元気ですか。」など、ごく自然に会話のなかで使われる。これらは形容詞の敬語表現であり使用頻度も高いのだが、日本語教育において、形容詞の敬語教育を体系的に導入している教材は数少ない。また「お/ご」の選択に関しても、「お」は和語で「ご」は漢語であるといった語種による判別しか今のところ基準はないので、その基準を導入せざるを得ない。しかし実際には語種だけでは判別しにくい、「?おおもしろい」「?おシンプルな」「?ご危険な」というような、「お/ご」の付きにくい例もある。本稿では初級教材で扱われている形容詞を抽出した約150語を初級形容詞とし形容詞の意味的な側面、そして文法的な側面より「敬語としての形容詞分類」、「形容詞の敬語表現」、「「お/ご」の付加」の3点を軸に考察を進め、2つの考察結果が得られた。「(お/ご)~ て/でいらっしゃる」は「?社長のおかばんは大きくていらっしゃる。」のように、高めようとする人を主語にはせず、「もの」のときには「お/ご~ です」を選択する傾向が強いことがわかった。また「お/ご」は初級形容詞の範囲では「外来語」「「お」で始まる語」には付かず、その他の条件である「モーラ数の多い語」「悪感情を持つ語」「ある意味の語」はあくまで付かない傾向にあるというに留まり、条件として提示するには例外も多いことがわかった。
著者
鈴木 明美
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.13-24, 2008-06

本稿は、明治期に渡豪した初期移民、柏木坦の半世紀にわたる足跡を考察し、オーストラリアにおける日本人移民史の一端を明らかにすることを目的とする。オーストラリアにおける日本人移民は、北部のトレス海峡に位置する木曜島で真珠貝採取業に従事した自由・契約労働移民とクィーンズランド州のサトウキビ農園で契約労働に従事した人々に大別できる。移民のなかには、オーストラリアに定住し、実業家となったり、契約労働期間終了後に別の事業に従事した人々がいる。これらの人々は、連邦結成後、白豪主義が導入されたオーストラリアで、外国人登録をして生活していたが、第二次世界大戦開戦と同時に、「日本人」であることを理由に、「敵性外国人」として強制収容された経験を持つ。終戦後、ほとんどの「日本人」が本国送還されたが、木稿で取り上げる柏木坦は、オーストラリア人の妻とオーストラリア生まれの娘がいたことなどを理由に、残留を許可された少数の「日本人」のうちの一人である。和歌山県出身の柏木は、木曜島で日本人コミュニティーのリーダー的存在として活躍後、ブリスベンで実業家として成功した。オーストラリア連邦公文書館には、敵性外国人として強制収容された「日本人」の個人ファイルが保管されており、一部を除いて公開されている。木稿は、公文書館のファイルをもとに、オーストラリアにおける日本人移民史を個人の記録から読み解こうとするものである。
著者
成田 徹男 榊原 浩之
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.41-55, 2004-01-10

現代日本語の表記原則では、およそ次の3つの規則がある。規則1:漢語は「漢字」で書け。規則2:和語は「漢字」または「ひらがな」または「両者の交ぜ書き」で書け。規則3:外来語は「カタカナ」で書け。つまり、当該語の、語種の認定が前提となっているのである。 しかし、最近ではこの規則に合致しない、和語や漢語のカタカナ表記例が多くなっている。それをインターネット上の新聞・雑誌などのサイトに見られる実例について調査して、延べで2119語、異なりで855語の例を得た。そのような表記がさかんになされる背景には、語種以外の、語の分類を、表記文字の使い分けの基準とするような意識があると考えられる。そこで、上記のような規則とは別に、次のような表記戦略を仮説として提示する。語種を基準にしてカタカナを使うのは明らかな外来語についてだけ。それ以外については、たとえば動物名かどうか、などの語の分類が基準として優先される。日本語の、文字の使い分けの習慣は、この方向へ変化しつつあると思われる。
著者
西山 亮介
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.36, pp.192-228, 2021-07-31

平安時代の僧浄蔵は三善清行の子で多様な霊験譚を持つ。歴博本は従来未検討の浄蔵伝であり、本稿はこれを紹介、検討するものである。奥書によれば、歴博本は長暦三年(一〇三九)に僧慶深が書写した「浄法寺一切経見定目録」の紙背にあった浄蔵伝を、幕末期に国学者谷森善臣が書写したものという。本稿では、奥書にいう「僧慶深」や「浄法寺一切経」について検討を加え、特定の可能性を示した。また、他の浄蔵伝と比較することで、次の三つの特色を明らかにした。一、歴博本は、他の伝と酷似する部分を持つ。二、歴博本には複数の明らかな誤脱が存する。三、歴博本によって他の伝を校訂できる箇所がある。最後に、歴博本の影印及び翻刻を掲げる。
著者
山田 明
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.14, pp.55-62, 2011-02

政権交代後の焦点の一つが「地域主権改革」である。名古屋市においても河村市長のもとで本格的な「市政改革」が実施され、全国的にも注目を集めている。本稿は名古屋市政の展開を総合計画を軸に振り返り、「市政改革」の現状と問題点をさぐり、名古屋市政研究の意義と課題を明らかにするものである。市民税減税をめぐって攻防が続いているが、名古屋市政研究のなかでも税財政研究の検討課題を提起していきたい。
著者
石川 洋明
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.37-49, 2006-06-24

男性の「男らしさ」について、調査データ(N=218、非無作為抽出、回答者は男女双方)の二次分析により検討した。多変量解析の結果、「男らしさ」は、行動様式で6つ、意識でも6つ、配偶者とのコミュニケーションで3つの成分が抽出された。成分得点の回答者属性による差から、50代既婚男性が性暴力問題に最も懐疑的で家庭外達成志向が強く、20代男性が最も感情表現や子のケアに積極的であることがわかった。また、男性の回答から、「男らしくない」と言われるのは、配偶者への期待が低く、仕事を断れる人、「男らしくありたい」と思う人は、近所づきあいがよく、仕事を断ることができず、男は経済力・忍耐が必要で家事には向かないと思っている人であることがわかった。総じて、ワークライフバランスのうちではワークに特化することが男らしさである、と考えられていることが確認された。ただし、40代と既婚者に、それにとどまらない傾向も見られた。
著者
原口 耕一郎
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.150-132, 2006-01-10

かつて大和の国の吉野山中には国栖とよばれた人々が暮らしていたという。『記紀』では彼らの先祖が王権と出会うことにより贄を献じ歌笛を奏上することになった起源譚が語られている。日本古代において夷狄とされた人々の中においても、国栖はこれまであまりとりあげられることがなかった。研究の蓄積がある隼人や蝦夷とは異なり、国栖について論じた研究はきわめて少ないといえる。しかしながら、国栖は吉野という飛鳥・奈良・京都にほど近い場所に居住しているのであり、また、大嘗祭など王権にとって重要だとされる儀礼に贄を献上し歌笛を奏上することが規定されているのである。このような点から、国栖は夷狄研究の文脈において無視することのできない存在であるといえよう。小論では『古事記』『六国史』『延喜式』といった史料をもとに、国栖の歌笛奏上と、これまで具体的な研究のなかった国栖の歌笛奏上に関わる官司について論じたい。まず国栖の服属を説く説話/「神話」について触れ、国栖の特徴について大まかに論じる。次に国栖の歌笛奏上を管轄した官司について考察し、貞観年間において国栖の歌笛奏上が宮内省に管轄されていたことを確認する。またそれは遅くとも天長年間後半まではさかのぼることを指摘する。さらに天武朝以降の歌舞に関する王権の関わりや、隼人司の成立状況などに言及し、大宝令制定の時期あたりまで宮内省管轄下に国栖の歌笛奏上が行われていた可能性に触れ、最後に国栖という「概念」自体が遅くとも『記紀』編纂の最終段階までにはほぼ成立していたことを論じる。
著者
井上 友莉子
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.33, pp.109-128, 2020-01-31

空海卒後まもなく、『続日本後紀』に空海の卒伝が記された。そこには「時有(二)一沙門(一)。呈(二)-示虚空蔵求聞持法(一)」とあり、空海に虚空蔵求聞持法を伝えた僧の名は明らかにされていない。しかし、後世『二十五箇条遺告』や『弘法大師行状集記』など、多くの空海の伝記が作成され、いつの頃からか「一沙門」が三論宗僧勤操とされるようになる。なぜ三論宗僧が空海の師とされたのか。それには真言宗寺院でありながら、三論宗と深い関りを持っていた醍醐寺が関係していると考えられる。本稿は、醍醐寺僧の中でも、三論宗の年分度者を初めて醍醐寺に置いた貞崇に注目し、虚空蔵求聞持法修学説話の成立過程とその意義について述べる。
著者
穐丸 武臣 丹羽 孝 勅使 千鶴
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.57-78, 2007-06-23

本研究は幼稚園と保育所の保育教材として導入されている「伝承遊び」の実施状況と保育者の認識について、郵送法によるアンケートの全国調査を分析したものである。調査対象は全都道府県の都市部とそれ以外の市町村から多段階抽出法によって幼稚園568ヵ園、保育所590ヵ所、合計1158ヵ所を抽出した。回収数は651ヵ所、回収率は約56%であった。その結果、日本ではほぼ全て(99%)の幼稚園・保育所において伝承遊びが実施されており、保育教材として活用されていた。保育活動への伝承遊び導入の理由は、(1)子どもの成長や発達に有効であること、(2)日本の遊び文化の継承のためとするものであった。しかし、伝承遊びを普及・充実する際の隘路としては、幼稚園教諭と保育士(以後 保育者)自身の伝承遊びに対する力量不足を認識しており、研修の必要を認める結果であった。
著者
森 哲彦
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.1-14, 2007-12
被引用文献数
1

神の存在証明についてヤスパースは「カント以来、誠実な思索にとっては、神の存在証明が不可能であることは確実である」(Jaspers:Glaube,32)とする。本論で見るようにカント自ら、この神の存在証明の不可能性を論証している。そこでは先行する哲学者たちの神の存在証明、つまり自然〔物理〕神学的証明、宇宙論的証明、および存在論的証明(デカルト的証明)は成立しえず、これらの神学、すなわち自然〔物理〕神学、宇宙論的神学、そして存在論的神学は、超越論的神学のゆえに批判される。しかしこのカントの主張は、理性の思弁的原理や認識論的立場からでなく、存在論的立場からの批判である。それゆえカントによれば「道徳諸法則が根底に置かれ」る「理性の神学」(A636,B664)は存在する。これがカントの道徳神学である。戦後ヤスパースは、先行する哲学者たちの「あらゆる神の存在証明を、カントが見事に論駁したあとを受けて、またヘーゲルが思想的には豊かだが安易で誤った仕方で再び神の存在証明を復活させたあとを受けて…今日では、神の存在証明を新たに哲学的に我がものにすることが、是非とも必要なことである」(Glaube,33)としている。しかも自らその必要性を急務としている。なぜなら神の存在証明を獲得しなければ「哲学者は、一般に何事も主張せず、何事も否定しえないところの懐疑的哲学の立場を取る。かまたは哲学者は、自分の立場を対象的に規定された知、すなわち科学的認識に限定して、我々は知りえない事柄については、沈黙を守るべき、という命題をもって哲学することをやめる」(Einfiihrung,40)と自戒する。本論で取り上げるカントの神問題については、問題史的、概念史的解釈を行う。しかし問題の概念史的解釈を行うには、それに先行して発展史的解釈が必要である。そのため本論ではカント前批判期と批判期(『純粋理性批判』)の発展史的解釈による小論(後掲引用・参考文献)を前提としているものである。