著者
チャンドララール ディリープ 後藤 亜樹 Dileep Chandralal Goto Aki 沖縄大学人文学部 沖縄大学地域研究所
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.17, pp.73-87, 2016-03

沖縄スリランカ友好協会により企画・実施された「スリランカ命の水プロジェクト」が2年間の月日を経て完了した。これまで、なぜ、バルンガラ村に水道設備が設置されなかったのか、村の人々の経済事情、生活はどのような状態であるかを明らかにするためインタビュー調査を実施し、記録した。
著者
川﨑 和治 かわさき かずはる Kawasaki Kazuharu 沖縄大学地域研究所所員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional study (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.15, pp.99-110, 2015-03

沖縄本島において生じた自動二輪車と原動機付き自転車の衝突事故により、重傷を負った原動機付き自転車の運転手が、加害者に請求した損害賠償訴訟に関する判例研究である。那覇地裁が認定した事実を福岡高裁那覇支部は、より詳細に検討し、合理的な推認方法により加害者の100%過失を認め、被害者に過失相殺を課すことを否定した。後遺障害逸失利益の計算において、医学部2年生にもかかわらず、医師の平均賃金を基礎収入として計算、また、自賠責保険金が支払われるまでの期間に対する遅延損害金を認めている。本稿が「交通事故 うまんちゅで築く 美ら島2014」を年間ソローガンとして掲げる沖縄県の交通事故減少に参考になればと願っている。
著者
沖本 富貴子 おきもと ふきこ OKIMOTO Fukiko 沖縄大学地域研究所特別研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.20, pp.29-53, 2017-12

竹内康人(2012年)によって沖縄戦に動員された朝鮮人軍人軍属が配置された部隊と、その人数が初めて明らかにされた。日本政府が韓国政府に渡した朝鮮人名簿をもとに分析を進め発表したものである。この研究をより沖縄に近づけて解釈し紹介した。その結果、特設水上勤務隊以外にも32軍防衛築城隊、歩兵隊、海軍の設営隊など65部隊以上にわたって少なくとも3,500人余が動員されていたことが分かった。部隊別に死亡者数と時期と場所を集計した結果、本島においては首里の攻防や南部に追い詰められて犠牲になったものが多かった。海軍においては小禄、豊見城で6月14日前後に命を落としている。 こうした研究によって「沖縄戦には『朝鮮人軍夫』が『1~2万人』動員され、『雑役』を担った」とする定説が検証され、実態に即して書き換えられていく契機になることを意図した。さらに「朝鮮人軍夫」という表現が妥当であるかについても検討を加えた。 朝鮮人部隊であった特設水上勤務隊について戦時資料や留守名簿、陣中日誌に照らし、編成から沖縄での港湾作業につくまでを詳細に見た。また港湾作業がどのようなものであったか、その実態について当時の陣中日誌及び住民の証言も交えて具体的に示した。本稿は地上戦が始まるまでのいわば序盤までを一区切りとしている。
著者
髙良 沙哉 Takara Sachika 沖縄大学人文学部福祉文化学科
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.12, pp.45-56, 2013-09

第二次安倍晋三内閣が発足して以降、権力側からの改憲論議が活発化している。2012年に出された政権与党自民党「改正」草案は、憲法改正の限界を超えると考えられる条項が多い。本稿では、憲法とは何か、憲法改正とは何かという基本的な認識を踏まえた上で、自民党の「改正」草案を批判的に検討する。
著者
沖本 富貴子 おきもと ふきこ Okimoto Fukiko 沖縄大学地域研究所特別研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.21, pp.45-65, 2018-04

沖縄戦に動員された朝鮮人について通説になっている1~2万人という根拠を書誌や報道から探ってみたが、数値を裏付けるものはなかった。現在韓国政府に渡された軍人軍属の留守名簿等から沖縄戦関連者は約3,500人まで数えられているが、この他にもいた可能性を検討した。また慶良間や宮古八重山地域についてはほぼ解明された動員数を示した。
著者
小川 竹一 おがわ たけかず Ogawa Takekazu 沖縄大学地域研究所特別研究員・愛媛大学名誉教授
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.22, pp.21-37, 2018-10

沖縄県読谷村の集落(字)は、強い共同性を有し、高い自治能力を有している。沖縄戦と米軍統治下の基地接収により、集落の壊滅の危機に面した。各集落は、僅かに返還された土地で、集落の再建を行っていった。この集落の再建を可能にしたのは、歴史的に形成されてきた集落の共同性である。集落領域の土地は、集落の共同資源(コモンズ)として存在してきた。さらに、米軍から解放された土地を分け合って集落を再建したこと、村と集落とが、土地の返還を求めて団結してきた。基地接収された土地を回復されるべきコモンズとして認識してきた。また、集落が得る高額の軍用地料が住民の行事、福利に用いられていることも、コモンズの側面として捉えられる。米軍から返還され、国から払下げをうけ村有地となった読谷補助飛行場跡地の利用は、関係集落ごとに作られた農業生産法人が利用主体となった上で、法人の所有権取得が計画されている。この事業が集落再生の萌芽となるのかを検討する。
著者
武市 周作
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.197-204, 2006-03-31

本件は、沖縄戦で家族などを失うなどした沖縄県出身者や沖縄在住の宗教活動を行う者が、小泉純一郎内閣総理大臣による靖国神社参拝(2001年8月13日および2002年4月21日)に対して、参拝行為が日本国憲法の規定する政教分離原則に違反し、また、参拝によって、原告らの政教分離を厳格に求める法的権利、信教の自由、思想信条の自由、平和的生存権が侵害され、精神的苦痛を被ったとして、民法709条および国家賠償法1条1項に基づいて損害賠償請求を提起した事件である。小泉首相による靖国神社参拝に対する訴訟は、全国で提起された(東京、千葉、大阪、松山、福岡、沖縄)が、なかでも沖縄靖国訴訟は、唯一の地上戦を経験した地において提起されたもので、靖国神社の歴史的な経緯などからみても、特別の意味を持つものであるとして注目を浴びてきた。原告が主張する法的利益侵害も、沖縄戦を経験した者であるからこその視点も含まれており、その意味で、本判決を考察することは地域研究にとって重要な意味を持つ。ただし、その際、靖国神社成立の歴史的経緯や、参拝の政治的・社会的意味については極力触れず、那覇地方裁判所の法的論理について評釈するにとどめた。
著者
黒沼 善博 くろぬま よしひろ Kuronuma Yoshihiro 沖縄大学地域研究所特別研究員 株式会社大林組
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.22, pp.149-171, 2018-10

南西諸島に位置する宮古島は、生活・農業・産業用水のほとんどを地下水に依存しているが、多雨な気候であるにもかかわらず、地質上、水源確保が困難な環境にあった。その克服策として、地下水の安定的な供給を行うために建設されたのが地下ダムである。地下ダム建設を端緒に、さらなる再生可能エネルギーを構築するため、風力発電、太陽光発電、バガス発電、メタン発酵、バイオエタノール製造など資源再生を行う施設が島内に次々と建設された。 島嶼環境における有限資源の持続を可能にするのは、建設技術の複合と応用である。本稿では、宮古島で展開されている環境技術を分析し、島嶼環境における資源再生技術の将来性を展望する。
著者
前泊 清美
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.9, pp.1-12, 2012-03

本稿は、鳩山政権時の2009年9月から2010年6月のワシントンポストとニューヨークタイムスにおける在沖海兵隊普天間航空基地移設問題報道に関する66記事を分析し、両紙のメディア・フレームの酷似性を確認した。特に、日米同盟重視を強調するフレームの酷似性が高かった。記事の分析には、政治コミュニケーション研究者ロバート・M・エントマンのフレーミング理論を援用した。フレームの機能には、(1)結果や状況を問題点として定義する。(2)問題の原因を診断する。(3)それについての道徳的判断を示す。(4)問題の解決法、あるいは状況の改善法を推奨する(筆者訳)の4つがあり、両紙の記事はフレームが果たす機能すべてを満たしていることが確認された。多くの記事において、鳩山首相が中心的なアクターに据えられており、鳩山首相の政治的に「実現不可能な」公約、つまり普天間基地の沖縄県外および日本国外への移設が、ここでは長年の日米同盟を揺るがす上記(1)にあたる「問題」としてフレーミングされている。上記(2)問題の原因は、「経験のない、未熟な」鳩山新政権の発足であろう。鳩山政権は、2006年に日米で「合意」決定された普天間飛行場の辺野古移設を「破棄する」意思を米政府に伝え、米国政府、メディアの強い反発に遭う。米主要メディアは、こぞって、上記の(3)にあたる「道徳的な判断」を打ち出した。それは、沖縄の人々の負担を軽減するために、普天間基地は「できるだけ早く、人口がより少ない場所へ移設するべきだ」という判断である。This paper examines 66 articles on the Futenma issue that appeared in two major U.S. newspapers, The Washington Post and The New York Times, in 2009-10 and finds the media frames of both papers to be nearly identical, especially in highlighting the importance of the Japan-U.S. security alliance. Robert M. Entman's theory of framing in political communication is employed in analysis of the articles concerning Prime Minister Yukio Hatoyama's handling of the relocation of the Futenma U.S. air base. The newspaper articles successfully implemented all four functions of news framing and may have had influence on the resignation of Japan's Prime Minister in mid-2010.
著者
壱岐 一郎 いき いちろう Iki Ichiro 沖縄大学地域研究所
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.18, pp.111-123, 2016-09

1956年、福岡で最初に「『魏志』倭人伝」を読んで、『日本書紀』とのあまりの差異に驚愕した。すなわち、そこには神武天皇とか神功皇后のイメージのスメラミコト、大君は出ていなかった。24歳の遅い研究の出発だった。私の目標は通史志向で方法は中国・韓国史料を集めて分析すると同時に列島内遺物・遺跡を調べ「史実」を確認することだった。
著者
小西 吉呂 外間 淳也 こにし よしろ ほかま じゅんや Konishi Yoshiro Hokama Jyunya 法経学部 法経学部
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional study (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.16, pp.23-46, 2015-09

本稿は、性犯罪・性暴力に対して主に刑法的視点から、その現状と課題を検討するものである。従来の刑法学にあっては、性犯罪被害者の議論が必ずしも活発に行われてきたわけではないが、近年の犯罪情勢や性犯罪に関する社会認識の広がり等を背景に、その重要性は高まっている。筆者らは、性犯罪・性暴力の被害が「先鋭化」する沖縄の実態に焦点を合わせつつ、被害者や市民の安心・安全に寄与しうる刑法の構築に努めた。わが国の刑法典が成立及び公布並びに施行してから優に100年が経過し、中には昨今の犯罪情勢からはかけ離れ、時代遅れと揶揄されている規定が存在することは否定出来ない事実である。中でも、性犯罪規定に対する批判は、最も痛烈なものの一つであろう。2014年10月末以降、継続的に開かれている性犯罪の罰則に関する検討会では、性犯罪被害者の救済という視点を中心として、法定刑の引上げ、性犯罪規定における構成要件の改正、親告罪規定の撤廃に関する議論がなされた。筆者らは、性犯罪規定の在り方に関して、性暴力被害の深刻な沖縄県の実態に即した形での主張を試みた。性犯罪規定改正の議論にあっては、法定刑の引上げがその中心となるきらいがあるが、問題の本質はその構成要件の在り方にあるという認識から、親密圏における性暴力被害者の実態をも可能な限り考察した。その結果、新たに「不同意わいせつ罪」といった暴行・脅迫を構成要件に含めない性犯罪の創設の可否や強姦罪における男女間の差違の撤廃を中心に主張している。性犯罪の罰則に関する議論において重要なのは、純粋にこの種の犯罪がもたらす法益侵害の重大性と向き合うことであると考える。しかしながら、新たな性犯罪被害を生まないという視点からは、加害者の性格や人間性に焦点を当てた再犯防止策の構築が重要な鍵となる。被害者と加害者の両方に配慮した刑法・刑事政策を考える際の一つの端緒として、筆者らは、ソーシャルインクルージョンからその示唆を得ようとした。今後もあらゆる角度から、慎重な検討を要する課題であると考える。
著者
村上 陽子 Murakami Yoko 沖縄大学地域研究所 東京大学大学院総合文化研究科
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.13, pp.119-132, 2014-03

「ギンネム屋敷」には、レイプ、従軍慰安婦、沖縄戦、民族差別など、さまざまな主題が書き込まれている。「沖縄人」の主人公「私」をはじめ、「朝鮮人」、「米軍人」、「ナイチャー二世」など、民族性を強く帯びた男性登場人物の語りによって構成されるこのテクストの中で、レイプの被害者としてあらわれる女性登場人物は沈黙を強いられている。そのため、従来「ギンネム屋敷」の男性登場人物が、帝国主義や植民地主義、冷戦構造をふまえた関係を形成している点が注目されてきた。その一方で、女性登場人物の位相は十分に論じられることがなかった。それを踏まえて、本稿では女性登場人物の位相を詳細に分析していくことにする。沈黙を強いられる女性たちはテクストの中で空所化され、男性の言葉によって意味付けられていく。だが、彼女らはときに、他者の言葉によって表象され、統御される以上の存在となってあらわれる。本稿では、そのような意味付けられない女性たちの、あるいは言葉を奪われた死者たちの回帰を〈亡霊〉と呼ぶ。〈亡霊〉が物語を構築する語りの主体に取り憑き、物語空間を飛び交っていることをテクストの分析を通して明らかにしていく。語りの主体がすでに〈亡霊〉に取り憑かれていたのだとすれば、テクストから排除されていた彼女たちの声を、物語を構成する言葉の中に潜勢するものとして読み直すことが可能となるだろう。The themes of Matayoshi Eiki's "Ginnemu yashiki" varies from rape, "comfort women", Battle of Okinawa, and ethnic discrimination. This text consists of the narratives of male character with strong racial traits. Female characters are, in contrast, forced to bear the silence, and described as victims of wars and rapes. Therefore, previous studies have focused on the relationship among male characters and have critically discussed structural outline of imperialism, colonialism, and cold war. On the other hand, issues of women have been left unexamined.Now therefore, I examine the phases of female character. Female characters of those forced to be silent become the blank of the text inside. Male characters represent her words and attempt to fill up the blank. However, those forced to be silent have already gotten into male characters, the narrator of the story, and are not just being represented by the word of others. In this study, I call these deprived of their words and obsess narrating agents as "disembodied spirit" and articulate their influence on the narratives of agents. Through rereading this piece, I reexamine the issue of female characters of those remain unexplored and argue that they present in the text.
著者
北村 毅
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.49-66, 2007-03-31

本論文は、沖縄県糸満市の「摩文仁(まぶに)の丘」と呼ばれる戦跡空間を事例として、沖縄戦の戦死者表象を巡る記憶のポリティクスを考察するものである。本稿の目的は、まず、摩文仁の丘を巡って、沖縄戦の戦死者がどのように表象されてきたのかを明らかにすることである。とりわけ、1995年、摩文仁の丘の麓に建設された、約24万の戦死者の名が刻まれた記念碑、「平和の礎(いしじ)」が分析の対象となる。その「平和の礎」を巡る諸種の言説や実践を検証する作業を通して、〈戦後〉という時間的・認識的区分に表された、「想像の共同体」の外縁(外枠)を捉えることが、最終的な目的である。第1章では、1960年代に始まる摩文仁の丘の上の慰霊塔群の「靖国化」と、丘の下の「平和の礎」を巡る「靖国化」について検証した。第2章では、「〈平和〉のイマジネール」という概念を提唱した上で、丘の上と下の共通性について指摘し、第3章では、小泉純一郎首相を事例に、「平和の礎」を「靖国なるもの」に接合するレトリックについて分析した。そして、第4章と第5章では、「平和の礎」における、ある「平和ガイド」の語りの実践に見出される、個々の戦死者を基点(起点)とする沖縄戦の想起の在り方に着目し、そこから、「〈平和〉のイマジネール」に規定された〈戦後〉を脱構築する可能性、ポスト〈戦後〉への布石を看取した。
著者
与那覇 晶子
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.1, pp.55-67, 2005-06

第3回沖縄市戯曲大賞受賞作品『カフェ・ライカム』は、上里和美の初戯曲で、2000年11月、沖縄市民小劇場「あしぴな-」で初演、また翌年7月「県立郷士劇場」で再演された。上里はこの戯曲を通して、戦後沖縄をたくましく生き抜いてきた沖縄の女・夏子を中心に沖縄の戦後を抉り取って見せる。その特筆すべき点は、戦争中日本人隊長にレイプされた夏子の過去が、皮肉にも、夏子にプロポーズし、朝鮮戦争で記憶を失った報道カメラマン・ハイマンの撮った写真と「記憶の想起」によって明らかになる劇構造である。またメタシアターの要素がちりばめられたことばの面白さも含め、クレオール化する沖縄、変わることのないキーストーン沖縄の姿が立ち現れる。この論稿では、「戦争、女、記憶」というモチーフ/文脈の中で『カフェ・ライカム』を位置づけ、この作品の意義を明らかにしたい。そのため沖縄の劇作家・知念正真の『人類館』(第26回岸田戯曲賞受賞)およびイタリアのノーベル賞受賞作家・ピランデルロの『未知の女』を通して、これらのモチーフに関する類似と差異を検討し、その上でとりわけ記憶というモチーフが作劇上どのように機能したかを論じた。War comes up in plays even after a half century has passed since the calamity of the Battle of Okinawa. It appears as if Okinawans are trying to reall their tragic memories of the war over and over again. There are two distinctive characteristics of modern Okinawan plays. The first characteristics is that women play central roles in war plays. The second is that themes of the plays are also related to Okinawa's socio-political sphere; specifically the huge U.S. military bases that have stationed in Okinawa, making it the key stone of the Pacific. The play 'CAFE RYCOM' which won an Okinawa City Play Award in 2000, displays the above two characteristics. The play was written by Kazumi Uezato, a dentist and a political activist, and was directed by Kyoko Teruya on November 3rd and 4th 2000 in the the "Ashibina-" theatre, and reproduced in 2001. The majority of the audience appreciated it well as the play displayed what many Okinawans experienced during and after the war. The play covers World War 2, the Korean War, and the Vietnam War. Its long span of time shows the position of Okinawa caught between the U.S. and Japan. The U.S. occupation of Okinawa which lasted for 27 years from 1945 to reversion to Japan in 1972 ironically indicates Okinawa's geo-political importance and the eventual pressure applied to Okinawans. The main story of the play is focused on the love story of an Okinawan woman, Natuko, who was a nurse working for the Japanese military, but who was actually raped and treated as a sort of comfort woman by a Japanese captain during the land Battle of Okinawa. After the war, she falls in love with an American war photographer, Highman, at CAFE RYCOM. However, Highman's loss of memory in the Korean War forced them to separate for 18 years, during which time she gives birth to a boy and raises him while working as a dancer and singer. At CAFE RYCOM, some women supposedly sell their bodies while raising their children. This shows the multiple gender of Okinawan women.
著者
与那覇 晶子 Yonaha Shoko 沖縄大学地域研究所
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.13, pp.95-118, 2014-03

スーエレン・ケイスのフェミニズム演劇理論を中軸に据えて、沖縄の組踊「忠孝婦人」を検証してみた。男が書いて男が女を舞台で表象してきた演劇であるという点で、古代ギリシャから近代にかけて網羅されてきた西欧演劇の実態とほとんど変わらない。組踊は日本の伝統演劇、能楽や歌舞伎、狂言の影響もあり、それらが男性中心に演じられてきた芸能であるのと同様、現在まで男性中心に上演されている。新旧合わせて約90作品ある組踊の中で、50作品以上が仇討物である。その中で特に近代において最も人気があったのが「忠孝婦人」である。その背景を見ると、テキストそのものの面白さ、ユカッチュの妻の潔さ、谷茶の按司や臣下の満納と主人公乙樽の対話、ロゴスの面白さが際立っている。修辞の魅力が按司のセクシュアリティと必死にその罠から逃れ、若按司を救い出す手立てを模索する乙樽の言説の豊かさゆえであった、ということが浮かび上がってきた。しかし乙樽は家父長的封建制を維持しながらかつコロニアルな政体でもあった琉球士族の理想の女性であり、彼らの分身そのものであった。フェミニズムの視点から乙樽の行為主体性(エイジェンシー)、行為主体(エイジェント)を見た時、それは首里士族男性のフィクショナルな造形であり、リアルな女性は存在しない。当時琉球王府は、すでに辻や仲島遊里を国体の維持システムとして有していた。公の場で表象されなかった女性の身体だが、しかし遊女(ジュリ/ズリ)たちは生身の芸能やセクシュアリティを体現する存在として薩摩の在番や冊封随行員の前に立ったのである。分断された女性のシステムの上に組踊が創作され、上演されていた歴史の在り様を見据える必要がある。沖縄のフェミニズム理論の構築や運動の欠陥を埋める論理化の中に、辻や仲島遊里(遊郭)のジュリと呼ばれた女性たちを包含しえない限り、その運動や理論の破綻を埋めることはできないと考える。Based on Su-Ellen Case's feminist theory of feminism and theatre, this paper analyzes Okinawan Kumiodori Chuko fujin (The Lady of Loyal Piety). In a sense as it was created and performed by men, it just identifies the theatre history of the West from the Greek to Shakespearean period, and the early modern period. Also as it is well known that Kumiodori was influenced from Japanese Noh, Kabuki, and Kyogen, which have been created and performed in the male-dominated society and cultural values, the male dominance has been penetrated till the present. In about 90 classic and new Kumiodori, more than 50 of them are vengeance stories. Among those vengeance ones, Chuko-fujin was one of the most popular ones in the early modern period in Okinawa. The reason was due to an appealing text, bravery of Samurai's wife, dialogues between female main figure Utudaru and Lord Tancya and his feudatory manner. The attraction of rhetoric was resulted from Lord's sexuality toward Utudaru and her way of putting a gloss on his coerce approach to find some means to save a trapped young load. However, Utudaru was an ideal female of the kingdom while representing samurai's alter ego, on its patriarchy system and still coronal body. When we see Utudaru's agency and agent in terms of feminist theory, she is just a fictional figure, not a real one. At that time the kingdom had owned the treasure courters Tuji and Nakashima as her national valued function. Though women had been excluded from social and cultural lives of performance, courtesans called Juri/zuri stood in front of warriors of Satsuma and attendants from Shin dynasty. Okinawan feminism theory shouldn't over look that in this divided female social system, Kumiodori was created and performed by men. Juri/zuri danced and sang songs together with those men, and this fact should be well considered when we try to reestablish Okinawan feminism: feminist ethnography and gender ethnicity.
著者
谷口 正厚
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.19-28, 2006-03-31

1998年に障害者のケアマネジメント事業が沖縄で開始されてから8年目になる。障害者ケアマネジメントの実践はこれまでの沖縄の障害者福祉を大きく変えるものである。障害児(者)地域療育等支援事業を中心にその実践を紹介する。名護療育園では療育園の機能とスタッフを活用して地域の障害者に対する支援が行われてきた。また名護市を中心とする北部圏域では身体・知的・精神3障害の支援センターとさらに就業・生活支援センターが沖縄で最も早く設置され、障害の種別をこえたネットワークが形成された。糸満市のみなみの里では沖縄で初めて知的障害者のケアマネジメント施行事業が実施され、ケアマネジメントの実践が積み重ねられた。本島中部にある中城村のグリーンホームでは地域の中に入りニーズを掘り起こす活動が行われ、今では養護学校からの相談を含め多くの相談が入るようになり、一人では対応しきれない状況が生じている。石垣市の八重山育成園でも、竹富、与那国など離島も含む訪問活動を積み重ねるとともに、同時に身体障害者の支援センターも設置し身体・知的の障害者に対して統合的に相談活動を進めてきたが、さらに現在は精神障害者生活支援センターも統合する方向を目指している。ケアマネジメント活動のなかで、重症心身障害児通園事業(糸満市)、児童デイサービス(うるま市)、障害者福祉サービスを有償で行うNPO法人設置(石垣市)等新しい社会資源も作り出されている。本稿の最後に、要求の掘り起こしという初期の段階から、増大するニーズに対応する安定した組織の確立や地域の相談ネットワークの確立が求められていることなど新しい段階に入ったケアマネジメントの今後の課題について提起した。
著者
田村 三智子
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.205-211, 2006-03-31

本研究の目的の一つは、沖縄都市モノレールの開通が国際通りと新都心へどのような影響を与えたのかを分析することであり、もう一つは、消費者の日常の購買行動を明らかにすることである。利用するデータは、モノレール開通約1年後の2004年7月10日(土)、11日(日)に那覇都心部でおこなった、来街者ベース聞き取り調査によるマイクロデータである。結果として、モノレール開通による、都心部へのアクセスする際の平均所要時間の短縮、平均交通費の減少、出向頻度の増加、利用交通機関の変化などが明らかになった。特に新都心においては、国際通りを上回る平均所要時間の短縮、平均交通費の減少、出向頻度の増加が見られ、モノレール開通による国際通り離れと、それに伴う新都心への集中が見受けられた。また、那覇都心部の消費者が、生鮮食品、一般食品、家電製品、日用品、身の回り品、外出着、普段着等、購買するものによって、購買頻度、購買額、購買場所、購買時間等をどのように使い分けているかが明らかになった。
著者
佐竹 絵美
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.213-222, 2006-03-31

この調査の目的は苗族の生活を聞き書きにより記すことにある。調査は2005年6月26日から7月2日までの期間で実施した。台江苗族の生活と年中行事、特にドラゴンボートレースについて記している。
著者
中村 和雄
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.3-8, 2005-06-30

毎年、沖縄大学構内のホルトノキに集まって鳴くクマゼミの鳴き声の騒音レベルを知るため、大学構内の3箇所のホルトノキに集まるクマゼミのそれぞれに標識再捕法を適用した。 その結果、Bailey法によって推定された雄個体数は、7月上旬から増加し始めて、中旬にピークに達した後、減少して、8月上旬には終息した。鳴き声のレベルの季節変動は、クマゼミが集まる3箇所のうち2箇所でほぼ雄個体数の変動に近似したが、1箇所では雄がほとんど終息したはずの8月上〜中旬でも相当高いレベルが見られた。この違いは、個体数の推定は12-15時に行ったのに、鳴き声のレベルの測定は7-10時に行ったことに起因すると考えられる。すなわち、クマゼミの雄は朝と昼で集まる場所を変更している可能性が考えられる。 音源から距離を変えてレベルの変化を測定した結果、7m離れると音源の約半分のレベルに減少し、27mでは0になった。 以上のことから、沖縄大学構内に集まるクマゼミの鳴き声は、7月中の午前中は騒音レベルが高いが、20m以遠ではほとんど問題にならないことが予想される。今後、学生や周辺の住民がクマゼミの鳴き声をどの程度、騒音として感じているかを知る必要がある。