著者
斎藤 英喜
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-18, 2011-03-01

本居宣長『古事記伝』に描かれた太陽神アマテラスの像は、中世的に変貌したアマラテスにたいする「古代神話」の復権として見られてきた。しかし宣長のアマテラス=太陽説は、十八世紀における西洋天文学の知識、とくに『真暦考』などに示された地球説、太陽暦の受容と不可分なものである。そこには宣長が導いたアマテラスの「普遍性」が、十八世紀の科学・天文学に支えられていることが見てとれる。本稿では天文学と神話解釈の問題を「中世日本紀」の世界にまで遡り、とくに宋学系天文学と吉田兼倶の日本紀言説との接点を再検討しつつ、さらに渋川春海との比較を通して、宣長のアマテラス像の固有性を「近世神話」として解読する視点を提示する。
著者
青山 忠正 淺井 良亮
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.17-33, 2014-03-01

寺田家は、十八世紀において京都の呉服商であったが、十九世紀初めに、越後国新し発ば田たの大名・溝口家の用よう聞きき、ついで京都留守居を務めるようになって士分に取り立てられ、やがて明治四年の廃藩置県を迎える。その間、六十年間以上にわたる関係史料は、約三千点にのぼる。なかでも、二十六冊に及ぶ御用留は、京都留守居の活動状況を知る上で興味深い。本稿は、この寺田家文書の概要を紹介するとともに、御用留の一端を提示して、その史料価値などについて考察する。
著者
中井 真孝
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.1-19, 2015-03-01

専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は繰り返し出たので、歴史上類例のない宗教弾圧とみてきたが、改めて関係史料を読み直すと、これまで専修念仏停止とみなしていた歴史事象の多くは、必ずしも専修念仏そのものを停止したのではなく、問題を起こした専修念仏者への法的措置であった。これまで専修念仏停止を命令したと見てきた院宣・宣旨等は、元久二年、同三年、建永二年、建保五年、同七年、貞応三年と史料に現れる。これらを詳細に検討したところ、いずれも糾弾の対象となった専修念仏者への法的処断であり、考察した元久元年から貞応三年までの間、一度も専修念仏は停止されていなかった。
著者
樽井 由紀
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.10, pp.43-50, 2020-03-01

日本には三千近い温泉地があると言われている。日本人は熱い湯に身体を浸すと気持ちがよく、疲れが取れ、気持ちよく感じ、熱い湯につかるのを好む。このように熱いお湯に入るのは世界では珍しく、日本独特の習慣、文化だといえる。本稿は「湯浴みをめぐる習俗と伝承」についての研究である。「湯浴みをめぐる習俗と伝承」とは、湯を浴びること、湯に入って身体を暖め、洗うこと、温泉に入って病気を治すことをはじめとして、湯治、温泉と共同湯など「湯」と関わる習慣、文化、入浴法、慣わしなどを含む全般的な習俗と伝承を指すと考えたい。温泉民俗学湯浴み有馬温泉湯女
著者
斉藤 利彦
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.59-78, 2014-03-01

近世京都に存在した日暮小太夫・日暮八太夫は、代数は明確ではないが、数代にわたり継承された太夫号である。同時に、このふたりが所有した「説教讃語名代」は、京都の宮地芝居の座の興行権として用いられており、近世中期京都興行界を考えるうえで重要である。本稿は、近世中期京都において活動した説経太夫日暮小太夫・八太夫について、先行研究に学びながら、考察していきたい。
著者
斎藤 英喜
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.7, pp.37-60, 2017-03

独創的な国文学者、民俗学者、あるいは詩人として知られる折口信夫は、もうひとつの顔をもつ。「神道学者」としての折口信夫である。それは狭い神道学に限定されることない可能性を孕んでいる。すなわちヨリシロ・マレビト・ミコトモチ・鎮魂・ムスビという「折口名彙」とその学問的成果は、近代に形成されていく「神道」(国家神道・神社神道)への異議申し立てという役割を担っていたからである。本稿は、大正期から昭和・戦前、戦後にわたる折口の学問を、中世から近世、近代へと展開する<神道史>のなかに位置づけなおし、その可能性を探る試みである。折口信夫髯籠の話大嘗祭鎮魂神道宗教化論ムスビ神既存者
著者
原田 敬一
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.103-124, 2014-03-01

本稿は、新出の史料である「従軍日誌」一編を使用して、「日清戦争」を従軍者がどのように描いているか、を追究した『歴史学部論集』創刊号以来掲載してきた論考の続きである。何度も繰り返すが、「従軍日誌」の著者は、混成第九旅団野戦砲兵第五聯隊第三大隊第五中隊に属する将校であり、一八九四年六月六日から翌年二月一四日まで日記を書き続けた。戦争が終わって後の清書や、整然と整理された刊行物ではなく、戦場という現場で書いていた日記と推測される。しかもこの執筆者は、日本の大本営が、日清戦争開戦前に、「居留民保護」を名目に朝鮮に派兵した混成第九旅団のうち、最初に派遣された部隊の一員であったという特色がある。参謀本部が編纂し、刊行した『日清戦史』全八巻には、中塚明氏や一ノ瀬俊也氏などにより遺漏や改ざんの跡がいくつか指摘されており、そのことも、「従軍日誌」という軍人自身の記述により再検討することができる。『歴史学部論集』創刊号に六月六日から七月二六日まで、同第2号に七月二七日から九月一四日(平壌総攻撃前日)まで、第3号に九月一五日(平壌総攻撃日)から一〇月二三日まで掲載した。本号は、鴨緑江渡河戦にむかう一〇月二四日から、鴨緑江渡河戦、九連城攻略戦を経て、冬期の鳳凰城守備戦になる。以後は次号となる。
著者
原田 敬一
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.6, pp.95-113, 2016-03

青森県南津軽郡野沢村出身の對馬政治郎が記した、日露戦争従軍日記の翻刻紹介。對馬政治郎日露戦争従軍日記青森県野沢村浪岡町
著者
高田 祐介
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.43-70, 2012-03-01

本稿では、従来ほとんど注目されることのなかった、明治二五・二六年における明治維新「志士」の靖国合祀・贈位・叙位遺漏者問題に焦点をあてた。靖国合祀処分での「国事殉難」、そして贈位・叙位措置での「勤王」の枠組みや価値基準を実証的に解析することで、当該期に維新を振り返った際に国家・地域双方が抱えた課題ないしこれに纏わる歴史意識の動態を明らかにした。
著者
青山 忠正
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.10, pp.43-56, 2020-03-01

慶応三年十二月九日、「王政復古」の政変が起きた。これにより、「摂関幕府等廃絶」が宣言され、公家・武家双方の旧制度が廃止されたのである。この政変については、薩摩藩及び長州藩の主導によるとの印象が、一般的には強いようだが、現実の政局運営においては、必ずしも有力とはいえないような諸藩の勢力が、多数意見を形成し、政局の動向を根底の部分で規定していた。本稿では、このような諸藩の見解を公議ととらえ、新発田藩を事例として、政局との関わりを明らかにする。公議王政復古新発田藩京都留守居窪田平兵衛
著者
門田 誠一
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 = Journal of the School of History (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.8, pp.1-18, 2018-03

本論では魏志倭人伝にみえる魏から卑弥呼に下賜された物品のうち、「五尺刀」について、漢代を中心とした鉄刀の銘文に尺の単位で表現される類例から、五尺刀の長さを推定する。また、刀銘には吉祥句などが記され、佩用する者を寿ほぐという目的があるとともに、史料・文献から臣に対する寵愛や死後の追悼の際に下賜され、匈奴に対する事例に示されるように蛮夷に対して与えられた。刀剣の長さである尺寸に関しては、漢代から南北朝にかけて、尺を単位とし、文化・教養に依拠したいわば人文的類型の表現であり、尺刀が官吏の用いる文房具的な利器であるのに対し、七尺刀が軍事的権威や個人の勇武を可視的に表徴し、五尺刀は佩刀としては一般的なものではあるが、南北朝期の歌謡にも所有が切望されることがみえ、南朝・梁では有銘の五尺刀そのものの発現が吉祥とされた。このように五尺刀を含む刀剣は、吉祥句を銘すことによって佩用者を寿ほぎ、あるいは有銘の五尺刀そのものが祥瑞であり、また、これを黄金ともに下賜品することは漢代以来の系譜を引くことを示した。五尺刀卑弥呼魏志倭人伝銘文刀剣
著者
原田 敬一
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.8, pp.19-38, 2018-03-01

第七師団歩兵聯隊の上等兵が、従軍中に書き続けた日記の翻刻。氏名不詳。召集まで北海道焼尻島警察分署に勤務していた警察官。従軍中に伍長に任じられ下士官となった。記録の期間は、一九〇四年一一月一三日大阪港を出発し、奉天会戦などに参戦し、一九〇六年二月一八日三台子から「凱旋ノ途」につき、二八日神戸港に着くが上陸許可されず、三月三日室蘭港に入港、市民数十万人の歓迎を受け、帰国。一六日増毛に入港して、故郷の歓迎を受ける一八日までの日誌である。休戦協定以後の隊内娯楽の記述は珍しく、また講和成立に対する聯隊長と兵士の差が面白い。今回は、二回連載の前半部になる。日露戦争従軍日記歩兵聯隊乗馬歩兵隊第七師団
著者
貝 英幸
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.11, pp.133-142, 2021-03-01

本稿では、洛中周縁部「洛中周辺地域」の地域様相の実態解明の手がかりとして、北野社領(北野社領西京)の検討を行う。室町戦国期の同社領のなかでも、門前所領は重要な所領の一つであり、主には上下保と二三条保の二つが確認される。しかし、応仁文明の乱後には、そのうち二三条保で不知行化が進行し、領主北野社の支配は西京上下保を専らとするようになる。本稿では特に二三条保の不知行化の様子を確認し門前所領の実態、その原因や背景として考えられる同社組織の問題を検討する。西京伊勢氏御供京兆家曼殊院門跡
著者
水田 大紀
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.11, pp.67-79, 2021-03-01

本稿は、『歴史学部論集』第7、9-10号に引き続き、1886年に出版された『マルタとその産業』の第4-5、8-10章を訳出したものである。訳出の目的や同書の書誌情報など詳細については、前掲号までの文献解題を参照されたい。 今回の訳出箇所では、前掲論稿まで述べてきた19世紀後半のマルタ産業の状況とその障害を踏まえ、その解決策として、当時のマルタにおける教育や文芸の特長が解説されている。特に文芸に関しては、マルタ人芸術家たちの活躍や島外への影響を念頭においた記述がなされており、直轄植民地としてのマルタの有望さとマルタ人の有能さを強調することで、編集者たちが宗主国イギリスの関心を買おうとする様子をみてとることができる。 なお本稿内の註は原著のものであり、史料中の[ ]内は訳者による付記である。
著者
門田 誠一
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.65-76, 2013-03-01

紀年銘のある高句麗の金銅仏として知られる延嘉七年己未銘金銅仏に関して、従来は紀年の比定が論究の中心であった。これに対し、近年、釈読の進められている中国北朝代石窟の千仏図像の傍題に関する研究によって、千仏図像がいくつかの仏典に依拠することが明らかになってきた。それらは主として仏名経類であり、その内容が千仏図像として可視化されている。いっぽう、延嘉七年己未金銅仏銘文には「第廿九因現義仏」の語があり、これは仏名経の一つである『賢劫経』にみえる仏名であることが知られている。この仏像の制作年代は六世紀代とみられており、この時点で仏名経類に基づく仏像表現は敦煌莫高窟などの北朝石窟に限られることから、延嘉七年己未金銅仏銘文によって同様の信仰を実修していたことが明らかな高句麗の仏教が北朝の影響下にあったことを論じた。
著者
渡邊 秀一
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.7, pp.55-73, 2017-03

本稿は17世紀初期に刊行された「都記」と後継二鋪の板行京都図の分析を通して、17世紀初期京都の地域意識とその変化について検討したものである。「都記」は慶長期後半から寛永初期までの内容が重層化している点、市街の北限を一条通に設定した点に大きな特徴がある。一条通に都市空間を分節する境界を設定することは、初期洛中洛外図屛風にすでに現れている。しかし、「都記」では平安京を旧左京域にまで限定し、その外側を排除する態度をみせている。慶長期後半から寛永年間初期にかけて進んだ内裏域や公家町の整備、急速な京都市街の拡大を背景に、旧平安京左京域の外を他者として、旧左京域こそが平安京を継承する正当な都であるというメッセージを発しているのである。後継の二図はこの「都記」の地域意識を受け継ぎながら、記載範囲を若干拡大している。平安京から徳川政権下の「京」へと意識が変化しつつあることがそこからうかがえるのである。京都都市図初期洛中洛外図屏風平安京地域意識
著者
山崎 覚士
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.7, pp.77-95, 2017-03

本論は宋朝における朝貢の事例を概観したうえで、大中祥符二年以降から朝貢品に対して、その価格を判定し、その価格に見合う(あるいは上乗せした)回賜が行われるようになったことを明らかにする。この変化は、唐代で見られた儀礼行為としての朝貢―回賜が、対価に対する支払いの要素を持つ貿易行為への移行を意味した。また朝貢―回賜が貿易行為へと変化するに伴い、朝貢―回賜の行われる場所が国境付近の辺境都市でも担われるようになり、南宋期になると、一時期を除いて、朝貢―回賜は辺境都市で済まされるようになった。中世帝国朝貢回賜貿易
著者
塚本 栄美子
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.7, pp.19-36, 2017-03

17世紀後半にイングランド、オランダ、ドイツ語圏などヨーロッパ各地にフランスから離散した改革派信仰難民たちのなかには、最初の亡命地にとどまったものもいれば、さらに大西洋を渡り南北アメリカ、あるいは南アフリカへと渡っていったものもいた。世界史上、彼らが、ディアスポラ先の社会や歴史にいかなる影響を与えたのかという問いは古くて大きな問題である。その答えとして、ある時点から「ホスト社会の発展に貢献」したという言説が実態にかなっているか否かとは別に、広く語られるようになる。とりわけ、大量のユグノーを受け入れたドイツ諸領邦、なかでもブランデンブルク・プロイセンではその傾向が強くなる。こうしたイメージは、ユグノー自身が記した歴史叙述が出発点となっており、彼らのアイデンティティの核をなす集合的記憶の重要な要素となっている。本稿では、その核となる物語を提供した歴史叙述とユグノーたちのおかれた状況の変化を対応させながら、彼らの集合的記憶の形成を概観し、今後の課題を提示する。フランス系改革派信仰難民(ユグノー)集合的(集団的)記憶ベルリン