- 著者
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川口 洋
上原 邦彦
日置 慎治
- 雑誌
- じんもんこん2011論文集
- 巻号頁・発行日
- vol.2011, no.8, pp.117-124, 2011-12-03
本稿では,「過去帳」分析システムを用いて,寺院「過去帳」に流産・死産児が記録され始めた時期と法規との関係について検討する.「過去帳」分析システムは,「過去帳」古文書画像データベース,「過去帳」分析プログラム,検索利用マニュアルから構成されている.本システムには,18 ヵ寺における約4 万人の被葬者が登録されており,51 項目の死亡指標を表示することができる.神奈川縣などでは,明治13(1880)年から流産・死産の届出を義務付け,戸長の作成する埋葬承認証のない死屍の埋葬を禁止した.これにともない,寺院「過去帳」に流産や死体分娩などが明記されるようになり,流産・死産児などに孩子系,嬰子系,泡兒系,胎子系,水子といった戒名の位号を付けて供養する習慣が普及していったとみられる.