著者
牟田 和恵
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.3, pp.29-41, 2004-05-22

日本において「セクシュアル・ハラスメント」が問題として社会的に浮上したのは1989年のことであった。それは、福岡における裁判の提訴をきっかけとしていたが、まもなく「セクハラ」という略語が登場し人口に膾炙することとなった。その後1999年に、男女雇用機会均等法改正および人事院規則改正により、法制度上の規制対象となった。それと前後して、職場や大学で防止や問題解決のための取り組みが始まり、「セクハラ事件」に関連するメディアの報道も繰り返されて、セクシュアル・ハラスメントは私たちにとって「目新しい」問題ではなくなった。だが、そうした積み重ねにもかかわらず、問題の「解決」は相変わらず容易ではなく、セクシュアル・ハラスメント問題に関する社会的合意の形成に直接にはつながっていない。逆に、さまざまな対策や報道が問題をより紛糾させ「被害」を拡大再生産する可能性をはらんでおり、しかも対策の行われる制度上の限界や、過度に単純化される傾向のある報道のために、被害や問題の取り扱われ方が制限され、ある意味で「矮小化」される傾向を生んでいる。「セクシュアル・ハラスメント」は、このような意味で、「発見」された問題が法や制度に取り入れられる中で変容していく例として非常に興味深く、またそれだけでなく私たちがいかに知恵を結集し、少なくともより良い方向性を見いだしていけるかの試金石でもある。
著者
平野 孝典
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.12, pp.43-55, 2013-05-18

本稿の目的は、社会的統合が自殺観に与える影響を明らかにすることである。エミール・デュルケームによって社会的統合と自殺との関係が定式化された。しかしながら、彼はこれらを結ぶメカニズムについての議論を深めることはしなかった。この問題を批判したアンソニー・ギデンズは、社会的統合と自殺を意識・心理・態度によって媒介するモデルを提示する必要性を指摘した。フランク・ファン・チューベルゲンらによる「コミュニティ-規範メカニズム」は、自殺観という態度要因に焦点をあてることにより、この問題に取り組む理論として注目すべきものである。この理論には、社会的統合が自殺観に影響を与えるという仮定がおかれている。しかし、この仮定については経験的知見が乏しく、明らかになっていない点が多い。そこでJGSS-2006を用いて社会的統合と自殺観の関係を検討したところ、以下の知見が得られた。第1に、配偶者を失った人は自殺に肯定的な態度をとりやすい。第2に、子供のいない人は自殺に肯定的な態度をとりやすい。第3に、居住年数が短い人は、自殺に肯定的な態度をとりやすい。以上の結果は、コミュニティ-規範メカニズムの仮定が経験的に妥当であることを示している。
著者
金菱 清
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.12, pp.104-113, 2013-05-18

何万にものぼる死者の行方は?未曾有の災害で家族の命を絶たれた遺族はどのように日常に戻っていけるのだろうか?本論文では、東日本大震災の被災者が集住する仮設団地において、"過剰"に住民が介入するかのようなコミュニティをとりあげることで、どのようにコミュニティが生を中断せざるをえなかった「彷徨える魂」を鎮めることができるのかについて、被災コミュニティの文化的・宗教的な装置の側面を社会学的に明らかにする。阪神淡路大震災後の仮設住宅では、孤独死やアルコール依存症者が発生した。この深刻な事態を教訓として、宮城県名取市の仮設住宅では、自治会レベルでさまざまな対策を講じてきた。それらの取り組みをまとめると、ある意味「過剰な」コミュニティ運営をしている自治会が浮かび上がってくる。ここで過剰なコミュニティ運営とは、個人の生について住民組織が過度なまでに介入していることを指す。ただし、建物倒壊による圧死が死因の多数を占めた都市直下型地震の阪神淡路大震災とは異なって、東日本大震災では津波特有の遺体の見つからない行方不明者が多い。この過剰なコミュニティ運営は、生死のわからない彷徨える魂に対処する(ホカヒする)ための文化的社会的装置であると考えられる。本論では、大規模災害で生じる無念な「死」に対して、民俗学・宗教学とは異なる視角から、コミュニティの役割について社会学的に探ることを目的とする。そのことを明らかにすることによって、犠牲者を未だ彼岸の「死者」として扱えず、此岸に残された人びとの社会的生に対する積極的な位置づけをおこなう。
著者
佐藤 博樹
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.11, pp.103-112, 2012-05-26

データアーカイブの基本的な機能はマイクロデータを収集、整理、保存、提供することにある。それ以上に重要な機能は、社会科学におけるマイクロデータに基づく実証研究の「再現性」を担保する研究環境を提供することにある。日本では、毎年数多くの社会調査が研究者だけでなく、新聞社や政府など様々な機関で実施されており、調査大国とも言われる。しかし、調査データに基づく研究論文や報告書が刊行された後に、収集された調査データは保存されることなく散逸する場合が少なくなかった。その背景には、マイクロデータを収集、整理、保存し、それを再分析を希望する利用者に提供する組織が存在しなかったことがある。本稿では、マイクロデータを保存し、かつ再分析を希望する利用者にマイクロデータを提供することの社会的な意義とマイクロデータの収集、整理、保存、提供の作業を行うデータアーカイブの役割について説明するとともに、東京大学社会科学研究所の社会調査・データアーカイブ研究センターが運営するSSJデータアーカイブの現状と課題について紹介する。
著者
森田 裕美
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.8, pp.5-12, 2009-05-23

1945年8月6日、広島に投下されたたった一発の原爆は、いったいどれだけ人を苦しめたら気が済むのだろうか-。被爆地・広島の新聞記者として、六十数年を経た今なお続く苦しみや悲しみに触れ、「被爆体験」が発する今日的意味を問い続けている。世の中の事象に、ある切り口から光を当て、文字にし、短い記事の中で分かりやすく伝えるのが新聞記者の仕事だ。ただ、焦点を絞れば必ずあふれてしまう「断片」があり、ある言葉に「集約」すれば、見えなくなる「本質」もある。数々の「声」は、伝える過程で、「被爆者]や「ヒロシマ」などの言葉に集約されていく。伝える上で避けられない作業でありながら、原爆がもたらしたとてつもない「人間的悲惨」に迫れば迫るほど、表現しきれないもどかしさに苦闘する。しばしば和解の象徴として語られる被爆者は、本当に「憎しみを捨てている」のか-。被爆者でなければその記憶は継承できないのか-。記者が抱える日々の葛藤を通じ、「被爆体験」を継承する可能性を考える。
著者
菅原 祥
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.9, pp.113-125, 2010-05-29

本論の目的は、旧ソ連・東欧の社会主義圏におけるユートピア的想像力が当時の人々の意識や実践とどのような相互作用を及ぼし合い、そこにはどのような思考や実践の可能性が存在したのかを明らかにすることである。この目的のために、本論は1950年代のポーランド・ドキュメンタリー映画を当時の雑誌記事などと合わせて分析することにより、社会主義のユートピア的想像力がいったいどのような形で映画のなかで映し出される「現実」をとらえようとしていたのかを考察する。分析から明らかになったことは、1950年代前半の「社会主義リアリズム」のドキュメンタリーにおける特異な時間意識をもとにした未来志向のユートピア的想像力が、1956年の「雪どけ」以後に現れた「黒いシリーズ」と呼ばれるドキュメンタリーにおいては、言わば「ポスト・ユートピア的」とでも言いうるような別の現実認識のありかたに取って代わられたということである。これら二種類の映画のありかたの違いは、単なる体制側のプロパガンダと反体制側による真実の暴露といったような、単純な政治的対立図式で理解できるようなものではない。むしろそれは、社会主義のユートピア的想像力における意識や知覚のありかたの変容をしるしづけていたのである。結論として本論は、一枚岩の抑圧的体制と思われがちな社会主義体制のプロジェクトのなかに、実は多様な想像力や実践のありかたが存在していたのだということを示唆する。
著者
森下 伸也
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.1, pp.24-32, 2002-05-25

社会が猛烈な速度で変化している。その結果、人間の生理的限界を超えるところまで生活が慌ただしくなり、生活世界が破壊されるにいたっている。このアリス的速度の元凶はグローバル化である。市場原理主義にもとづくアメリカ一極集中型のグローバル化は、南北問題や環境問題もさらに深刻化させるであろう。また、個人はグローバル市場経済の猛威に直接対峙させられることになる。この危機に対する反応として、世界各地に新しいタイプのナショナリズムや反グローバル化運動が出現している。この危機的状況を突破するには、国家が中間集団、セーフティネット、生活者の相互扶助機構として再構築されることが最も重要である。ところが日本にあっては、政治家も国民もこのことを理解していないため、市場原理主義に翻弄されるままで、失業率や自殺率の急速な上昇を招いている。同時に日本では、高度消費社会がもたらす決楽主義や金銭崇拝のために、過労死、社会的ひきこもり、少子化、学級崩壊、公共道徳・職業道徳の著しい低下といった現象に象徴される人的資源の喪失と劣化が急速に進んでおり、将来の日本社会の展望を非常に暗いものにしている。このような時代状況はしかし、まさしく社会そのものを原理的に問う社会学者の出番であろう。いまこそ日本の社会学者は、その存在理由をかけて、全体社会への構想力をとりもどし、雄弁に語ることにチャレンジしなければならない。
著者
宮本 みち子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.5, pp.6-15, 2006-05-27

青年期から成人期への移行の時期は、従来の青年期や成人期の枠組みでは理解できない独自のステージとして立ち現れている。それが若者世代にとって、 可動性と選択の自由が保障された新しい時代の幕明けになるためには、多くの検討が,必要である。しかし、日本では近年まで、「移行期」が明確に意識されることはなく、研究士も社会政策上も議論は未発達のままであった。欧米諸国の研究や政策の展開をみると、学校から仕事へのストレートな移行をモデルとする政策だけでは、変化する実態に対応できないという認識に転じている。その結果、移行期の発達を保障するために、若年者労働市場政策の多様化が生じている。有給雇用に至らない、訓練的、ボランティア的性格の活動や、ソーシャルサービスやユースサービスなどの非営利セクターにおける活動が、移行期の若者にとって重要な意味と役割を有しているとするものである。1つ目のタイプは、訓練的、ボランティア的性格を帯びた活動を移行的労働市場とし、これを職業に到達する道筋として位置付け、これらの領域における積極的活動を支援する政策である。2つ目のタイプは、ソーシャルサービスとユースサービスなどの非営利活動を労働の観点から見直し、そこでの活動を通して、学習や訓練や展用へといざなうものである。3つ目は、コミュニティにおけるノンフォーマル学習を、若者の内的動機作りに有効と位置付ける政策である。