- 著者
-
呉屋 淳子
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.199, pp.171-211, 2015-12-25
近年,学校教育のなかで民俗芸能が積極的に行われている。学校教育で教えられている民俗芸能を見てみると,その在りようは,年々多様化している。特に,2006(平成18)年の教育基本法改訂に伴い,『新学習指導要領』のなかで「伝統の継承」に関する文言が明記され,正規の教育課程でも「伝統と文化」に関わる教科・科目の導入が顕著となってきている。本稿で取り上げる沖縄県八重山諸島石垣島に所在する3つの高等学校で導入された八重山芸能も,『高等学校学習指導要領』改訂に伴う教育課程の再編成によって実施されている。また,学校教育で民俗芸能の教育が導入される状況は,地域によってもさまざまである。たとえば,地域社会を主体として民俗芸能の継承を行うには,困難な状況となり,学校教育が民俗芸能の継承の一翼を担っている場合がある。本稿が対象とする八重山諸島は,地域社会だけでなく,八重山諸島の3つの高等学校のそれぞれの学校が主体となり,地域社会と相互に関わり合いながら民俗芸能の教育が行われている。そして,民俗芸能が地域と切り離されて教授されてきた訳ではなく,むしろ地域社会と密接な関わりを保ちながら行われていた。このようなことから,本稿では,八重山諸島の歴史的,社会的,文化的背景を踏まえて,現代八重山における八重山芸能の継承の現状と展開を,現在,3つの高等学校で行われている八重山芸能の教育の事例から明らかにする。その際,近世琉球期に八重山諸島と沖縄本島を行き来した人々がもたらした影響を通して,今日の八重山芸能がどのような人的交流を経て確立され,学校教育に取り入れられてきたのかについてみていく。具体的には,まず,廃藩置県以降,琉球王府に仕えた元役人の琉球古典芸能家が八重山諸島の人々へもたらした影響と,琉球古典芸能の八重山諸島への流入が八重山芸能の確立に与えた影響とその展開について検討する。次に,戦後の沖縄と八重山で芸能の普及に大きな役割を果たした「研究所」に着目しながら,芸能を継承する場の変化について指摘する。それらを踏まえて,現在,八重山の3高校の生徒および教員が八重山内外を移動することによって受ける沖縄本島や日本本土からの影響について検討し,八重山芸能が創造される過程について明らかにする。八重山の高等学校の事例を通して,今日の八重山芸能の継承と創造の過程について考察する。