著者
林 倫子
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.53-67, 2016 (Released:2016-06-20)
参考文献数
90
被引用文献数
2

宇治川電気株式会社(宇治電)による宇治川水力発電事業第一期工事では,初期の設計変更により水槽と水圧鉄管が平等院の宇治川対岸にあたる仏徳山(隣の朝日山含む,宮山とも表記される)の山腹に設けられることとなり,景勝地宇治の風致毀損が問題となったものの,本多静六による「風致復旧設計」により解決を見た.本研究では,同工事における風致対策の検討過程を明らかにした.その結果,宇治の風致対策として,本多案とは異なる方針や具体的手法が宇治電や地元保勝会より提案されていたこと,また大森鍾一京都府知事の意向が強く反映されて風致対策が決定されていたことが明らかとなった.
著者
平井 節生 羽藤 英二
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.96-114, 2022 (Released:2022-11-20)
参考文献数
39
被引用文献数
1

本論文は,関東大震災の復興橋梁群のデザインのレベルの高さに鑑み,それを実現し得た背景として,明治・大正期の造船及び鉄道橋製作の技術の進化があったのではないかという仮定に基づき,産業史的・技術史的視点で各業界の歴史をレビューするとともに,造船,鉄道橋梁,道路橋の各日本人技術者の最初の交差点となったと思われる1887(明治20)年竣工の吾妻橋を取り上げ,官・民で担当した技術者達に焦点を当てる.
著者
安井 雅彦
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.90-103, 2013 (Released:2013-07-19)
参考文献数
50

愛知県尾張地方西部の低平地を流れる日光川では,下流部における高潮災害および湛水被害への対応が長年の課題であったが,この解決のための河口締切が実現したのは1962(昭和37)年であった.この研究ではこれに至る経過をとりまとめ,対策の長期化に影響した要因を明らかにする.
著者
岩本 一将 山口 敬太 川崎 誠登 川﨑 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.67-80, 2019 (Released:2019-12-20)
参考文献数
119

本研究は,1900-1920年に電気軌道が開業した地方16都市を対象として,都市構造,事業形態,経営戦略の視点より路線選定の意図および特徴を分析し,電気軌道敷設による都市基盤形成の特質を明らかにした.成果は以下の通りである.1)路線選定について,沿線施設の特徴や市外線の有無より「市内完結」,「市域外遊覧地接続」,「都鄙連絡」の3傾向があったことを示した.2)電気軌道の輸送規模は各都市の人口と強く関係し,人口9万以上の都市では市内で完結し,人口8万以下では市外線が設けられたことを示した.3)民間資本による経営戦略を背景に,各都市の第一期計画路線は,鉄道や港等の交通拠点,官庁施設や中心市街地,娯楽施設を一本もしくは複数本で効率よく接続する選定がされたことを示した.
著者
中川 嵩章 齋藤 潮
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.5-20, 2021 (Released:2021-01-20)
参考文献数
81
被引用文献数
1

本研究は,法定都市計画以前の愛知県豊橋における,道路整備,遊廓移転,電気軌道敷設の都市整備事業について,史料収集,文献調査を行い,それらが複合的に推進された要因を明らかにした.土地の買収,貸付として利益を見込んだ豊橋市による遊廓移転は,都市整備事業に出費した費用を都市経営として賄う戦略であったと考えられる.そして,豊橋電気株式会社の役員らを発起人とする豊橋電気軌道(1次)の出願,特許にあたっては,豊橋電気株式会社が強い影響力を持っていたと考えられる.遊廓移転によって郊外の荒れ地約20,000坪を開発し,そこへ道路を開削,電気軌道を敷設する構想の背景には,豊橋電気株式会社の電気需要創出策があった可能性を指摘し,近代都市の経営という観点から官民が連携した総合的施策展開であると論じた.
著者
西山 孝樹 藤田 龍之 天野 光一
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.13-31, 2019 (Released:2019-02-20)
参考文献数
39
被引用文献数
1 2

わが国の近世以降に実施された社会基盤整備は,現代へ繋がる萌芽であったとされる.しかし,江戸幕府下に実施された先の整備は,一次史料から網羅的に明らかになっていないのが現状である. そこで本研究では,幕府が編纂した公式記録『徳川実紀』を用いて,江戸時代前中期に実施された道路行政政策に着目した.その結果,「道路」に関する記述は,維持管理等を定めた「規則の制定」に関する記述が最も多かった.一方,「道路」の新規造成や補修等,「道路施工」に関するものは非常に少ない状況であった.研究対象とした時代は,「道路」の維持管理は行われたものの,幕府直轄による道路造成は積極的に行われていなかった.幕藩体制を維持するために江戸へ攻め込まれることを防ぐ必要もあり,土木工事を抑えていたと推察される状況にあったことを示した.
著者
五十畑 弘
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.20-39, 2016 (Released:2016-03-20)
参考文献数
18

産業遺産や現在も供用下にある歴史的土木構造物に対する関心が高まりを見せている.これらの資産をまちづくりや地域活性化の視点から活用する動きもある.社会資本の老朽化に伴う長寿命化や耐震化対策の中で,構造物として求められる本来の機能を維持とともに,歴史的,文化的価値を継承するための保全は,供用下にある歴史的土木構造物に対して,大きな課題となりつつある. 本文では,世界遺産および重要文化財に指定された供用下にある土木構造物を対象として,歴史的土木構造物の評価と保全に関する調査を行った.得られた調査結果を相互に比較・分析をすることによって,供用下にある歴史的土木構造物の価値および保全について考察を行った.
著者
橋本 政子
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.43-52, 2014 (Released:2014-11-20)
参考文献数
43

哈大道路は,満洲国において計画整備されたハルビン(哈爾濱)-大連間を結ぶ約1,000kmの高速道路である.本研究は,哈大道路の計画整備の経緯及び計画内容の特徴を明らかにするとともに,高速道路計画史における意義について考察することを目的としている.研究の結果,以下3点を導出した.1) 1938年から1945年にわたって推進された哈大道路の計画整備の経緯を明らかにした.2) 哈大道路は,戦前に日本人技術者らが計画整備を推進した最初期の高速道路事業として位置づけられる.3) 哈大道路の設計思想には,同時代に先行整備されていたアウトバーンと共通する内容が確認された.哈大道路は,日本人技術者によって計画整備された本格的アウトバーンとしての先駆をなすものであったといえる.
著者
五十畑 弘 鈴木 淳司 上野 淳人 尾栢 茂
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.96-106, 2012 (Released:2012-09-20)
参考文献数
18

旧江ヶ崎跨線橋200ftトラス(常磐線隅田川橋梁)は,錬鉄から鋼に切り替わった比較的初期の鋼橋である.鉄道橋から道路橋に転用され,もう一度道路橋に再生される過程で,鋼材性能等の調査がされた.イングランドのハンディサイドで製作され輸入されたことは,すでに知られていたが,再生加工中に,部材表面の陽刻から,鋼材はスコットランドの製鉄会社からのものであることが確認された. 本論文では,部材再利用を通じて得られた知見や,新たに入手した19世紀後半における錬鉄,鋼材,製作工場等に関する文献によって,錬鉄から鋼へ切り替えが進められた時期における初期の鋼橋技術について考察を行った.この結果,錬鉄から鋼へ切り替わる時期における構造材としての鋼に対する当時の認識や,切り替えにおける技術的判断の過程が明らかとなった.
著者
金井 昭彦
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.12-27, 2017 (Released:2017-04-20)
参考文献数
44

19世紀のヨーロッパにおいては,大都市の駅舎にはトレイン・シェッドが建設され,駅空間のシンボルとして君臨してきたが,現在においてもその圧倒的な存在感は失われていない.この技術空間であるトレイン・シェッドは,列車や旅客防護等の基本的な機能に加え,ホーム上のすべての移動を妨げないようにスパンを増大し,蒸気機関車の排出する煤煙を処理することが求められた.しかしながら,本研究では,この機能的側面に加えて,当時の技術や時代背景,鉄道の大衆化や国際化に伴う都市の玄関ホールとしての役割などを,エンジニア・建築家の言説,あるいは芸術家たちの描写から読み取ることによって,トレイン・シェッドの象徴的側面を明らかにし,その存在理由を総括的に考察することを目的とする.
著者
宮下 秀樹
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.104-115, 2013 (Released:2013-10-18)
参考文献数
33
被引用文献数
1

裾花川末流部は,近世初頭に松平忠輝と家臣団により大規模な河川改修が行われているが,これは口碑伝承のみで確かな史料が存在しない.近年の都市開発により,現在の裾花川流域には慶長期の河川構造を確認できる痕跡は少ない.本稿では,地元に存在する江戸時代の古文書と,大正末期の長野市全図で確認できる河道の姿に明治初期の行政文書を加味して,帰納法的に慶長期における煤鼻川開発初期の形態の同定を試みた.その結果,煤鼻川は二線堤構造や霞堤を配置した甲州流の治水技術の流れを汲む工法が用いられていて,甲州系代官衆らにより進められた開発であったと推定できる.同時に旧煤鼻川氾濫地帯に北国街道丹波島・善光寺宿ルートが開設されるともに窪寺堰が開鑿されていることから,これらは治水・利水・街道整備を含めた総合開発であった.
著者
西山 孝樹 藤田 龍之
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.9-19, 2014 (Released:2014-07-18)
参考文献数
71
被引用文献数
1

わが国では,10世紀をピークとして9世紀から11世紀に「土木事業の空白期」が存在していた.その背景には,平安貴族を中心に土の掘削を忌み嫌う「犯土」思想が影響していたとみられる.そこで本研究では,空白期の存在をより明確にするため,当該の時代に設置された官職に着目した.土木と関わる官職が設置されていなければ,社会基盤整備を実施できなかったと考えられるからである. わが国の律令制度が倣った中国の唐および空白期と同時期に成立していた宋には,土木と関係する官職が設置されていた.一方,わが国の中央政府には土木事業を行う官職は設けられておらず,地方では災害発生時など臨時に設置されていたに過ぎなかった.9世紀から11世紀には,社会基盤整備に通じる事業を専門に掌っていた官職は存在していなかったことを本研究で示した.
著者
安井 雅彦
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.90-103, 2013

愛知県尾張地方西部の低平地を流れる日光川では,下流部における高潮災害および湛水被害への対応が長年の課題であったが,この解決のための河口締切が実現したのは1962(昭和37)年であった.この研究ではこれに至る経過をとりまとめ,対策の長期化に影響した要因を明らかにする.
著者
伊東 孝祐 大沢 昌玄 伊東 孝
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.1-11, 2017 (Released:2017-01-20)
参考文献数
101

本研究は今まで明らかにされていなかった1938(昭和13)年度まで予算の割付があった帝都復興事業の事業費および財源の全体像を明らかにするとともに,その後の災害復興への影響を考察することを目的としたものである.また関東大震災の復興計画と関連性が指摘されている後藤新平の八億円計画についても触れる.事業誌ならびに財政に関する資料を整理・分析した結果,i)帝都復興事業の規模は予算総額11億1,125万1,520 円,支出総額10億6,490万2,580円であったこと,ii)財源は,国は公債,地方は公債・国庫補助金・国庫貸付金が主であったこと,iii)地方執行事業に対して国庫補助,大蔵省預金部による低利融資,復興事業債への利子補給,外国債発行に対する元利保証といった財政的支援があったこと,を明らかにした.
著者
小川 徹 真田 純子
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.38-48, 2012 (Released:2012-06-20)
参考文献数
50
被引用文献数
2

国立公園などの自然風景地における利用と保護のバランスは,国立公園制度の開始前から現在に至るまで課題となっている.本研究では本多静六の風景利用策を取りあげ,風景利用策における個別の計画を整理した上で,本多自身が何を風景資源ととらえ,それを生かすためにどのような空間改変を考えていたのかを明らかにすることを目的とした.その結果,風景利用策の背後に4つの考え方があったこと,風景資源は,風景地全体のイメージ,風景地内部の眺め,その土地の特徴を良くあらわす植物や地形などのほか,本多自身が「こうあるべき」と思う理想像の場合もあったこと,しかしそれらを生かすための空間改変については相互に矛盾する部分もあったことを明らかにした.
著者
簗瀬 範彦
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.53-65, 2014 (Released:2014-11-20)
参考文献数
81

我が国の代表的な都市計画ツールである土地区画整理の起源は1899年制定の「耕地整理法」から始まり,関東大震災と戦災の復興事業の経験を踏まえ,現行の「土地区画整理法」として完成を見た.その後の現場での技術的な工夫の積み上げや1975年制定の「大都市地域における住宅及び住宅地の供給に関する特別措置法」の諸規定を踏まえ,1995年制定の「被災市街地復興特別措置法」として,災害復興への制度的な対応能力を発展させて来た.本研究は土地区画整理制度の骨格をなす「換地処分」を中心に制度の形成過程を体系的に整理,考察したものである. また,制度前史として,江戸期の慣行が耕地整理法に与えた影響,先行法とされる「土地区画改良ニ係ル件」の再評価,法令用語の定着過程等において,従来の見解に幾つかの修正を求めることができたものと考える.
著者
難波 匡甫
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.50-60, 2013 (Released:2013-04-19)
参考文献数
32

地盤沈下を背景に,東京と大阪では防潮堤,防潮水門等による高潮対策が講じられてきた.東北地方太平洋沖地震以降は,津波への対応強化が進められている.また,東京や大阪では近年の水質改善等にともない,河川や臨海部での水辺利用による地域活性化が積極的に図られている. こうした新たな社会状況下において,今後の高潮対策では防潮方式の多角的かつ抜本的な検討が必要であると考える.東京と大阪では,高潮対策における防潮方式に違いがあり,東京では陸地を防潮堤で囲い込む「輪中方式」が,大阪では河川本川に大型防潮水門を設置する「防潮水門方式」がそれぞれ採用されている.本研究は,高潮対策事業の経緯等から東京と大阪における防潮方式に違いが生じた要因を探ることにより,今後の防潮方式の抜本的な検討に寄与することが目的である.
著者
西村 勝広
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.1-9, 2018 (Released:2018-01-20)
参考文献数
18

古墳は古代の土木構造物である.近年,土木考古学という分野が提唱され,考古学のみではなく土木学的な研究の必要性が説かれている.本稿は,地方に所在する古墳時代前期の坊の塚古墳と後期の北山古墳群を事例に取り上げ,築造工法の合理性と変化について土木史の観点から論考した. 坊の塚古墳では,自然地形を合理的に利用した築造の可能性を考察した.また,墳丘と周壕をモデル化して,墳丘の盛土が周壕の掘削土によって合理的に賄われることを試論した.北山2号墳では,山麓部の傾斜面に墳丘を構築する場合の合理的な工程を,発掘調査から得られた平面図と土層断面図に基づいて復元した. これら築造時期の異なる古墳の合理性を比較し,古墳時代後期では工程の省力化が目立つことを示し,社会情勢の変化による古墳の普及と結び付けた.
著者
福井 次郎
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.28-41, 2017 (Released:2017-08-20)
参考文献数
19

大正後期から昭和前期に多数の橋梁を設計した増田淳は,個人ではなく設計事務所で設計業務を行っていた.しかし,この設計事務所の組織体制や,増田が全ての橋の設計の中心的立場であったかどうか等は不明であった.今回,旧独立行政法人土木研究所で発見された設計計算書,設計図に記入されている担当者のサイン,日付を分析し,設計事務所の組織体制,活動状況等を調査した.調査の結果,設計事務所の技術スタッフは約10名で,各職員の氏名や担当した構造物等が明らかとなった.その中で,稲葉健三は増田に劣らない設計技術を有しており,稲葉が設計事務所の中心的立場であったこと等が明らかとなった.
著者
笠松 明男 金井 萬造 長尾 義三
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.230-236, 1988

京都市の伏見地域は、豊臣秀吉の伏見城築城による城下町がその起源であったが、江戸時代以後は伏見奉行所の管轄下において、西国大名の参勤交代や京大坂間の河川水運の重要な中継地であり人口約3万人を数える一大港湾都市として栄えた。その保有舟数は700隻を数え、河川港湾でありながら東・西廻り航路のどの港町よりも大きな港湾であった。<BR>伏見港の発展をもたらした要因は、第一に豊臣秀吉の伏見城築城及び淀川 (宇治川) の改修と巨椋池の切り離し、角倉了以・了一父子による高瀬川運河開削というわが国の歴史的にも重要な土木工事の成果である。第二に、江戸時代中期頃の商品経済の発展に伴う、東海道 (大津~三条) の陸運物資が飽和状態となったため、琵琶湖水運が衰退し、代わって西廻り航路が発達したという、経済的要因に着目できる。<BR>しかし、鳥羽・伏見の戦いによる戦火と鉄道敷設という陸上交通の一大革命により、伏見港や淀川水運も他の河川水運と同様、一旦、衰退の兆しをみせるが、琵琶湖疏水 (明治23年) 及び鴨川運河 (明治27年) の開削により、再度脚光を浴びることになる。<BR>このような、伏見水運も鉄道と道路輸送の本格的な発展と淀川治水事業の進展により衰退し、昭和34年には、最後の舟溜まりの埋立が決定し、昭和40年伏見港はその歴史的な意義を閉じた。