著者
武井 〓朔 野村 哲
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.13-20, 2006-01-25
被引用文献数
2

関東山地と足尾山地とにはさまれた中新統堆積盆地を,前橋-熊谷堆積盆地と呼ぶことにする.この堆積盆地は,NW-SE方向に延び,幅30km前後,延長約100kmである.この堆積盆地は,そのほぼ中央部を通る鳥川-深谷線(断層)(新称)により,北帯と南帯とに分けられ,南帯ではさらに南縁部(下仁田構造帯や滑川帯)が識別できる.中新統は地表では大部分が南帯に分布するが,盆地北縁のすぐ北側にも小分布がある.中新統はその年代,層相,分布,構造などにもとづき,M-I(下部中新統),M-II(中部中新統下部),M-III(中部中新統〜上部中新統下部),およびM-IV(上部中新統上部)の4地層群に区分できる.地表の資料と,これまでに公表されている深坑井,地震探査などの資料をもとにして,この堆積盆地を横断する地下断面図を二つ作製した.その結果,地下構造についてつぎのような性格が明らかになった.まず北帯では中新統はほとんどM-IIIであり,北帯の南半部で層厚が大きく,構造は水平に近いが,北半部では北方向に向かって徐々に薄くなる.これに対し南帯ではM-I, M-II,およびM-IIIがみられる.このうちM-IとM-IIはその南側で厚く,北側に向かって薄くなる.いっぽうM-IIIは北側では厚いが,南側に向かって薄くなる.なお,M-IVは南帯の西部の地表に分布し,火山噴出堆積物からなる.堆積盆地の発達史に関しては,堆積は南縁帯から始まり,時代とともに堆積の中心が南から北へと移動したことがうかがえる.
著者
伊藤 俊方 高木 信彦 佐藤 健一 佐藤 寿則
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.363-369, 2007-09-25

能登半島地震の震源地に近い輪島市門前町において,自然ガンマ線探査を実施した.調査期間は,余震が続く4月19,20日である.探査はカーボーンによって行い,測線は国道249号に沿って実施した.探査期間中には震度1以上の有感地震は観測されていないが,M2.0以下の余震は数回発生しており,これらの発生時間におけるガンマ線強度の変化については,特定の傾向が得られなかった.三種類のガンマ線核種を用いた解析によると,ビスマスが急増する異常点がいくつかの地点で見出された.これらは地震断層に伴なう断裂の可能性がある.地震断層として発見された中野屋の県道では,すでに亀裂も修復されガンマ線強度の増加は認められなかった.今後は定点における長期連続測定を行い,余震前後のガンマ線強度変化を把握することによって,この手法が地震防災に活用できる可能性を検証する必要があると考えている.
著者
金 光男
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.287-300, 2006-07-25
被引用文献数
5

"御雇い外国人"Curt Adolph Netto(ネットー:ドイツ1847-1909)は,1873(明治6)-1877(明治10)年秋田県小坂鉱山において鉱山兼製鉱師として手腕を振るったのち,1877年10月東京大学の設立とともに理学部地質および採鉱冶金科採鉱冶金学教室に勤務し,その間多くの門下生を育成した日本鉱山学の恩人である.筆者は歴史資料の分析により,岩倉派遣団に同行し1873(明治6)年の春訪独した大島高任(1826-1901)がネットーとドイツのフライベルクにおいて契約し,小坂鉱山再興のためマンスフェルト式溶鉱炉を備えるドイツ式の製錬施設を購入したものと推定した.ネットーは1873(明治6)年11月来日する.ネットーの小坂鉱山への道のりについては,横浜を出港したのち箱館〜能代〜米代川を遡る海路によるルートが,吾妻(1974)により想定されていたが,筆者は滞日中彼が作製した幾枚かのスケッチを検討することによりネットーは1873(明治6)年11月横浜を出港し,同年11月7日に三陸海岸釜石湾に入港,大島がかつて開発した釜石鉱山(橋野鐵山)から東北に上陸,遠野街道〜奥州街道〜盛岡を経由し,同年12月17日柳沢分レを通過.津軽街道を経て陸路小坂鉱山に向かったことを明らかにした.ネットーの一枚のスケッチ「Japanische Kuste Dat. Dec. 7.73」は,太平洋上にある船上から釜石湾を眺望したものであり,それには蛇紋岩からなる早池峰山,ペルム系ホルンフェルスからなる片羽山,白亜系花崗岩からなる五葉山などの北上山系の高峰はもちろん,遠く奥羽脊梁山脈を構成する第四系火山秋田駒ヶ岳,焼石岳,栗駒山などの高山群までが描かれていることが明らかとされた.ネットーを乗せた船が入港するとき,釜石湾は年に一度あるかないかの好天により彼を出迎えたことが復元される.ネットーのスケッチを含む鉱山資料は,写真記録のほとんどなかった明治初期における貴重な科学史資料である.国内に残されるこれらの古い鉱山資料は,今後組織的に整理保管され専門家により再調査される必要がある.
著者
野村 正純
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.255-263, 2007-07-25
参考文献数
2
被引用文献数
2

能登半島地震(2007年3月25日発生,マグニチュード6.9)の震源地から約40km離れる旧七尾市において,震度5強が記録された.旧七尾市における地震被害の概要が本報告で述べられる.液状化や不同沈下のような特有な現象が七尾南湾の埋立地で頻繁に見られた.また,墓石転倒の被害は低い丘陵上の山の寺寺院群に集中した.転倒した墓石の方向から,旧七尾市での地震動は南北方向であったと推測できる.
著者
田崎 和江 中西 孝 鈴木 祐恵 佐藤 和也 森井 一誠 鈴木 健之
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.343-361, 2007-09-25
参考文献数
24
被引用文献数
2

2007年3月25日9時41分にマグニチュウド6.9の激震が石川県能登半島を襲い,舗装道路に大きなダメージを与え,交通網が寸断された.本研究調査団はGMサーベーメータを使用し,車によるカーボーン法と徒歩によるハンドボーン法の併用により,能登半島地震災害地の空間β線と舗装道路の亀裂,陥没,隆起,地滑り地帯におけるβ線を測定した.測定日は2007年4月4日から19日の間の4回であり,約240kmの距離を2-4台のGMサーベーメータで,毎回同じルートを往復して測定した.また,地震の被害がなかった金沢市内においても4月12日に測定を行い,災害地と比較した.2007年4月4日8:20に輪島市大沢において2300cpmを記録し,同日の13:20には古和秀水にて1500cpmを記録した.これはともにM3.8,深さ10km,震源地37.2N,136.7E,およびM3.3,比較的浅い震源37.2N,136.5Eの余震に合致した,舗装道路の亀裂,陥没,隆起,液状化の箇所は100-200cpmと高い値を示し,かつ,その場の大気はそれ以下であった.一方,地震被害のなかった金沢市内は40-80cpmと低い値を示した.空間β線計数率分布地図は地震の被害が大きい地域で高く,時間が経過するに従い低下することが明らかになった.
著者
中屋 志津男
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.113-129, 2006-03-25

紀伊半島四万十累帯音無川帯の古第三系暁新統〜下部始新統音無川層群は下半部が半遠洋性ないし遠洋性の堆積物,上半部が海底扇状地堆積物からなる.音無川帯は東西に延びる帯状構造を示し,南フェルゲンツの非対称褶曲と北傾斜のスラストからなる褶曲-スラスト構造が繰り返す地質構造で特徴づけられる.報告地域は本宮-皆地断層と古屋谷断層に境される1つの褶曲-スラスト構造からなる.音無川帯はプレート収束域に形成された付加体である.音無川付加体には,付加体形成時の褶曲構造(F1褶曲)と,音無川帯の帯状構造,褶曲-スラスト構造を屈曲変形させているF2褶曲が認められる.その1例として,F2褶曲によって複雑に屈曲している古屋谷断層について記載した.F2褶曲は北東-南西および北西-南東の二方向の褶曲軸を持つ共役褶曲である.これらの共役褶曲から求められた最大圧縮主応力(σ1)はほぼ東西である.音無川層群は堆積後付加体の形成によって帯状構造の方向に異方性の強い地質体になった.さらに前期中新世のころに,帯状構造にほぼ平行な圧縮応力を受けて共役褶曲が生じ,音無川付加体の屈曲構造が形成された.この共役褶曲による屈曲構造は太平洋プレートの運動によるものと解釈した.
著者
吉野 博厚
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.128-149, 1982-05-25

Neogene marine sediments and volcanics are widely distributed in the so called "North Fossa Magna" region. The Suwa District, located in the southwest corner of the region, contains the Median Tectonic Line and the Itoigawa-Shizuoka Tectonic Line, which have been active since the Neogene. In terms of geological structure, the Suwa District is divided into two geologically different areas by the Itoigawa-Shizuoka Tectonic Line. 1) The stratigraphy of the Miocene series in the Suwa District is as follows: The Miocene series in the Moriya Area, located on the south side of the Lake Suwa, is called the Moriya subgroup. This subgroup is divided into the lower Moriya formation, which consists of clastic sediments with basal conglomerate, and the upper Gongenzawa formation, which consists of volcanics. The Miocene series in the Yokokawagawa Area, located on the north side of the lake, is known as the Takabochi subgroup. This subgroup is divided into the lower Yokokawagawa formation, which consists of coarse clastic sediments with andesite, and the upper Takabocchi formation, which consists of fine clastic sediments with basalt. The Gongenzawa formation can be correlated with the Yokokawagawa formation, and both can be correlated with the Uchimura formation in the Uchimura region. The Takabocch formation can be correlated with the Kokuzo basalt in the Uchimura region. The intrusions of Tertiary Granitoids, which consist of granodiorite, quartzdiorite, porphyrite, dolerite and rhyolite, are widely developed in both areas. 2) On the basis of the assemblage of secondary minerals identified in the volcanic rocks, the alteration and/or metamorphic area can be divided into the following six zones: I: Mixed layer mineral-Saponite Zone II: Chlorite-Mixed lay V: Actinolite-Chlorite Zone VI: Biotite-Actinolite Zone The zonation and distribution indicate that the alteration and/or metamorphism resulted from thermal or hydrothermal effects on the Tertiary Granitoids. 3) The geologic development of the area, especilly in the Miocene is mentioned below: (1) The Miocene basin was formed by collapses and the creation of sedimentary basin along the Median Tectonic Line in the Moriya stage. (2) Widespread and strong volcanism took place with collapses again in the Uchimura stage. At that time the center of the basin shifted northwards. (3) Plutonism and related metamorphism took place after the subsidence of the basin stopped. (4) After the plutonism an upheaval movement generated the volcano-plutonism at the crest of the area of maximum upheaval. This was accompanied simultaneously by hydrothermal alteration along the faults.
著者
ジャブカラン オトゴンクウ 高須 晃 カビール ファッツル バトウルツ ダッシュ
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.89-96, 2014-03-25

モンゴル南西部のLake帯中のAlag Khadny変成コンプレックスは中央アジア造山帯(Central Asia Orogenic Belt: CAOB)中央部に位置する.この変成コンプレックスは主に正片麻岩からなり,その他に少量の雲母片岩を伴う.この正片麻岩はMaykhan Tsakhir累層の大理石層を挟在し,大理石層はさらにざくろ石-クロリトイド片岩のレンズ状岩体を包有している.また,正片麻岩中にはエクロジャイトのレンズ状岩体が存在する.エクロジャイトのピーク変成条件はこれまでに温度590-610℃,圧力20-22.5kbarが見積もられている.一方,ざくろ石-クロリトイド片岩の変成温度条件は560-590℃でエクロジャイトよりわずかに低温であるが,変成圧力条件は10-11kbarであり,エクロジャイトより著しく低圧である.本研究においてエクロジャイト岩体中に主に角閃石からなる小脈(角閃石-斜長石-フェンジャイト脈と角閃石-石英脈)が発達するのを見いだした.小脈は構成する鉱物種から2種に分けられる.角閃石-斜長石-フェンジャイト脈は角閃石(バロワ閃石,マグネシオホルンブレンド,エデン閃石),斜長石,フェンジャイトと少量のチタン石と石英よりなる.角閃石-石英脈は石英と角閃石(トレモラ閃石,マグネシオホルンブレンド)からなる.本研究において,エクロジャイト中の角閃石-斜長石-フェンジャイト脈から603±15MaのK-Ar角閃石年代と612±15Maのフェンジャイト年代を得た,また,角閃石-石英脈から602±15Maの角閃石年代を得た,これらはいずれもおよそ600Maの調和年代を示し,エクロジャイト岩体の上昇の年代として解釈できる.しかし,この年代は,これまでにエクロジャイトとざくろ石-クロリトイド片岩から報告されていたおよそ540Maの^<40>Ar/^<39>Arフェンジャイト年代よりも明らかに古い.本研究により報告する600Maの年代を示すエクロジャイト存在は,Alag Khadny変成コンプレックスのエクロジャイトには,異なる2種の上昇プロセスがあることを意味する.
著者
柴崎 直明
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.69, no.5, pp.267-282, 2015-09-25

2011年東北地方太平洋沖地震により引き起こされた,東京電力福島第一原子力発電所の深刻な事故から4年が経過したにもかかわらず,汚染水問題は解決していない.この問題は原発の廃炉作業のために解決しなくてはならないものの,かえって汚染水に関係する様々な問題が発生している.たとえば,原子炉およびタービン建屋に流入する地下水量を減らすための対策として運用されている地下水バイパスは,当初の想定よりも効果が低い.敷地付近の複雑な地質・地下水条件に関する調査や理解が不足して,東電や国が作成した水文地質断面図や地下水シミュレーションモデルは極めて単純なものになっている.そこで,福島第一原発敷地内の公開されたボーリング柱状図を活用して,主に泥岩や砂岩からなる大年寺層D_4の層相を解析し,局所的な範囲でも層相が大きく変化するとともに,地下水の流動状況を左右する可能性があることを明らかにした.また,福島第一原発の地質概要や汚染水のタンクの地盤問題,地質や地下水データの問題やそれに関係する地下水モデル解析の問題をレビューした.さらに,現在進めている建屋への地下水流入量削減のための地下水バイパスや凍土壁の建設,サブドレンの運用等に関する地質学的課題を指摘した.
著者
田崎 和江 馬場 奈緒子 佐藤 和也 奥野 正幸 福士 圭介
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.281-292, 2007-07-25
被引用文献数
3

2007年3月25日9時41分にマグニチュード6.9の地震が石川県能登半島を襲った.その折,水道が断水し,住民は周囲の井戸水,湧き水,山水を生活水として使用した.その水は地震直後から白色,灰色,茶色に濁り,2-3日から2週間続いた.本研究は被害地の住民からの聞き取り調査,現地における水質検査,採水試料を実験室に持ち帰り,蛍光X線分析,イオンクロマト分析,走査型電子顕微鏡観察を行った.地震前は中性であった井戸水が地震後にpH5.4-5.9と酸性になり,かつ, SO_4が非常に高くなり飲料不可となった.一方,中性であった温泉水がpH8とアルカリ性に変化し, NaCl含有量が高くなり,海水の浸入を示唆した.また,飲料水の6項目についての検査を行政に依頼したところ, 2箇所の水から基準以上の一般細菌と大腸菌が見つかり飲料不可となった.なお,この検査項目にはpHが含まれていないので,今後,災害時にはいち早く生活水についてpHや集落形成単位(CFU)を含めた水質検査が必要である.さらに,避難所における生活水はノロウィルスなどによる病気と直結しているため,行政による迅速な措置と指導が必要である.
著者
塩野 敏昭
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.273-285, 2008-07-25
被引用文献数
1

本論では,約1,000本のボーリング資料をもとに長野市北部地域の後背湿地堆積物の詳細な分布と層序を明らかにしてその堆積年代を考察した.また,N値や含水比の程度にもとづく軟弱地盤の細区分を行ない1941年に発生した長沼地震の被害と軟弱地盤との関係を検証した.得られた結論は以下のとおりである.1)長野市北部地域の後背湿地堆積物は,上位から第1粘土層,第2粘土層およびこれらに挟在される第1砂層,第2砂層,泥炭層に区分され,全層厚は最大40m近くに達する.第1粘土層は完新世(約1万年以降)に,第2粘土層は更新世の後期に対比される.2)後背湿地堆積物を工学的に評価し,N値4以下を示す軟質な第1粘土層とN値10以下を示す締りの緩い第1砂層を軟弱地盤と定義してその分布を明らかにした.本地域には北東-南西方向に延びる2列の地溝状を示す軟弱地盤地帯が存在し,それらの成因が長野盆地西縁断層に伴う盆地側の相対的な沈降によるものであることを述べた.3)長沼地震によって被災した地域は長野市北部の後背湿地堆積物と自然堤防の分布域に集中していることを明らかにした.被害状況と地盤の関係から盆地内における液状化被害は第1砂層を挟在する地域と一致し,揺れによる被害は,第1粘土層が分布する地域にあたるが,この状況をより詳しく見ると,被害は後背湿地堆積物の分布域の中央部よりもむしろ地溝状を示す軟弱地盤地帯の縁の部分に集中している.
著者
鈴木 尉元 原田 郁夫
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.60, no.6, pp.489-500, 2006-11-25
被引用文献数
1

2004年10月23日に発生した中越地震(M6.8)は,東山背斜南部の川口町北方約7km,深度13kmに発生した地震であるが,この地震にともなって,東山背斜から越後山脈との境界を流れる破間川・魚野川付近にまで余震活動が行われた.この地震に際して東山背斜にそって背斜状に隆起し,隆起量は小千谷・川口間で60cm以上に達した.中越地震の震度は,東山背斜とその周辺地域は震度6,新潟県中・南部は震度5を記録したが,この震度5は東北日本南部の各地で記録された.その内,能登半島北部から東京湾付近に至る西北西-東南東方向の震度4を示した帯状地帯の各地に出現した点が注目される.本州東北部の南部の地震活動は,2003年7月26日の宮城県北部地震以来活発化している.その活動域は,朝日山地・奥羽山脈・飯豊山地・越後山脈・足尾山地から構成される脊梁山地西側の信濃川地震帯,その東縁地域,阿武隈山地東縁ないし関東平野に至る地域からその太平洋沖合地域である.中越地震はその一端をなすもので,信濃川地震帯にそうものである.このような本州東北部の南部の地震活動が,西部,中央部,東部がお互いに相呼応して行われることは,1800年代以後の地震活動に共通してみられる傾向である.日本列島は,一辺40ないし50kmの一等三角点網に覆われていて,数10年に一回の割合で改測が行われている.これまで公表されている2回の改測結果の解析によると,最大剪断歪みの大きくなる地域はほぼ決まっており,破壊的地震はそのような地域に発生している.この歪みの集積する地域は,60kmないし120kmよりも深い地震の活動する地域に当たっていることから,この地帯は数10kmよりも深い根をもつものと考えられる.本州東北部の南部の地震活動が,10ないし20年前後の活動期に各所で行われるのは,本州が全体として隆起し,周辺海域が沈降する運動が進行する中で,本州の中の山地の隆起,平野と盆地の沈降運動が進行し,このような運動にともなって各構造単元の境界付近に歪みが集積し,それら各所の歪みが断層の活動にともなう地震活動によって解放されることによるものと考えられる.したがって地震予知の体制は,このような規模の地殻変動と地震活動の監視を基本とすべきであると考える.
著者
大和大峯研究グループ
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.287-300, 2005-09-25
被引用文献数
11

大和大峯研究グループは1970年以来,紀伊山地中央部の秩父帯・四万十帯を調査し,地質体区分を行ってきた.その区分に岩相層序区分単位である「層(Formation)」を用いたため,メランジュ相などで特徴付けられる付加体区分には不適切であった.本論文では,構造層序学の見地から区分単位として「コンプレックス(Complex)」を用いて,本地域の地質体を再定義し,必要に応じて模式地および地層名を変更する.本報告地域の秩父帯はジュラ紀中世(post-Toarcian)から白亜紀古世(Aptian)に,四万十帯は白亜紀新世(post-Cenomanian)にいずれも付加コンプレックスとして形成された.いずれも構造的下位へ形成年代が若くなる極性を示す.秩父帯形成後から四方十帯形成開始までの間には,時間間隙(約3000万年)がある.本地域の秩父帯と四万十帯は低角度の仏像構造線(大峯-大台スラストに相当)によって境される.この構造特性は,秩父帯と四万十帯の初生的な地質関係を示すものと考えられる.四万十帯形成後,四万十帯の地質構造を切る宇井スラストや平原スラストが生じ,四万十帯の付加体としての極性が乱された.さらに,東西方向・高角度の下多古川断層が形成され,北側の地質体が上昇した.中新世中期の火成活動と関連して,大滝-北角断層,入之波断層が生じ,各断層の東側の地質体が下降した.
著者
中川 登美雄 杉本 裕美
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.58, no.5, pp.295-304, 2004-09-25

石川県加賀市の大聖寺層から産出したEchinarachnius microthyroidesに見られる捕食痕について研究した.捕食痕は産出した241個体中120個体から見つかった.捕食痕率はカシパンウニの大きさにより大きく異なり,長さ28mm以下の個体では22.0%であるのに対して長さ28mm以上の個体では69.5%であった.円筒型で2〜3mmの修繕跡のない小さな径を持ち,酸によるエッチングが見られ,複数の穴が開けられている個体は6.7%とまれであることからLiracassis japonicaのように殻高数cmのトウカムリ科巻貝による捕食痕と考えられる.ほとんどの捕食痕は完全で,反口側に開けられていることから,捕食者はカシパンウニの上部(反口側)から襲いかかったものと推定される.Echinarachnius microthyroidesはトウカムリ科巻貝により捕食され,波の影響により浅い海に集積したと考えられる.
著者
鴈澤 好博 紀藤 典夫 貞方 昇
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.49, no.6, pp.379-390, 1995-11-25
被引用文献数
1

1994年7月12日に発生した北海道南西沖地震について,大規模な被災地域の一つである大成町平浜,宮野,太田地区で,野外調査および聞き取り調査を通して,地震と津波の自然科学的な側面,被災状況の実態を把握し,自然的な条件と人間の避難行動の相互の関わりを検討し,あわせて防災に関する提言を行った.津波は地震後,約5分から7分で西あるいは北西方向から浸入し,その高度は4m〜7m程度であった.また,津波による人的・経済的被害は地区により大きな違いが認められた.津波から人命を安全に守るためには,a)住民に「地震すなわち津波」の意識があること,b)地震後津波が襲来するまでの避難時間があること,c)避難経路および避難場所が確保されていること,d)防波堤などの対津波・高潮対策が十分であることが保証される必要がある.