著者
中尾 真理
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.40, pp.284-249, 2012-03

ヨーロッパで古くから栽培され、愛されてきたバラは中近東でも利用され、詩に歌われてきた歴史を持つ。本稿では「薔薇の文化史(その三)」として、地中海沿岸を中心に発達してきたバラ文化の源流ともいえる、中近東地域のバラ文化を「ルバーイヤート」やハーフィズの詩とともに概観する。次に十八世紀末に中国バラがヨーロッパに伝わった経緯を考える。バラは中国茶と共に伝わった。アジアの豊富な有用植物を求めて進出した、各国の東インド会社の主要取引商品のひとつが中国の茶だった。現代バラの代表はハイブリッド・ティー系のバラだが、ティー系の「ティー」は「茶」である。四季咲き性のある中国の庚申バラや、茶の香りのティー・ローズと掛け合わせることで、西洋のオールド・ローズはモダン・ローズへと華麗な変身をとげた。ハイブリッド・ティー系のバラは人工交配により生み出された、完全なる人工種である。「理想のバラ」を求めて、ヨーロッパのバラはさまざまに改良された。オールド・ローズからモダン・ローズへの改良の過程で、ナポレオンの妻ジョセフィーヌのようなバラ愛好家、コレクター、植物学者、プラント・ハンター、植物園の果たした役割についても考える。本稿をもって「薔薇の文化史」は完結する。
著者
中尾 和昇
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.46, pp.268-239, 2018-03

" 前稿に引き続き、馬琴合巻 『縁結文定紋』 (文政八年 [一八二五] 刊)の翻刻をおこない、簡単な解説を付した。 本作は浄瑠璃や歌舞伎でお馴染みの、いわゆる 〈八百屋お七もの〉〈お千代半兵衛もの〉 を組み込んだ作品である。本筋は単純な御家騒動物だが、演劇に見られる情緒的な趣向を重層的に織り込むことで、作品全体に起伏をもたらしている。また、悪人として造型される坊主吉三の形象から鑑みるに、本作は 「三人吉三廓初買」 において完成される 〈八百屋お七もの〉 の系譜に連なるものと考えられる。このほか、さまざまな演劇的趣向も盛り込まれている。"
著者
吉越 昭久
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.7, pp.p177-189, 1978-12

地域の水文環境の機構を明らかにするためには,水収支法などによって,水の量的な把握がなされなければならない.そこで本稿では,余呉湖流域をフィールドとして選び,水の循環機構を明らかにするため,その前提となる水の量的な把握に主眼点を置いた研究をおこなった.そこでまず,1961年から1970年までの10ケ年間の月別水収支の考察をおこない,余呉湖流域の水文特性を明らかにした後,流量・水質などの観測から,余呉湖流域への地下水流入量を検討した結果について論ずる.
著者
堤 博美
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.32, pp.21-40, 2004-03

筆者はこれまで、浪漫的詩人ヘルダリーンの全貌を解明しようとして、色々な角度から考察してきた。とくに才能と気質、運命と予感、ヒュペーリオンとディオティーマという三点に主眼を置いて論じた。今回は文体とモラル、自立への道、ズゼッテの愛という視点から詩人を観察したい。第一章の文体とモラルでは、ヘルダリーンの詩と小説と戯曲の中に範例を検索し、そこからその文体的特長を具体的に例示し、詩人特有の文体と徳性の関係を推断した。第二章ではヘルダリーンの書簡から自立への意志を読み取り、第三章ではズゼッテ(ディオティーマ)の手紙を抜粋引用して、彼女の愛と苦悩をつぶさに観察し、その光と影を呈示しようと試みた。
著者
宮坂 靖子
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.39, pp.75-89, 2011-03

本稿の目的は、アリエスらを中心とした西欧の社会史研究のインパクトを受けて始動した日本の家族社会学における近代家族論が、その後どのように展開してきたのかを考察することを通して、近代家族の成果と課題を明らかにすることである。日本の近代家族論は、第一段階の「概念生成期」(1985~90年)、第二段階の「論争期」(1990~2000年)、第三段階の「停滞期」(2000~2005年)と推移し、「近代家族」は近代国民国家とパラレルに成立したこと、「近代家族」にはヴァリエーションがあることなどの知見を共有化してきた。現在、第四段階(2005年~)の「脱構築期」を迎えているが、その契機となったのは、近代家族論をセクシュアリティ論の接合であった。近代家族論を脱構築するための一つの可能性として、セクシュアリティの視点から近代家族の情緒化プロセスにアプローチする研究を行う必要があると考えられる。
著者
塚田 秀雄
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.7, pp.p56-75, 1978-12

第二次大戦後のフィンランド農業および農村は激しい変化の波に洗われたが,その内,技術革新による農林業内部での労働力需要の減少と工業化・都市化の進展に伴う農村人口の流出は表裏一体の現象であり,他の北西ヨーロッパ諸国にも一般に見られるところである.これらに先立って,対ソ連敗戦の結果,東南部の穀倉地帯であった Karjalaカレリアを喪失したために,約40万人にのぼる難民の受入れ,入植というフィンランドに固有の問題もあった.これらについては地理学の側から幾つかの研究成果が発表され,主に南西沿岸地域と東部・北部の発達途上地域の構造的な対照が指摘されることが多かった.筆者も緊急開拓事業についての研究を展望する中で,農業の北進傾向と南部での集約化が北部からの撤退へと変りつつあることを指摘した.これらの研究は巨視的な観点に立つ地域構造分析が中心であり,農家・農民レベルの資料による事例研究は多いとはいえない.本稿でとりあげる北カレリアについては比較的詳細な研究があるが,農家なり村なりが具体的にどのように変容していったかといった問題意識によるものではない.本稿において筆者は東部フィンランドの辺境の村が主として1960年代にどのように変化したかを,上述の諸研究とは異った立場で,もっともミクロな観点から考えてみる.いわば農林業と人口の動きを中心にしたカレリアの一地方自治体のモノグラフである.このような研究が単独でもつ意味はあるいは小さいかも知れないが,多くの地域についてのこの種の研究の集積が巨視的な研究とは異った方向から地域研究に資するところがあると考えている.
著者
塚田 秀雄
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.5, pp.p129-143, 1976-12
被引用文献数
1

スウェーデンで1775年に法制化されたStorskifte は,当時その治下にあったフィンランドにも行われた.Isojako は Storskifte のフィン語訳であり,「大分割」を意味する.目的はそれまでの中世的耕地制度,村落機構,村落形態を近代的に改変し,新しい生産基盤を確立することにあった.本稿では,従来わが国においては殆んど知られていなかったスカンジナビアにおける農業革命の事例として, Isojako を紹介し,その意義を検討することにする.問題として,とりあげるのは,①ヨーロッパの農業中心における農業革命との対比,②農村の景観や機能の変化,③フィンランド国内にみられる対応の地域差が中心である.
著者
塚田 秀雄
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.6, pp.p62-77, 1977-12

筆者は前稿で、18世紀、スウェーデン統治下のフィンランドにおいて実施された Isojako 大分割と呼ばれる農地および林地の再編成事業について紹介し、若干の考察を試みた。それは究極的には農家保有耕地の一筆統合によって耕地強制を廃し、合理的な農場経営を実現することを目的としていた。実際には、公的、私的土地所有権の法制的整理や村落共同体の改編などの性格が付随したこともあって、この改革は農民の側の多様な対応を生んだ。この農業革命の進展については、地域的な違いが大きかったが、筆者はその原因を当時のフィンランド農村に行われた農法、林落形態、土地所有形態の地域差、換言すれば、スウェーデン的な南西部とよりスオミ的な東部および北部の間の経済的、社会的な構造上の相違にあることを指摘した。この一般的な考察に対し、別稿では Isojako の最先進地であったヴァーサ県のライビア藪区についてやや具体的にこの土地改革の過程と結果を考えてみた。いずれにしても、その後も継続して行われたこの農業革命を考えるについては、二つの点が看過出来ない重要性を有っている。一つは1809年に至ってフィンランドがスウェーデンの支配を離れて、ロシア皇帝によって統治される大公国となったこと.他の一つは1848年に土地改革の徹底と促進について新しい法律が施行されて,それまでの Isojako に対し、それ以後の事業を Uusjako 新分割と呼ぶに至った点である。従って本稿では、スウェーデンで行われた Enskifte 一筆分割、 Lagaskifte 法分割と対比しながら Uusjako 実施までの、ロシア統治下の Isojako についてまず概観し、次いで1948年以後のUusjakoの進展とその成果について考察する。
著者
池田 碩
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.17, pp.p99-114, 1989-03

筆者は気候を異にする世界の諸地域で,花崗岩にみられる地形の相異を,気候地形学・組織地形学的立場から調査し,いくつかの地域についてはすでに報告を行なってきた.今回は,1987年8月に調査したフランス南部の地中海性気候下に位置する Corsica (Co-rse) 島の花崗岩地形について報告する.短期間の調査結果だが,既存の文献・資料と合せ紹介したい.花崗岩地形は,その特徴的な地形景観をできるだけその周囲とのかかわりを含めて理解できるように写真で示したので,本論ではそれに沿って説明を加えていくことにする.
著者
田井 康雄
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.16, pp.p22-38, 1987-12

現代日本の教育状況の荒廃ぶりには,目をおおうものがある.教育の中心現場としての家庭・学校が,「教育の場」という名に値しないものにすらなってきているのである.多くの親達は自分達の子どもに対する教育権や教育義務の真の意味を履き違えて,自らにはまったく子どもに対する教育責任を感じていない.その結果,家庭における子どもに対する反教育的影響の氾濫,さらに,その反教育的影響が子どもの人間形成をいかに大きく左右しているかは想像に難くないのである.一方,学校教育についても,子どもに関するあらゆる問題の責任を担える状況にないにもかかわらず,学校に対する教育期待は増大する一方である.その結果,今まで学校教育の表面にはあらわれてこなかった様々の問題が顕在化してきているのである.つまり,家庭教育の中で本来行われるべき情操教育,道徳教育,宗教教育,さらには,それらを基礎にする全人教育が,家庭で親にまったく顧みられず,しかも,その結果顕在化している教育諸問題の対症療法的対策が学校に求められているのである.
著者
田中 良
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.24, pp.37-47, 1996-03

ベッケットが『ゴドーを待ちながら』で表現した通り、待つことは、十九世紀のジュリアン・ソレルやラスティニャックが抱いた野心とは全く別の、二十世紀の文学的テーマである。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』では、この待つことがとりわけ重要なエピソードにおいて活用されている・本稿のテーマは、この小説に表れる様々な待つという行為あるいは状態を具体的に検証し、その機能と作者の意図を考察することにある。 第一に、待つことはプルースト的想像力にとっての磁場であった。確かに主人公は、ルーサンヴィルではその土地の女性の出現を求めて森をさまよい、ブーローニュの森ではスワン夫人を、パリの通りではゲルマント公爵夫人を待ち伏せながらも、そのどれにも成功していない。しかし彼にとって重要なことは、その待ち伏せによる実際的な接触より以上に、彼女達を待っている間での欲望と想像力の高揚であった。たとえステルマリア夫人との夕食の約束が直前にキャンセルされたとしても、彼はその時が来るのを待つ間に、約束していたブーローニュの森のレストランで彼女との官能的な夜を十分満喫していた。 第二に、待っことは変容の場であった。実際、主人公が何かを待っているとき、待たれているものは現れず・全く別の事態が生じている。シャンゼリゼ公園でのジルベルトとの再会、バルベックの海辺での少女達との出会い、シャルリュスの「変身」、サン・ルーの残酷さ、祖母の病気、二度のレミニサンス、などに関わる重要な場面は全て、主人公が何か別のものを待っているときに展開している。これはプルーストの語りの技法の問題であると同時に、偶然性を重んじるプルーストの思想の問題でもある。 要するに待っことは、方法論の上でも内容の上でも、『失われた時を求めて』にとって不可欠な要素であったといえる。
著者
青木 芳夫
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p59-77, 1991-03

1989年11月20日、第44回国連総会は、無投票、全会一致で「子供の権利に関する条約」(略称、子供の権利条約)を採択した。1959年の国連「子供の権利宣言」が、ここに権利条約へと発展を遂げたのである。そして、1990年8月末までに、31ヵ国が批准したことにより、権利条約は9月2日に発効した。さらに105ヵ国が、「署名」によって将来批准する意思のあることを示している。日本は、ニューヨークの国連本部における「子供のための世界サミット」の開幕を直前に控えた9月22日、ようやく署名した。本稿では、これを機会に、筆者が専門としているラテンアメリカ地域、とくにペルーの子供について若干検討することにしたい。なお、筆者は、妻アンヘリカ・パロミーノとともに、1986年以来、「児童画の国際交流をすすめる画塾協会」(The Private Art School Society to Encourage Intemational Exchange of Children's Art 略称、The PASS )の交流事業を支援する機会を得た。そして、この交流相手のひとつとして、筆者自身が1985年に受講したケチュア語の集中講座を主催しているカトリック教会系の「解放の神学」の実践機関であるアンデス司牧研究所(Instituto de Pastoral Andina )を通じて紹介されたのが、やはりカトリック教会系の「子供を支援する会」(Asociacion Ayuda a la Ninez )であり、同機関が支援するストリート・チルドレン」のグループ「フチュイ・ルナ」(Huch' uy Runa )であった。この交流における筆者の体験等を通じて、ペルー・クスコの子供について、また日本のわれわれとの関わりについて、最近流行の用語を使うならば「国際化」はどうあるべきかについて、考えることにする。
著者
井上 薫
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.13, pp.p50-61, 1984-12

行基(六六八- 七四九)が狭山池(河内国丹比郡、大阪府南河内郡狭山町)を修理したことは、「天平十三年記」(泉高父編『行基年譜』収録) にみえ(第1表)、すなわち行基が造営・修理した灌概水利・交通関係の施設の名称・場所・規模などを列挙したなかに「狭山池河内国丹北郡狭山里」と記される。編者の泉高父について詳細は明らかでないが、建久七年(一一九六) ころまで生きた人で、『行基年譜』以外にも『泉高父私記』を書いている。すなわち『泉高父私記』が法空の『上宮太子拾遺記』第二巻(『大日本仏教全書』本) に引用されており、『泉高父私記』は本元興寺と、その北僧房に安置した弥勒石像の所在・形像などを『七大寺巡礼記』などによって考証し、かつ建久七年炎上のことを記している。
著者
中尾 真理
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.43, pp.23-39, 2015-03

ジョイスが二十二歳から二十六歳の時に書いた短編小説集『ダブリンの人びと』はその後の作品のテーマに発展する要素を多く含んでいるが、「ラヴ・ストーリー」と呼べる物語はその中にはない。反対に「愛の欠如」をテーマとした短編は幾つかある。「痛ましい事件」もその一つである。これは審美家で、俗世間からできるだけ距離を保って暮らしている、独身の中年銀行家が恋愛を取り逃がす物語である。ダッフィ氏は音楽会の会場でたまたま隣り合わせた女性(シニコウ夫人)と、親交を深める。だが、感受性の強いシニコウ夫人が肉体的接触を求めるそぶりをしたことに驚き、「魂の救いがたい孤独」を主張して一方的に交際を打ち切ってしまう。四年後、ダッフィ氏はシニコウ夫人が、飲酒癖により鉄道事故で命を失くしたことを知って驚愕する。語り手はその直前まで、ダッフィ氏の内面を語ることをしないが、後半、ダッフィ氏が女性の死を知った後は一転して、ダッフィ氏の内面に視点を合わせ、彼が愛の喪失を認め、自己覚醒する過程を綿密に描き出す。ダッフィ氏は自説を主張するのに忙しく、シニコウ夫人の孤独に思い至らなかったのだ。本稿では、中年の銀行家が若い人妻と親密になるという、よく似た設定の同時代の作品、チェーホフの「犬を連れた奥さん」(1899)と比較することによって、「痛ましい事件」の作品理解を深めることにする。ラヴ・ストーリーである「犬を連れた奥さん」の内面描写と比較することによって、ジョイスの短編小説の特質を明らかにし、その戦略と技巧を解き明かすのが目的である。
著者
大田 壮一郎
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.44, pp.206-188, 2016-03

財団法人阪本龍門文庫蔵『春日若宮拝殿方諸日記』は、室町時代後期に行われた春日若宮祭礼(現在の「おん祭」を記録した冊子である。前半の内容は寛正六年(1465)に足利義政が見物した若宮祭礼、後半は前年の大和国内の騒乱により延期になり翌応仁元年(1467)に行われた若宮祭礼の記録である。足利義満以来、室町殿(足利将軍家の家長)はたびたび南都を訪れ春日社に参詣した。これについて参詣者側の記録は比較的多いが、本史料は春日若宮社側の記録という点に特色がある。また、筒井氏をはじめ衆徒・国民の姿や、金春大夫ら大和猿楽四座の記事も確認される。このように、本史料は中世南都の資料として広く知られるべき内容を含むことから、ここに全文の翻刻を行った。
著者
豊島 直博
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.44, pp.93-98, 2016-03

斑鳩大塚古墳は奈良県生駒郡斑鳩町に所在する直径35mの円墳である。1954年に最初の発掘調査が行われたが、正確な墳丘の規模や形は明らかにされなかった。奈良大学文学部文化財学科は斑鳩町教育委員会と共同で、2013年から斑鳩大塚古墳の調査を開始した。測量調査、地中レーダー探査、2度の発掘調査によって、①古墳は幅約8m、深さ約80cmの周濠をもつこと、②円墳ではなく、前方部をもつこと、③円筒埴輪、形象埴輪が樹立されていたこと、④古墳時代中期前半(5世紀前半)に築造されたことなどが明らかになった。今後は前方部の規模を確定すること、段築成や葦石、埴輪の残存状況など、墳丘本体に関する情報を得ることが課題であり、発掘調査を継続する予定である。
著者
菅野 正
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.20, pp.p23-37, 1992-03

資本主義列国の中国進出の中で展開された辛亥革命に対し、日本が如何に対応したかを、福建に限って検討する。進出を計る日本は、義和団事変時の「厦門占領事件」の再現かと猜疑の目で見られ、殆ど動きがとれなかったのに対し、米国は、動乱の際の支援、都督府成立後の府内での「親米派」の形成、米国借款の成立と、その地歩を固めた。そして、不割譲宣言以来、日本の勢力範囲である筈の福建での実績を確固たるものにせんとしたのが、二十一ケ条要求中の、福建条項であった。
著者
中尾 真理
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.34, pp.33-44, 2006-03

T.S.エリオットの子供向けの詩集『ポッサムおじさんの現実味のある猫の本』と、その中の「謎の猫マカヴィティ」をとりあげる。エリオットはこの詩集でも、『不思議の国のアリス』や『マザー・グース』から親しみのある言葉やリズムを効果的に利用している。ここに登場する猫たちは擬人化されているが、いかにもロンドンの猫らしく、泥棒猫、手品師猫、鉄道猫など、その生態もさまざまである。その中で、「謎の猫マカヴィティ」には、コナン・ドイルの有名な探偵小説を下敷きにし、猫の正体を問う謎々が仕掛けられている。手がかりはこの猫が「犯罪のナポレオン」と呼ばれていること。本稿は「謎の猫マカヴィティ」を読み、エリオットらしい諧謔に満ちたノンセンス詩に仕掛けられた謎を解く。「ポッサムおじさん」の仮面に隠された大詩人の知られざる一面に近づくための覚え書きである。
著者
鈴木 弘道
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.4, pp.p1-10, 1975-12

従来、御伽草子、「鉢かづき」 における変装の趣向や物語の原拠につき、詳細な考察を試みた研究はあまり見られないので、ここに、私はかなり大胆な試論を展開してみようと思う。
著者
池田 一郎
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.4, pp.p101-104, 1975-12

幼稚園・保育所で使用される所謂"お"ことばの乱川については従来多く論じられてきたところである.これはつぎの朝日新聞への投書欄から引用されたものが代表しているであろう.去年幼稚園にはいった長男が「お汽車がシユッ・シユッ,お汽車がシユッポッポ」と歌っている.「お母さまお始まりになっちゃうよ」のヒ"お始まり"をやっと聞きなれた耳にこんどは"お汽車".変だと思われることぽにもいつのまにかマヒしてしまう.ある奥さまの"お幼稚園""お髪""おミシン"なども聞きなれれぽさきほど変にも感じなくなってきた.しかしこういう極端にバカていねいな聞き苦しいことぽは,おたがいの問から早くなくしたいと思う.まず先生がたが正しいことばつかいのお手本を示していただきたい.現在幼稚園あるいは保育所の在籍者にさらに無認可の幼稚施設在籍者を含めてわが国幼児の殆んどをしめているとき,とくに最近3年保育が重視されはじめてからは幼児におけることぽの問題が極めて重要になってきた.幼児が長期間にわたって幼稚園語を使川することは成人語への移行という過程で再検討を要するのどはないかという点から幼稚園・保育所において多く使用されている"お"ことばについて考えてみたい.