著者
大坂 克之
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.161-171, 1999-02-10

平成10年1月9日,今年の最初のレッスンの日に,お母さんが自らワープロで作成した生育歴とコメントを持ってきてくれた。既に筆者は聞き取り調査をまとめていたのであるが,それを読んで感激した。大変な作業だったことは間違いない。お父さんからの手紙もそうであるが,子どもたちへの想いの強さや夫婦観・家族観に感銘を受けている。この御家族そして子どもにミュージック・ムーブメントを通して何をサポートできるのだろうか,日々前向きに悩んできた一年間の研究報告である。能力の開発や伸長,改善は大変重要なことであるが,子どもたちや家族の居場所と居心地の良さの確保と拡大がむしろ大切なことではないか,と考えるようになった昨今である。それに対してミュージック・ムーブメントで何を試し得るかを求めての奮闘中の研究報告の一部である。
著者
矢口 少子 中保 仁 亀淵 興紀 岡 信恵 谷川 忍 粥川 一成 長 和彦 古川 宇一
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.90-100, 1999-02-10

旭川市内にある小学校特殊学級1年生で「精神発達遅滞と注意欠陥症候群」と診断されているHちゃんの,家庭における「食器ならべ」学校における「一人でべんきょう」の実践を通して,特に「注意欠陥症候群」の状態像を明らかにし,そのかかわりを述べたものである。かかわり合いの中でHの多動の意味するものは,1つは「混乱している困っている自分を受け止めてほしい」ということ,そして「どうしたらよいのか教えてほしい」というアピールであり,もう1つは「学びたいの,学ぶことをさがしているの」という動きであり,「本当はほめてもらいたいと思っているのだ」という訴えではないかということを感じることができた。肯定的な受け入れと,好きなことや興味関心に沿った内容の提示と,つまづいたときは手を添える援助と,できたらおおいにほめるということで行動に落ち着きやまとまりをもたせることができるのではないか,その1事例としてとらえることができた。また一方でHを支える家庭への支援連携の在り方について大きな示唆を得た。
著者
飯岡 智子 瀬川 真砂子 古川 宇一〔他〕
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.51-56, 1996-03-15

旭川市愛育センターみどり学園では,TEACCHプログラムを導入して4年目となった。飯岡は自閉症児T君とコミュニケーションを深めることを試みた。学園での関わりの初期は,T君に嫌な存在・邪魔な人という印象を与えないよう,まるで腫れ物に触るかの様な関わり方しかできなかった。関わりの回数を重ね,さらに大学のプレイルームという構造化された環境での抽出指導を通して,手をつなぐこと,愛着行動がみられ,学園でも歯を磨かせるなどの関係の深まりが見られた。自由遊び場面(ラポートを形成する段階)と,プレイルームでの個別学習への取り組み場面の記録から,その変容を,飯岡自身をも対象化しながら報告する。
著者
牧野 博己
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.21-30, 1987-03-15

家庭ではふつうに話をするが幼稚園や学校ではひとことも話をしない子どもを緘黙という。我国では彼らは,情緒障害の一つとして特殊教育の対象ととらえられている。しかし,学校教育においてはその本態はあまり知られておらず,処遇についてもあいまいな状況におかれている。本研究は,最初に国内の先行研究の整理を行いながら,身近に7つの事例を得,親や学級担任から直接話をうかがい,内2例については筆者が直接かかわることができた。その経験から緘黙状態は,自我及び社会性の未発達による防衛機制の一つとして現れた適応障害であり,緘黙児は「特別に配慮された教育」の対象であることがより鮮明になった。ところが,緘黙に関する研究は主に医療機関,児童相談所,教育研究所で行われており,そこではさまざまな治療法が用いられ効果があげられていながら,それが学校教育にまで般化されていない。また学校では,軽度児の場合,周囲に迷惑にならないがゆえに放置される傾向にあり,重度児に至っては,問題とされながら指導の手だてが講じられないままになっているなど,いくつかの問題が明らかになった。同時に,早期教育,個別指導,養育者カウンセリング,学級における配慮などの必要性も明らかになり,緘黙の教育的処遇として,(1)緘黙本態に直接アプローチする特別な教育の場の設定,(2)養育者カウンセリングの実施,(3)学級の受け入れ体制の充実があげられ,この3者の連携によって指導がすすめられることを提言するに至った。
著者
若生 麻弥 郡司 竜平 岩出 幸夫 古川 宇一
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.163-170, 2003-02-05

特殊学級に通う小学2年生のA君(自閉症)との、見通しを持ち、A君が安心・納得して行動の切り替え がスムーズにできることを目指した取り組みについて述べたものである。構造化のアイディアを用いて、朝準備ボード、アナログ時計の勉強と合わせたA君個人の時間割ボード、一貫した接し方などの取り組みを行った。この間A君は、朝準備ボードやA君個人の時間割ボードを自分なりの使い方で用い、見通しを持つことができるようになり、行動の切りかえがスムーズにできるようになってきた。ごほうびとして用いた「やったね!」(=クルクルをしてもらえる)は行動の動機付けとなっただけでなく、若生と喜びを共感しあう関係を築いたと思われた。
著者
佐藤 美幸 米山 実 伊藤 則博
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.31-36, 1992-03-31

現在,日本の肥満の子どもたちは増加傾向にあり,子供の肥満は小児成人病の危険因子を持つとされ予防対策と早期治療が求められている。しかし学校における肥満児は身体の健康問題だけでなく心の健康にも問題を持ち,心身相互に作用して形成された悪循環の中にある。筆者は肥満児の心の問題を探るため内面へのアプローチを試み,道内における肥満児療育センターとして機能している道立有珠優健学園を研究のフィールドとし,自己像に関する調査を実施した。その結果,(1)肥満児は普通児に比べて自己に否定的で情動不安定,敏感性が強く意欲・強靭性に欠けるなど多くの因子において普通児との相違が見られた。(2)同じ肥満児でも性差がみられ,特に普通学級に在籍している肥満女子が極めてネガティブな自己を示した。これに対し(3)療育途中にある肥満児は情動不安定を残すものの他の因子において普通児との間に有意差が認められなかった。彼らには,(4)SCTの記述により意欲・強靭性の高まりや自己肯定への兆候がみられた。道立有珠優健学園における肥満児のための食事療法,運動療法をはじめとする環境設定のあり方や精神面でのケアを重視した子ども主体の自治会活動など多面的な実践が彼らに自己意識の変容をもたらし,理想自己に向けて成長する現実対処的な自己の形成^<1)>を促したと思われる。肥満児に対してはこのような全人格的指導が重要であり,今後は地域・学校保健の場においてこのようなアプローチが試みられることが望まれる。
著者
木村 隆 木村 尚美
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.89-96, 2002-02-05

7歳の自閉症の息子に対して,TEACCHプログラムが家庭で行えるかどうかを検討した。物理的構造化は,特別な壁を用いなくても,一つの場所を多目的に用いないという原則と視覚的シンボルを用いることで可能であった。スケジュールの視覚化・構造化は十分に行えていないが,始めと終わりを明確にする,手近なルーチンを確立することから始めることにした。コミュニケーションについては,受容性コミュニケーションでは聴覚だけでなく視覚刺激も併用することが必要と考えられた。表現性コミュニケーションでは,待つ姿勢と褒めることが大切と考えられた。社会性については,日常のルーチンの確立と並び余暇の過ごし方が重要と考えられた。継続的・一貫性のある治療・教育・訓練は今後の課題であり,我々養育者とともに教育者や行政に働きかけ,お互いに協力してより理想的な教育システムの構築が早期に望まれる。
著者
木村 隆 木村 尚美 古川 宇一
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.25-29, 2003-02-05

昨年は、自閉症の息子に対して、家庭内での物理的構造化の取り組みについて発表した。本年度はスケジュールの構造化について取り組みたいと目標を決め、試行錯誤しながら種々の検討を行った。当初のスケジュール表の失敗の原因が、息子が認知しづらいアイテムであり、かつ多ステップであったためと考え、写真カードを用いたシンプルなものを用い、1ステップ提示を行った。当初、日常生活はかなりカード提示で自分から行うことが可能だったが、次第に、従わなくなった。比較的文字が好きだったこともあり、思い切って文字カード提示をしたところ、現在に至るまで極めて良好に反応している。現在、多ステップ提示も可能となっており、システマチックなスケジュール表への移行も視野に入れることが出来つつある。子どもに対する認知へのアクセスは、その子どもの特性に応じて検討すべきと考えられた。
著者
木村 隆 木村 尚美 古川 宇一
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.30-34, 2003-02-05

近年、障害児・者に対するノーマライゼーションという考えが、注目を浴びている。ノーマライゼーションは障害に対する支援により、社会に参加できることを目的としていると解釈している。しかしながら、障害を持つ子どもがいかなる支援をもってしても競争社会に参加できる自信を得ることは困難である。私たちは、自分の子どものパーシャルインクルージョンを目指して、たとえ同情的なまなざしがあったとしても、子どもが社会に参加することが許されるような環境を作りたいと希望して、同級生に対して自閉症の理解を促す目的で自閉症の絵本の読みきかせを行った。働きかけに対する解析は不十分であったが、息子の親学級の子どもたちが、自閉症という病気が存在すること、息子の特性についての理解が図られたことは意義のあることだった。
著者
世羅 史子
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.75-80, 1989-03-11

「教育とは,共に未来を語ること。」大学時代胸に刻んだこの言葉を今ほど切ない位の願いを込めて繰り返した事があっただろうか。 かって,6年生を担任した時,次々と自分を追い抜いていく子ども達をくやしがって見せながらも,夢を,希望を,理想を,未来を,いずれ共に日本を築いていく仲間としての思いを込めて語り合う事は,たまらない喜びであった。1年生を受け持った時,仲間と共に社会に生きる力を一つ一つ身につけていく子ども達のけなげさに大人になる事の意味を重ね合わせ,愛おしさを募らせた。そして,たんぽぽ学級の子ども達と出会って5年。自らの語るべき未来がいかに狭く貧しいものであったか,生きるべき社会,子ども達の生活をいかに知らなかったか思い知らされた。子ども達は今現在を生きている。今を楽しく,豊かに伸び伸びと,その伸びやかさが未来に続いて拓かれる地域・社会であってほしい。全ての母親がこの子を生んでよかったと思える日本であってほしい。栗山に生まれ育った子ども達が通ってくる「たんぽぽ学級」。父母が働き生活する地域の中で遊び,学び,体を,心を鍛え,みがいてほしい。そんな出会いのできる学級,毎日のふれ合い,授業ができたら,こんな嬉しい事はない。その為の教育課程づくり,課題は大きく荷は重い。
著者
下田 卓朗*
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.95-98, 1988-03-15

心因性の場面緘黙(Elective mutism)は,ある特定の場面では貝のように口を閉ざし,人に対しての言語コミュニケーションをいっさい拒否する。その要因は古くから研究され,統計的には母子依存が強く,過敏,臆病,恥ずかしがりの傾向にある子どもなどに多く見られると言われている。最近の出現状況としては村本(1983)が北海道上川管内の小学校・中学校を調査して0.0369%の出現率であったことを報告している。このように数としてはまことに少数であるが,言語発達の著しい幼児期・児童期に言語コミュニケーションを持たないことは,その子の社会性の発達を考える上で憂慮されなければならない。本研究では2人の子どもの事例をとおして,緘黙児を理解するにはどのような方法でアプローチすればよいかを検討することにした。そして,それにはまずなによりも,これまで関わってきた人たちの証言から理解していくという方法と,もうひとつには,対象児との"遊び"というふれあいをとおして理解していくという2つの面から進めていくのが適切であると考えた。そうした方法で対象児をフォローし,形成要因,その理解という形で緘黙児を考察することによって"遊び"の中および"言葉"の中に秘められている子ども理解への鍵をつかむに至った。
著者
柴田 與志則
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.71-78, 1996-03-15

筆者は27年間の通常の学級における実践の反省を踏まえ,一人ひとりに応じた教育の実現をめざし,あらたに知的障害児学級での実践に取り組んでいる。S子はまったく言葉のない子であるが,好きな所で好きなことを全て受容することで,S子が心を開き,思いや気持ちなど持っているものを表出し,行動の変容が見られ,コミュニケーションが深まり,よりS子を理解することができた。
著者
平澤 治寿
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.45-50, 1988-03-15

今日,教育の荒廃が問題となっている。普通学校にあっては,落ちこぼれ・登校拒否・いじめ・校内暴力などの問題が依然として跡を絶たない。それには,学歴偏重社会・受験競争の過熱・核家族化などのさまざまな原因が考えられる。これらの問題について,望ましい解決策が早急に求められており,教育に携わる者の切実な願いとなっている。障害児教育実地指導で,われわれは,養護学校,盲・聾学校,北海道療育園の実状を学ぶことができたが,そこで,初めて「教育の原点」に巡り会うことができたような気がする。その時,痛切に感じだのは,今日の教育問題を考えていくにあたっては,障害児教育抜きには論ずることができないということであった。児童・生徒ひとりひとりの障害や発達の状況を多面的・総合的に把握した障害児教育のちみつな指導が,今,障害児のみならず健常児にも必要である。教育情勢の展開に伴い,教育改革が必要になっているけれども,学校教育を見直していく場合,こうした観点から教育現場をもう一度じっくり見詰め直すことが先決であると思われる。障害児教育,健常児の教育が,それぞれの分野のみの研究に終わらず,相互に学び合い,望ましい交流教育を進めていくとともに,両者が一体となって子どもの幸せを追求することができたなら,教育問題の見通しは明るくなってくると考えられる。
著者
池添 由技子 高橋 聡子 伊藤 則博
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.33-42, 1990-03-12

この研究は,調査を通じて北海道の障害児保育の実情と課題を明らかにし,子どもとその周りの全ての者が「共に育つ」には,どのような条件と方策が必要とされるのかについて考察することを目的とした。対象は,現在,障害児が在籍していると思われる北海道の幼稚園と保育園406園としたが,回収は316園,うち障害児は在籍228園,対象児童251名を今回の分析資料とすることができた。調査内容は大別して次の4点である。(1)受け入れ状況と園の体制,(2)保育内容と方法,(3)親・地域・専門機関との関わり,(4)保育者の考えと意識主な調査結果は次の通りであった。(1)保育形態では統合保育が多く,障害児の参加の仕方を工夫して保育している。(2)指導目標として基本的生活習慣・社会性が重点となっている。(3)統合保育による影響については,健常児は仲間を大切にする気持ち,障害児にとっては,他児への関心や模倣の現れがあげられた。(4)保育を行っていく上で健常児の親の理解が必須である。(5)保育方針に一貫性をもつためにも障害児の親,及び専門機関との十分な話し合い・連携が重要である。(6)統合保育の効果を認めるとともに,他方で疑問や現在の保育が不十分という回答もかなりあった。さらに,今後の課題として(1)障害児保育制度の確立,(2)障害児保育への財政的支援,(3)保育者の研修の機会とその必要性,が強調された。今後は,個々の事例に即して保育内容と方法を実践的に確かめていくことが課題となる。
著者
粥川 一成 中保 仁 岡 信恵 亀淵 興紀 谷川 忍 矢口 少子 長 和彦 古川 宇一
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.113-120, 1999-02-10

6年生の自閉的傾向を持ったA君は思春期を迎え,これまでに見られなかったような様々な行動が目につくようになった。A君とかかわりをもった粥川は,まず彼にふさわしい指示理解の方法を探った。その結果,絵または文字によるカード等を用いて視覚的に見通しを持たせる支援をすると,指示理解ができやすくなり,意欲的に行動できることがわかった。また,青年前期に求められるものとして「家事の分担」があげられるが,この取り組みとして家庭での「おつかい」ができることををめざした。この場合にも,視覚的に見通しの持てる絵または文字カードを提示するなど,一定の条件があれば取り組めると実感した。その実践を報告する。
著者
野村 ますみ
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.29-34, 1988-03-15

筆者が,はじめて,『たんぽぽ教室』を訪れ,障害を持つ子どもの母親と出会った時,その陽気で暖かい姿に,強い感銘を受けた。母親たちは,この教室に「なぜ,集まって来るのだろうか?」,「何を求めているのだろうか?」……この2つの疑問が,教室と筆者を強く結び付け,この研究の動機となった。近年,わが国の早期療育の制度や機関が充実されつつある。しかし,それらの相互の連携やシステム化という,新しい課題が出現してきたことも事実である。これは,早期療育のさまざまな実践や活動が重ねられているうちに,各機関が固有の役割を持ち専門化していくと共に,孤立化した状態を呈し始めたものを,再び,統合しようとする課題でもある。しかし,各地の早期療育の試みが,独自的歴史を持つが故に,この課題の解決は,それぞれの地域性を抜きにしては不可能なことだろう。そこで,筆者は,地域の志ある人々の連携による療育実践の原点ともいえる『たんぽぽ教室』の関係者の発言をとおして,地域の早期療育の課題を明確にしたい。方法として,この教室に参加した親・学生ボランティア・指導員(関係者)のそれぞれの立場から,『たんぽぽ教室』を含めた早期療育についての自由な意見を求め,面接調査を行った。その結果をまとめてみると,(1)子どもと親の双方へのアプローチは,発見から処遇までのいずれの場面においても必要とされているということ,(2)一人ひとりの子どもの健やかな成長への援助を考えた時,各機関の連携が必須の条件となると共に,療育者のしっかりとした考え方と技量が要求されること,(3)早期療育のシステム化には,専門的な機関はもとより,地域に生活する多くの人々の参加と協力が要件となること,の3点が中心的な内容であった。筆者は,親が進んで地域社会と接触を持ち,地域と子どもの橋わたしをすることが大切であり,また,住民が"共に考え,共に生きる"地域になることが,地域療育の未来に求められている姿であることを強調したい。
著者
石黒 一次
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.113-120, 1996-03-15

夏休みを間近に控え,校下の公園で過ごす一人の青年のことが,大きな話題となった。その青年は子供たちの遊びの中に分け入り,夕方暗くなるまで公園で過ごすことを毎日の楽しみとしているようであった。そうした青年の思いとは裏腹に,子供たちは大人と遊ぶことへの「遠慮や違和感」など,遊びの不自由さを次第に募らせていった。夕方になり子供たちが帰宅し始めると,青年は帰りそびれた子どもをいつまでもその場に留めた。その上,帰ろうとする仕草に逆上し,長々と怒鳴りつけることが度々あった。当然,子供たちの間では,「怖い人」「おかしい人」などのマイナスイメージが膨らみ公園で遊ぼうとする子供たちはその青年の姿をうかがい,避けるようになっていった。本論は,一青年のなげかけを通し,児童・父母・教職員が共通の基盤に立ち,これまでの人間関係やふれあいの在り方を振り返るなど,多くを学んだ実践事例を報告する。
著者
佐藤 満雄 佐藤 貴虎
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.213-221, 2002-02-05

特別な教育的ニーズという概念を打ち出したイギリスの特殊教育(ウォーノック報告等)を概観しながら日本との比較を試み,実際に現地調査を試みて,21世紀の我が国の特別支援教育の在り方について述べた。英国がインクルージョン理念のもとに教育改革を進めているのに対し,日本では障害児と健常児の二分法的なインテグレーション理念に基づく改革であることを指摘した。
著者
北川 和博
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.69-76, 1993-03-17

昭和48年,帯広市に通級制情緒障害学級が開設され,平成4年度で20年を迎えることとなった。本研究では,帯広市の情緒学級のあゆみを様々な角度から調査・検証し,その歴史的,地域的意義をまとめ,今後の展望を図ろうとするものである。調査の結果,20年の通級児童の数が174名をかぞえ,子どもの実態は自閉的傾向児,登校拒否傾向児をはじめとした集団内で適応しづらい子どもたちであるが,情緒学級は子どもの実態にかかわらず,普通学級および特殊学級から受け入れてきた。その変遷過程をたどると,自閉的傾向児主体からいわゆる「集団不適応」へと移り,その背景には,就学指導休載の変化,登校拒否傾向児の増加,乳幼児期の地域療育システムの充実等,時代の変動と,地域の実情に影響されていることが分かる。実践研究は,事例研究を重視しながら,疎通性を育て高めるための指導,個々の子どもに合った指導目標の確立,情緒障害児の効果的な諸検査と指導方法,コミュニケーションとしての言語指導へと積み上げられてきている。帯広の情緒障害教育が20年を経過した現在,自閉的傾向児主体の治療教育的役割から,普通学級の援助学級的役割を求められる時代となっているが,これはこの学級が歩み出そうとした開級当初の地域ニーズにもどった観がある。