出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ
巻号頁・発行日
vol.57, 2018-03-30
著者
大石 真澄
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ
巻号頁・発行日
vol.52, pp.183-214, 2016-03-25

本研究ノートは、日本の戦後、特に1950~70年代に科学・専門的知識がいかにしてビジュアルイメージとして受容されてきたか、の解明に関する分析の一部である。このために、学習図鑑を対象として、その書面の形式および書式に注目することで、受容者の経験を復元するという作業を行う。
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ
巻号頁・発行日
vol.56, pp.173-210, 2017-10-20

スティーヴン・ドッド『青春のことども――梶井基次郎の時代の生と死』(ハワイ大学プレス、2014)は、国際的な展望に立ち、梶井基次郎の世界を高く評価する論考と、ほとんどの作品の翻訳を収めた英語による初めての書物である。その論考部分は、欧米の諸分野の理論を援用し、国際的学際的な視野に立ち、日本のモダニズムをめぐる重大な課題を提起し、鋭い指摘に満ちている。創造的であろうとするあまり、理論の適用限界や文芸文化史の見渡しに問題が見受けられるが、それは決してドッド一人が抱える問題ではない。とくに1980年代までの日本の文芸批評の歴史的限界がはたらいている。本稿は、ドッドの広い視野に立つ挑戦を真に意義あるものにするために、文芸批評の方法を検討し、日本モダニズム研究に新しいステージを拓く試みである。
著者
稲賀 繁美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ
巻号頁・発行日
vol.54, pp.105-128, 2017-01-31

学術としての「美術史学」は全球化(globalize)できるか。この話題に関して、2005年にアイルランドのコークで国際会議が開かれ、報告書が2007年に刊行された。筆者は日本から唯一この企画への参加を求められ、コメントを提出した。本稿はこれを日本語に翻訳し、必要な増補を加えたものである。すでに原典刊行から8年を経過し、「全球化」は日本にも浸透をみせている話題である。だがなぜか日本での議論は希薄であり、また従来と同じく、一時の流行として処理され、日本美術史などの専門領域からは、問題意識が共有されるには至っていない。そうした状況に鑑み、本稿を研究ノートとして日本語でも読めるかたちで提供する。
著者
木下 昭
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.301-319, 2022-10-31

アジア太平洋戦争中、多くの地域で、後発の帝国であった日本が、欧米諸国にとってかわって統治権を得ることになった。この支配の交代によって生じた変化を被支配者がどのように受け止めたか、そのなかで新旧帝国間にいかなる関係が見いだせるか、これらを論じることは日本帝国に対する考察を深める上で極めて重要である。 この帝国支配の移行に伴って、日本が占領下で力を注いだのが日本語を中心とする教育である。なかでもフィリピンに注目すべきなのは、日本の侵攻により全土で普通教育が複数の帝国によって施された、アジアでは希有な地域となったことである。普通教育に用いる大規模な人的物的資源や言語能力などの被支配者への広範囲に及ぶ影響を鑑みるとき、この教育を要に帝国、そして帝国間関係を論じる意義は高い。そこで本稿では、日本占領下の普通教育に関するフィリピン人たちの記憶を回想録や聞き取り調査結果を使って分析し、日本による教育がフィリピン人たちにどのように意味づけられたのか、そのなかで先行したアメリカ支配がどのような影響を与えているのかを考察した。 日本占領が甚大な被害をもたらしたフィリピンで、日本の教育に対して人々が残した言葉には、恐怖や暴力の経験が生み出す「均質化の語り」だけではなく、積極的な評価もあった。この要因として注目したのは、民間人と軍人の二種類の日本人教員の存在である。民間人教員は派遣の要件が英語力であり、これが彼らの勤務に肯定的な認識をフィリピン人にもたらしたと考えられる。というのも、アメリカ統治下の教育により、英語がフィリピンで文明化と社会的地位を表象するようになっており、民間人教員はその能力ゆえに文明の基準に沿うことになったからである。 このことは、フィリピンのアメリカ化を打破するために導入した日本の普通教育が、アメリカの普通教育によって進んだ文明化を基盤としていたことを反映している。フィリピン人たちの日本統治下の記憶は、この新旧二帝国の普通教育政策のかみ合わせから生み出されたと考えられる。
著者
唐 権 劉 建輝 王 紫沁
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.131-172, 2021-03-31

来舶清人とは、清朝の頃に大陸から日本に渡航した中国人の中で、優れた教養を持っている一部の人たちに対する総称である。江戸中期に成立し、戦前まで広く使われていたが、戦後になると廃れてしまい、今や一部の美術史家と古美術愛好者の間でしか通用しなくなっている。しかし、この概念こそ、近世以来の日中文化交流ないし東アジア文化発展の歴史を解くための重要なツールではないか、と我々は考えている。来舶清人の中で名を後世に残した人物は、果たしてどのくらい数えられるか、という素朴な疑問から出発して、基礎データの整理作業に取り組んだ。本稿は、いわばその中間報告である。 本稿は3 つの部分からなっている。すなわち解説、参考文献と一覧表である。解説の部分はカテゴリーとしての来舶清人に注目し、概念としての特質、成立の経緯、日本文芸の世界における位置付け、我々が考えた来舶清人の外延などを説いている。参考文献の部分では、我々は来舶清人に関する日中両国の現存文献と関連の研究に可能な限りアクセスし、文献調査の結果を提示したものである。最後の一覧表は、上記の文献調査に基づいて作成したもので、計355 名の来舶清人に関する基礎データを、一人ひとりにまとめたものである。
著者
梁 媛淋
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.127-151, 2016-06-30

本稿は、1830年頃に譜代大名彦根井伊家で作成された分限帳を主な素材として、同家の身分構造を明らかにする。大名家の内部構造の解明は近世の政治体制を知るために重要であり、明治維新やそれに伴う武士身分の解体を考える手がかりとなるだろう。
著者
酒井 直樹
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.11-22, 2016-06-30

アジア太平洋戦争後の東アジアで、日本はアジアの近代化の寵児とみなされ、アジアで唯一の先進国と呼ばれてきた。冷戦秩序下のパックス・アメリカーナ(アメリカの支配下の平和の意味)で日本は、東アジアにおけるアメリカ合州国の反共政策の中枢の役割を担い、「下請けの帝国」の地位を与えられ、経済的・政治的な特別待遇を享受してきた。日本研究は、この状況下で、欧米研究者による地域研究と日本人研究者の日本文学・日本史の間の共犯構造の下で、育成されてきたと言ってよい。「失われた二十年」の後、地域研究としての日本研究も日本文化論としての日本研究も根本的な変身を迫られている。それは、東アジアの研究者の眼差しを無視した日本研究が最早成り立つことができないからで、これまでの日本文化論に典型的にみられる欧米と日本の間の文明論的な転移構造にもとづく日本研究を維持することができなくなってきたからである。これからの日本研究には、合州国と日本の植民地意識を同時に俎上にあげるような理論的な視点が重要になってきている。
著者
四方 朱子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.141-157, 2020-03-31

大江健三郎の初期短編の中に、「他人の足」(初出:『新潮』第54 巻第8 号、1957 年8 月)という脊椎カリエスの少年たちの物語があるが、このテクストは大江の文壇デビューの最初期に書かれているにもかかわらず、その後の大江小説の特徴を多く備えている。この短編を、その語り手が脊椎カリエス患者の当事者の一人称視点であることに注目し、分析することで、この短編が持つ複層的なゆらぎがもたらすリアリティを明らかにしたいと考える。
著者
野田 敦子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.119-140, 2020-03-31

従軍作家であった林芙美子の作品は、戦争協力時における葛藤に注目して考察される傾向がある。しかし往時は、多くの新聞や雑誌が日中戦争を支持し、太平洋戦争までのレールを敷いた。このため、戦争が支持されていた情勢を鑑みて、国策に沿う表現も考察する必要がある。また先行論では、初出後の書籍収録時における異同や伏せ字により、文脈の意味がどう変わったのかという考察はほとんどなされていない。だがそれを分析することは、女性と戦争との関わりを追うことに繫がり、戦時下の議論を深める一助になると考える。
著者
亀山 光明
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.93-110, 2021-03-31

2000 年代以降の近代日本宗教史研究において、「宗教 religion」なる概念が新たに西洋からもたらされることで、この列島土着の信念体系が再編成されていったことはもはや共通理解となっている。とくにこの方面の学説を日本に紹介し、リードしてきたのが宗教学者の磯前順一である。人類学者のタラル・アサドの議論を踏まえた磯前によると、近代日本の宗教概念では、「ビリーフ(教義等の言語化した信念体系)」と「プラクティス(儀礼的実践等の非言語的慣習行為)」の分断が生じ、前者がその中核となることで、後者は排除されていったという。そして近代日本仏教研究でも、いわゆるプロテスタント仏教概念と親和性を有するものとして磯前説は広く取り入れられてきたが、近年ではその見直しが唱えられている。 こうした研究史の動向を踏まえ、本稿は明治期を代表する持戒僧・釈雲照(1827 ~ 1909)の十善戒論を考察する。歴代の戒律復興運動の「残照」とも称される雲照は近代日本社会において戒律の定着を目指した幅広い活動を展開し、その営為は明治中期に全盛期を迎える。さらに本論では従来の「持戒―破戒」という従来の二元的構図に対し、在家教化のために戒律実践がいかに語られたのかに着目する。ここで雲照は儀礼や日々の勤行などの枠組みで「心」や「信」などの内面的領域を強調しながら、その実践の体系化に努めている。さらにその語りは、伝統的に非僧非俗を貫き易行としての「念仏」を唱えてきた浄土系教団に対抗しながら、十善戒こそが真の「易行」であり、文明の道徳社会に相応しい実践とするものであった。本稿はこの雲照の戒律言説の意義を近代日本宗教史に位置付けることを試みるものである。
著者
梁 嶸
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.231-252, 2016-06-30

中国の古代の正常な舌象に関する認識は二段階に分けられる。第一段階は傷寒病の患者を観察の対象とする段階であり、第二段階は正常な人を対象とする段階である。
著者
フィットレル アーロン
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.9-38, 2020-03-31

本稿では、二重文脈歌の翻訳方法について検討し、翻訳の改善に向けて、翻訳方法を提案してみた。