著者
網野 房子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.273-293, 1997-12-30 (Released:2018-03-27)

本稿の主要な目的は, 従来の韓国巫俗研究では, 世襲巫, 司祭という概念により考察されてきたタンゴルという宗教的職能者について, 憑依の側面以外の諸特徴に着目して, その宗教的世界を多面的に描くことである。これは, 憑依の有無を基準として事象を把えようとするシャーマニズム, シャーマン研究の分野からは注目されてこなかった側面だが, タンゴルの属性やその宗教的世界についてのより深い理解は, 世襲/降神という指標のみによっては得られないと思われる。ここでは「タンゴルの側から視る」という立場から主としてタンゴルの巫業活動に注目する。その結果, 第1に明らかなことは, タンゴルは儀礼的に人の生と死に関わる人であり, タンゴルの側からタンゴル自身が人の死と生に関わることの意味を問うた場合, タンゴルにとって死とは必ずしも不浄視されるものではなかった点が重要である。第2に, 死の儀礼を巫女は神と人を仲介すること, 神を喜ばせることと捉えており, 憑依の代わりに音楽が, 神と人を結ぶ技術として用いられており, タンゴルはきわめてすぐれた芸能をもつ集団でもあることが明らかとなる。
著者
杉本 良男
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.242-261, 2003-09-30 (Released:2018-03-22)

人類学において「比較」の方法は時代おくれのものとみなされ、また現地調査そのものも批判の対象になっている。そのような批判に過剰反応して、人類学の一部は、調査、民族誌記述比較など、従来の学問の中心的な営みとされてきた部分をそぎおとし、自己・主体に閉塞する私小説的な相貌を帯びてきている。ラドクリフ=ブラウンやマードックらによる科学主義的な比較研究は、みずからか神の視点に立つ普遍主義的前提にもとづいていたが、レヴィ=ストロース、デュモンらによる遠隔の比較には、西欧中心主義を相対化する視点が含まれていた。デュモンのいう宿命としての比較に対して、非西欧世界の人類学者にはさらに、比較の前提となる単一性、普遍性が外から与えられてきたという点で、大きく異なっている。人類の普遍性、人間の単一性とはキリスト教世界が浸透させてきた神話の意味があるが、このような普遍神話、単一神話は、非西欧世界のエリートによって受容され、定着させられてきた歴史もある。このような限界を意識した、いわば物象化された普遍性を前提とした比較の試みは、西欧中心主義を批判するとともに、人類学のあたらしい可能性をも示唆している。
著者
吉野 裕子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.134-159, 1980-09-30 (Released:2018-03-27)

In the serialized reports the writer gave in this journal's previous issues entitled "Studies on Ise Shrine, Part I-III, the contention is that what we conceive of as typically Japanese festivities observed and conducted in the Shrine were actually very much influenced by the old Chinese philosophical thinking of "Cosmic Dual Forces and Five Natural Elements' as envisioned in the enshrining of AMATERASU, the Imperial ancestral goddess in the Ise Shrine. She was the incarnation of the Chinese cosmic god of Tai-Yi, the mythical identification of the North Star and to the Geku goddess, the outer Shrine, the enshrining of the Big Dipper. While festivals observed at Ise Shrine are Imperial Household rituals, the thought of Cosmic Dual Forces and Five Natural Elements was also widely and forcefully applied and practiced in the public domain such as in the festivities, seasonal change customs and in conjurations to avoid ill omens and calamities. The present report is a study of such phenomena. According to ancient Chinese philosphy. CHAOS was the one and only absolute being in the primordial age. Out of this CHAOS, the light, clear and clean Yang (陽) atmosphere rose to form the Heavens while the dark, heavy and murky Yin (陰) atmosphere descended to form the land. Since the two poles of Yin (陰) and Yang (陽) are the spinoff from the same maternal substance, the CHAOS, their roots are identical and therefore, they would attract one another, mingle and react, and as a result, would produce the five natural elements of Wood, Fire, Earth, Metal and Water. Every phenomenon was categorized into one of these five natural elements. The colours, directions, seasons, times, virtues, sounds and the kinds of living creatures to such natural phenomena as thunder, wind and so forth were all conformed into one of these five natural elements. To illustrate, the wood spirit symbolizes the Spring of the seasons, blue is its colour, East is its direction, and Morning in time, while the Fire spirit symbolizes Summer, Red, South and Noon, and Metal, Autumn, White, West and Evening respectively. There was another thought regarding these five Natural Elements which was reactionary in its function:one was continuity and amity, while the other was conflict and struggle. Continuity and amity will bear Fire from the Wood while Fire will bear Earth and the Earth, the Metal and the Metal bears Water while Water bears Wood. This is the plus or positive factor relation. The conflict and struggle are negative or minus relation in which the Wood overcomes Earth, and Earth the Water and Water the Fire and Fire the Metal, with Metal overcoming the Wood. These two opposing and reactionary functions serve to guarantee the perpetuation of all living matter. What the Chinese emphasized most was the smooth transition of the four seasons. They believed that people should actively participate and assist the natural transition of seasons and to this end the ancient Chinese emperors wore blue clothes and blue jewels to meet the Wood spirit on the first day of Spring (calendar date) and walked out to the East suburb to personally welcome the Spring. By the same token. in summer they wore red clothes and red jewels and walked out to the South suburb. Thus, by personally greeting the four seasons, they encouraged the natural transition of the seasons. For the Japanese, a race dependent on rice crops, they too would seek a regulated transition of the four seasons and the principle practiced in China would be utilized and practiced.
著者
土佐林 義雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.16, no.3, pp.286-299, 1952

Kuwa or grave-posts of the Ainu are considered by the Ainu themselves to be sticks for the dead. Their possible origin from the hoe (kuwa in Japanese) was also once suggested. But there is nothing in their forms, varying from village to village, which can support such a view. Nor can there be any influence of Christianity in their. T or Y forms and X signs upon them. The author, analyzing not only their forms, but also the way in which strings are bound around them, came to the conclusion that the Ainu gravepost represents a part of the arrow-trap amakpo erected originally to avert evil spirits. In the folkbelief of the East, a magical power to subdue evil spirits is attributed to tightly-bound strings. A further proof is offered by the Ainu word ku wa (bow). In the northeastern district of Honshu, Japan, we find also the custom of erecting a bow on the grave. The author assumes that the custom probably originated in Korea or China.
著者
王 維
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.209-231, 1998-09-30 (Released:2018-03-27)

本稿では, 長崎華僑社会を一つのエスニック・グループとしてとらえ, 祭祀や芸能に焦点を当てることにより, 華僑文化のダイナミズムを再検討した。祭祀と芸能は, 変動するエスニシティにとって重要な意味をもつ文化要素である。日本華僑の場合, 住居, 服装, 生活様式など文化の日常的側面においては, 日本社会への同化の傾向が強い。その代わりに弁別的特徴として重要な役割を果たしてきたのが祭祀と芸能である。祭祀については次の3タイプに類型化することができる。1)「被受容祭祀」 : 江戸時代に日本人社会に受容され日本の祭と混淆して現在に受け継がれているもので, 「長崎くんち」に代表される。2)「伝統祭祀」 : 同郷組織等によって運営され, 華僑の寺院で行われる「普度勝会」(盂蘭盆)などの祭祀。3)「新伝統祭祀」 : 中華街の活性化を目的として, 近年に春節(旧正月)・元宵節等を再編して創造された新たな祭。旧来のエスニック・アイデンティティのシンボルとしての「伝統祭祀」は同郷組織によって維持されてきた。しかし, 第二世代は伝統祭祀への関心を失いつつあり, 長崎華僑社会は近年急速に変化を示している。それは, 特に「新伝統祭祀」ランタンフェスティバルの創設過程にみることができる。ランタンフェスティバルは, 政治的変化(日中国交正常化)を契機とし, 観光と地域活性化という新たなニーズによって, 新たなエスニック・アイデンティティのシンボルとして中華街を中心に創造されたものである。それに先だって, 中華街の二代目店主らは, 日本人店主らとともに, 新しい組織として中華街商店街振興組合を結成した。こうして, 長崎華僑のエスニック・アイデンティティは, 同郷組織を核とし「伝統祭祀」をシンボルとするものと, 振興組合を核とし「新伝統祭祀」をシンボルとするものとに二極化してきた。さらに, 長崎市は, 中華街で創設された「新伝統祭祀」を市全体の祭として取り込んだ。長崎は, 古くから華僑の文化を「被受容祭祀」として取り入れることにより, 自らの地域文化を構築してきたが, そうした過程が現代的な形で再生産されているととらえることも可能である。このように, エスニック・グループとしての長崎華僑社会は, 上位社会(日本社会及び長崎地域社会)や出身社会(本国)との交渉の中でエスニシティ再構成をしているのみならず, 上位社会に対しても影響を与え続けていると言えよう。
著者
煎本 孝
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.320-343, 2001-12-30 (Released:2018-03-27)

北海道阿寒湖畔において50年間続けられてきたまりも祭りは、アイヌの伝統的送り儀礼の形式を取り入れて創られた新しい祭りである。当初、この創られた伝統は、アイヌ本来の祭りではない、あるいはアイヌ文化を観光に利用しているという批判を受けることになった。しかし、祭りを主催するアイヌの人々は、この祭りは大自然への感謝祭であると語る。本稿では、まりも祭りの創造と変化の過程、それをめぐる語り、阿寒アイヌコタンと観光経済の関係、さらに現在行われているまりも祭りの分析から、アイヌの帰属性と民族的共生の過程を明らかにする。その結果、(1)アイヌの民族性の最も深い部分にある精神性の演出により、新しいアイヌ文化の創造が行われていること、(2)この祭りの創造と実行を通して民族的な共生関係が形成され、それが維持されていること、(3)そこでは、アイヌとしての民族的帰属性が、アイヌと和人とを含むより広い集団への帰属性に移行していること、が明らかになった。さらに、最後に、民族的共生関係の形成を可能にするのは、経済的理由や語りの技術によるだけではなく、異なる集団を越えて、それらを結び付ける人物の役割と人間性が重要であることを指摘した。
著者
秦 兆雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.68, no.4, pp.511-533, 2004

本研究は、中国湖北省の農村地域における招贅婚(妻方居住婚)に関する具体的な資料を提出し、招贅婿の改姓と復姓及び帰宗現象に焦点を当て、そのメカニズムを解明し、漢人社会の宗族規範と個人の選択について検討する試みである。宗族規範に基づく漢人社会では、夫方居住の嫁娶婚が正統的な婚姻形態であり、妻方居住の招贅婚はその逆だと文化的に見なされている。招贅婚の家族において岳父と婿は契約に基づいて同じ家族を形成しているが、それぞれは異なる系譜の一員として、異なる集団及び相互に対立する利害関係を代表しているため、たとえ婿が改姓して息子としての権利と義務を引き受けても、岳父と婿は同じ父系出自のアイデンティティを共有することは難しく、両者の関係は壊れやすい。父系理念としての宗族規範は、岳父の婿に村する改姓要求を正当化する理由と動機づけになる一方、婿の出身宗族に復帰する力としても作用している。従って、社会状況が婿にとって有利に変わると、彼らはしばしば復姓や帰宗の行動をとる。また、父系理念以外に、岳父と婿の個人または出身家族と宗族をめぐる社会的、経済的及び政治的な力関係や婿自身の性格などの要素も婿の復姓と帰宗に大きく作用していると考えられる。しかし、改姓した招贅婿の中には契約通りに自分の役割を果たし、復姓と帰宗を行っていない者もいる。そこには契約に関する社会的規範ならびに婿自身の性格や岳父側が優位に立つ社会的、経済的及び政治的状況などの要素が作用していると考えられる。また、息子を持たない家族は族内の「過継子」よりもむしろ族外の招贅婿を優先的に取る傾向も見られる。このような行為を合わせて考えてみれば、招贅婚における当事者は、宗族の規範よりもむしろ状況に応じて個人の利益を最優先にして社会関係を選択操作し、行動している傾向がみられる。このような宗族規範と個人の選択の相違により、招贅婿には多様な形態が見られる。改姓しない年眼婿と、改姓した後に復姓と帰宗をした終身婿という両極の間に、いくつかの形態をその連続線上でとらえることができる。招贅婿の改姓と復姓及び帰宗をめぐる折中国成立前後の動きは、宗族規範と個人の選択のゆらぎを示す事例として興味深い。その多くは、解放前岳父側の父系理念に従って一度改姓した婿が、解放後の劇的な社会変化を利用して、出身宗族の父系理念を優先させたものである。しかし、それは、必ずしも従来の内的な要因による両者または両宗族の力関係の変化ではなく、むしろ政権交代及びそれに伴う新しい国家政策が婿に有利になり、彼らの復姓と帰宗を可能にさせ、促進させた結果である。この現象は、解放後、国家の宗族に村する諸政策が、一方で強大な宗族の力と機能を弱めたが、他方では、弱小な宗族の機能と規範を強めているという両側面があることを示している。この意味で、本稿は従来の宗族研究の中で見落とされてきた土地改革と人民公社時期における宗族の実態を別の角度から明らかにし、弱小宗族の動きにも着目する必要性を示したと言える。
著者
吉江 貴文
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.23-43, 2003-06-30 (Released:2018-03-22)

本稿は、20世紀前半のボリビアで起こったカシーケ法廷代理人運動を事例として、文書という人工物が先住民社会の在来的土地制度に介入することでどのような波及効果がもたらされるのかを検討し、世界システムの拡張によって生じる中核と周辺の関係を人間と土地と文書の相互作用として捉えなおすものである。近代以降に起こった世界システムの拡張プロセスにおいて、土地にまつわる複数の文書記録が一定の社会内に循環することを制度的に確立させる過程の成立とそれに伴う文書使用の増大・普及は、周辺社会の在来的制度を中核へ接合する媒介として重要な役割を果たしてきた。元来土地所有の正当性を身体的経験に培われた知識や記憶への高い信頼に求めてきたアイマラ系先住民社会も、19世紀末以降に実施された農地改革と近代司法領域への包摂を契機として文書循環のプロセスに巻き込まれていく。それに対し、植民地時代の文書記録に出自を辿るカシーケ法廷代理人運動は、先住民社会の在来的土他制度を基礎付ける規範が、文書使用の増大・普及という支配的潮流に一方向的に飲み込まれることなく、近代司法領域において生き延びる可能性を一貫して模索しつづけた運動であった。本稿では、そうしたカシーケ法廷代理人運動の展開を検討することにより、地域に固有の文脈のなかで文書循環が成立していくプロセスの多様なあり方を明らかにした。
著者
松田 素二
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.205-226, 1997

文化相対主義は, 異文化と向き合うための強力な実践的行動指針を私たちに提供してきた。それは, 異文化接触の現場において, 私たちが「非人間的」であると感じる慣習に直面しても, それを無条件に容認すべきという不干渉の哲学であり, 異文化の慣習に直面した個人は, 理性的であるならば受容的に反応すべきという寛容の道徳としてあった。この寛容と不干渉の道徳律を支えてるのが, 共約不可能性のテーゼであった。自文化と異文化のあいだに, 普遍的心性とか人間本性という絶対項を設定することなく, 二つの文化を共約することは不可能なのだろうか。これに対して, 「可能である」という実践をしていたのが, 日本の初期アフリカニストたちであった。彼らは, 異なった者同士がその垣根をそのままにして, その間を跳躍して通交できるという実感をもった。彼らの「実感による通交」論は, いっけん極めて粗暴な議論にみえる。それは丸山真男が批判した, 日本文化の伝統に付随した「合理的ロゴスへの直反発と感覚的なるものへの傾斜」そのものだからだ。しかしながらこうした「実感信仰批判」にもかかわらず, 実感的異文化通交の可能性は指摘できる。一つは, 共約不可能性から出発しても両者の会話を促進することができるという認識である。しかしそれはたんに, 切断された二つの世界の住人が, 相互に語りの主体となって対話を積み重ねる過程にとどまらない。初期アフリカニストが強調したのは, 二つの世界の住人が生活の構えを共有しながら, 日常的思考の共鳴のなかで実感的に通交していくことなのである。こうした実感による異文化通交の認識を語ることは, じつは強大な近代の認識支配の様式とその実践過程に対する, 日常からの微細な抵抗の戦術に他ならないことも最後に指摘される。