著者
アンブライト マーク・S コーティス ロバート・B ボス ベティ
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.36-57, 2002

世界の多くの部分で刑事司法は21世紀に入り, 多くの未解決の問題に直面している.応報と厳罰の要求が続き, 犯罪者の社会復帰と再犯の防止の重要性の認識が後退し, 刑罰の基本目的に関する明確な理念が失われている.刑罰の目的は, 社会復帰と犯罪者の行動の変容なのだろうか. 一般予防・威嚇が目的なのだろうか.それとも単純な無能化,一定期間社会生活から引き離すことが目的なのだろうか.種々の目的が唱えられるが,裁判所が達成しようとするものについての混乱の拡大に寄与するだけである. 犯罪の被害者は,司法過程に参加する場がない. 司法制度が存在するのは, まさに個別市民が犯罪によって侵害されたからに他ならないのに, これはどうしたことであろうか.犯罪の被害者は現在の司法システムによって, ますます欲求不満に陥り,疎外されている.犯罪は「国家」に対するものと捉えられ, 国家の関心は正義の実現にある. 個々の犯罪被害者は司法のわきに取り残され,殆ど何の影響も与えることができない.犯罪被害者は二度被害に遭っていると感じることが多い.最初は犯罪によって,2 回目は刑事司法制度によって.刑事司法制度が直面するもうひとつの問題は, ますます厳しさを増す刑罰が犯罪行動を変容させるのに失敗しているということである.最後に, 矯正と拘禁にかかる費用の急増が,多くの立法者や政策立案者に,拘禁に寄りかかった現在の応報的司法制度を再考させているが, 犯罪被害者のニーズは無視されたままである. 犯罪や刑罰をめぐる公の議論は, しばしば, 過去の保守かリベラルかをめぐって,政治主導で行われるが,犯罪と司法に関する思想の,現在の顕著な発展は, 修復的司法への国際的な興味の進展である.修復的司法は, 犯罪と被害の理解と対応についての根本的に異なった枠組みを提供する.修復的司法は犯罪被害者とコミュニティ・メンバーの役割を引き上げること, 被害者に対する直接の責任を犯罪者に自覚させること,被害者の精神的・物質的損害を回復すること, 対話と交渉の機会を提供すること, および,可能な限りの問題解決の重要性を強調する.それこそが, 大きな意味での社会の安全を保障し,全関与者の紛争を解決するのである. 現在の司法制度の多くが犯罪者に焦点を当てたものであるのに対して, 修復的司法は3 つのクライエント・グループをもっている.犯罪被害者,加害者,コミュニティ・メンバーである.修復的司法は,比較的明確な価値観と原則と実務指針をもった国際運動的性格を強めているが, 現在の少年司法や刑事司法に完全に代位する新しいパラダイムとしてではない.多くの旧式な原則に依拠してはいるが,相対的に新しい実務理論として, この運動の現在の発展と影響を検証することは重要である.修復的司法は,犯罪被害者とコミュニティの積極的な関与を得る点において, まったく新しい犯罪への対応策を代表するものである. 修復的司法は, 民主主義社会において犯罪に関係するこれらすべての者の関心を結合する点で, 過去の伝統的なリベラルと保守の立場を超えるものである. 被害者加害者調停(VOM )は, 主として財産犯罪の被害者に, 加害者と会う機会を提供し,安全で組織だった場の設定をして, 犯罪者に, 被害者に対して直接に責任を取らせることを目標として行われる.調停と呼ばれるものの多くが「解決志向」であるのに対して, 被害者加害者調停は「対話志向」である. 修復的司法については多くの調査研究が行われてきた.それらによって示された結果をいくつかの項目について以下に紹介する. クライアントの満足度については, 被害者, 加害者ともに高い.特に少年事件の被害者について高い満足度が見られる.修復的司法が, 真に希望した者についてのみ行われるということとも関連しているであろう. 公正さについて, 被害者, 加害者ともに, 手続も結果も公正であったと感じている者が多い. これは, VOM が, 刑事司法のオプションとして行われることによるところも大きい. 賠償は,二次的な重要性しかもたない(第一次的に重要なのは,直接対面での対話である) が, VOM を経たケースのほうが履行率が高いことを,多くの調査研究が明らかにしている. VOM プログラムの多くは少年犯罪者に, ディバージョンの有効な手段としての可能性をもつが,一方でネット・ワイドニングになるという見かたもある. これに関する研究は多くはなく, 結論もさまざまである. 再犯率は, 成果を測定する最も一般的な方法なので,多くの研究例がある.そして, うまく計画された調査研究例のすべてにおいて, 伝統的な方法に比べて, 再犯率を下げていると報告されている. 1 件あたりの費用は, VOM によって引き下げることができる. 性犯罪や暴力犯罪はVOM の対象からはずされる例も多いが, 近年では次第に重い暴力的犯罪にもVOM が行われるようになりつつある. 今日VOM は17 力国1400 以上のプログラムが行われており, 最も期待される司法改革運動になっている.
著者
近藤 日出夫
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.134-150, 2009-10-20 (Released:2017-03-30)

本研究は,発達的背景と問題行動歴に着目して,殺人を犯した男子少年の類型化を試みるとともに,殺人に至る機制の違いなどを明らかにすることを目的とした.2001年から2006年までの5年間に,殺人を犯して少年鑑別所に収容された男子少年73人を分析の対象とした.彼らが発達過程のどの時期に,どのようなリスク要因等を被ってきたのかを,家庭環境,学校場面,問題行動歴などの領域ごとに調査し,そのデータに潜在クラス分析を適用することによって,殺人少年の類型化を試みた.分析の結果,外在化型,内在化型,遅発型の3類型を導き,それぞれの発達経路なども踏まえて,その特徴を明らかにした.外在化型は早期から窃盗や暴力などを繰り返していたグループであり,不良交友関係を背景とした集団による殺人が多かった.内在化型は,家庭や学校場面における不適応状態が慢性化していたグループであり,単独犯や親族殺が多かった.遅発型は,本件直前までは何とか表面的な適応状態を維持できていたグループであるが,集団追従的又は状況圧力に耐え切れずに本件に至る場合が多かった.
著者
浜井 浩一
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.76-106, 2011-10-31 (Released:2017-03-30)

本稿の課題は,人口動態の変化,つまり少子・高齢化によって犯罪動向がどのように変化し,それに刑事司法制度がどのように対応しているのかを分析した上で,今後,少子・高齢化が更に進行する可能性の高い日本において,刑罰運用を含めた持続可能な刑事政策はいかにあるべきかを検討することにある.結論から言うと,少子・高齢化は,犯罪に対して最も活発な若者が減少し,犯罪に対して最も非活発な高齢者が増加するため,全体としては犯罪減少社会を作り出す.事実,罪種によって多少傾向の違いはあるが,窃盗においても,殺人においても犯罪は若者の減少と共に減少している.その一方で,年齢による犯罪率の変化を示す年齢層別検挙人員を人口比で示した犯罪曲線を詳細に分析してみると,そこには1990年代後半から微妙な変化が認められる.それは,30歳以降において加齢による犯罪の減少傾向が消失したことである.つまり,日本では,30歳を過ぎると犯罪から足を洗えなくなってきているということである.犯罪の背景要因には生活苦や社会的孤立が存在する.少子・高齢化は,消費を衰えさせ経済全体を衰弱させる.1990年代後半における経済不況の原因の一つは少子・高齢化である.つまり,少子・高齢化は,全体としては犯罪を減少させるが,不況を生み出すことで中高年の立ち直りを阻害する一面があるのである.日本の刑事司法は応報を基本とし,累犯加重を機械的に適用する傾向が強く,判決までの段階では犯罪者を更生させるという意識は乏しい.その結果として,万引きや無銭飲食などの高齢犯罪者が増加する中,彼らの多くが,軽微な犯罪の繰り返しで実刑となり,受刑者の高齢化は深刻な状況となっている.少子・高齢化社会において持続可能な刑事政策を実現させるために必要なこと,それは,これまでの「応報型司法」を改め,犯罪者の更生を可能とする「問題解決型司法」を目指すことである.そのために,同じ大陸系刑法の伝統を持ち,日本に次いで人口の高齢化が深刻なイタリアがいかに高齢犯罪者の増加を防止しているのかを参考に刑事司法改革の方向性について考える.
著者
大貫 挙学 松木 洋人
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.68-81, 2003-10-18 (Released:2017-03-30)

本稿の目的は,いわゆる「足利事件」の法廷において,事件の理解可能性がいかなる実践を通じて成立しているのかを明らかにすることにある.1990年5月,栃木県足利市で4歳の女の子が行方不明となり,扼殺死体となって発見される.この事件で逮捕・起訴されたSさんは,一審の途中までは,犯行を認めていたが,控訴審以降は,無罪を主張するようになった.だが,一審でなされた精神鑑定によって,Sさんは「代償性小児性愛者」と診断され,これが事件の動機と認定されていた.そして,そのような成員カテゴリー化実践が,控訴審以後においても,かれを犯人として事件を理解することを可能にしている.つまり,Sさんの犯行を前提に,それに適合的なものとして構成された動機が,かれが否認した後も,その属性として脱文脈化され,かれは<動機を有する真犯人>と理解されたのである.本稿では,動機の語彙論(C.W.ミルズ)と成員カテゴリー化分析(H.サックス)を架橋することによって,犯行動機の構成と行為者への成員カテゴリー化が相互反映的な関係にあることを論じるとともに,法廷場面における精神鑑定の用法が含んでいる問題とその帰結を経験的に指摘する.
著者
岡村 逸郎
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.87-99, 2015-10-30 (Released:2017-04-30)

本稿の目的は,「対等」な支援者-被害者関係にもとづく犯罪被害者支援の言説が,犯罪被害者救済に従事してきた被害者学者によってなぜ形成されたのか明らかにすることである.分析の対象は,被害者学,刑事法学,ないし刑事政策を専門とする学者の論文・著書である.精神科医は,「専門家」が救済対象を選別することによって,救済者-被害者関係を「対等」でないものとして捉えることが,さらなる2次被害ひいては3次被害を被害者に与える加害行為だと批判した.2次被害の概念は,被害者学者がこれまでおこなってきた救済の活動を加害行為に反転させてしまうという意味で,かれらにとってネガティブな側面をもった.被害者学者は,このネガティブな側面が精神科医の対抗クレイムによって顕在化したために,「対等」な支援者-被害者関係にもとづく犯罪被害者支援の言説を形成した.
著者
若穂井 透
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.51-72, 1995

First year student, Ippei Kojima (false name, thirteen years old at that time) was found as dead body inside the mat in a sporting goods room in the gymnasium at Meilin junior high school, Sinjo-city, Yamagata. He was turned upside down inside the mat which was rolled and set up. This accident is called "Bullying Mat Dead Matter". Police arrested seven senior students who were said to be in the gymnasium at that time for bodily injury and confinement resulting in death, and then anounced this matter as wicked bullying. Yamagata Family Court decided that they were not punished at the first trial. Because judges doubted boy's confession and this matter's background or motive were not clear. However, at the second trial in Sendai High Court, judges continues their confession and refused their statement for the accident death. Supreme Court rejected recomplaint of co unsel. The court has a big problem that is gives too much importance in "confession". And the court is willing to accept one-sided investgation report by police on boy's proceeding as evidence. And this prompts the court to give too much importance to confession and make it difficult to solve the truth of this matter which is undoubtedly innocent in order to reach a fair conclusion, it is necessary to examine confession on boy's matter objectively and analytically.
著者
遊間 義一 金澤 雄一郎 遊間 千秋
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
no.35, pp.115-130, 2010-10-01
被引用文献数
2

オイルショック後の日本における少年による殺人事件の発生率に対する完全失業率の効果については,これまで十分な検討がなされていない.この間日本社会には大規模な変化が生じている.完全失業率と少年による殺人事件発生率の間に長期的に安定した関係(共和分関係)が存在したのか,あるいは,いずれかの時点で両者の関係に構造変化が生じたのであろうか.Gregory and Hansen(1996a,1996b)の残差を用いた構造変化を許容する共和分関係の検定を実施したところ,16歳と17歳の中間少年にも,18歳と19歳の年長少年にも,完全失業率と殺人事件発生率の間に安定した正の長期的関係が存在する一方,構造変化は認められないことが分かった.この結果から,完全失業率の増加は殺人発生率の増加を引き起こすことが理解できる.考察では,これらの結果の含意と,構造変化の可能性について検討した.
著者
広田 照幸 伊藤 茂樹
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
no.36, pp.28-41, 2011-10-31

この論文では,包摂的な社会を作っていくために,日本の少年院をどういうふうに見ていけばよいのかについて検討している.まず,現代社会における排除を「保守的な他者化」と「リベラルな他者化」として描いたジョック・ヤングの議論を参照しつつ,非行少年を悪魔化した存在ととらえる保守的な視点とは異なり,「リベラルな他者化」の視点をあえて採用することで,非行少年を教育・訓練によって「われわれの一員」になるべき存在と考える.その視点から,現実に少年院がどのようにして,非行少年の教育・訓練を成功させているのかを説明するとともに,保守的な議論に対して今後どのように反論していくべきかが本論文で考察される.ここでは,まずわれわれの研究グループが過去数年間やってきた少年院のフィールド調査とそれに基づく研究成果を紹介する.1970年代後半以降,教育・訓練を充実させてきた日本の少年院は,多くの点で独自の教育の仕組みを作り,成功させてきた.われわれは,インタビューと参与観察で,そのいくつかを明らかにした.次に,これまでの少年院教育がもってきていた問題点を克服する動きについて考察した.少年院を出た少年たちを対象にした新しいボランタリーな試み,少年院内での教育実践の改善,法律や制度のレベルでの改革の動きを簡単に整理した.最後に,今後必要なことについて次の3点を示した.第一に,少年院の外にある社会的状況-雇用や福祉の平等主義的な改革-,第二に,少年院の中での教育・訓練の改善,第三に,少年院の実態についてのもっと厳密な研究による客観的な情報の発信,の3つである.
著者
菊池 武剋
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
no.9, pp.56-67, 1984

Fujita (1982) argues that delinquencies committed by Japanese Koreans begin in their early adolescence and that environmental factors characterizing Korean sub-society in Japan are responsible for the delinquencies. (Fujita mentions such "environmental factors" as low socioeconomic status of Korean families.) But can we explain delinquencies of Japanes (Koreans only in terms of such "environmental factors"? This paper examines this causal issue on the basis of case studies. A close examination of the social organization of Korean people ir Japan as a "minority group" reveals that it consists of numerous subgroups which are heterogeneous with regard to such characteristics as nationality, socioeconomic status, and generation. Our case studies of Korean delinquents indicate that their self-identity as Koreans varies according to the types of subgroups to which they belong. Levine's (1977) "Typology of Stranger Relationship" gives us a clue to explore the social roles of the Korean adolescents in Japan and their bearings on their delinquencies. The two axes of his typology are "Stranger's Interest in Host Community" and "Host's Response to Strangers". Although Levine's typology is useful in classifying Korean people's "interest in host community", it dose not include a category for the typical response of Japanese to Korean ; i. e., "negative stereotyping" (Wagatsuma, 1981). "Negative stereotyping" is crucial in shaping Korean adolescents' selfidentity as marginal men. It is also crucial in determining scioeconomic status and social marginality of Koreans in Japan. The first conclusion of this paper is that construction of a more elaborate typology about types of marginality of Koreans is crucial in understanding causal mechanism underlying delinquencies of Japanese Koreans. Another conclusion of this paper is that we have to employ a phenomenological approach in understanding and analyzing individual cases. The approach will enable us to explore effects of the strain factors which have been said to be characteristic of Korean delinquents in Japan. If we can synthesize the typological studies and case studies, we will be able to elaborate a theory about deviant behaviors of minority peoples in general.
著者
ヨーダー ロバート. S.
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
no.12, pp.125-140, 1987

本稿は,神奈川県下の対照的な2つの地域に居住している少年たちにイソタビューを行ない,彼らの教育歴を基にして,不良行為のパターンを比較検討したものである.本稿では,この2つの地域を「南」と「北」と呼ぶことにする.例えば,社会経済的に中の下の階層に属する人々が多くを占める地域(南)に居住している少年たちにおいては,中の上の階層の人々の住む地域(北)の少年たちに比べ,不良行為の平均行為回数が非常に多い,ということが公式資料によって明らかとされている.この南と北の少年たちの不良行為経験の差の基部には,環境条件と両親の社会階層的背景が生み出す学歴の質の差が作用していると考えられる.南と北,2つの少年集団が通学しているそれぞれの中学校は,各地域やその周辺地域の社会経済的水準を反映したものとなっている.南の少年たち全員は,いわゆる荒廃した中学校へ通い,これに対し,北の少年たちは平穏な中学校あるいは私立の付属中学校に通っている.南の少年たちは,北の少年たちに比較し,学業成績は低く,多様で多量な学校問題を抱えている.結果として,北の少年では,大学進学率の劣る低ラソクの高校卒業者は15パーセソトでしかないのに対し,南の少年では,これが40パーセソトにも達している.例えば,低ラソクの高校の生徒は,多くの者が不良行為を働き,その回数も多い.これら低ラソクの高校では,高ラソクの学校よりもより生徒を厳しく管理する.そのことがまた,低ラソクの高校の多くの少年たちを反抗させ,不良行為へと走らせる原因ともなっている.学校のランクはまた,少年たちの最終学歴の到達水準に関連する.高ラソクの高校へ通った少年たちの半数が大学に進学したのに対し,低ランクの高校の少年たちでは,わずかしか大学進学者がいなかった.さらにその上,北の少年たちの多くが,大学に進学したのみならず,出身家庭が社会経済的に豊かであることから,非常に授業代の高い職業学校(専門学校)へも同時に通学しているのである.本稿は,以上の様な事実に対し,レベリソグ理論を適用し,結論づける.日本の社会においては,刻印づけによる社会的統制が,低階層の少年たちの通う学校に対し厳しく作用している.こうした問題な社会的統制が,少年の不良行為のみならず,今日の日本社会を覆う陰鬱な学歴問題を生じさせる主要な原因と成っている,と考察される.
著者
宮澤 節生
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
no.33, pp.122-136, 2008-10-20

本稿は,5本の報告が行われた部会での討論者の役割を意図したものであり,著者がMiyazawa(2007s)で提示した視点からインプリケーションを検討するものである.著者は,David Johnsonが提起する「前線からのリーダーシップ」という概念に基づいて自己の主張を部分的に修正する.しかし,結論では,日本のポピュリズム刑事政策が近い将来に後退する見込みはないと主張する.
著者
南部 さおり
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
no.27, pp.60-73, 2002
被引用文献数
2

「ミュンヒハウゼン症候群」は,自らが病気であると偽装する(虚偽性障害)人々が,重症にまで至ったとされる程度の行為態様を指す.同症候群として示される人々は,病気という社会的な一大事を演出することで,周囲から注目を集めることを目的として行動する.したがって,そのような歪んだ虚栄心が充足されるのであれば,自らにではなく,自分に近い人物に対して病気をでっち上げるという方法によって,その目的を達成することもある.そしてその場合には,仮病や詐病を強要するなどの婉曲な方法をとらず,実際に特定の他者,特に脆弱な乳幼児を「病気にしてしまう」のである.「代理人によるミュンヒハウゼン症候群 (Munchausen syndrome by proxy=MSBP)」とは,このような方法で行なわれる,虐待の一形態を指す.本稿では,MSBPという特殊な行為が社会的にどのような意味を持つのか,さらには医療機関,捜査機関,裁判所のそれぞれが,MSBPを扱うに際してどのような点に留意すべきか,そしてどのように対処すべきかを明らかにする.MSBPは,児童の生命や身体を脅かす,きわめて危険な虐待行為である.したがって,まずはMSBPという犯罪が社会的に認知される必要があり,さらには冤罪を生み出さないための適正な基準と正確な事実認定が要求される.そのためには,同行為に関する医学的研究から学びつつ,新たにMSBPを社会病理としてとらえなおす必要があると考える.