著者
高田 佳輔
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.434-452, 2019

先行研究では,大規模多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲームの中に存在する仮想世界は,自宅や職場から隔離された心地の良い第3 の居場所である「サードプレイス」としての機能を有するとされる.しかし,仮想世界におけるプレイヤーの本来の目的は「ゲームコンテンツ」を楽しむことにあり,どのような経緯で他者との世間話といった「交流」を目的に仮想世界に訪問するようになるかが明らかでない.本稿は,同一集団に属するプレイヤーらの語りや「ゲームコンテンツ」と「交流」の各プレイ時間の推移から,仮想世界はゲームコンテンツへの没入期および欠乏期を繰り返すことで,次第にゲームコンテンツを楽しむ場から交流を楽しむ場へと主役割が遷移する『創発的サードプレイス』であることを示した.また,創発的サードプレイスの成立には,サードプレイスの基盤を成す「交流」と,各成員の能動的な参加が肝要な「集団活動」との互恵関係が重要となることを示した.ゲームコンテンツ活動は,集団を構成する成員が垂直的関係の中で共通目標の達成を目指すことで集団帰属意識を向上させ,交流活動の基盤となるコミュニティの成員間のつながりを維持・強化させていた.さらに,ゲームコンテンツ活動中の成員間の垂直的関係性と,交流活動における水平的関係性とが互いに侵食しないように作用させる関係規範の存在が,創発的サードプレイスの成立・維持に大きな影響を及ぼしていた.
著者
松井 広志
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.503-518, 2013

近年, デジタルメディアによるコンテンツ受容に関して, 「物質」の対概念としての「情報」そのものに近い消費のあり方が伺える. しかし, ポピュラーカルチャーの現場では, 物質的な「モノ」という形式での受容が依然として観察される. ここには「ポピュラーカルチャーにおけるモノをめぐる人々の活動」という論点が潜んでいる. 本稿の目的は, この受容の論理を多面的な視点から, しかも日常的な実感に即して読み解くことである. 本稿ではその動向の典型を, ポピュラーカルチャーのコンテンツを題材としたキャラクターグッズやフィギュア, 模型やモニュメントに見出し, これらを「モノとしてのポピュラーカルチャー」と理念的に定義したうえで, 3つの理論的枠組から捉えた.<br>まず, 従来の主要な枠組であった消費社会論から「記号」としてのモノの消費について検討した. 次に, 空間的に存在するモノを捉える枠組として物質文化論に注目し, とくにモノ理論から「あるモノに固有の物質的な質感」を受容する側面を見出した. さらに, モノとしてのポピュラーカルチャーをめぐる時間的側面を, 集合的記憶論における「物的環境による記憶の想起」という枠組から捉えた. これらの総合的考察から浮かび上がった「モノとしてのポピュラーカルチャー」をめぐる人々の受容の論理は, 記号・物質・記憶のどれにも還元されず, 時間的・空間的に重層化した力学の総体であった.
著者
赤川 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.118-133, 2018-06-30

<p>本稿は, 構築主義アプローチに基づく社会問題の歴史社会学を発展させるための試論である. 以下の作業を行った.</p><p>第1に, 佐藤雅浩『精神疾患言説の歴史社会学』 (佐藤2013) を取り上げ, それが構築主義的な「観念の歴史」と, スコッチポル流の比較歴史社会学を組み合わせた優れた業績であることを確認する.</p><p>第2に, 保城広至が提案する歴史事象における因果関係の説明に関する3つの様式, すなわち (1) 「なぜ疑問」に答える因果説, (2) 理論の統合説, (3) 「なに疑問」に答える記述説を紹介した. 従来, ある言説やレトリックが発生, 流行, 維持, 消滅するプロセスとその条件を探求する社会問題の構築主義アプローチは (3) の記述説 (厚い記述) に該当すると考えられてきたが, 既存の研究をみるかぎりでも, 因果連関の説明を完全に放棄しているわけではないことを確認する.</p><p>第3に, 過程構築の方法論に基づいて, 1990年代以降の少子化対策の比較歴史社会学を実践する. この結果, 雇用と収入安定が少子化対策に「効果あり」という結果の十分条件となることを確認した.</p><p>第4に, 上記の比較歴史社会学における因果的説明の特性 (メリット, デメリット) を理解したうえで, 因果のメカニズムが十分に特定できないときには, クレイム申し立て活動や言説の連鎖や変化に着目する社会問題の自然史モデルが, 過程追跡の方法として有効であると主張した.</p>
著者
西阪 仰
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.163-164, 2001-06-30 (Released:2009-10-19)
著者
中野 収
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.308-318,383, 1984-12-31 (Released:2009-11-11)
被引用文献数
1 1

社会の情報化に伴って、文化の各領域での変容が進行する。しかし、情報化は必ずしも原因ではない。文化の変容によって情報化が進行し、情報化が文化変容を促す。というか、むしろ、情報化と文化変容は、産業社会の変動のふたつの側面なのである。'60年代以降、人々の生活様式の変化が著しい-衣食住の形から社会的移動のパターンまで。特に、テレビの普及にはじまるさまざまなメディアの生活への浸透は、社会や生活の中での人間の条件を変えてしまった。人々は孤立し、メディアを擬人化し、メディアに知識情報を求めなくなった。この現象は、いわゆる価値の多様化と併行して進行した。さまざまな社会的規範が弛緩し、価値の多様化が進み、社会的逸脱が常態化した。その結果、社会的表象を解読するコードが、不安定になり、流動化した。こうした社会的規範の極度に弛緩した時代に、文化創造は、どのような形で、いかにして可能なのだろうか。新しい生活様式は、明らかに文化の創造であった。たしかに、, 60年代は文化的に多産な時期であった。しかし、現在、音楽、絵画、文学、映画、演劇における創造の主要な形態は、引用と模倣と剽窃とパロディにとどまっており、創造の名に値する創造は、極めてマイナーな領域で行われているにすぎない。
著者
桶川 泰
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.2-20, 2016

<p>本稿では, 女性誌に載せられた恋愛ハウトゥから純粋な関係性を志向する自己知を探索し, さらに分類・整序することによって如何なる助言をめぐる言説から成り立っているのかを明らかにした. 女性誌の恋愛ハウトゥ記事の中でも, (a)「(あなたは) ~のために~の状態・行動パターンに陷っていないか」「~の思考状態になると恋は上手くいかない」, (b)「恋愛関係を築いていくには~の思考の仕方・行動のあり方が必要である」といった自己発見・自己変革を促す助言が載せられた記事を分析資料としている.</p><p>分析の結果, 女性誌の恋愛ハウトゥには(a)「自己否定意識・拒否される恐怖感が強いために, コミットする積極性を失っている状態になっていませんか」「独占欲・嫉妬心・依存心の強さからオーバー・コミットメントを行っている状態になっていませんか」「自己欲求 (自分の気持ち) を抑圧し, 相手の欲求を満たすことに没頭する状態になっていませんか」「自己欲求 (自分の気持ち) を満たすことのみを優先し, 相手の欲求に無関心・無配慮な状態になっていませんか」などの言説が存在していた.</p><p>一方, (b)「恋愛関係を築いていくには~の思考の仕方・行動のあり方が必要である」という自己変革を促す言説は, 多くの相反する様相を呈する助言で氾濫するようになっていた.</p>
著者
関 礼子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.514-529, 2005-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
63

日本での環境社会学という学問の制度的形成は, 1990年の環境社会学研究会設立に遡ることができる.農村社会学, 公害問題研究, 社会運動研究など, 個々の視点から環境にアプローチしてきた諸研究が, 環境社会学という新たな領域に焦点を結んだ年であった.それから僅か2年後, 国際的にも国内的にも環境に対する関心が高まった1992年に環境社会学会が創設された.以後, 環境社会学は, 実証研究の積み重ねによる理論形成と環境問題解決への志向性を特徴に展開をみた.本稿では, はじめに環境社会学の学問的特徴は何か, どのような理論の体系化がみられるかについて論じる (1-2節).そのうえで, 近年の環境社会学の研究動向を, 公共性, イデオロギー, ローカルとグローバル, 格差と差別という, 相互に関連する4つのテーマから掘り下げて論じてゆく (3-6節)
著者
新倉 貴仁
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.583-599, 2008-12-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
41
被引用文献数
2 1 3

本稿は,ナショナリズム研究において提起されている構築主義的アプローチの批判的検討を通じ,その射程を描き出すことをめざすものである.近年,ナショナリズム研究において,従来の近代主義と歴史主義の相克を乗り越える為に,構築主義的アプローチが提起されている.これは,国民国家批判に代表されるような政治的構築主義としてではなく,方法論的構築主義の立場から再検討される必要がある.この企図のため,本稿はベネディクト・アンダーソンのナショナリズム論を再構成していく.アンダーソンは,「想像の共同体」という語に示されるように,ナショナリズムに対する構築主義的説明を行っている.だが,他方で彼は,「なぜ人はネーションのために死ぬのか」という問題をナショナリズムの中心的な問いに位置づける.すなわち,構築をめぐる知の問題系と,構築主義に突きつけられる死の問題系が,アンダーソンの議論には共存している.この理論的意義を検討することを通じ,以下の3点を示す.第1に,アンダーソンの議論は,その主張以上に,観察可能な言説を対象とする点で方法論的構築主義に位置している.第2に,ナショナリズムは,構築の外部を排除しつつも内部へと包含するような構造を有している.そして,第3に,ナショナリズムにおける構築主義の理論的賭け金は,構築の外部を補足することの失敗自体を記述していくことにある.
著者
伊藤 守
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.541-556, 2015 (Released:2016-03-31)
参考文献数
34
被引用文献数
1 1

本稿の目的は, 日本における映像アーカイブズの現状を概括し, そのうえで映像アーカイブ研究, とりわけテレビ番組アーカイブを活用した映像分析の方法を考察することにある. アーカイブに向けた動きが欧米と比較して遅かった日本においても, 記録映画の収集・保存・公開の機運が高まり, テレビ番組に関してもNHKアーカイブス・トライアル研究が開始され, ようやくアーカイブを活用した研究が着手される状況となった. 今後, その動きがメディア研究のみならず歴史社会学や地域社会学や文化社会学, さらには建築 (史) 学や防災科学など自然科学分野に対しても重要な調査研究の領域となることが予測できる.こうしたアーカイブの整備によって歴史的に蓄積されてきた映像を分析対象するに際して, あらたな方法論ないし方法意識を彫琢していく必要がある. あるテーマを設定し, それに関わる膨大な量の映像を「表象」分析することはきわめて重要な課題と言える. だが, 「アーカイブ研究」はそれにとどまらない可能性を潜在していると考えられるからである. 本稿では, M. フーコーの言説分析を参照しながら, アーカイブに立脚した分析を行うための諸課題を仮説的に提示する.
著者
伊達 平和
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.187-204, 2013
被引用文献数
1

本稿では, 東アジア・東南アジア社会の「圧縮された近代」に伴う急速な家族の変容と, 価値観の変容を背景として, 家父長制意識の多様性とその意識に対する高学歴の影響を計量的に分析した. まず, 瀬地山角の東アジアにおける家父長制研究より, 家父長制意識を父権尊重意識と性別役割分業意識の2つの軸で捉え, I家父長主義, II父権型平等, III自由・平等主義, IV分業型自由の4つの型に整理した. 次に, 日本, 韓国, 台湾, 中国, ベトナム, タイの6地域のデータから, その2つの意識の平均値を比較した. さらに, 年齢などの変数を統制したうえで, 二項ロジスティック回帰分析による多変量解析を行った.<br>分析の結果, これら6地域の家父長制意識の相対的な布置関係が明確に示された. 中国と台湾は家父長主義, 韓国は父権型平等, 日本は自由・平等主義, タイとベトナムは分業型自由に分類された. さらに, 家父長制意識に対する高学歴の影響が, 各国において異なること示され, 家父長制意識の近代化における変化の多様性が明らかになった. また, 「圧縮された近代」における圧縮の度合いが人々の家父長制意識に影響を与えることも明らかになった.
著者
玉野 和志
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.442-458, 2012-03-31 (Released:2013-11-22)
参考文献数
75
被引用文献数
1

本稿は, 都市社会研究における家族の位置づけとコミュニティ論の課題について明らかにすることを目的としている. シカゴ学派以来の伝統的な都市社会学は, コミュニティにおける具体的な社会過程と社会的ネットワークのあり方に分析の焦点を絞ってきた. しかしながら, さまざまな事情からそのようなコミュニティ論の中に正当に家族を位置づけることができないできた. また, コミュニティ論は定着的な人口のみを対象とし, 移民や都市下層の問題を十分に扱うことができないとされてきた. 他方, 新都市社会学による批判以降, 世界都市論や新国際分業論の興隆に見られるように, グローバル化の進展にともない, 都市研究は大きな転換を迫られている. 資本主義世界経済のもとにある都市社会研究において, 家族やコミュニティ論はどのような観点から扱われるべきなのか. 本稿では, コミュニティをたんにその内部において社会関係が集積している場所と見るのではなく, 資本主義世界経済の中で何らかの位置づけを与えられた都市地域において, 特定の質をもった産業や労働の集積が求められる空間として位置づけることを提案したい. そのことによって家族を, 求められる労働力の再生産を実現する単位として, あらためてコミュニティ論の中に位置づけることができるだけではなく, 家族を形成しないという側面も含めて, 移民や都市下層をコミュニティ論の中心に据えることが可能になると考えられる.

2 0 0 0 OA 赤面する青年

著者
小倉 敏彦
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.346-361, 1999-12-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
28

本稿は, 明治・大正期の小説文学に頻出する「赤面する青年」という形象を焦点に, 明治中期における「恋愛」の受容と青年意識の変容について考察する試みである。文学作品の中に描写された, 女性を前にして赤面・狼狽する男たちの姿を, ここでは, 男女間の関係性および (恋愛対象としての) 女性像の変容に対応した, 変調の表象として読解していく。従来, 近代的恋愛の成立は, 近代的個人あるいは主観性の成立と相即的に論じられてきた。しかしながら, ここで読みとられた青年たちの逸脱的な様態は, 明治期における恋愛の発見と受容が, 主観性=主体性の成立の帰結というよりは, 一次的には, 新しい生活慣習と教養を身につけた女性たちとの対峙によって解発された, コミュニケーションと自己同一性の危機であったことを物語っているのである。
著者
挾本 佳代
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.192-206, 1997-09-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
25

スペンサーが「人口」に注目したのは偶然ではなかった。彼にとって人口は, 産業社会の理論的根幹である「社会契約」から発生した諸問題を受け継いでいることを明白に認識させる, 重要な要素であった。スペンサーのいう「産業型社会」は決して理想的な社会ではなく, むしろ人間社会が内包している問題を提示した社会であった。このことは, 『社会学原理』『人間対国家』という彼の労作の中で明示されている。そこで提示された問題は, 特にスペンサーに対するデュルケムの評価を考察することによって浮上してくる, 重大な問題であった。「人口」概念には統計的な数量概念のみならず, 「個人-全体」「自然-人為」「有機体説-契約説」という二律背反が内包されている。スペンサーは社会学に対し, これら前者の重要性を初めて提示した。社会学の形成期において, 人口および群相と個相という生物学的概念の重要性に着目したスペンサーは社会を一個の有機体であると見做す独自の理論を発展させていった。彼にとって, この社会有機体説は決してアナロジーではなく, 社会が有機体そのものである, との主張を示したものであった。スペンサーの社会有機体説の核心は, 人間社会も生物社会同様, 社会を群相として捉えるべきであるとの主張にあった。それゆえ, 彼は生物学から多くを学び, 議論を展開する必要があったのである。スペンサーのこの主張は, レヴィ=ストロースによる文化人類学的見地から考察すると一層明瞭になる。
著者
三上 剛史
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.453-473, 1998
被引用文献数
1

「ポストモダン」とか「複合社会」とか呼ばれる現代社会において, 〈公共性〉はいかなる形で可能となるのか。これまでの公共性概念はハバーマスの「市民的公共性」に代表される近代市民社会の前提--「大きな物語」--に支えられたものであったが, 物語の衰退は公共性概念の曖昧化をも招来せずにはおかない。<BR>そこで, まずハバーマス型の公共性概念の変容を辿り, これを「大きな物語」の衰退に伴う物語の修復と捉え, そこに見られるモダン的要素を取り出したい。その上で, さらに, メルッチに代表される社会運動論の視点からも公共性問題を再考し, メルッチもまたハバーマスとは別の形でのモダン的物語の修復を志向している点を確認する。<BR>このようにして, 公共性論の抱える問題をハバーマスとメルッチに託して検討し, 彼らの到達した観点を批判的に摂取することで, これからのありうべき新たな公共性概念と公共空間の可能性に言及してみたい。<BR>NPO/NGOに代表される新しい「アソシエーション関係」を念頭におきながら, ルーマンの機能主義的視点とベックのリスク社会論を援用しながら, 試論的に論じたい。
著者
後藤 範章
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.40-56, 2009-06-30 (Released:2010-08-01)
参考文献数
46
被引用文献数
2

本稿は,C. Knowlesらが提示した(Knowles and Sweetman eds. 2004)「ビジュアル・メソッドは社会学的想像力を活性化させる」との命題の妥当性を,筆者が16年前からゼミの学生と協働して取り組んでいる“写真で語る:「東京」の社会学”と題する研究プロジェクトと,その中から編み出された“集合的写真観察法”を通して検証するとともに,ビジュアル・メソッドのもつ豊かな可能性を描き出し,もって調査方法の視覚的再編成を促すことを目的とする.“集合的写真観察法”は,学生たちが撮影した「東京」や「東京人」に関する写真を素材として,次のように継起的に進行する3局面からなる.(1)写真“を”見ることによって感応力(センス・オブ・ワンダー)が高められ,「小さな物語素」が引き出される.(2)写真“で”見ることによって社会学的想像力が働き,「写真の背後に隠れているより大きな社会的世界」が想像イメージされ読み込まれる.(3)写真“で”語る(フィールドワークに裏打ちされたテクストを写真に寄生させる)ことによって意味が投錨され,それまで見えていなかった「社会のプロセスや構造」が視覚化(可視化)され知覚化(可知化)される.写真(画像イメージ)は,社会学の営みと人々の日常生活とを相互につなぎ合わせる「中継点アクセス・ポイント」であり,調査方法に加え教育や研究のあり方をも変革するポテンシャルを秘めている.
著者
宮原 浩二郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.46-59,114, 1989

一九七〇年代に注目を浴びた「社会学の社会学」は、社会的世界に関する知の獲得における社会学の役割について深刻な懐疑をもたらすとともに、「イデオロギー」や「知識人」の概念の根本的な見直しを促した。本稿は、「社会学の社会学」を代表した論者であるA・W・グールドナーの知識社会学と知識人論を手がかりとして、ハーバーマスとフーコーに代表されるような「イデオロギー」と「知識人」をめぐる議論の今日的状況に接近してみたい。グールドナーによる社会理論のリフレクシヴィティー (自己回帰性) の研究は、マンハイム流の「存在被拘束性」の理論の徹底化という経路を通って、社会理論におけるイデオロギー性の遍在と知識人の階級性を主題化した。それは、「イデオロギー」概念を、コミュニケーション合理性を鍵概念として再構築する試み (ハーバーマス) と、「真理」概念の実定化を通じて脱構築する試み (フーコー) という、二つの対照的な方向の分水嶺に位置する立場をよく示している。グールドナーの「リフレクシヴ・プロジェクト」を「補助線」として導入することで、「イデオロギー」と「知識人」をめぐる現段階での様々な議論の問題点が浮き彫りになると思われる。
著者
三橋 弘次
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.576-592, 2008-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
22
被引用文献数
1 1

日本ではA. Hochschild(1983)の成果を基にして,感情労働の遂行が燃え尽きに帰結するという主張が頻繁に見られる.しかし,多数の経験的検証が行われている欧米では,感情労働と燃え尽きとの連関のありようは主張されるほど明確ではないと批判されており,日本で見られる経験的検証なき因果連関の主張は危ういものと言わざるをえない.そこで本研究は,感情労働と燃え尽きとの連関について,文献精査をし,その結果を踏まえ事例データの分析を通じて経験的に検証することを目的とした.主な結果は,まず,感情労働することで燃え尽きる,という因果連関に強い疑義が呈された.Hochschild(1983)の丁寧な再読と燃え尽き事例の分析からは,感情労働したいのにできない状況が,燃え尽きの現象に共通した背景として見えてきたのである.また詳細を見ると,感情労働したいのにできずに燃え尽きに至る過程は多様であった.これは,職業特性の多様さ,感情労働の遂行の多様さ,感情労働過程の多様さを看過して,さまざまな職業を「感情労働職」として1つのカテゴリーにまとめて燃え尽きと関係づけて問題化しようとする粗雑な議論に反省を促すものである.さらに,感情労働の心理的効果もそうした諸要素に依存するのであって,燃え尽きは感情労働の本質的な問題ではないことが経験的に示唆された.