著者
厚東 洋輔
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.310-326, 1995-12-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
8

本稿の目的は, ヴェーバーの業績を用いて近代官僚制の類型学を展開することにあるが, その際, 官僚制の一枚岩的イメージを打破するために, 近代官僚制の孕む多様性と変異可能性が強調されている。議論は以下の九つの主張よりなる。(1) 官僚制は妥当根拠と組織の二つの視角から規定できる。合法支配と単一支配という二つの特性の重なりとして近代官僚制は定義される。 (2) 合法支配は法重視↔規律重視という二極よりなる。 (3) 単一支配は集権的↔ディスクレッション的という二極よりなる。 (4) 合法支配と単一支配の二軸を組み合わせると近代官僚制に関する四類型が構成される。 (5) 法重視+集権的よりなるタイプ→官職-官僚制 (例 : 大陸型) 。(6) 規律重視+ディスクレッション的よりなるタイプ→プロフェッション-官僚制 (例 : アングロサクソン型)。 (7) 規律重視+集権的よりなるタイプ→天職-官僚制 (例 : 人民投票指導者民主制) 。 (8) 法重視+ディスクレッション的よりなるタイプ→権限-官僚制 (例 : 日本型)。 (9) 近代官僚制の典型は〈官職-官僚制〉ではなく〈プロフェッション-官僚制〉に求めるべき。〈プロフェッション-官僚制〉が「技術的・ 形式的に最も合理的な支配装置」だからである!そう考えた方が, ヴェーバーの社会主義批判及び近代イメージにより整合的になるし, また社会主義諸国での官僚制批判の理由付けにも良く合致するようになる。
著者
山本 泰
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.262-281, 1993-12-30 (Released:2010-01-29)
参考文献数
23
被引用文献数
1 1

一九九二年四月のロサンゼルス事件は、現代アメリカのマイノリティ問題の深刻さを改めて浮き彫りにした.この事件が黒人青年を暴行した警察官に対する無罪判決に端を発している以上、これは差別に対するマイノリティの大衆的抗議である.しかし、その背景についていえば、この事件は、 (1) 現代のマイノリティ問題の焦点は人種 (黒人) 問題ではなく、大規模な《都市アンダークラス》の問題であること、 (2) 都市貧困層=黒人ではもはやなく、そこには、きわめて多様な人種・民族が含まれること、 (3) 都市最下層の貧困は、六〇年代の公民権運動以来、少しも改善されていないこと、を劇的な形で示したのである.このような複合的な抑圧・葛藤関係はどのような構造のなかで、いかにして生み出されるのか、本論では、人種や民族に中立であるはずの自由主義的多元主義体制のもとにある現代のアメリカに、何故、人種や民族間の葛藤・反目がかくも顕在的にあらわれるのかを考察する.人種や民族の線に沿った集団形成やエスニシティの主張は下層の人々が上位者の資源独占に対抗する社会戦略であるが、この戦略は逆に、ルール指向・個人主義・手段主義といった基準になじまないが故に、中産階級が下層に対しておこなう差別に識別標識と正当化根拠を与えてしまうことになる.階層間葛藤は、自由主義的多元主義体制を仲立ちに人種間葛藤へと転態されるのである.
著者
吉野 耕作
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.4, pp.392-407,505, 1987-03-31 (Released:2009-11-11)
参考文献数
45

近代社会学の予測に反して民族の復活、活性化が世界各地で起こったが、その理由、背景を説明するために、民族の概念・理論の洗い直しをめぐり激しい論争が展開されてきた。しかしながら、同論争は必ずしも建設的な成果をあげている訳ではない。分析次元の違いを認識することなく相互批判を繰返す結果、議論が?み合わない形で進んできた。本稿では、民族をめぐる論争の三つの異なる分析次元を判別し、各次元で対立する視点を論理整合的に組み合わせることにより論争の流れを批判的に整理する。具体的には、<原初主義-境界主義>、<表出主義-手段主義>、<永続主義-近代主義>の三つの対立視点の対にまとめ、また諸視点間の適合性を明らかにすることにより、多元的な諸理論を整理する枠組を提示する。その過程で「民族の復活」をめぐる議論に内在する弱点を幾つか発見することになるが、そのひとつは、民族の絆の耐久性を説明する上で時・空のいずれか一方の次元に固執するために説明を不十分に終わらせている点にある。本稿では、この根本的と思われる論点に限定した上で、両説明方法の補完性、結び付きを示す視角を「伝統の創造」の過程に求め、論点の補充を行う。
著者
香月 孝史
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.489-506, 2011
被引用文献数
1

スターシステムという性質は,通俗的,非芸術的な要素として認知されることが多い.今日,一般に高級文化としての社会的位置を確立している歌舞伎であるが,一方でスターシステム的性質を内包しているとしばしば表象される.本稿は,その「通俗」性と高級文化としての威信が歌舞伎においていかに共存しうるのかを明らかにする.これは,大衆文化やポピュラー文化の側から問い直しが多く行われている,文化の高級性/低級性というテーマに関し,すでに高級と認知されている文化の側から,その位置づけが何に根拠づけられているのかを問い直す試みともなる.<br>かつては低俗として糾弾された歌舞伎のスターシステムは,1980年代にはほとんど批判を受けなくなる.その風潮と前後して歌舞伎の高級文化としてのイメージは強固なものとなるが,そのイメージ形成を主導したのは歌舞伎とは馴染みの薄い若年層の眼差しであった.そうした層によって歌舞伎は,あらかじめ高尚な地位にある伝統芸能として認知され,その演劇的性質はあらためて価値判断を受けることがない.このとき歌舞伎の「高尚」性はその論拠が問われぬまま,きわめてイマジナリーな性質のものとしてある.今日,その内容にスターシステム的性質が依然言及されながらも,それは歌舞伎が高級文化であるという「ブランド」が所与である前提のうえでしか看取されないため,スターシステムという語が一般に帯びる低級性に直結されることはない.
著者
坂井 愛理
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.119-137, 2020 (Released:2021-07-16)
参考文献数
26

生活の質向上を目的とした今日の治療ケアにおいて,専門家には,患者の普段の暮らしぶりを把握し,患者の生活にあわせたサービスを行うことが求められている.本稿は,治療中のやりとりの中で,専門家が患者の生活行動に関する情報を引き出す方法を,訪問マッサージのサービス場面の会話分析を行うことによって明らかにした.データにおいて,治療中に新しい問題に気がついたという発話(「気づき発話」)を施術者が患者に向けると,症状に対する理由説明として,患者がその問題を普段の生活に差し戻すような説明を与えることが繰り返し行われていた.これらの説明は,施術者が,自らが知覚した情報を説明不十分なものとして組み立てることによって,患者から引き出されたものである.この間接的な説明引き出しの技法は,患者の参加が不可欠な形で症状を理解することを可能にしていた.なぜならこの技法においては,施術者の専門的所見は患者の説明によって裏付けられることを前提としているため,専門的所見を述べる活動の成否が患者の説明に依存しているからである.一方この技法は,治療において語られるべき患者の側の説明があるという施術者の想定を示すものであるため,患者の私生活を問題化するという特徴をもつことも見出された.このような実践を通して,専門家と患者の協働によって,症状を患者の日常生活から理解することが達成されていた.
著者
北村 匡平
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.230-247, 2017

<p>敗戦から1950年代にかけて, 大衆娯楽として最も隆盛していた映画は, 多くの国民的スターを輩出した. この時代のスターダムにおけるスターイメージの変遷とそれを価値づける言説に, 大衆の欲望モードの変化がみられるのが1955年頃である. 本稿は, 原節子と高峰三枝子に代表される占領期的な欲望を体現する‹理想化の時代›から, 1955年以降の若尾文子を代表とする‹日常性の時代›への推移を見取り図として, 映画スターに対する大衆の欲望モードの偏差を浮上させることを目的とする.</p><p>この転換期, 大衆の集合的欲望を最も引き受けていたのは若尾文子であった. 超俗的な美貌をもった占領期のスター女優とは異なり, 若尾文子を価値づける言説は, 「庶民的」「親近感」「平凡」であり, 大衆の‹日常性›を体現するペルソナを呈示していたからこそ彼女はスターダムの頂点にのぼりつめることができた. 本稿は, 娯楽雑誌におけるスターの語られ方を分析することによって, 経済発展だけでは説明できない言説空間の変容を捉える. そこで見出されるのは, 占領期の‹理想化›された社会を象徴するスターへの反動として, 大衆文化を具現する‹日常›の体現者を称揚する言説構成である. スターを媒介にして自己を見つめ返すようなまなざしの構造が生成する1950年代中頃, 若尾文子は「平均的」であることによって大衆の‹日常性›を演じ, 若者の「リアリティ」を体現したのである.</p>
著者
浜 日出夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.465-480, 2010-03-31

近代社会は,均質で空虚な空間のなかに位置する社会がやはり均質で空虚な時間のなかを前進していくものとして自らの姿を想像してきた.そして,近代社会の自己認識として成立した社会学もまた社会の像をそのようなものとして描きつづけてきた.<br>本稿では,「水平に流れ去る時間」という近代的な時間の把握に対して,「垂直に積み重なる時間」というもう1つの時間のとらえかたを,E. フッサール・A. シュッツ・M. アルヴァックスらを手がかりとして考察する.<br>フッサール・シュッツ・アルヴァックスによれば,過去は流れ去ってしまうのではなく,現在のうちに積み重なり保持されている.フッサールは,過去を現在のうちに保持する過去把持と想起という作用を見いだした.またシュッツは,この作用が他者経験においても働いていることを明らかにし,社会的世界においても過去が積み重なっていくことを示した.アルヴァックスによれば,過去は空間のうちに痕跡として刻まれ,この痕跡を通して集合的に保持される.<br>この考察を通して,時間が場所と結びつき,また記憶が空間と結びつく,近代的な時間と空間の理解とは異なる,〈記憶と場所〉という時間と空間のありかたが見いだされる.
著者
竹田 恵子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.201-221, 2016

<p>多くの知識が手軽に入手できるようになった現代では, 科学知識の入手において専門家と素人の垣根が崩れつつある. 本稿では, 生殖医療に関する科学知識の蓄積とこれを媒介するメディアの充実が, 現代の生殖医療患者にどのような影響を与えているかを検討した. 11名への聞き取り調査から, 現代の生殖医療患者は治療経過に沿って異なる科学知識の収集を行っていることが明らかになった. 治療当初は医療専門家, 知人, 書籍・雑誌, ウェブサイトから基礎的な科学知識を収集し, 治療が高度化する際には個人にあった知識を入手していた. そして, 彼女たちは知識を収集するなかで治療経過に関する標準化されたプロトコルを理解のなかに作り上げることが認められた. ただし, 協力者は, 治療が長期化すると妊娠しない原因を指摘する科学知識から遠ざかり, あえて知識収集しなくなると同時に, 医師の前で「素人」を演じるようになることもわかった. 現代の生殖医療患者は大量の科学知識に囲まれ, その収集を続けるなかで生殖医療に関する不確実性にも触れるようになる. その結果, 現代の生殖医療患者は科学知識に頼っても妊娠するとは限らないことを経験的に理解する. そして, これまで手に入れた科学知識がなかったかのように振る舞いながら, 医師の言動を静かに査定する. 現代の生殖医療患者は, 様々なメディアと自らの経験などから作り上げた独自の専門知識を駆使し, 妊娠を目指していた.</p>
著者
宮原 浩二郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.92-94, 1995-06-30 (Released:2009-10-19)
著者
安藤 丈将
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.239-254, 2014

本稿では, ラ・ビア・カンペシーナ (LVC) を中心とする小農民の運動について考察する. LVCは, 現在のグローバル政治の中で影響力をもつ行為者であるが, いかなるフレームが農民をエンパワーさせ, さまざまな人びとを連帯させているのだろうか.<br>LVCのフレームの特徴は, 第1に, 貧しく, 弱く, 時代遅れと見なされていた小農が, 貧困と排除なき未来を切り開く存在として読み替えられていることにある. このフレームは, 「北」と「南」を横断するかたちでアグリビジネスの支配にあらがう政治的主体を定めることを可能にした.<br>第2に, 小農の争いの中心が文化に置かれていることにある. 「食料主権」というスローガンのもと, 小農が自己の経済的利益だけでなく, 食べ物に関する自己統治を問題にする存在という位置づけを与えられているため, 労働者や消費者も含めた広い支持の獲得が可能になっている.<br>第3に, 小農が知識を分かち合うということである. これは企業による知識の独占とは対極に位置づけられ, 小農は小規模であるがゆえに共存共栄できるという信念を作り出し, 相互の連帯を促進している.<br>最後は, 小農は路上だけでなく, 農場でも抵抗することにある. 少ない資源を有効に利用し, 市場との関わりを限定的にしながら, 自らの労動力を使って生産する. LVCの運動の主体は, この方法を実践している組織された農村の専業農家だけでなく都市の半農を含み, 多様な生産者の層にまで広がっている.
著者
玉野 和志
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.549-558, 2005-09-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
11
被引用文献数
1
著者
千田 有紀
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.91-104, 1999-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
32
被引用文献数
6 2

本論文では, 日本の家族社会学の問題構制をあきらかにする。家族社会学そのものをふり返ることは, アメリカにおいては, ロナルド・ハワードのような歴史家の試みが存在しないわけでもない。しかし日本の家族社会学自体が, どのような視座にもとづいて, 何が語られてきたのかという視点から, その知のあり方自体がかえりみられたことは, あまりなかったのではないかと思われる。日本の社会科学において, 家族社会学は特異な位置をしめている。なぜなら, 家族研究は, 戦前・戦後を通じて, 特に戦前において, 日本社会を知るためのてがかりを提供すると考えられ, 生産的に日本独自の理論形成が行われてきた領域だからである。したがって, 日本の家族社会学の知識社会学的検討は, 家族社会学自体をふり返るといった意味を持つだけではなく, ひろく学問知のありかた, 日本の社会科学を再検討することになる。さらに, 家族社会学は, その業績の蓄積にもかかわらず, 通史的な学説史が描かれることが, ほとんど皆無にちかかった領域である。そのことの持つ意味を考えながら, ある視角からではあるが, 家族社会学の理論・学説の布置連関を検討する。
著者
吉澤 弥生
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.170-187, 2007-09-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
32
被引用文献数
3 1

現在,芸術が日常生活や社会の中に浸透する動きをみせている.文化政策の基盤も整備されつつあり,そこでは文化芸術が人々の生活の質の向上や社会の活性化に寄与すると位置づけられ,その創造と享受への保障がうたわれている.文化芸術の社会性,公共性に注目が集まっているのだ.大阪市は2001年に実験的芸術の振興を通して都市の活性化をめざす画期的なプランを策定した.その現場の1つ「新世界アーツパーク事業」では,4つのアートNPOが自らの表現活動を探求する中で,市民と芸術の接点を拡大し,地域との信頼関係を深めることに成功していた.この意味で実験的芸術への支援は,人々の日常生活の見直しや地域の活性化といった,発達過程として文化の育成に関与したと言える.だが文化庁の動向と同じく,大阪市は伝統芸術と市場価値のあるものへの支援へと方針を変えようとしている.芸術は価値観の表現である.芸術を通した共同作業の中で人は,自己や他者,地域や社会といった問題と必然的に向き合う.こうした公共的な場を作るアートNPOの活動は,市民の自発的参加による市民社会構築の契機ともなりえている.文化政策においては支援対象の偏りや行政とNPOとの協働の仕方などの問題があるが,文化芸術の公共性をふまえ,多様な価値表現を認める寛容さと,文化の「涵養」に時間をかけて取り組めるような文化を持つことが望まれる.