著者
有末 賢
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.33, no.4, pp.37-62, 1983-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
31
被引用文献数
2 2

都市の祭礼の特徴は、地域社会、特に祭祀組織との関連で表われてくる。従来の都市祭礼研究では、祭礼の過程については把握できるが、地域住民の生活や都市の社会構造との関連ではまだ議論の余地があるように思う。そこで本稿では、東京都中央区佃・月島の住吉神社大祭を例に、祭礼の過程と構造を祭祀組織の重層性に視点を置きながら見ていく。まず氏子地区の地域特性を佃島と月島地区に分けて記述し、祭祀組織の形態の相違から佃島の祭りを祭礼の内部構造とし、月島の祭りを祭礼の外部構造とした。まず内部構造においては、祭祀組織である住吉講の組織原理として、年齢組と町組によって支えられる地縁性とそれに対するアイデンティティが確認された。しかし、その地縁性は次第に変化してきており、これに対する祭祀組織としての対応も重要である。それに対して祭礼の外部構造である月島地区においては町内会を基礎とする祭祀組織の形態が見られ、広域町内を氏子区域とし、多様な参加階層を含む都市祭礼の特徴が確認できる。以上のように祭礼を記述した後で、内部構造と外部構造の関係を地域社会構造の一つの反映として考察していく。内部と外部を区別する祭祀組織の形態は、住民の居住歴や居住形態と深くかかわっており、地縁性とその変化は大都市社会変動の過程の中で見ていかなければならない。最後に都市祭礼と都市民俗研究の意義と課題についても触れられる。
著者
篠木 幹子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.85-100, 2002-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
22
被引用文献数
1

環境配慮行動の実行に前向きであるにもかかわらず, 環境配慮行動に取り組んでいない人々が現実には少なからず存在する.本稿では, リサイクル行動の中でも, ビン・缶のリサイクルと牛乳パックのリサイクルに焦点をあて, 態度と行動の間に矛盾を抱える個人のリサイクル不実行のメカニズムを検討する.ここでは, Diekmann and Preisendöfer (1998) によって提唱された3つの正当化の戦略 (注意変更戦略, 高コスト戦略, 主観的合理性戦略) を修正し, 新たに「行動貶化戦略」を加えて, 正当化に関する修正モデルが一般的な合理的選択理論のモデルの観点から捉え直せることを示した.次に, 各戦略に関する予測を導出し, 仙台市において実施した調査データを使用して分析を行い, 予測を検証した.その結果, 態度と行動の間に矛盾のある人の中で, 行動貶化戦略をとる人はほとんどいないことが明らかになった.また, 注意変更戦略に関しては, 正当化が行われる可能性を推測できるが, 明確な傾向は得られなかった.これに対して, コスト戦略, 主観的合理性戦略は, リサイクルの種類にかかわらず正当化が行われる傾向がみられた.
著者
岡部 悟志
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.514-531, 2008-12-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
25
被引用文献数
2

本稿は,子ども期から成人期にかけての能力形成の過程を計量的に検討するものである.本田(2005)は,子ども期の家族コミュニケーションが豊富であることが,意欲や対人関係力,人柄,情動などを含めた学力以外の能力(=能力β.注4参照)を高める主な規定要因であると結論づけている.この本田の研究成果に検討を加えたうえで,新たに子ども期の家庭の経済状況,コミュニケーション対象の家族内から家族外への移行という2つの要因を付加した作業仮説モデルを構築し,調査データによる検証を行った.その結果,能力βの形成に対して,他の変数の影響を取り除いたうえで観測される家族コミュニケーションの直接的な効果は,本田が主張するほど決定的な影響力をもっていないこと,その一方で,出身家庭の経済力の関与や,家族コミュニケーションから家族外コミュニケーションを媒介した間接効果(=子どもの社会的自立の過程)などが,一定の影響力をもっていることが明らかとなった.この分析結果は,能力βの規定要因をもっぱら家族の内部に求めるものではなく,むしろ,家族の外部の資源をいかした能力βの形成ルートが存在することを意味している.以上を踏まえ,さいごに,能力形成の格差・不平等問題に対する政策的介入の可能性や,過剰なまでに高まった家庭の教育力言説をクール・ダウンさせる可能性などが示された.
著者
木下 康仁
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.58-73, 2006-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20
被引用文献数
1 1

グラウンデッド・セオリー・アプローチ (GTA) は1960年代に医療社会学分野で先駆的な業績を残したGlaserとStraussによって考案され, データに密着した分析から独自の理論を生成する質的研究法としてヒューマンサービス領域を中心に広く知られ, また実践されている.本稿では, この研究法が考案された背景とその後現在に至る展開を, これまで十分に検討されてこなかった対照的な訓練背景をもつ2人の協働の実態, 結果として生じた分析方法のあいまいさを論じている.また, 質的研究でありながらデータ至上主義とも呼べる立場にたち, 理論を独自に位置づけているこの方法におけるデータの分析と理論生成の関係について考察し, さらに質的研究法の中でのGTAの位置づけと実践の理論化に果たしうる役割について論じた.社会学を出自とし, 社会学からみれば応用領域にあたるところで広く関心をもたれているGTAは, 日常的経験を共有可能な知識として生成する研究方法論として期待され, 結果として社会学へと越境する研究の流れをもたらすうえで重要な役割を果たしてきたと考えられる.研究対象を求めて他領域に越境してきた社会学自体が, 現在では逆に越境される対象になっており, 対象を共有しつつ社会学とヒューマンサービス領域との問で研究内容をめぐりダイアローグが開ける局面が出現している.
著者
松田 素二
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.499-515, 2003-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
45
被引用文献数
1

社会調査のなかでも近年, エスノグラフィーやライフヒストリーなどの手法を用いた研究の進展はめざましいものがある.こうした調査の興隆とは裏腹に, 方法論的にみると, フィールド調査に代表される質的調査は, 一貫して周縁的位置に置かれてきた.さらに1980年代半ばに起こった民族誌への根源的懐疑の思想運動は, フィールドワークとそれにもとづくエスノグラフィーの可能性を基本的に否定する方向に作用した.フィールド調査の未来はあるのだろうか.この問いかけを考えるとき, 1970年代に行われた社会調査をめぐる似田貝-中野「論争」は, 今日的意義を失っていない.調査する者とされる者とのあいだの「共同行為」として調査を再創造しようという似田貝と, そこに調和的で啓蒙的な思潮を読みとり, する者とされる者とのあいだの異質性をそのままにした関係性を強調する中野のあいだの論争は, 時代性を超えて, 2つの重要な問題を提起している.ひとつは, セルフをどのように捉えるかという問題であり, もうひとつは, 立場の異なるセルフ間の理解と交流はいかにして可能かという問題である.前者は, 共同性 (連帯性) をめぐる存在論の議論に連なり, 後者は, ロゴスと感性による対象把握に関わる認識論の議論につながっていく.本論では, フィールド調査における, 実感にもとづく認識と理解の可能性を検討する.
著者
高谷 幸
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.124-140, 2009-06-30 (Released:2010-08-01)
参考文献数
23
被引用文献数
1

1990 年代頃から議論されるようになった「公共圏」論は,同一性を基盤としない政治空間の可能性を模索してきた.この中で,マイノリティによる支配的な社会構造への対抗を強調する対抗的公共圏や同一性を基盤としない共同性である創発的連帯のあり方が議論されてきた.しかしこのような創発的連帯が,あるカテゴリーにもとづく対抗的公共圏として現象することは,いかに可能だろうか.本稿で検討した,非正規滞在移住労働者を組織化してきた全統一では,創発的連帯と脱国民化された公共圏は,一方で移住労働者の生活にかんする要求を充たす社会圏と,移住労働者に「労働者」としての規範を内面化させる親密圏を基盤にすることで成立していた.つまり社会圏に集まる数多くの移住労働者は,規範の共有にかかわらず公共圏に「動員」される.同時に,親密圏の位相で「労働者」の規範を内面化した少数の移住労働者は公共圏に現れ,脱国民化された「労働者」という対抗性を表現していた.こうして全統一では,同一性を基礎としない創発的連帯が公共圏内部で生み出されながらも,外部から見れば「労働者」の脱国民化された対抗的公共圏が現象していた.つまりアイデンティティ・ポリティクスに陥らないかたちでの対抗的公共圏は,複数性と対抗性が公共圏の内部と外部で区分されることで可能になっている.
著者
相澤 出
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.577-594, 2021 (Released:2022-03-31)
参考文献数
31

本稿では東北地方の過疎地域の家族の変化を,家族の介護に対する向き合い方に着目することによって提示する.地域医療を担い,自らも地域住民である医師と看護師の視点から捉えられた患者と家族の姿は,現代の過疎地域の家族の一面と,過去との差異を鮮明なものとする.検討するのは,宮城県登米市の事例である.先行研究において登米市は,多世代同居の直系家族と同居志向の強さが典型的に見出される地域とされてきた.しかし,登米市の今日の在宅医療の現場での聞き取り調査からは,地域社会や家族のあり方に変化の兆候が確認された.介護負担の増大に対して,介護施設の積極的利用が家族によってなされていた.この地域は在宅医療の担い手や社会資源に恵まれており,医療や福祉の専門職も家族の介護負担を軽減するためのケアに積極的である.こうした条件下で,過去とは違い,同居家族による介護は家族や親族,地域社会のなかで規範的に期待されるものではなくなりつつある.さらに患者や介護に直面する家族は,多様な家族成員や親族のネットワークによって支えられていた.近居や世代間の違いへの配慮の大きさなども,家族や地域に確認された.現代日本の介護をめぐる諸制度は,いまだに同居家族の介護負担を暗黙の前提としている.しかし,典型的に多世代同居が見出されるとされてきた過疎地域の介護現場にも,こうした前提にとらわれないケアや家族の姿が見出されている.
著者
小熊 英二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.524-540, 2000-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
36

本稿は, 日本における共同性と公共性の意識形態を, 国際比較を交えた近代国家形成の歴史的経緯から考察したものである.フランスにおける近代国家形成は, 中央政府主導により, 地方の旧勢力を打破するかたちで進められた.そこでは, 前近代的な地方共同体が否定されることによって, 地域を越えた国家大の共同意識と, 自立した近代的主体意識を合わせ持つ個人=国民が析出され, 地方共同体の前近代的公共性に代る近代的公共性は, 国民=国家に求められるという理念が生まれた.それにたいしアメリカでは, 開拓移民による地域コミュニティの連合体として国家形成がなされた.このため, あらかじめ近代的主体意識を備えている個人= 市民が, 自発的に集合して地域コミュニティをはじめとした中間集団を形成するのであり, 共同性と公共性は主にそうした中間集団で実現され, 国家= 中央政府はそれに介入するべきではないという理念が発生した.すなわち, 前近代的共同体から解き放たれた主体意識を持つ個人が, 従来の共同体に代る近代的な共同性や公共性を実現してゆく場としては, 前者では国民国家が, 後者では中間集団が想定されている.しかし日本の近代国家形成では, 地方や家族, あるいは学校・企業などの中間集団は, 構成員にたいする前近代的ともいえる拘束機能を残したまま, 国家の下部組織として中央集権制と接合されるという経緯をたどった.このため, ここでは個人の主体性確立と共同性の希求は二律背反関係であり, 共同性とは主体意識を放棄した集団への埋没なのであって, 近代的な公共性は中間集団にも国家にも求めえないという意識が広がりがちとなる.

2 0 0 0 OA 自我のゆくえ

著者
船津 衛
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.407-418, 1998-03-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
45

人間の自我は他の人間とのかかわりにおいて社会的に形成される。自我は, こんにち, 社会の分化・多様化, 変化・変動の進行などによって複雑なものとなっている。そして, 自我は自立的な「個体的自我」から, 依存的な「関係的自我」に変わっている。現代人の自我はいくつもの小さなアイデンティティからなる自我となる。いわゆる「自我の危機」といわれるものは合理的, 自立的, 統一的である「近代的自我」のイメージの消滅であり, 関係的, 多面的・多元的, 感情的, 断片的, 流動的な自我の出現であるといえる。他方, 現代社会に特徴的な「役割コンフリクト」に対して, 人々は「役割選択」, 「役割中和」ないし「役割調整」, 「役割コンパートメント化」によって乗り越えようとし, また, 「役割脱出」を試み, また「印象操作」や「役割距離」行動を行なって対処している。けれども, 「役割コンフリクト」の解決には, 他者の期待に働きかけ, それを修正し, 再構成する「役割形成」が必要とされる。人間は社会構造の現実を認識し, それに意味を付与し, それにもとついて自己をリフレクションする。そして, 「内的コミュニケーション」を活性化して, 「解釈」過程を展開することによって, 主体的な行為を形成し, 社会の変容を行なうことができるようになる。
著者
三上 剛史
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.687-707, 2007
被引用文献数
1

以下の論考は, 道徳に対する現代社会学のアンビヴァレントな関わりを, 社会学が現在直面している社会情勢から再考し, 社会学という学問が, そのそもそもの成立において孕んでいた契機を反省する営みとして提示するものである.検討の対象となるのは, グローバル化の中で改めて「社会とは何か」を問う理論的諸潮流であり, また, 「福祉国家の危機」およびリスク社会化によって明らかになりつつある「連帯」の再考である.まずは, U.ベックを始めとして各方面で展開されつつある, グローバル化とともに「社会」の概念そのものが変革されなければならないという議論を糸口として, 「社会的なもの」とは何かを問い直してみたい.<BR>それは, 福祉国家の前提となっていた「連帯」の概念を再検討しながら, M.フーコーの「統治性論」を通して近代社会の成り立ちを問う理論的潮流に繋がるものであり, 同時に, N.ルーマン的意味でのシステム分化から帰結する道徳的統合の「断念」, あるいは新しい形での連帯の可能性を問うことでもある.<BR>これは, なぜ社会学という学問が成立しえたのかを自問することでもあって, グローバル化の中で「社会」という概念の妥当性と社会学の可能性が再検討されている今, 避けて通ることのできないテーマである.
著者
林 拓也
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.359-375, 2012-12-31 (Released:2014-02-10)
参考文献数
26
被引用文献数
1

職業アスピレーションは, 職業達成のプロセスに関わる社会心理的な媒介要因として位置づけられる志向である. 近年の日本の状況を扱った実証研究によると, それが達成プロセスと遊離しつつあるということが示唆されているが, こうした結果については慎重な検討を要する. アスピレーションの測定に際して, 「地位」の優位性と一次元性が前提とされているためである. そこで本稿では, 職業の一次元的な「地位」に限定されない, 職業間の「類似性」に着目するアプローチから職業志向を導出し, それに基づいてアスピレーションについての再検討を加えていく. 分析に用いたデータは, 2008年に東京23区在住の25~39歳男性雇用者を対象とした調査により得られたものである. このデータに対し, 職業間類似度に基づく認知構造の析出, その構造における職業選好の方向, そして志向と達成プロセスとの連動について段階的な分析を展開した. 認知特性の次元としては, 「安定的地位」「組織/技能」「裁量」が析出され, 個々人の選好データに基づいてそれらに対する志向が計測された. また, 各志向が回答者自身の職業など客観的属性と関連していることから, 達成プロセスとの連動も確認された. そのうえで, これまでのアスピレーション研究との接合や今後の課題について議論を展開した.
著者
濱 貴子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.320-337, 2018

<p>本稿では, 戦前期の大衆婦人雑誌『主婦之友』における職業婦人イメージの形成と変容を明らかにする. 『主婦之友』では, 会社や学校, 病院, 百貨店などに勤める女性が典型的な職業婦人とみなされていた. 第1期 (1917-27年) には, 女性は妻・母という天職を重視すべきで, 職業婦人は腰掛的で誘惑に陥りやすいとみなされ, 女性の就職に否定的な論調が主流であった. 就職するとしても, 男性就業者と競わない綿密さや柔和さを生かした女性の適職に就くべきで, 職場での処世が「成功」であると説かれ, 女性の職業アスピレーションは冷却されていた. 第2期 (1928-37年) に入ると, 職場における裁縫や料理などの家庭教育の実施とともに, 単純補助労働, 感情労働という職業婦人と主婦の労働の共通点をもとに実務教育により忍耐強さや感情管理能力も身につくと説かれ, 就職は花嫁準備教育として推奨されていった. そのうえで「結婚=幸せな主婦」という「成功」が説かれ, 女性の職業アスピレーションは加熱されていった. 以上の過程をへて「職業婦人」と「主婦」のイメージは接続され, 参政権などの諸権利を制限された状況下における女性のライフコース規範は構築されていった. この規範は, 職業婦人の周辺労働を娘の花嫁準備教育として正当化し, かつ, 結婚の途上にある未熟な娘としての職業婦人を引き立て役として主婦という存在の正当性を強化することに寄与するものであった.</p>
著者
梅沢 精
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.31-46, 1994-06-30 (Released:2010-05-07)
参考文献数
47

本稿はデュルケム社会学の展開途上にあらわれた二つの社会変動論に焦点をあわせ, 両者の比較検討をおこなったものである。前期デュルケムの社会変動論である〈形態学的社会進化論〉は『社会分業論』で論じられた「機械的連帯から有機的連帯へ」という周知の進化図式に結晶した社会変動論である。この理論においては, 変動の原動力は「社会的基体」であり, その進化すなわち未分化かつ同質的なものから異質的なものによる分業組織への移行にしたがって, 社会の在り方が変化するとされる。しかもこの進化は自然史的かつ必然的な社会の運動であり, 集合意識の在り方や個人意識の在り方もその社会的基体の様式によって規定されるのである。他方, 後期に展開されるのが〈沸騰的社会変動論〉というべきものである。ここにおいて, デュルケムは宗教研究の成果である「集合的沸騰 effervescence collective」 の概念を統合理論から変動理論に応用し, 人びとの身体的近接性を基盤とした闘争的でさえある集合的活動それ自体が新たな社会的理想を生み, 社会を作り替えて行くという変動理論を打ち出している。前期の静態的な変動論に対して, 後期のは動態的さらにはドラスティックな変動論ということができよう。しかし, 両者はデュルケム社会学のうちで, 必ずしも和解不可能な理論ではないと思われる。
著者
青山 賢治
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.679-694, 2013

本稿は, 消費社会化が起こるための必要条件にかんする分析である. 消費社会化は, 余剰生産力と需要の関係において問題とされるが, それは十分条件ではない. アメリカの場合, 生産力の余剰に先行して, 空間の余剰があったことが記号論的空間の成立をもたらしたと考えられる. 本稿は, アメリカの西部フロンティアにかかわる空間編成を系譜学的に分析し, そこから記号論化された消費社会の成立を問題にする.<br>19世紀初頭, 未踏で表象不可能な空間であった西部は, 博物誌, 地誌学の調査によって表象の空間へ移される. 1830年代, 表象 (不) 可能性の境界上で, 歪んだイメージを介したフロンティアが語られる. 19世紀半ば, 移住者向けガイドブックに, 博物誌, 新聞, 広告, 誇張話などが並置された記号論的領域が登場する.<br>大陸横断鉄道以後, フロンティアは空間的外縁ではなく, 双極的時間の運動として現れる. レール沿線における未開と近代技術の接触から, フロンティアの不確定な前進=消滅が起こる. この不確定性が消滅したところでは, 都市と農村の形成が同時代的に実現される. 他方, 古いイメージと新しいメディア技術という双極性から, オールド・ウェストという「西部的なもの」の舞台や映画が成立する. カタログという商品=広告は, 都市と農村という空間的隔たりを, 最新モードのうちに結びつけ, 欲望を記号論的空間のなかで分節することで, 消費社会化をもたらす.
著者
石田 淳
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.182-200, 2016
被引用文献数
4

<p>本論は, 「ブール代数分析による社会的カテゴリー分析」の枠組みを用いて, 2013年に実施されたインターネット調査により, 人びとのナショナル・アイデンティティを「日本人の条件」として把握し, その様態と社会的属性との関連を分析することを目的とする. 具体的には, 国籍・在住・血統・言語の4条件の組み合わせによる16パターンのプロフィールを回答者に提示し, 「日本人」だと思うか否かの2値評価を求め, 関連する意識や属性・社会経済的地位などの要因との関連を探った.</p><p>分析の結果, 以下のことが明らかになった. まず, 回答者のイメージを統合した統合イメージについて分析した結果, 基本的に血統を必要条件とする条件組み合わせで構成されていた. 次に, 背後にある意識が日本人判断にどのように関連しているかを分析した結果, 国に対する誇りの高さは「血による包含」と, 排外主義は「血による排除」と, 同化主義は「文化による排除」と強く結びついていることが分かった. 最後に, 血統もしくは国籍に寛容的な日本人条件イメージが, 回答者の属性や社会経済的地位, 社会的経験とどのように関連しているのかを探った. その結果, 地域社会における外国人との接触経験や, 年齢の若さや学歴の高さといった外国人への寛容性と関連する属性・地位要因が, 異質性に寛容的な国籍拡張型のイメージの可能性を高め, 同質性に寛容的な血統主義的なイメージ拡張の可能性を低めることが確認された.</p>
著者
伊藤 康貴
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.281-296, 2020 (Released:2021-09-30)
参考文献数
43

本稿の目的は,社会における既存の価値観を変えようとする社会運動として「ひきこもり」の当事者活動を検討することである.まず,「ひきこもり」の当事者活動をマイノリティの社会運動として捉える視点を検討する(2 節).「ひきこもり」の当事者が,支援の〈受け手〉から活動の〈担い手〉へと研究の焦点が移行していることを踏まえ(2.1),「ひきこもり」の当事者活動が社会変革を指向する社会運動であることを確認し(2.2),「ひきこもり」の当事者の存在証明戦略のあり方としての私的戦略(「印象操作」「補償努力」「他者の価値剥奪」)と集合的戦略(「価値の取り戻し」)を検討した(2.3). 次いで,当事者の語りを検討しつつ,2000 年代の自己変革から(3.1),2010 年代の制度変革へ(3.2)と当事者活動を支える言説状況が変化したことを考察した.そして,「ひきこもり」の実像を伝えるための当事者発信の台頭(4.1),「対話」を通じた「ひきこもり」像の変容を目指す対話型イベントへのシフト(4.2),協働して当事者活動をすることによるネットワーク形成(4.3)の3 点を通じて,当事者活動が価値を取り戻す社会運動として拡大していく過程を論じた.本稿を通じて,「ひきこもり」の当事者活動は,「ひきこもり」に対するかつての逸脱のイメージを転換し,社会における既存の価値観を変えようとする社会運動であることが明らかとなった.
著者
小泉 義之
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.209-222, 2004

健康と病気の社会構築主義は, 生物医学モデルを批判し, 社会モデルを採用した.そして, 健康と病気を生命現象ではなく社会現象と見なした.そのためもあって, 社会構築主義において批判と臨床は乖離することになった.そこで, 健康と病気の社会構築主義は心身モデルを採用した.心身モデルとゲノム医学モデルは連携して, 心理・社会・身体の細部に介入する生政治を開いてきた.<BR>これに対して, 生権力と生命力がダイレクトに関係する場面を, 別の仕方で政治化する道が探求されるべきである.
著者
渋谷 知美
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.447-463, 2001-03-31
被引用文献数
2

本稿では, 現代日本の社会学 (ならびに近接領域) において行われている「男性研究者による男性学」「女性研究者による男性研究」の問題点をフェミニズムの視点から列挙し, これをふまえて, 「向フェミニズム的な男性研究」が取るべき視点と研究の構想を提示することを目的とする.<BR>「男性研究者による男性学」批判においては, 男性学の概念「男らしさの鎧」「男性の被抑圧性」「男らしさの複数性」「男女の対称性」を取りあげて, 男性学がその関心を心理/個人レベルの問題に先鋭化させ, 制度的/構造的な分析を等閑視していることを指摘した.また, 「女性研究者による男性研究」批判においては, 「男性」としての経験を有さない「女性」が, 男性研究をするさい, どのような「立場性positionality」を取りうるのかが不明確であることを指摘した.<BR>そののち, 「向フェミニズム的な男性研究」の視点として, 第1に「男らしさの複数性」を越えた利得に着目すること, 第2に男性の「被抑圧性」が男性の「特権性」からどれだけ自由かを見極めることの2点を挙げ, それにもとづいた研究構想を提示した.
著者
菅原 祥
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.20-36, 2013

本稿は, ポーランドのクラクフ市・ノヴァ・フータ地区を研究対象として, 社会主義ポーランドにおけるノヴァ・フータがかつてそこの住民にとってどのように体験され, また現在ポーランドの言説空間の中でどのように扱われているか, また, ポスト社会主義と言われる現在において, 社会主義的「ユートピア」建設という過去とどのように向き合いうるかを検討することを目的としている. かつて「社会主義のユートピア」として讃えられ, 現在では社会主義の負のイメージを全面的に背負わされているノヴァ・フータという場所は, 当時の社会主義体制がめざした「ユートピア」像に対して実際にそこに住む住民たちはどのように反応・対処したのかを考え, さらに, ポスト社会主義の現在において, 社会主義の「過去」の経験がどのようなアクチュアルな意味をもちうるのかを考える際に格好のフィールドである. 本稿は, 雑誌資料や出版物などの二次資料をおもに扱いつつも, 適宜筆者が行ったインタビュー調査を参照しつつ, ポスト社会主義の「現在」における生の中でかつての社会主義的「ユートピア」の記憶と体験がもつ意味と, そうした過去を今あらためてアクチュアルなものとして問い直すことがもつ可能性を探求することをめざしている.
著者
永田 えり子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.603-616, 2000-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
14
被引用文献数
1

本稿はフェミニズムをはじめさまざまな角度から, 「公か私か」という言説がいまや無意味であることを見る.第1に, 公私は分離できない.何が私財で何が公共財であるかは, 実際には区別できない.「性の非公然性原則」は性の公共化を押しとどめる能力をもたず, したがって公私の境界維持機能を持たない.第2に, 公私の分離は不公正である.フェミニズムによれば, 公私の分離は女性, 性と生殖, 家庭を私的領域として分離することによって性差別を温存する.ならば今後問われるべきことは, 何が公で何が私か, という問題ではない.どのような正当性のもとで, 誰のどのような自由が認められるべきか, ということである.現在, 新たな共同性を築く鍵はこの点に存する.