著者
柄本 三代子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.521-540, 2015

本稿は, 東日本大震災後多くの人びとの関心を引きつけながら専門家の評価・判断が依然として分かれたままの, 福島第一原発事故後の放射能汚染による被ばくのリスクと不安について, わかりやすさが求められるテレビ報道において, いかに説明され語られているかを考察した.たんに福島第一原発事故後の被ばくのみを分析対象とするのではなく, 利用可能なアーカイブを駆使し, 広島・長崎原爆やチェルノブイリ原発事故をめぐる報道も分析対象とした. これにより, 被ばくの不安とリスクが語られる際の共通性抽出を目的とした. データは視聴可能なものの中から1986年から2014年までに放送された番組を対象とした. 科学的リアリティの構築に「素人の語り」がどのように寄与しているのかという点に着目した.数十年にわたる被ばくの語りを対象化することにより, 現在の被ばくの影響や不安についての関心が, 専門家によってはあいまいでわかりにくい説明がなされたまま, 未来へと先送りにされていく事態について明らかにした.専門家による言説だけでなく素人の言説も考察対象とすることにより, わかりやすさが求められるテレビジョンの中で, 科学的不確実性を多分にはらむ被ばくが語られる際には, 素人によってわかりやすい説明がなされるだけでなく, わかりにくい専門家の話を素人が支えることも必要とされている点についても明らかにした.
著者
伊藤 守
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.541-556, 2015
被引用文献数
1

本稿の目的は, 日本における映像アーカイブズの現状を概括し, そのうえで映像アーカイブ研究, とりわけテレビ番組アーカイブを活用した映像分析の方法を考察することにある. アーカイブに向けた動きが欧米と比較して遅かった日本においても, 記録映画の収集・保存・公開の機運が高まり, テレビ番組に関してもNHKアーカイブス・トライアル研究が開始され, ようやくアーカイブを活用した研究が着手される状況となった. 今後, その動きがメディア研究のみならず歴史社会学や地域社会学や文化社会学, さらには建築 (史) 学や防災科学など自然科学分野に対しても重要な調査研究の領域となることが予測できる.こうしたアーカイブの整備によって歴史的に蓄積されてきた映像を分析対象するに際して, あらたな方法論ないし方法意識を彫琢していく必要がある. あるテーマを設定し, それに関わる膨大な量の映像を「表象」分析することはきわめて重要な課題と言える. だが, 「アーカイブ研究」はそれにとどまらない可能性を潜在していると考えられるからである. 本稿では, M. フーコーの言説分析を参照しながら, アーカイブに立脚した分析を行うための諸課題を仮説的に提示する.
著者
松本 康
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.147-164, 2005-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
17
被引用文献数
5 4

Fischerの「下位文化理論」が都市における友人関係の興隆を予測して以来, 日本では都市度と友人関係に関する多くの調査研究がなされてきたが, その結果はまちまちであった.本稿では, 2000年に実施された名古屋都市圏調査のデータを用いて, 都市度と友人関係に関する経験的・理論的争点を検討する.分析の結果, 「友人興隆」仮説に反して, 友人数は都市度が増すにつれて減少していた.それは主に地元都市圏出身者が, 都市的地域で地元仲間集団を衰退させていたからである.しかし, 彼らの中距離友人数は, 都市度が増すにつれて増加していた.また, 遠距離友人数は, 都市度とは無関係で, 回答者の移動履歴の影響をうけていた.多くの経験的関連が移動履歴によって条件づけられていたという事実は, 社会的ネットワークの「選択-制約」モデルよりも「構造化」モデルを支持するものである.後者は, 諸個人の移動履歴によって関係資源の地理的分布が異なり, 都市圏内部に関係資源を豊富にもつ場合にのみ, 友人関係の再生産は都市度に影響されると強調する.さらにマクロにみると, 都市化の初期段階では, 移住者が多いために, 都市圏内部の社会的ネットワークは希薄であったかもしれないが, 一世代後には, 地元都市圏出身者の増大によって, 中距離友人ネットワークが増大すると推測される.こうして本研究は, アーバニズム理論に時間的・空間的視点を提供するものである.
著者
北澤 裕
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.58-76,124, 1984-06-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
20
被引用文献数
2

エスノメソドロジーは社会的行為を如何に捉えているのか、本稿ではこの課題を従来の社会学、特にパーソンズ理論との比較により明確にすることを目的としている。その際、比較の基準を行為者の主観性、もしくは主観的意味の問題に求める。この問題は、社会学が社会的行為を分析するに当り必要とされるばかりでなく、パーソンズ理論とエスノメソドロジーとの差が本質的にはこの問題をめぐって生じており、その相違を明確にすることで、エスノメソドロジーの理解とその存在価値を問うことができるからである。この観点から、まずパーソンズ理論での主観性概念を検討し直し、この概念と行為の状況との関係をエスノメソドロジーの視点と対照する。次に、エスノメソドロジーの主観性の取り扱い方の妥当性を指摘して、最後に、エスノメソドロジーを具体的に紹介する意味も含め、エスノメソドロジーの方法論に従った行為分析の有効性を、事例を提示しながら論じてみる。
著者
青井 和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.29-50,146, 1955-07-30 (Released:2009-11-11)

1. Although the 'Experimental Method' has played a central role in natural scientific investigation, in the field of the social sciences it has remained in a primitive stage. There are many approaches to the problem of experimental methods in sociological research, and marked differences in this respect between German, French and American methodology. (1) German methodology (as, especially, in M. Weber's Verstehende Soziologie or H. Freyer's Soziologie als Wirklichkeitswissenschaft) has emphasized the specific character of sociology and asserted that the essential purpose of sociology can be attained only if the experimental method is excluded from the methods of sociological research. This stand-point may be called the 'essential (ist) ' approach to experimental methods. (2) By contrast, French methodology (as, for example, in E. Durkheim's Les Regles de la Methode Sociologique) has directed attention to the process of logical inference and consequently, following J. S. Mill's system of logic, has claimed that sociological experiment is impossible. (Essentially, Durkheim's 'concomitant method' or 'comparative method' is not experimental.) This standpoint may be called the 'formal logical' approach. (3) Lastly, in American methodology (see, for example, G. Lundberg's Social Research) 'the methods of social research' means 'the techniques of gathering data' and methodology begins and ends with the consideration of methods of research and has thus been largely concerned with the technical difficulties of sociological experiment. This may be called the 'technical' approach. 2. The origin of these different standpoints may be traced back to the traditional character of sociology in these countries and to the peculiar nature of their social structures, but, at all events, these have been the main barriers to experimental sociology. What, then, is experiment ? An experiment consists of two elements : the 'verification of hypotheses' and the 'creation of experimental conditions'. The former is the theoretical aspect and the latter the practical aspect. If we neglect either one we shall fail not only to grasp the essential nature of experiment (as, for example, did E. Greenwood, who neglected the practical aspect and included what he calls 'ex-post-facto experiment' in the category of experiment) but also to understand the nature of inference from individual instances to generalisations, the advance from correlation to causation, or the practical significance of experiment. From these points of view, we must, I think, include only Goode and Hatt's 'quasi-experiment', French's 'field experiment', Greenwood's 'projective experiment' and 'stochastical experiment', in the category of experiment proper, and must exclude from it 'natural experiments' ex-post-facto experiment', 'trial and error experiment' and 'controlled observation study. (These are preliminary stages to experiment itself.) 3. The aim of experimental procedure is the determination of geno-typical phenomena or relationships ; the discovery of 'laws'. If such 'laws' can be discovered they will not only influence sociological concepts and theories, they will bring sociology itself out of the stage of verstehen or 'interpretation' to that of 'application'. For the 'futility' of sociological studies depends not only on their purpose, but also on the character of traditional sociological theories and the type of 'laws' they have been concerned to establish.
著者
柴田 悠
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.116-133, 2014
被引用文献数
2

日本では, 1998年以降, 貧困や孤立といった社会的状況によって自殺に追い込まれる人々が増えた. 憲法第13条において「国民の生命の権利を最大限尊重すべき」とされている日本政府には, 社会政策によってそのような状況を改善し, 不本意な自殺を予防する責務がある. では, どのような社会政策が自殺の予防に有効なのか.<br>本稿では, 公的な職業訓練・就職支援・雇用助成を実施する「積極的労働市場政策 (ALMP)」に着目した. ALMPは, 「孤立した貧困者」を他者 (支援スタッフや訓練参加者) や労働市場へと繋ぎとめ, 社会経済的に包摂する機能をもつ. 自殺にもっとも追い込まれやすいのが「孤立した貧困者」であるならば, 日本においてALMPは彼らの自殺を予防できるのだろうか. あるいは逆に, 彼らを自殺へとますます追い込んでしまうのだろうか. そこで本稿は, この問いに対して実証的に答えることを目的とした.<br>先行研究よりも広範なデータと比較的精緻な推定モデルで分析した結果, 自殺率の増減の一部は, 失業率上昇率の増減 (貧困者の増減) と, 離婚率の増減と新規結婚率の減増 (孤立者の増減), ALMP支出の減増 (孤立した貧困者の放置/包摂) によって説明できた. またそれらの要因は, 日本での1991~2006年の自殺率変動 (前年値からの変化) のおよそ10~32%を説明した. 他方でALMP以外の社会政策は, 有意な自殺予防効果を示さなかった.
著者
村上 あかね
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.319-335, 2011-12-31
被引用文献数
1

本稿の目的は, 離婚による女性の生活の変化を, 縦断的データを用いて明らかにすることにある. 家族と格差の問題を考えるうえで離婚は重要なライフイベントである. しかしながら, 日本では離婚の発生自体があまり多くはなかったこと, ライフコース研究に適した縦断的データの蓄積が少なかったことなどの理由から, 離婚に関する研究は決して多くはなかった. しかし, 今後, 経済の低迷や価値観の変化に伴って, 離婚が増えることが予想される. 子どもが貧困状態に陥る大きな要因の1つは親の離婚であり, 貧困が子どもの発達, 教育達成・職業的達成などその後のライフチャンスに及ぼす影響は社会的にも大きな関心を集めている. 離婚と社会経済的格差について検討することは, 今後重要性を増すといえよう.<br>1993年から実施されている全国規模のパネル調査データに対して, 固定効果モデル・変量効果モデルを用いて分析した結果, 離婚によって等価世帯収入が大きく減少することが明らかになった. 夫からの養育費や児童扶養手当などの社会保障給付も決して多くはなく, 離別女性は経済的自立を迫られているが容易ではない. 母親が就労していても母子家庭の経済状況は苦しく, 離婚後の生活を支える仕組みをどのように構築するか検討が求められる.
著者
宮本 結佳
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.391-407, 2012-12-31 (Released:2014-02-10)
参考文献数
25
被引用文献数
2

近年, 過疎等多くの問題を抱えた農山漁村において, 観光への取り組みが活発化している. 先行研究においてこれまで明らかにすべき問題として残されてきたのは, 第1に「来訪者とのいかなる相互作用によって住民は認識を転換し, 主体的な対応を生起させるのか」, 第2に「アクター間の関わりの結果, いったいどのような資源が新たに生成されるのか」の2点である. 本稿では, 現代アートを媒介として地域の環境を保全し, それらの資源を生かした観光に取り組んでいる香川県直島の事例を通じ, この問いについて検討した.第1の問いに対して分析を通じて明らかになったのは, 相互作用を通じて来訪者のまなざしを知り, 観光における有力な資源を自らがコントロールしえるという状況を認識してはじめて, 住民の側の主体的な対応が生起するという事実である. さらに, 第2の問いに対して分析を通じて明らかになったのは, 観光という場における相互作用を通じて, 住民は地域表象を創出させ, 新たな資源を生成しているという事実である.地域に存在する資源を生かした観光を対象とした研究のなかでは「観光という場のなかで住民の主体的な対処はいかにして可能となるのか」に関心が寄せられてきた. これに対し, 本稿の事例が提示するインプリケーションは, 住民が相互作用による認識転換をベースに, 地域表象の創出という新たな資源生成を通じて, 主体性を確保する可能性の存在である.
著者
藤川 賢
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.421-435, 1993-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
52
被引用文献数
1 1 1

高田保馬は、日本において社会学理論を確立させた学者として知られている。しかし、他方では、彼が戦前から戦中にかけて行った一連の民族論に関して言及されることも多い。その場合に、多くの議論は、その内容以上に、高田の現実への対応の姿勢をめぐってなされており、また、その評価の間には、大きな賛否の違いがある。本稿は、高田の理論展開と民族論的言及とを追うことによって、彼の民族論の中で問題視される部分が社会学理論の展開との関連性を持っていることを示そうとし、その中で高田の目指した普遍的理論について検討し直そうとするものである。そこでは、高田の理論における「結合」の位置づけを中心に置いて考察している。高田の社会学理論は、「結合社会学」とも名付けられたように、「結合」を社会学の中心対象と考えながら構築された。だが、それが分析理論としての抽象性を高めていく中で、「結合」は中心的な位置から外され、諸個人に共通な、いわば「非合理な」傾向が彼の分析の対象になっていく。その時に、社会集団の成立と存続、そしてさらにその拡大と衰耗が、いかに連続して扱われうるか、という問題が指摘される。それは、高田が民族の団結を説く際にもあらわれている。その指摘の後、高田の理論展開の初期にまで戻って、それが「合理的に」捉えられ得たことを示した。その上で、理論に対する態度と関連させつつ高田の郷村への思いについて検討を加えている。
著者
首藤 明和 西原 和久
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.336-343, 2014 (Released:2015-12-31)

世界社会学会議の折に, チャイナ・デイが中国社会学会, 中国社会科学院, 日本社会学会, 日中社会学会の共催で2014年7月15日に開催された. 論題は中国の改革と社会転換. サブテーマは中国の改革とソーシャル・ガバナンス, 社会転換と構造変動・社会移動であった. 東アジア社会学に関する基調講演 (矢澤修次郎) の後, 12名の中国社会学者が中国におけるガバナンス, 不平等, 人口, 都市化, 女性, 世代間格差, 移動などを論じた. この集会で討論者 (首藤明和) が総括したように, 広く論じられている「公的」論点は社会学的に分析され, 聴衆は何が中国社会学の重要論題で, 何が課題かはよく理解できた. だが, 多様性, 民族, 宗教などの論争的論題は十分には論じられなかった. これらも, 中国の社会 (学) にとって重要であろう.とはいえ, 集会自体は成功したと評価できる. なぜなら, 国際学会に際して日中の社会学者が協働し, 研究の共同空間を創造できたからだ. グローバルレベルと東アジアというローカル・リージョナルレベルとの結合は, 国家を超えた交流, 協力に寄与する. もし日本の多数の社会学者が報告し, 議論したならば, さらに対話は進んだだろう. 一国内の知の枠組み――それはしばしば他者の疎外や排除に転化する――を超えることが社会学に要請されている. もちろん, この要請は現実には容易に達成できない. それゆえ, この現実自体も社会学で問われるべき課題だろう.