著者
石川 清子 イシカワ キヨコ Kiyoko ISHIKAWA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-10, 2010-03-31

ウジェーヌ・ドラクロワ『アルジェの女たち』(1834)は、オリエントのハーレムの女性を画材にしたオダリスク絵画の代表的名画であり、以降のオリエンタリズム絵画、裸婦像に多大な影響を及ぼした。しかし、1830年のフランスのアルジェ占領があってこそ、画家はハーレム内部に入ることができ、ゆえにこの絵を描くことができた。フランスのアルジェリアに対する植民地支配の産物とも言える。また名画として鑑賞されてきたこの絵を、アルジェリア自身のフランス語表現女性作家はどのような視点で見て、どのように自己の作品に反映させ、自らのアイデンティティを構築していくか。アシア・ジェバール、レイラ・セバール、二人の作家の作品を具体的に検証していく。この論考はその前半部で、ジェバール『アルジェの女たち』(1980)の後記と表題作中編を扱う。
著者
石川 清子 イシカワ キヨコ Kiyoko ISHIKAWA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-8, 2016-03-31

映画監督、作家、政治家として幅広い分野で活動しているヤミナ・ベンギギはアルジェリア人の両親をもつフランス生まれ、いわゆるマグレブ系移民第二世代の表現者である。戦後フランス経済を労働力として支えた両親の世代、つまりイスラーム圏の旧植民地出身者のフランスにおける歴史はこれまで殆ど語られることがなかった。ベンギギの『移民の記憶』(1997)は、戦後マグレブ移民の歴史を当事者の証言を中心に総合的に集約した記念碑的作品だが、『イスラームの女たち』(1994)と『インシャーアッラー、日曜日』(2001)を含めた三部作をとおして、とりわけ表に出ることのなかった第一世代の女性たち、つまりベンギギの母世代をていねいに描写、表象する。映像と同時にテキストも刊行されている三作品の女性像をとおして、ベンギギ自身の歴史と物語を探求する試みとなっている。
著者
井田 浩正 中川 和美 三浦 昌子 石川 清子 矢倉 尚典
出版者
公益社団法人 日本産業衛生学会
雑誌
産業衛生学雑誌 (ISSN:13410725)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.101-107, 2012 (Released:2012-06-30)
参考文献数
24
被引用文献数
2 10

目的:出勤している労働者の健康問題による労働遂行能力の低下を表すpresenteeismが企業にもたらす損失は,健康問題全般による休業を表すabsenteeismがもたらす損失や医療費よりも大きいとの報告がある.Presenteeismを測定し評価するツールは米国を中心に開発されているが,本邦で活用できるツールは少ない.Lerner Dらが開発したWork Limitations Questionnaire(WLQ)はpresenteeismによる労働遂行能力の低下率が測定できる質問票で,「時間管理」,「身体活動」,「集中力・対人関係」,「仕事の結果」の4つの下位尺度,25問の質問項目で構成されている.本研究で筆者らは,WLQの日本語版(WLQ-J)の開発を行い,信頼性・妥当性を検討したので報告する.対象と方法:IT企業および医療機関に勤務する21–61歳の男女1,545人を対象として,インターネット調査によるWLQ-J,職業性ストレス簡易調査を実施し,有効回答が得られた710名(回答率46.0%)を解析対象とした.結果:解析対象者の平均年齢は33.2±9.5歳,女性が60.3%であった.WLQ-Jの因子分析の結果,原版と因子数および下位尺度の内容が一致し,構成概念妥当性が支持された.また,Cronbachのα係数は尺度全体で0.97,下位尺度で0.88–0.95を示し,内的一貫性が認められた.職業性ストレス簡易調査票のストレス反応を外的基準として,WLQ-Jの下位尺度とストレス反応との相関を検討した結果,Pearsonの相関係数は0.39–0.60で有意であった(p<0.01).また,ストレス反応が大きくなるにつれ有意にWLQ-Jの下位尺度得点が高くなる量反応関係が確認され(p<0.01),WLQ-Jの基準関連妥当性が支持された.考察:以上の結果から,WLQ-Jの信頼性・妥当性が支持された.WLQ-Jは,本邦の多様な産業において生産性の向上を目的とした健康増進の取り組みや,経営,人事,ライン,産業保健などの管理活動を推進・評価するうえで有用であると考えられる.今後,WLQ-Jについて他の集団との性・年齢・職種での比較,他の評価指標との関連について検討することが課題である.
著者
岡 真理 林佳 世子 藤元 優子 勝田 茂 石川 清子 山本 薫 浜崎 桂子
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

日本における、中東の三大言語文化圏であるアラブ世界、イラン、トルコの現代文学研究者を結集し、中東現代文学のさまざまな時代、作品・作家における「ワタン(祖国)」表象の分析・考察をおこない、それを通して、歴史的には近代初頭から植民地時代を経て2011年の一連のアラブ革命に至る、西アジアから北アフリカに及ぶ中東諸諸社会における、「祖国」なるものをめぐる文化的ダイナミズムを明らかにするとともに、中東に生きる人々の生と精神性の諸相の一端を探究した。
著者
石川 清子
出版者
静岡文化芸術大学
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 (ISSN:13464744)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.15-25, 2000

My essay presents a reading of two novels of Leila Sebbar, a French novelist, whose works are classified usually as North African literature written in French. Born in 1941 in Algeria during the colonial administration to a French mother and an Algerian father, Sebbar never formally studied the Arabic language. She left her homeland in 1959 to attend university in France; she currently resides in Paris. Sebbar's mixed heritage as a so-called "croisee' has engendered feelings of alienation and exile. Considered neither French nor Algerian, she exists simultaneously between two cultures and civilizations. She sets her novels in the economically-depressed milieu of the "Beurs", the second generation of North African immigrants residing in France's turbulent inner cities. Like the author, her characters experience the conflict between cultural identities imposed by France and the traditions of their heritage. In her novels, Fatima, ou les Algeriennes au square (1981) and Sherazade, 17 ans, brune, frisee, les yeux verts (1982), Sebbar creates marginalized heroines and an orality of expression inspired by the patterns of feminine speech unique to the immigrant community. The author explores the difficulties such women experience in forging a new identity amidst the opposing demands of two disparate traditions.
著者
岡 真理 宮下 遼 山本 薫 石川 清子 藤元 優子 福田 義昭 鵜戸 聡 田浪 亜央江 中村 菜穂 前田 君江 鈴木 珠里 石井 啓一郎 徳原 靖浩 細田 和江 磯部 加代子 岡崎 弘樹 鈴木 克己 栗原 俊秀 竹田 敏之
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

アラビア語、ペルシア語、トルコ語、ヘブライ語など中東の諸言語で、中東地域で生産される作品のみならず、中東に歴史的出自を持つ者によって、欧米など地理的中東世界を超えた地域で、英語、仏語、独語、伊語などの西洋の諸言語で生み出される作品をも対象に、文学や映画などさまざまなテクストに現れた「ワタン(祖国)」表象の超域的な分析を通して、「ワタン」を軸に、近現代中東世界の社会的・歴史的ありようとそのダイナミズムの一端と、国民国家や言語文化の境界を越えた共通性および各国・各地域の固有性を明らかにすると同時に、近現代中東の人々の経験を、人間にとって祖国とは何かという普遍的問いに対する一つの応答として提示した。
著者
岡 真理 宮下 遼 新城 郁夫 山本 薫 藤井 光 石川 清子 岡崎 弘樹 藤元 優子 福田 義昭 久野 量一 鵜戸 聡 田浪 亜央江 細田 和江 鵜飼 哲 細見 和之 阿部 賢一 呉 世宗 鈴木 克己
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2020-04-01

難民や移民など人間の生の経験が地球規模で国境横断的に生起する今日、人間は「祖国」なるものと様々に、痛みに満ちた関係を切り結んでいる。ネイションを所与と見なし、その同一性に収まらぬ者たちを排除する「対テロ戦争パラダイム」が世界を席巻するなか、本研究は、中東を中心に世界の諸地域を専門とする人文学研究者が協働し、文学をはじめとする文化表象における多様な「祖国」表象を通して、人文学的視点から、現代世界において人間が「祖国」をいかなるものとして生き、ネイションや地域を超えて、人間の経験をグローバルに貫く普遍的な課題とは何かを明らかにし、新たな解放の思想を創出するための基盤づくりを目指す。
著者
石川 清子
出版者
静岡文化芸術大学
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 (ISSN:13464744)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-12, 2012

ウジェーヌ・ドラクロワ『アルジェの女たち』(1834)は、オリエントのハーレムの女性を画材にしたオダリスク絵画の代表的名画であり、以降のオリエンタリズム絵画、裸婦像に多大な影響を及ぼした。しかし、1830 年のフランスのアルジェ占領があってこそ、画家はハーレム内部に入ることができ、ゆえにこの絵を描くことができた。フランスのアルジェリアに対する植民地支配の産物とも言える。また名画として鑑賞されてきたこの絵を、フランス語表現の女性作家はどのような視点で見て、どのように自己の作品に反映させ、自らのアイデンティティを構築していくか。この論考はその後半部で、アルジェリアとフランス両方にルーツをもつフランス人作家、レイラ・セバールのシェラザード三部作を検討し、80 年代に顕在化する北アフリカ系フランス人の若者の自己構築の諸相を、この名画と関連づけて考察する。
著者
石川 清子 イシカワ キヨコ Kiyoko ISHIKAWA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.15, pp.9-22, 2015-03-31

ゾラの『居酒屋』の舞台になったパリ、18区のバルベス、グット・ドール地区は20 世紀後半からアルジェリア、モロッコ、チュニジアの北アフリカ(マグレブ)移民労働者が多く住み、現在はアラブ・アフリカ人街としてパリのなかでも複数のエスニシティ、言語、文化が混在する独特の雰囲気をもつ地区になっている。「パリのなかのメディナ」「アラブ人のゲットー」とも呼ばれるこの地区はフランス人及び北アフリカ出自の作家、アーチストに作品の題材を提供してきた。本稿では、バルベス、グット・ドールにおけるマグレブ移民労働者のプレゼンスを社会的、歴史的に概観しながら、文学を中心に音楽や映画におけるその表象を考察し、マグレブのみならずフランスにとっての「記憶の場」のあり方を検証する。