出版者
京都
雑誌
総合文化研究所紀要 = Bulletin of Institute for Interdisciplinary Studies of Culture Doshisha Women’s College of Liberal Arts (ISSN:04180038)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.193(14)-183(24), 2010-03-31

The word "Kaseki", meaning "fossil" was made in Japan in the Edo-Period. At that time people thought that fossils were condensed spirits. But after the word was used to transelate "fossil" in geology book, it was comprehend as now.
著者
安永 美保
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学日本語日本文学 (ISSN:09155058)
巻号頁・発行日
no.22, pp.51-64, 2010-06

本論は『源氏物語』の「もろともに」に注目し、源氏の紫の上との一対願望を考察するキーワードとして論じたものである。 源氏の紫の上に向けた「もろともに」の中には、表面的な「共に・一緒に」といった意味だけでは説明できない源氏の心情を読み取ることができる。多数の恋人を持っていた源氏にとって特定の人物との一対性を考えることは困難に思えるが、源氏の「もろともに」の用例は紫の上に集中しており、源氏にとっての紫の上は唯一無二の存在であったと言える。 源氏は紫の上に「もろともに」を出会い・女三の宮降嫁・死といった二人の関係における三つの節目に使用しており、一見は二人の心が一つであることの指標であるかに思える。しかし、実際は「もろともに」が使用されるタイミングは源氏の心理的な空虚さによって左右され、「もろともに」という表現をそのままの意味で解釈することは危険である。 むしろ、源氏が紫の上に対して「もろともに」を使用しない時期に二人の心理的な一対性はあった。源氏は女三の宮を要因とした心理的空虚感から改めて紫の上との一対性を願うが、反対に紫の上側の女三の宮への心理的葛藤を露呈し、二人の関係に生じた不具合を確認する結果となった。この否定された「もろともに」は紫の上の死後にまで影響を及ぼし、残された源氏は「もろともに」を事実の歪曲の手段として使用し、最終的に幻巻の「もろともに」歌からみてとれるように、源氏は紫の上との虚構の一対を構築している。 『源氏物語』中の「もろともに」は、源氏と紫の上の複雑な人間関係を知る手がかりなのである。
出版者
京都
雑誌
総合文化研究所紀要 = Bulletin of Institute for Interdisciplinary Studies of Culture Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:09100105)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.18-49, 2015-07-16

江戸後期の有職故実家である松岡行義の著作、『源氏類聚抄』(宮内庁書陵部蔵本) の翻刻を呈する。本書は、『源氏物語』に示された建築・調度・装束等に関する注釈書である。松岡行義 (1794-1848) による有職故実書は、平安期文献を重視する原点回帰の姿勢、絵画や図面等により対象を視覚化することに特徴がある。本書は、『源氏物語』の読解のみならず、平安期における生活文化への探求、一九世紀における有職故実学の諸相を知る上でも重要となろう。研究ノート
著者
筒井 はる香 TSUTSUI Haruka
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.45-63, 2022-03-31

本論では、1950 年代から70 年代にかけて活躍した作曲家で、同志社女子大学学芸学部音楽学科の創設に深い関わりのある中瀬古和(1908-1973)の生涯と創作活動を辿る。これまでに発行されたいくつかの記事から中瀬古和の略伝や教育活動を伺い知ることができるが、音楽活動に関しては十分に語られてきたわけではない。とりわけ創作活動については、作品の全貌が明らかになっていないことから、作曲家としての評価や、戦中・戦後日本の音楽史における位置づけが正当になされているとは言い難い。そこで本論では、中瀬古和の生涯に関わる文献資料を調査し、1)修業時代、2)演奏活動、3)創作活動、4)作品の初演の4 点に焦点をあてて論じた。修業時代については、同志社女学校時代、アメリカ留学を経てベルリンでパウル・ヒンデミットPaul Hindemidth(1895-1963)に師事した時期までに受けた音楽教育について述べた。演奏活動については、ドイツ帰国後の1930 年代から50 年代にかけてチェンバロ、パイプオルガン、ピアノの奏者として活動していたことを確認することができた。1950 年代以降、演奏活動はほとんど見られなくなり、それに代わって自作品を定期的に発表するようになった。創作活動については、未完やスケッチ、消失曲を含め65 作品あり、このうち20 作品が京都を中心に初演されたことが確認された。なお現存する47 作品をジャンルごとに分類したところ、聖書を題材とした日本語による宗教的声楽作品が創作活動のなかで大きなウエイトを占めていたことが明らかになった。このことは戦争体験の他、中瀬古和自身がキリスト者であったことが少なからず影響していたと言えるだろう。また、日本語による宗教的声楽作品を創作することこそが彼女の作曲家としてのアイデンティティであったと推察される。
著者
吉海 直人 YOSHIKAI Naoto
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.19-45, 2022-03-31

『源氏物語』の解釈に必要不可欠と思われる「練香」の薫り(嗅覚)について、十四の項目に分けてその基礎知識を論じ、そこから見えてくる薫りの特質や問題点に言及した。最大の問題点は、「練香」に関する同時代の資料が少なすぎることである。たいていは後世の資料を使って平安時代の香を説明していることを明らかにした。それは室町時代以降に発展した香道も同様である。香道では香木をそのまま焚く「組香」が主流なので、香道の知識で『源氏物語』を解釈することには無理がある。当然、「源氏香」も名ばかりで、『源氏物語』とは無縁の意匠であった。
著者
仲渡 理恵子 NAKATO Rieko
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.127-151, 2022-03-31

副詞「せいぜい」「たかだか」「たかが」は、さまざまな観点から研究されているものの、意味の相違や使い分けなどが明確にされているとは言いがたい。本稿は、日本語書き言葉コーパスから、各々100 用例を抽出し、文型による構文的展開を分析し、相互置換の可否及び副詞「せめて」「少なくとも」との関連性から考察したものである。その結果、「せいぜい」は9 種の構文的展開があり、数量詞を伴う後接語が多い点から「最大限の見積もり」の意味が強く表れ、「せいぜいM(=Maximum:話し手の主観による最大限の見積もり)だ/ない/だろう/下さい」とモデル化できた。「たかだか」は7 種の構文的展開で使用でき、数量を伴う後接語もあることから「最大限の見積もり」の意味を有するが、「マイナス評価」を含む傾向があり、人の行為を述べる際には用いられにくく、モデル化は「たかだかM+NE(=Negative Evaluation:話し手の主観的なマイナス評価)だ/ない/じゃないか」となった。「たかが」は特有の定型化された用法を有し、後接する語にさして数量詞を伴わないため、「見積もり」より「マイナス評価」が全面に表れ、話し手自身の自虐及び聞き手への非難から「たかがNE じゃないか/のに/のくせに」とモデル化できた。最大限を表すとされる「せめて」「少なくとも」はあくまで話し手の主観であったが、「せいぜい」「たかだか」「たかが」は話し手が聞き手を強く意識して、最大限やマイナス評価を伝える副詞であると結論付けることができた。
著者
成橋 和正 藏所 志穂 中村 憲夫 NARUHASHI Kazumasa KURASHO Shiho NAKAMURA Norio
出版者
京都
雑誌
総合文化研究所紀要 = Bulletin of Institute for Interdisciplinary Studies of Culture Doshisha Women’s College of Liberal Arts (ISSN:09100105)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.135-141, 2021-07-29

Drug therapy with steroids and moisturizers is highly effective for the treatment of atopic dermatitis, but the use of steroids is dependent on the stage of the patient’s disease. Shiunkou is a Kampo topical ointment with a purple tinge called shicon. It has been reported to be used clinically in combination with a moisturizer; however its stability has not been described. In this study, we investigated the stability of Shiunkou and Hirudoid Soft Ointment when mixed. The simplest method for measuring stability is to observe changes in appearance. The mixed ointment did not change during refrigerated storage for up to 7 months. When stored at room temperature, oil separation occurred after the first month, and became more remarkable with time, such as at 3 months and 7 months. It has been shown that the ointment mixture should be stored refrigerated rather than stored at room temperature. When the stability of shicon, which is an active ingredient of Shiunkou, was examined in an aqueous solution, it decomposed very quickly regardless of the pH. Hirudoid Soft Ointment is a w/o preparation and contains water. When the ointment is mixed, and shicon, a the component of Shiunkou, comes into contact with the water contained in the Hirudoid Soft Ointment, there is a concern that the content of shicon in the ointment mixture may decrease, even if by a small amount or for a short time.
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学日本語日本文学 (ISSN:09155058)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.40, 2021-06-30
著者
丸山 敬介 MARUYAMA Keisuke
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-38, 2016-03-31

『月刊日本語』(アルク)全291冊を分析し、「日本語教師は食べていけない」言説の起こりと定着との関係を明らかにした。 創刊直後の88~89年、日本語学校の待遇が悪くてもそれは一部の悪質な学校の問題であって、それよりも日本語教師にはどのような資質が求められるかといった課題に興味・関心が行っていた。ところが、91年から92年にかけて待遇問題が多くの学校・教師に共通して見られる傾向として取り上げるようになり、それによって読者たちは「食べていけない」言説を形作ることになった。 90年代後半には、入学する者が激減する日本語学校氷河期が訪れ、それに伴って待遇の悪さを当然のこととする記事をたびたび掲載するようになった。「食べていけない」が活字として登場することもあり、言説はより強固になった。一方、このころからボランティア関係の特集・連載を数多く載せるようになり、読者には職業としない日本語を教える活動が強く印象付けられた。 00に入ってしばらくすると、「食べていけない」という表現が誌上から消えた。さらに10年に近くなるにしたがって、日本語を学びたい者が多様化し、教師不足をいく度か報じた。しかし、だからといって教師の待遇が目立って好転したわけではなく、不満を訴える教師は依然として多数を占めていた。そう考えると、言説はなくなったのではなく、むしろ広く浸透し一つの前提として読者には受け止められていたと考えられる。