著者
斎藤 かよ
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.62-63, 1963-11-10

74名のセツラー 真夏の8月というのに,野にはもう桔梗の花や,萩,女郎花などの秋草が美しく咲き乱れていた. 日本のチベットと称されているこの地方,岩手県下閉伊郡田野畑村で,順天堂大学医学部セツルメント無医地区無料診療班が, 1.無医地区を実際に理解すること 2.無医地区における衛生思想の普及 3.無料医療奉仕の3つの目的を掲げて診療活動を続けること4年である.私たち看護学生は2年め.将来医療に従事し,病める人びとの友となろうという私たち診療班員は,この遠い地の医療に恵まれない人びとのために,少しでもお手伝いできたらという目的で,夏休みの数目を診療に励んできた.
著者
岡谷 恵子 小野田 舞 柏木 聖代 角田 直枝 川添 高志 小西 美和子 斎藤 大輔 澤柳 ユカリ 重富 杏子 任 和子 橋本 幸
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.559-563, 2021-07-10

救急外来を受診する高齢患者の約半数は入院に至らずに帰宅する患者である。これらの患者が再受診や予定外の入院をすることなく,住み慣れた場所で生活の質を維持しながら療養を継続するためには,初回受診時に帰宅後の生活を見据えた医療機関と地域・在宅での療養をつなぐ統合的な療養生活支援が必要である。 日本看護管理学会では,2022(令和4)年度の診療報酬改定に向けて,「救急外来における非入院帰宅患者に対する看護師による療養支援」への評価を要望する。これは上述の療養生活支援の役割を外来看護師が担うことへの診療報酬上の評価を求めるものである。救急医療の限られた資源を適切に活用することにもつながり,病院経営上,組織運営上の効果も大きいと思われる。 本稿では要望作成に当たった検討委員会の立場から,要望の目的と意義を述べる。
著者
藤澤 春菜
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.122-127, 2021-02-15

私は地域包括支援センターで保健師として働く傍ら、東京都杉並区にある老舗銭湯「小杉湯」にも看護師としての力を活かして関わっています。そこでは「小杉湯×医療」という小杉湯スタッフと医療関係者との交流や学び合いの場を開催したり、近隣住民向けのイベントのサポートをしながら来場者とコミュニケーションを取ったりしています。 このように書くと「なぜ銭湯で?」と疑問に思うかもしれません。しかしこれらを行う目的は、本業である地域包括支援センターの活動と重なるものです。本稿では、私が本業の枠を越えて「街の銭湯」に関わる理由をお伝えできたらと思います。
著者
高木 淳 玉井 一
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.500-501, 2003-06-01

感作と凝集 輸血する前に施行される適合試験には赤血球の凝集反応が用いられる.赤血球の表面で抗原抗体反応が起こることを感作といい,凝集とは結合した抗体が近接する赤血球上に存在する同じ抗原にも結合して抗原抗体結合物の集団を作ることである(図1). 1. 赤血球の陽イオンバリア 赤血球はその膜上に多く存在するシアル酸のカルボキシル基によって生理食塩液中ではマイナスに帯電している.生理食塩液中のNaClは解離してNa+とCl-になっており,陽イオンは赤血球の陰イオンに引かれて,赤血球表面に集まり密度の高い陽イオンのバリアを形成している.この陽イオンのバリアをゼータ電位(ζ-potential)という.赤血球同士が近づくと陽イオンのバリア同士が反発し合い,一定の距離(35nm)以内に近づくことができない(図2).凝集を起こすイムノグロブリンクラスは,IgA,IgGとIgMである.IgGは分子量が小さく,2つのFabが最大に開いても25nmなので,バリアを突破することができないため凝集が起こりにくい.IgMの直径は約35nmなので陽イオンのバリアを突破でき,10~12個のFabを持つので近接する赤血球と結合して容易に凝集を起こす(図3).一度抗体が赤血球に結合すると,陽イオンのバリアが小さくなり,赤血球同士が近づき引き続き感作および凝集は促進する.
著者
杉村 広郞
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.51-53, 1952-06-01

私達が時々村へ入つて行くと,よく次のような話を耳にする。—— 「この附近の主婦さん方の一番の惱みの種は,子供の数が多いということなんです。貧乏者の子沢山とはよく言つたもので,こう経済的に苦しくなつて来ると,子供はもうコリゴリだと悲鳴を挙げている奧さん方が多いんです。……炭燒きという重労働を強いられた上に,細々としたその日暮しで子供が7人も8人もでは,第一自分の身体がもちませんし又経済が益々苦しくなるだけですからね。……しかし,そうゆう苦しさに迫られ乍ら,子供を生まぬようにするにはどうしたらよいかといこうとも知らず,次々に生んで行くんですから全く慘めなものですよ。……」
著者
中田 光
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1027-1030, 2003-10-01

はじめに 特発性肺胞蛋白症は全国に推定400人の患者がいる希少肺疾患で,患者の3分の1は無症状であり,自然寛解も10%あるといわれている.1970年代に肺洗浄療法が開発普及してから,いくつかの薬物療法が試みられたが,注目に値する治療法はなかった.肺洗浄療法は,全身麻酔下で2ウェイ挿管チューブを用いて片肺ずつ2回で肺を洗う全肺洗浄法と,1区域ごとに複数回洗浄する反復区域洗浄法があるが,いずれにしても患者の苦痛は大きく,治療を受けた患者のなかには「悪くなってもいいから,もう二度とあの治療は受けたくない」と話す人もいる. 1994年,米国のマサチューセッツのホワイトヘッド生物医学研究所のDranoffが偶然,顆粒球マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)欠損マウスに肺胞蛋白症が起こることを発見し,それが引き金となって,GM-CSFと肺胞蛋白症の関連が注目された.1999年,当時,東大医科研で肺胞蛋白症の病因物質を追求していた私は,2年半の苦闘の末,特発性肺胞蛋白症の気管支肺胞洗浄液と血中に大量の抗GM-CSF自己抗体が存在することを発見し,ついで血清抗体測定により血清診断法を開発した.以来,特発性肺胞蛋白症の患者は全例が自己抗体陽性であることがわかり,自己抗体が病因であるというのが定説となっている. 東大医科研の小さな研究室で特発性肺胞蛋白症のどろどろした肺胞洗浄液と格闘していた頃,オーストラリアとスイスでは,特発性肺胞蛋白症の病因がGM-CSFに対するマクロファージの反応性の低下にあると考えた医師がいた.彼らは,皮下注で連日GM-CSFを投与すれば改善するのではないかと考え,実行した.結果は13例に投与して6例が著明に改善した. 1999年,私は抗GM-CSF自己抗体発見の研究成果を発表するためにボストンで開かれたアメリカ胸部学会に出席し,初めてGM-CSF療法のことを知った.抗GM-CSF自己抗体が病因であると主張していたから,抗原であるGM-CSFを患者に投与するのは火に油を注ぐものだと考えて違和感を覚えたが,試しにスイスの医師Otto Schochに治療前後の血清と気管支肺胞洗浄液を送ってもらってその自己抗体価を測定した.結果は驚くべきものだった.血清中の自己抗体価は治療前に比べて治療後は60%程度であったが,気管支肺胞洗浄液中のそれは,治療6週後,12週後には消失していた.GM-CSFは皮下注で投与されていたから,肺の中に大量にある自己抗体が中和により消失したとは考えにくく,おそらく肺に脱感作による抗体消失が起こっていると思われた. GM-CSF皮下注療法の効果に感嘆していた頃,東北大学加齢研の貫和教授から,特発性肺胞蛋白症の重症例の治療について相談を受けた.外来受診された患者の動脈血酸素分圧は37mmHgで,二度全肺洗浄療法を受けたが効果なく,2000年夏には在宅酸素療法が開始され,やがて患者はほとんど寝たきりの状態になった.教室の田澤助手は,GM-CSF皮下注ではコストがかかりすぎること,スイスでの治験の情報から悪寒などの副作用があることから,GM-CSFを250μg/日連日で隔週で12週間,吸入によって投与することを決め,医学部の倫理委員会,厚労省医薬局の薬鑑証明など煩雑な手続きを粘り強くこなして半年かかってスイスより輸入し,2000年12月に国内初のGM-CSF吸入療法が実現した. その後,東北大学,近畿中央病院で各1例の重症特発性肺胞蛋白症に吸入療法が試みられ,いずれも劇的に改善している.
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
vol.34(3), no.172, 1990-06
著者
鈴木 哲司
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.990-994, 2021-11-01

■救急救命士が活動する“場”の拡大病院前救急医療体制の充実を図る救急救命士制度 救急救命士制度は,1991(平成3)年に病院前救急医療体制のさらなる充実を図り,わが国の救命率の向上を目指すことを目的として整備された制度である.制度発足以前は,救急用自動車の中での救急隊員による医療行為が禁じられていたため,傷病者の搬送を主体とした業務であり,助かるはずの命が失われていたという悲しい歴史があった.それらをいち早く解消するために公的養成機関,専門学校,短大,大学において救急救命士の養成が行われ,量的充実が図られてきた. 改正前の救急救命士法第44条第2項によって「救急救命士は,救急用自動車その他の重度傷病者を搬送するためのものであって厚生労働省令で定めるもの(「救急用自動車等」という.)以外の場所においてその業務を行ってはならない.ただし,病院又は診療所への搬送のため重度傷病者を救急用自動車等に乗せるまでの間において救急救命処置を行うことが必要と認められる場合は,この限りではない.」と救急救命士が業務の行う場所の厳格な規定と制約がなされ,今日まで救急救命士の活躍する場は,消防機関が主たる職域であった.
著者
岡本 五十雄 堀口 信
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.447-451, 1987-06-10

はじめに 車の運転免許は20歳以上の成人の59.5%,40歳以上では52.7%が保有している1).当然,脳卒中患者の多くも発症前は車を運転していたと思われるが,実際には,重症例はもちろん,軽症例でも運転する例は非常に少ない.その理由として,患者自身の運転に対する不安,家族をはじめとする周囲の者が脳卒中になったというだけで車の運転そのものを危険視して患者に運転をさせないことや医師自身が患者の車の運転に無関心であることなどが考えられる.しかし,社会復帰に向けて,例えば仕事や通勤にぜひとも必要な場合があり,ときには積極的にすすめなければならないこともある. 著者らは,過去5年間で21名の脳卒中患者による車の運転を経験し,安全な運転の可能性について検討したので報告する.
著者
岡田 徳弘
出版者
医学書院
雑誌
臨床検査 (ISSN:04851420)
巻号頁・発行日
vol.13, no.13, pp.1294-1296, 1969-12
著者
大倉 睦美 谷口 充孝 村木 久恵 杉田 淑子 大井 元晴
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.85-88, 2010-01-01

はじめに 頭内爆発音症候群は夜間,うとうとしている際に頭の中で急激な爆発音を感じるもしくは頭蓋内で爆発が起こった感覚を持つという病態で,通常痛みは伴わない良性の疾患とされる1)。睡眠関連疾患国際診断分類第2版(International Classification of Sleep Disorders 2nd ed, ICSD-2)ではパラソムニア(睡眠随伴症)の1つに分類されており,診断基準をTable1に示す2)。最近片頭痛患者での報告がみられ3,4),何らかの関係も示唆されるがその病因については不明な点が多い。睡眠センターにおいて患者が受診することは稀で,われわれの施設においては1998年4月より2009年3月までの初診患者数15,585人のうち2例のみである。今回本疾患と考えられる症例を経験したので,終夜睡眠ポリグラフ検査をあわせ報告する。
著者
深谷 親
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.882-887, 2021-07-10

症例登録の目的と経緯 日本定位・機能神経外科学会における症例登録は2004年に開始された.当初の目的は,症例登録数を基に適切に手術が施行されている施設を認定し,そこでの手術経験を基に技術認定を行うというものであった.その目的はほぼ達成され,安定したシステムが構築された.例年30〜40施設が認定を受け,これまでに239人の技術認定医が誕生している. 症例登録の内容は,いくつかの変遷を経て,2014年に現在のフォーマットとなった.2014年以降の6年間を集計し,俯瞰した結果を2021年1月に開催された第60回日本定位・機能神経外科学会で報告したので,その概要をここで紹介したい.
著者
漆原 正貴
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.182-184, 2015-03-15

ユマニチュードという不思議な響きを私が耳にしたのは、昨年の夏頃でした。「話す」「触れる」といった看護の基本を徹底するだけで、暴れたり徘徊するお年寄りのケアに絶大な効果を発揮する──。そんな新しい認知症ケアの技法があると聞いて、「これは催眠に使えるかもしれない」と興奮したのを覚えています。 私の研究テーマは催眠であり、認知症とそこまでかかわりが深いわけではありません。ですが、催眠は「話す」技術であり、「見る」ことや「触れる」ことに細心の注意を払います。だからこそ、そうしたコミュニケーションの基礎を突き詰めた技法がケアの世界にあるのであれば、しかもそれが魔法のような効果を発揮するのだとすれば、異なる領域ながら参考になるかもしれないと考えたのです。そんな軽はずみな気持ちから入門書を手に取ったのですが、ユマニチュードについて詳しく知るにつれ、私は幾度も驚かされることになりました。「これって催眠と全く同じじゃないか」と。
著者
杉浦 太紀 小口 和代 後藤 進一郎 河野 純子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1117-1120, 2019-11-10

要旨 【目的】ADL維持向上等体制加算病棟(以下,ADL病棟)におけるリハビリテーション介入の標準化を検討する.【対象】2017年8〜10月に刈谷豊田総合病院(以下,当院)のADL病棟3病棟に入院した641例とした.【方法】専従療法士の介入種類を入院時Barthel Index(BI),年齢,入院前日常生活動作(activities of daily living;ADL)により,評価群,指導群,療法群の3群に分類するアルゴリズムを作成した.評価群はBI 65点以上かつ年齢75歳未満の患者,指導群はBI 65点以上かつ年齢75歳以上の患者とBI 30点以上60点以下の患者,療法群はBI 25点以下の患者とした.BI 25点以下の患者で,入院前と比べADLの低下がない場合は指導群とした.アルゴリズムによる分類と療法士の主観的判断を比較した.【結果】療法士介入アルゴリズムによる3群の構成割合は,評価群338例(52.7%),指導群261例(40.7%),療法群42例(6.6%)だった.アルゴリズムと療法士の判断に相違があった患者は641例中54例であり,全体の8.4%であった.【考察】アルゴリズムの使用は,専従療法士間の介入判断の差を減少させ,専従療法士のリハビリテーション介入基準を一定に保つと考えた.
著者
石原 明
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1, 1966-03-01

慶応4年(1868)春,政権を天皇に返した徳川将軍の処置に,不平をとなえる旧幕府の人たちは反乱の気配をみせた。そこで官軍がさしむけられ,有栖川宮(ありすがわのみや)を総督とする征討軍は江戸に向い,横浜を基地とするため神奈川奉行の意向をただした。奉行は世界大勢に通じていたので,幕府役人ではあるが無条件で協力することを約した。その結果,病院を設置するため洲千弁天(しゆうかんべんてん)境内の語学所と,野毛山の寺小屋修文館の建物を提供した。4月17日に開設した横浜軍陣病院は英国軍医のウイルスが主任となり,女の看護人を雇い入れて傷病兵を看護した。日本最初の職業看護婦である。病院のあとは国電桜木町駅前と,野毛山動物園入口の老松中学校にあたる。老松中学の地は明治5年に官民合同の近代的病院となり関東大震災まで存続した。今の横浜市大医学部病院の前身である。