1 0 0 0 茶道の大成

著者
桑田 忠親
出版者
国学院大学
巻号頁・発行日
1952

博士論文
著者
一志 茂樹
出版者
国学院大学
巻号頁・発行日
1961

博士論文
著者
国学院大学 編
出版者
国学院大学
巻号頁・発行日
vol.昭和4年, 1929
著者
国学院大学 編
出版者
国学院大学
巻号頁・発行日
vol.昭和10年, 1935
著者
大谷 貞夫
出版者
国学院大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1986

江戸幕府の直営牧は、下総国内に小金5牧と佐倉7牧が、安房国内に嶺岡5牧が、駿河国内に愛鷹3牧がそれぞれ存在していた。本研究は、これら20牧の管理にあたっていた諸役人のうち、下総国小金に在住した野馬奉行の綿貫氏、牧周辺部の農村に居住し、普段は農業を営み、牧の仕事に関連してのみ苗字帯刀御免の特権、扶持米や給金の支給を認められていた牧士について研究したものである。1 野馬奉行綿貫氏について:綿貫氏はその由緒書によると、慶長期に徳川家康によって召し出され、高30俵で野馬奉行に任命されたという。一方、三橋家文書の中の「従野馬始之野方万控」によると、同氏は元禄期に小金厩の書役となり、享保2年に同厩の馬預(5人扶持)、享保後半期から延享頃に野馬奉行(高30俵)に任命されたという。武鑑や島田家文書の「江戸5年々野馬捕御越候日記」の裏付けもあって、後者が正しいと結論付けられる。2 牧士について:牧士も野馬奉行と同様に家督相続に際して、由緒書を幕府に提出した。由緒書は宝暦5年に初めて提出されたものであり、近世前期の牧士の研究に、従来この由緒書をよく利用していたが、他の史料と比較し検討することが大切である。小金牧の場合元和5年には牧士が存在していたことは、「下総小金領馬売付帳」(染谷家文書)で明らかであるが、当時は苗字帯刀御免の特権はなかった。佐倉牧の場合、寛文6年に老中若年寄が連署し、代官関口作左衛門に与えた覚によって(島田家文書)、寛文元年の時点で島田長右衛門・藤崎半右衛門・佐瀬長左衛門・綿貫市左衛門の4名の牧士が存在していたことが明らかである。佐倉牧では当時から苗字帯刀御免であった。嶺岡牧の牧士石井氏の場合、安房の雄里見氏に仕えた厩の役人であった(石井家文書)。
著者
吉田 敏弘 石井 英也 松村 祝男 吉田 敏弘 林 和生 小野寺 淳 小倉 眞 松村 祝男 小倉 眞 古田 悦造 林 和生 野間 晴雄 小野寺 淳 松尾 容孝 原田 洋一郎
出版者
国学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

文化財保護法や景観法に基づく文化的景観の保全事業実施にあたり、保全対象となる文化的景観の選定にあたっては、文化的景観のAuthenticityを学術的・客観的に評価する必要がある。本研究では、「一関本寺の農村景観」と「遊子水荷浦の段畑」を主たる事例として、景観の価値評価を試行し、次のような5つのステップから成る基礎調査が有効であると判断した。(1)明治初期地籍図などに記録された伝統的景観の特質の解明、(2)伝統的景観(地籍図)と現景観との精密な比較、(3)近代以降の景観変化の過程とメカニズムの解明(土地利用パターンや作物、地割など)、(4)伝統的な景観要素残存の背景を地域の社会・経済・文化的側面から考察、(5)現景観の活用可能性の考察と保全の方向性の提示。なお、上記の作業をヴィジュアルに活用するため、GISの導入と時系列統合マップの構築が有効であることも確認した
著者
川勝 政太郎
出版者
国学院大学
巻号頁・発行日
1958

博士論文
著者
山下 欣一
出版者
国学院大学
巻号頁・発行日
1981

博士論文
著者
田中 和子 亀田 温子
出版者
国学院大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1986

すでに計画調書に明記したように, 本研究は「性差別意識」の構造的解明への第一歩を踏み出す試みであった. 昭和61年度には, 女性社会学, 帰属理論, 情緒社会学, 世代論等, 性差別意識や性別役割分業にかかわる理論的・実証的文献研究の成果をふまえて, アンケート調査およびインタヴュー調査を実施した. これを受けて昭和62年度には, 補足アンケート調査およびインタヴュー調査を遂行するとともに, 収集した調査資料の分析を行なった. ここで得られた知見の主要なものは, 以下のとおりである.1.国際的規模での性役割の流動化を背景に, 日本の大学生のあいだでは, 古典的な意味での性差別意識を持つ層は, もはや少数派となっており, 女性の社会進出も, 少くとも一般論の事柄にとどまる限りにおいては肯定的に受けとめられている.2.しかし, 性別役割分業意識は依然として根強く, しかも性役割の不均等配分が性差別としては意識されにくいという状況が現出している.3.上述の不均等な性役割の配分は, 旧来の男尊女卑思想やストレートな生物学的決定論に依拠することによってではなく, 能力や効率性, 好き・きらいといった選好など, 性別以外の要因に帰属させることによって合理化・正当化され, 結果的に性差別が容認されていく.4.社会一般の事象という水準では着々と進みつつあるかにみえる性役割の流動化も, 問題設定が被調査者にとってより身近なレベルに及ぶにしたがってその度合が減じる. 今回の調査結果から, 両性の日常的関係性にまでおよぶ性別役割分業の変容には, さらにかなりの時間がかかることが予測される.
著者
木下 一雄
出版者
国学院大学
巻号頁・発行日
1953

博士論文
著者
林 陸朗
出版者
国学院大学
巻号頁・発行日
1970

博士論文
著者
赤星 直忠
出版者
国学院大学
巻号頁・発行日
1961

博士論文
著者
岡田 莊司 並木 和子 小松 馨 佐藤 眞人
出版者
国学院大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1990

摂関・院政期の公的祭祀の性格・構造・社会的意義を明らかにし、この時期の国家体制の特質を解明することを目的に、朝延の祭祀、貴族社会の氏神祭祀について、それぞれの成立、相互関係、奉斎の主体、およびその主体と国家中枢との関係、諸祭祀への朝延の関与の実態までを解明して、総合的視野に立った平安時代祭祀制度と信仰形態について構築することを目指した。1、摂関・院政期の主要古記録(日記)に記載されている神祇祭祀関係記事の検討では、十世紀に展開する祭祀儀礼の記事を全てカード化することを完了させコンピュータに収録して検索が可能になった。史料の翻刻については、神祇官関係記録として重要な『顕広王記』の日記の翻刻作業を進めた。日記に記載されている人名の特定に困難を極めているが、今後も完成に向けて継続してゆく予定。2、寺社文書の検討については、上記1の古記録を中心にすることで、時間的余裕がなかったことから大系的な検討・研究には至らなかった.3、写本の撮影収集は、『西宮記』などの儀式書、『顕広王記』の原本・写本・神宮祭主藤波家関係文書の収集を行った。4、祭礼調査は、祭祀の本義を理解する上で貴重な経験であり、各自の研究に反映している。以上の基礎調査については、ほぼ所期の目的を達成することができた。この転換期は天皇個人の意志にかかわる性格を有して始まるが、院政期の国家と祭祀の関係は、さらに多様性をもつようになってゆく。これは国制機能そのものの変化と院個人の祭りに対する意志が明確に表され、後白河院と祭祀の関わりに濃く反映されてくる。上の基礎的作業を進める中で、国家祭祀・神祇祭祀の性格(公祭の概念)・貴族社会の神祇祭祀と信仰への関与の在り方・神仏関係などの方面に、摂関期と院政期の間に大きな意識的変革のあることが明確になり、相互の研究から確認しあうことができ、個々の研究成果に盛り込むことが可能となった。
著者
茂木 栄 薗田 稔 島田 潔 杉山 林継 薗田 稔 宇野 正人 茂木 栄
出版者
国学院大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1990

日本に於ける祭礼形態の史的類型化のモデル作りを最終目的としてこの課題に取り組んできた。日本の祭り形態の流行には、歴史的に五回波があったと考えられる。第一は主として水田稲作地帯の「田遊び」、折口信夫によれば、この種の祭りは、奈良朝以前より存在していたという。第二は、平安時代後期から始まったとされる神楽、これは全国の山間地域に「霜月神楽」という形で伝承されている。第三は町の祭りとして国府がおかれた地方の中心都市において行なわれいた「国府祭(こうのまち)」である。十一世紀にはその存在が明確になっている。第四は、町の人々の間から発生し、全国の祓いの夏祭りとして広がっていった「祇園祭り」。これは山車をひく全員参加型の祭礼で、全国に爆発的に広がった。第五は、江戸型の神興を担ぎまわる威勢の良い祭り。関東を中心に大きな流行をみた。この中でも、本研究の重点を国府の祭りに置いて調査研究を続けた。平成三年度の現地調査は、長門の国府の祭・数方庭、隠岐総社、隠岐田楽、出羽総社などの調査を行なう。また、これまでの国府祭の調査と資料収集を通じて、ポイントとなる事象、文献、伝承などキ-項目を下記のようにまとめた。1、諸国国府におかれた総社 2、『白山之記』 3、『朝野群載』 4、『時範記』因幡総社、因幡三山、大伴家持 5、播磨総社射楯兵主神社、三ツ山神事、一ツ山神事 6、三輪山麓に鎮座する兵主神社、三山妻争い伝説 7、越中総社二上射水神社築山神事、大伴家持、人身御供伝説 8、下野総社明神お鉾祭、三輪神勧請、人身御供伝説 9、遠江総社淡海国玉神社、裸祭人身御供伝説 10 尾張総社尾張大国霊神社、裸祭人身御供伝説最後に、これまで得られた知見から、祭礼の史的類型の第一形態である国府の祭の共通要素を列記しておく。1,祭りには大和の風土を強く意識していること 2,本来暗闇の祭りであること 3,海での禊があること 4,裸の練り行事があること 5,人身御供伝説が存在していることが多いこと 6,稲に関する儀礼が存在したこと 7,産の信仰があることなどを指摘することが出来た。
著者
小倉 勝男 杉谷 光司
出版者
国学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

本研究の目的は、マウナケア天文台の世界一のシーイングの良さと新たに開発されたグリズム分光器WFGS2の広い写野の強みを活かして、至近距離の分子雲において若い星の候補としてのHα輝線星の探査をほぼ極限の暗さ・弱さまで行うことである。その観測対象としては、申請調書の段階ではL1457をあげたが、その直後にこれは従来考えられてきたほど近距離にはないとする結果が相次いで出されたので、交付申請書の段階で探査対象をL1642に変更した。この分子雲は星形成が確実に起こっているものとしてはL1457に次いで2番目の近さとされてきたものである。観測はハワイ大学2.2m望遠鏡を使用して2005年1月になって行われた。WFGS2の完成の遅れのためである。天候と観測時間の制限により予定していたL1642の天域の約50%しか探査観測ができなかった。残った天域は急きょアルメニアのMagakian博士に依頼して同国の2.6m望遠鏡と同様なグリズム分光器により観測してもらった。どちらの観測においても既知もの以外にはHα輝線星は検出されなかった。したがって残念ながらこの研究課題の主要な目的は達成できなかった。この他に共同研究として、大質量星形成領域とされる2つの領域(W3 MainとNGC 7538)において深い限界等級の近赤外の測光的研究を行ったが、このような領域でもTタウリ型星と思われる低質量星が非常に多数形成されつつある、という興味深い結果が得られ、2編の論文として発表された。この結果をふまえて大質量星形成領域においてTタウリ型等のHα輝線星を検出する探査観測をインドの2m望遠鏡とグリズム分光器を使用して開始し、成果が得られ始めた。別な共同研究として、星形成時の情報を残しているような若い散開星団(NGC654とNGC663)の光学域の測光学的研究にも参加した。
著者
藤本 強 小林 達雄 西本 豊弘 松井 章 佐川 正敏 吉田 邦夫
出版者
国学院大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2004

本研究は世界各地の土器の出現について、土器を発明・受容していく社会背景を解明することにその主眼を置いている。これまでの土器出現の問題は最古の土器の存在を突き止める研究に集約されていたが、本研究では地域ごとに異なる、生活の中に土器を取り入れていく人間活動の解明に努める。土器の用途は容器だけでなく、調理具・食器として、また鑑賞用や死者への副葬品、棺として使われてきた。ほかの素材に比べ土器が優れる点は、素材の粘土が入手しやすいこと、可塑性に富み自由な成形ができること、焼成後は硬く、耐火性を持つことである。衝撃を与えると粉々にでき、都合がよい素材である。これらの特性は、同じ形の土器が2つとない一方で、モチーフが特定の人間関係内で共有されることに繋がるのである。個性的な形は用途に応じてある程度のカタチを保たれながらも、様々に変化する。これらの共通性と独自性を時間軸に沿って整理し、地域毎の土器との向き合い方を研究していくことが中心となる。また、その土器保有していた集団の残した遺跡から検出された諸属性の分析から、当時の環境やそれに基づく生業活動を整理し、土器の受容形態を解明する。既存資料のデータの集成、整理分析を行ない各地域の土器出現の様相を解明してきた。世界的なデータベースの構築は困難なため東アジアを重点とした。また特定地域に絞って、土器を生活に組み込むシステムのモデル構築を試みた。一は土器自体に含まれる属性を分解し整理することにより、人間の製作物としての土器を徹底して分析し、製作モデルであり、他方は土器に付随するその他の遺物類や土器が検出された遺構・遺跡についても土器の使用痕跡と併せて解釈から土器の使用モデルの構築である。研究終了後の現在は、土器の出土状況の把握に重点をおいた発掘調査に継続的に取り組み、モデルの検証を図り、研究の位置づけを進めている。
著者
石井 研士
出版者
国学院大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2002

俗信や民間信仰は、表現形態は変わっても、日本人の基層信仰に深く関わる領域として認識されてきた。しかしながら、一部の民俗学研究の成果や、日本人の宗教意識・宗教行動の変化に関する研究から、基層的な信仰形態に大きな変化が生じていることが指摘されている。こうした俗信・民間信仰の変化に関する資料は、ごく一部を除いて存在しない。日本人の宗教性は、欧米のような教会帰属型の、自覚的意識的な宗教ではなく、日常生活の中で発揮される。こうした日常生活における宗教性の総体の変化を知ることが重要であると考えられる。本研究目的は以下の二点である。第一は、過去に行われた比較可能な俗信・民間信仰に関する調査結果の収集を行う。第二は、収集した資料を基にして、数量的な変化を把握することを目的として設定したときに有効な調査項目(質問文と回答のための選択肢)を考察する。俗信や民間信仰の現状に関する研究を概観すると、そうした現象があたかも「現代日本社会」において「誰でもが関与」しているかのように分析されていることに気づく。友引の葬儀、仏滅の結婚式、葬儀の際の清め塩、北まくら等、こうした現象に言及することで、あたかも現在も広く日本人の間に見られるかのようである。しかしながら世論調査の結果によると現在は少数派である。他方で、口割け女、ピアスの女、走り女、学校の二宮金次郎など、メディアに景況されながら、新しい都市伝説、民間信仰が生まれているのも確かである。世論調査によって明らかになる日本人の基層信仰はきわめてわずかであって、時系列上で比較なデータはさらに僅少である。日本人の宗教性のもっとも日常的で基層となる宗教性に関するデータの蓄積は研究の基本である。定時的で計測可能な世論調査によるデータ収集の実現が望まれる。