著者
不破 有理
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 英語英米文学 (ISSN:09117180)
巻号頁・発行日
no.52, pp.1-24[含 英語文要旨], 2008

The Red Dragon has closely been associated with the Welsh national identity, but this symbol does not appear in actual form in the Union Jack today. This paper fi rst traces the changes of the dragon both in meaning and form, and then discusses its political connotations in early Arthurian chronicles. The "dragon" in the Old Testament denotes a variety of animals such asfox and whale, while in Greek and Latin it simply refers to a serpent without wings. In the Ancient Roman period, the "dragon" came to have a meaning of "a battle standard" as well as "a mythical creature." But as British Latin sources such as Gildas demonstrates, only the Welsh language adds the meaning of "a war leader" to the word, as is seen in the example of KingArthur's father, Uther Pendragon, "the chief of the war leaders." The Red Dragon in Nennius is emblematic of the British people. The red dragon is, in short, the symbol of military resistance. On the other hand the White Dragon stands for the Saxons who eventually defeat the Britons. It is generally believed that Arthur fought against the Saxons and wore the dragon on his helmet. However, neither of Arthurian chroniclers such as Geoffrey of Monmouth, Wace, and La3amon mentions the red dragon as Arthur's standard. Both the red and white dragon suffered arbitrary interpretations during the twelfth-century under the Norman rule. The present paper argues that Cadwaladr, the last British King, who is also the last Breton hope and thereby linked with the resistance of the red dragon, was the Norman's main political concern. Their suppression of the symbolic power of the red dragonas British icon was more concerned about Cadwaladr than about Arthur.
著者
藤崎 康
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学
巻号頁・発行日
no.40, pp.14419-10855, 2005-03 (Released:2005-00-00)

はじめに1 国民的投影 2 至高な王への同一化3 映画と国民国家4 共同体の物語=表象、あるいは〝ファシズムの美学〞5 機械による贖罪補遺1 アウシュヴィッツの不可視性?補遺2 〈国民映画〉と〈国策映画>
著者
吉田 量彦
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.25, pp.57-78, 2010

はじめに1. 問題の背景 : 『神学・政治論』における自由と反逆2. 意見opinio と行為factum3. 反逆と社会契約
著者
小野 文
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.40, pp.213-228, 2008

はじめに世紀末のソシュール書簡恐怖火星と東洋のトポスまとめに代えて : f の不在
著者
合田 陽祐
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.59, pp.67-94, 2014

はじめにI. 『砂時計覚書』出版にいたるまでII. 絵を書く : エクフラシスの方へIII. 「象徴」の役割 : 断片をつなぎ合わせるイメージIV. パラテクストにおけるイメージおわりに
著者
吉永 壮介
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.39, pp.228-212, 2007

一 前言二 費禕と黄鶴楼(1)『三国志』に見える史実としての費禕像(2)唐から五代まで(3)北宋から南宋まで(4)明代以降三 黄鶴楼と三国志の物語四 費禕と万里橋五 結語
著者
Guerin Maurice de 金澤 哲夫
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.46, pp.294-263, 2008

森英樹教授・西尾修教授・高山晶教授退職記念論文集 = Mélanges offerts à Mori Hideki, à Nishio Osamu, et à Takayama Aki
著者
岩﨑 洋介
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学
巻号頁・発行日
no.42, pp.97-111, 2006-03 (Released:2006-00-00)

ジャック・ラカンは1966年に出版されたそれまでの主要論文や講演の記録をまとめた『エクリ』の段階で既にシェーマZ など図形や記号を伴う概念を導入していたが、『エクリ』以降もメビウスの輪やクロス・キャップ、トーラスといったトポロジー的な図形、さらに「マテーム( mathème)」とラカン自身により名づけられた定式や論理学の量記号を援用してきた。そしてその晩年にあたる1970年代、学説的に最も力を注いでいたのはボロメオの輪、ないし結び目を己の学説に導入することであり、その執着ぶりは例えばエリザベト・ルディネスコによる『ジャック・ラカン伝』に窺えよう。 「ボロメオの結び目」とは北イタリアのマジョーレ湖上の島にその名を残すボロメオ家の紋章に由来し、三つの輪、仮に輪a、b、c、とすると、a はb の、b はc のそれぞれ上に部分的に重なる形で位置する時、c がa の上になるように組み合わされた図形を指し、三つの輪の上下関係がa > b > c > a > b…という形で循環している。ラカンも度々指摘するように正確には「結び目」ではなく、三つの「輪」が三すくみに繋がれている図形である。その輪の交叉する部分を取り出した三つ葉のクローバー状の「結び目」もボロメオの輪と同様に言及される。これら図形の重要な特徴は、輪を一つ外すと、残りの二つの輪も互いに外れること、結び目の場合は線が交叉する個所が三箇所あるわけだが、そのうちの一箇所で交叉する線の上下を入れ替えると結び目が解消されただの輪になってしまうことである。こうした特徴を持つ輪は必ずしも三つとは限らず輪の数をいくら増やしても、そのうちの一つの輪を外すと鎖状に繋がっていたそれらの輪は個々の輪に分解してしまうといった図形を考えることは可能であるが、それは輪の数が三未満ではそうした関係は得られず、三が最小値である。 こうしたボロメオの輪自体は明らかにトポロジー的な図形であるが、このボロメオの輪への関心はことに『エクリ』以降に強まったラカンのトポロジーの援用の単なる延長とみなせるのであろうか。 ラカンのトポロジーへの関心は上記ルディネスコの評伝によると1951年に始まるが、『エクリ』に収められた諸編を見る限りでは、場(topos)と場の関係といったトポロジーの出発点となった観点による考察は色濃いものの、メビウスの輪などのパラドクシカルな図形はそれ以降の60年代後半になって盛んに援用されてくる(メビウスの輪が『エクリ』の中では最も後年に書かれた〈 La science et la vérité〉 で軽く言及されてはいるが)。ラカンがボロメオの輪について初めて言及したのは1972年の2月9日のセミネールでのことであるが、集中的に取り上げられ始めるのはその次の年度である1972–73年度のセミネールEncoreの全11回あった講義の内の第10回目(〈Ronds de ficelle〉)以降のことで、丁度マテームと入れ替わり講義中にしきりと描かれる図式となる。すなわちまとめると『エクリ』以降のラカンの図式に関する主な関心は、トポロジー的な図形→マテーム→結び目、という順で移行している。 マテームとは分析家、大学、主人、ヒステリー患者の四つにディスクールを分け、精神分析の立場を明確に位置づけるものであった。これは当時ラカンの属していたフランス精神分析学会( La Société française de psychanalyse)の解消に伴い、1963年に自ら創設したパリ・フロイト学派( l’Ecole freudienne deParis)の基礎付け、また精神分析が新設されるパリ大八大学に独立した学部を設置するにあたり、取分け科学的な知と精神分析の関係に見通しをつけ、いかに精神分析を「教育」しうるかという問いへの根本的な反省が要請されていたという外部的な事情も重なっている。 結び目を考える時、結び目の取り上げられた時期がこのマテームの時期の後にあるということが重要となってくる。ジャン=クロード・ミルネールはラカンの学説を三つの時期に分けているが、1972–73年度のセミネールEncore を第二期から第三期を分かつ位置にあるとしている。それはこの年度の講義でマテームの時代が頂点に達し、それと同時にそれをいわば「脱構築」するものとしての結び目が本格的に導入され始めるからだ。ミルネールに拠れば、第二期のラカンは数学におけるブルバキの影響を受け、その数学言語の形式化に倣い精神分析におけるディスクールの形式化を推し進めたものであったが(ラカンを除いてはブルバキと同じように執筆者が無記名なパリ・フロイト学派公認の雑誌Scilicet においてその傾向は著しい)、1968年の学生運動から70年代にかけての数学におけるブルバキ自体の後退、そして自身の学派内の不和といった外部的な影響もあり、マテームによる形式化及びそれに基づく精神分析の伝授へのさらなる見直しの必要をラカンが感じざるをえない状況で登場し、マテームに替わり盛んに援用されるようになったのが「結び目」であった。そうした見地に立つと、70年代にラカンが執着を示した結び目とはマテーム以前のトポロジー的な図形の援用とは性格を異とするもの、少なくともその単なる延長にあるのではない、と見なさねばなるまい。ラカンが結び目に着目したのも(少なくとも当時は)結び目が数学的に理論化されていないものであったからである。実際、ラカンの結び目とは以下に見るように、トポロジー的な対象として数学に基盤を求めるものではなく、むしろ数学を含めたあらゆる言語の「起源」を射程にいれたものである。
著者
工藤 多香子
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.40, pp.245-265, 2008

はじめにI. 人種差別への挑戦II. 黒人であるよりもキューバ人としてIII. 黒人芸術と未開主義IV. キューバ人として, それでもなお黒人としておわりに
著者
八木 章好
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.40, pp.153-172, 2008

はじめに一 詩語としての「狂」(一) 「狂風」(二) 「猖狂」(三) 「発狂」「狂喜」(四) 「顛狂」「清狂」「狂歌」(五) 「狂客」「狂叟」「狂夫」二 李白の「楚狂」三 杜甫の「狂夫」四 杜甫が歌う李白の「狂」おわりに
著者
成田 和信
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.15, pp.29-53, 2000

我々が思慮deliberationに基づいて一定の信念beliefを獲得できるのは,理性の働きによると思われる。たとえば,「pならばq」という信念と「p」という信念を持っている時に,論理に従って考えれば,たいてい我々は「q」という信念を獲得できる。これは,我々の理性の働きによるのであろう。このような働きをする理性を「理論理性theoreticalreason」と呼ぼう。これと同じように,我々が思慮に基づいて一定の行為へと動機付けられる時に,その動機付けmotivationを生み出す働きをする理性があるとすれば,それを私は「実践理性practical reason」と呼ぶ。(1)たとえば,ある事柄Eを目的として定め,行為Aを行えばEが達成できることが分かった時に,たいてい我々はAを行おうと思うものであるが,こう思うことが(少なくとも部分的には)理性の働きによるとすれば,この理性は実践理性である。(2)本稿の目的は,最近の英語圏で展開されている議論を参考にしながら,実践理性とは何かを,目的の手段となる行為への動機付けの場合に限って,詳しく描くことにある。 私はいま「目的の手段となる行為への動機付けの場合に限って」と書いたが,「目的の手段となる行為への動機付け」を(英語圏の実践理性をめぐる議論の慣習に倣って)「道具的動機付けinstrumental motivation」と呼び,また,そのような動機付けにおいて働く実践理性を「道具的実践理性instrumental practical reason」と呼ぼう。本稿の目的は,実践理性とは何かを,道具的動機付けの場合に限って描くこと,つまり,道具的実践理性とは何かを描くことにある。 さて,本論に入る前に,実践理性をあぐる問題との関連で,いま述べた本稿の目的について補足しておきたいことがある。実践理性をめぐっては二っの大きな問題がある。第一の問題は,実践理性が果たして存在するかという問題である。たとえば,ヒュームは実践理性の存在を否定しているという解釈が成り立つ。(3)したがって,実践理性の存在を肯定するには,少なくともこのようなヒ3 ム解釈に基づく実践理性否定論を論駁することが必要となる。しかし,ここではこの問題には取り組まずに,実践理性が存在することを前提した上で,それがどのようなものなのかを明確にすることを目指す。その後に,稿を改めて,そのような実践理性が存在するかどうかを論じたいと思う。その意味で,本稿は実践理性の存在の問題に対する取り組みの準備作業の一つである。 第二の問題は,実践理性が働くためには(それが働く以前に行為者があらかじめ持っている)欲求が必要であるかという問題である。(4)トーマス・ネイゲル,クリスティン・コースガード,ジーン・ハンプトンなどのカント主義者は,必ずしも必要でないという立場を取る。(5)これに対して,アルフレッド・ミールなどの「合理的ヒューム主義者」と呼べるような論者は,必要であるという立場を取る。(6)本稿では,この問題に関しても特定の立場を取らずに議論を進あたい。この問題へのアプローチのためにも実践理性をできるだけ明確に規定することが必要であり,その意味でここでの作業は,この問題への取り組みの準備作業ともなる。 繰り返しになるが,本稿の目的は,実践理性(正確に言えば,私が「実践理性」と呼ぶもの)とはどのようなものなのかを,道具的動機付けの場合に限って,明らかにすることにある。さて,冒頭に述べたように,実践理性は,人が思慮に基づいて一定の行為へと動機付けられる時に,その動機付けを生み出す働きをする。(7)したがって,実践理性とは何かを詳しく示すためには,「思慮に基づいて」ということと「動機付けを生み出す働き」ということを明確にすることが重要となる。そこで,まず第1節と第2節では,「思慮に基づいて」の「思慮」の部分に焦点を当てる。第1節では,実践理性が働く際になされる思慮とはどのようなものなのかを説明する。第2節では,話を道具的動機付けの場合に絞って,そこでなされる思慮の特徴を細かく見る。次に第3節で,実践理性の「動機付けを生み出す働き」という点に焦点を当て,その働きを明確にする。最後に第4節では,「思慮に基づいて」の「基づいて」という部分に焦点を当て,その意味を明らかにすることによって,実践理性の輪郭をさらに鮮明する。
著者
小菅 隼人
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 英語英米文学 (ISSN:09117180)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-20, 2004

In ILIAD VI we see a string of small-scale skirmishes, the encounter between Diomedes and Glaukos, the return of Hektor to Troy, and the culminating meeting of Hektor and Andromakhe, a profoundly moving scene due to the forboding sense of permanent separation between husband and wife.In Ernesto Cardinal's epic poem, Cosmic Canticle (tr. by John Lyons), the poet asks the question, 'Do we know the universe's metabolism?' If it is possible to FEEL the metabolism of the universe, I say letting the poetry of Homer flow through one's spirit may provide the opportunity, for the music of the Iliad is quantic like the twilight flashes of fireflies, and its rhythms push and pull and twist throughout its beautiful adamantine structure like the colored planets in their invisible orbits.Taking a look at one of Ando Hiroshige's ukiyoe xylographs (floating world woodblock prints) from One Hundred Views of Edo, 'View from the Massaki Shrine of the Uchigawa Sekiya-no sato Village and the Suijin-no mori Shrine', one can also feel a potent and expansive rhythm, a supreme invisible flow. A kind of fragile sadness subsumes the scene, punctuated by the male and female twin peaks of Tsukubayama, with the crepuscular light washing over the blue mountain and the green grove girded by the disintegrating red paste-like horizon. Yet, unlike Andromakhe and Hektor, we know the eastern and western peaks will be together forever.
著者
道上 知弘
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
中国研究 (ISSN:18825591)
巻号頁・発行日
no.2, pp.127-154, 2009

はじめに一、戦後直後の台湾映画界について二、香港廈門語映画について三、歌仔戯劇団の映画への参入と台湾語映画の誕生四、結語
著者
鈴木 正崇
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケ-ション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.29, pp.55-102, 2002

1.はじめに2.祖先祭祀3.祭祀の日程と内容4.村の概要5.村の組織と現状6.粘臓節の経過(1)起鼓と請祖霊。12月22日(冬月15日,未日)。(2)客人迎え。12月23日(冬月16日,申日)。(3)大型祭幡遊塘と盧笙舞。12月24日(冬月17日,酉日)。(4)盧笙舞。12月25日(冬月18日,戌日)。(5)牛転塘。12月26日(冬月19日,亥日)。(6)木を伐る。12月27日(冬月20日,子日)。(7)転牛塘と殺牛の準備。12月28日(冬月21日,丑日)。(8)12月29日(冬月22日,寅日)。殺牛祭祖。7.枯臓節の現在(1)死者との交流(2)水牛(3)周期性のリズム(4)現世でのたのしみ(5)観光化(6)社会組織と民族意識の再編成(7)計画郷加両寨との比較(8)広域での比較(9)結論
著者
Mallarmé Stéphane 原山 重信
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.54, pp.61-71, 2012-03

11. 1875年11月21日 掲載されず12. 1875年11月21日―1875年11月27日13. 1875年11月21日 掲載されず14. 1875年11月21日 掲載されず15. 1875年11月27日―1875年12月11日16. 1875年11月27日―1875年12月11日訳者後記
著者
O'Shaughnessy Arthur 原山 重信
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.51, pp.47-69, 2010

1. 1875年6月26日土曜日2. 1875年9月4日土曜日3. 1875年11月6日土曜日4. 1875年11月13日土曜日5. 1875年11月20日土曜日6. 1875年11月20日土曜日7. 1875年11月27日土曜日8. 1875年12月11日土曜日9. 1876年1月1日土曜日10. 1876年1月8日土曜日11. 1876年1月15日土曜日12. 1876年1月29日土曜日13. 1876年2月5日土曜日14. 1876年2月12日土曜日15. 1876年3月25日土曜日16. 1876年4月1日土曜日17. 1876年4月29日土曜日18. 1876年8月19日土曜日19. 1876年10月7日土曜日20. 1876年12月23日土曜日
著者
石原 あえか
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 ドイツ語学・文学 (ISSN:09117202)
巻号頁・発行日
no.37, pp.1-24, 2003

1. はじめに 「ホムンクルス」の製造法2. ゲーテのホムンクルス—その1:「実験室」の場面—(1) 錬金術と化学のはざまで(2) ゲーテのホムンクルスとヴェーラーによる尿素の有機合成3. 人造人間制作者の系譜—ギリシア神話から天才職人ヴォーカンソンまで—4. 現代のプロメテウス(1) プロメテウス伝説とゲーテの散文詩『プロメテウス』(2) メアリー・シェリー:『フランケンシュタイン 現代のプロメテウス』(3)「産む男」 女性の出産に対する憧れと嫉妬 ( ? )5. ゲーテのホムンクルス—その2:「実験室」の続きとしての「海の祝祭」—6. 現代ドイツ文学におけるホムンクルス・モティーフ(1) ロベルト・ハマーリンクの叙事詩『ホムンクルス』(1888)(2) シャルロッテ・ケルナーの児童文学作品『1999年に生まれて』7. まとめ ゲーテのバランス感覚—良心と好奇心—