- 著者
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成田 和信
- 出版者
- 慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
- 雑誌
- 人文科学 (ISSN:09117210)
- 巻号頁・発行日
- no.16, pp.1-28, 2001
本稿の目的は,「実践理性practical reasonは存在する」という主張を擁護することにある。ここで私が「実践理性」と呼ぶのは,我々が思慮de-liberationに基づいて一定の行為へと動機付けられるときに,その動機motiveを生み出す働きをする理性のことである。たとえば,ある事柄Eを目的として定め,どうすればEを達成できるか考えたすえに「行為Aを行えばEが達成できる」と判断し,その判断に基づいてAを行おうと思うときに,この思いが理性の働きによって生まれるとすれば,その理性は実践理性である。 実践理性の存在と能力に関して三つの立場がある。まず,「実践理性は存在しない」という立場がある。たとえばヒュームは,この立場に立つと考えることができる。次に,「実践理性は存在するが,それは(それによる動機付けがなされる以前から行為者が持っている)欲求と協同しなければ動機を生み出すことができない」という立場がある。この立場は,欲求と協同して動機を生み出すco-produce理性の存在を認める。私はこの立場を「合理的ヒューム主義」と名付ける。この立場を「ヒューム主義」と呼ぶのは,それがヒュームと同じく,いかなる行為の動機付けmotiva-tion(したがって実践理性による動機付け)にも欲求が必要になると主張するからである。「合理的」という言葉を付したのは,この立場が,鹽ヒュームとは異なり,(欲求と協同して働く)実践理性の存在を認めるからである。この立場に与している哲学者としては,たとえば,アルフレッド・ミールなどを挙げることができる。最後に,「実践理性は存在し,それは欲求と協同しなくとも,それだけで動機を生み出すことができる」という立場がある。この立場は,その起源をカントに求めることができるので,「カント主義」と呼ばれている。たとえば,トマス・ネイゲル,クリスティン・コースガード,ジーン・ハンプトンなどはこの立場に立つ。 私は二番めの立場,つまり,合理的ヒューム主義の立場に共感を覚える。この立場を擁護するためには,少なくとも次の二つのことを示さなければならない。(1)実践理性は存在する。(2)実践理性は欲求と協同しなければ機能しない。(2)の擁護は稿を改めて行うことにして,本稿では(1)の擁護を試みたい。 実践理性の存在の擁護を試みると言っても,本稿の議論は次の二つの点で限定されている。まず,実践理性を包括的に扱うわけではない。ここでは,「道具的動機付けinstrumental motivation」,つまり,目的の手段となる行為への動機付けだけに注目し,そこで働く実践理性,すなわち,「道具的実践理性instrumental practical reason」の存在を擁護するにとどまる。道具的実践理性の他に「非道具的実践理性non-instrumental practi-cal reason」が存在するかという問題は,実践理性をめぐる論争における争点のひとつになっているが,本稿ではとりあえず道具的実践理性の存在に焦点をしぼる。次に,道具的実践理性の存在の擁護を試みると言っても,体系的な理論構築に基づいてその存在を全面的に立証するわけではない。ここでは,道具的実践理性の存在の否定にコミットしている二つの理論,すなわち,ひとつはヒュームの動機論,もうひとつは「動機含意説」と呼べるような理論を批判的に検討し,それを通じて道具的実践理性の存在を部分的に擁護するにとどまる。このように本稿での試みは限定されているが,実践理性の存在の証明という難問への取り組みの端緒にはなるだろう。