著者
池田 威秀 足立 朋子 鈴木 真理子 秋山 豊子
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.57, pp.11-46, 2015

教育挿図資料近年, 当大学で発生した飲酒事故の重要性に鑑み, 飲酒事故を未然に防ぐことを目的に事業を展開した。生物学の分野から, 学生個々人のアルコールのパッチテスト, その後のアンケート調査, その解析, 意識調査, 自分の遺伝的体質の解析(アルコール分解酵素の遺伝子鑑定)や, 肝臓におけるアルコールの分解作(酵素反応)の理解を進める授業などを展開した。また, 授業用資料(PPT)やパンフレット作成を行なった。生物学を履修している学生には, これらを用いて授業を展開し, 飲酒事故防止のための理解を進める。生物学を履修していない学生には, これらの資料をウェブで公開して閲覧できるようにする。加えて, 将来的なアルコール中毒や肝機能障害のリスク回避, さらに最近多様化してきた他の薬物中毒に対しても, その危険性を広報していく。以上のことから, 全塾的・長期的に, 学生がアルコールと他の薬物への対応の仕方を習得し, 将来的に心身ともに健康維持できるよう, 教育支援を行なった。
著者
坂本 信介 坂本 尚子 上村 佳孝
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.50, pp.43-52, 2011

50号記念号研究ノート慶應義塾大学日吉キャンパス特色GP「文系学生への実験を重視した自然科学教育」の事業Ⅲ「新しい実験テーマの開発と実験マニュアルの整備」(生物学)の継続事業として, 「動物の最適採餌理論」を題材とした新たな学生実験テーマの開発を行った。具体的には材料の選定, 実験計画の決定, 学生配布資料・提出用レポートのフォーマット作成, 学生対象の試行実験を行った。本プログラムでは新規実験手法の体験よりも, むしろ, 科学的思考力を養うことに重点を置き, パターン認識や仮説検証のプロセスを訓練することを目的とした実験の開発を行った。学生が動物の役割を演じるrole-playing実験であり, 具体的には, 学生が動物のつもりで餌探索を行い, どのように餌が採集できたかについてグラフ化し(パターン認識), なぜそのようなパターンが得られたのかについて仮説をたて検証する(仮説検証)という流れである。試行実験では, 誘導的に仮説を導く過程においてヒントの有無, および, 班による議論の有無という二種類の操作を行い, 仮説とその検証方法を正しく導くことができたかを4グループの間で検証した。仮説の正答率はヒントを与えたグループでやや高く, 仮説を検証するためのプロセスを正しく辿ることのできた学生の割合は, ヒントなしで議論をしたグループがもっとも高かった。このことは, 正しい仮説検証のプロセスを導く上でより重要なのは仮説をたてる上でのヒントよりも仮説をたてる上での十分な議論であることを示唆している。
著者
河野 哲也
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.15, pp.1-28, 2000

序 障害は「個性」か?1. 「個性」概念の分析2. 「障害」概念の分析3. 現在の特殊教育の問題点3-1 医療還元主義の問題3-2 社会還元主義の問題4. 個性主義の実像5. あるべき方針としての個人主義
著者
申 明直
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケ-ション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.25, pp.62-83, 2000

I.始めに1.研究目的及び研究史の検討?2.研究方法II.『小人が…』の「幻想性」と現実克服1.幻想性と現実克服的性格2.『小人が……亅と「ユートピア」1)「メビウスの帯」と「クライン氏の瓶」2) 「抽象的ユートピア」と「具体的ユートピア」①小人と初期のジソブ及びユンホー「抽象的ユートピア」②ヨンスと後期のジソブ及びユンホー「具体的ユートピア」③数学教師-二つの可能性3)「想像的解決」と「象徴的解決」①想像的解決②象徴的解決3.『小人が……』の幻想性と転覆性1) リアリティーの強化①宇宙人・空飛ぶ円盤③地獄と天国④真鍮製の匙III.『小人が……』の「幻想性」と美的装置1.連作形式2.アレゴリーと象徴3.多声性-「私の網に来るとげうお」4.多文体性1)ジャンル挿入2)場面重畳IV.結び
著者
徳永 聡子
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 英語英米文学 (ISSN:09117180)
巻号頁・発行日
no.66, pp.37-45, 2015-03 (Released:2015-00-00)

Medieval literary works popular in manuscript culture were not necessarily inherited by the print culture. Then which texts were chosen to be published by the first generation of printers in England? This paper offers a preliminary overview of the reception of medieval literature in England in the transitional period from manuscript to print by comparing the list of publications of William Caxton, England's first printer, and that of his follower Wynkyn de Worde. While Caxton's publishing style was largely influenced by the manuscript tradition and distinguished by his translation (especially from French prose romance), de Worde seems to have been more active than his master in not only expanding the market for religious works and romance (both prose and verse) but also cultivating a relationship with his contemporary authors.
著者
堀江 聡 Hoffmann Damascius
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.19, pp.17-49, 2004

プラトンによって創設されたアカデメイアの最後の学頭ダマスキオス(紀元後460年頃生れ、538年以降没) の主著『第一の諸始原についてのアポリアと解』の第I巻第3部(R.I, 41-66)を以下に訳出する。底本には、ビュデ版 を用いたが、リュエル版 も参考にした。翻訳としては、上記ビュデ版の対訳の他、ガルペリヌの仏訳 を参照した。< >内はギリシア語原文上の補足箇所の訳出であり、{ }内は、文意を掴むための訳者による補いである。改行および章分けは、ビュデ版のギリシア語テキストにしたがった。ギリシア語原文にはないが、ビュデ版訳者の章ごとの小見出しを採録し、各章の冒頭にゴチック体で附加した。さらに、[R+数字]により、リュエル版のページを併記した。
著者
堀江 聡
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.18, pp.29-45, 2003

プラトンによって創設されたアカデメイアの最後の学頭ダマスキオス(紀元後460年頃生れ,538年以降没)の主著『第一の諸始原についてのアポリアと解』の第I巻第2部(R.I, 30-41)を以下に訳出する。底本には,ビュデ版を用いたが,リュエル版も参考にした。翻訳としては,上記ビュデ版の対訳の他,ガルペリヌの仏訳を参照した。< >内はギリシア語原文上の補足箇所の訳出であり,{ }内は,文意を掴むための訳者による補いである。改行および章分けは,ビュデ版のギリシア語テキストにしたがった。ギリシア語原文にはないが,ビュデ版訳者の章ごとの小見出しを採録し,各章の冒頭にゴチック体で附加した。[R+数字]により,リュエル版のページを併記した。
著者
小野 修三
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 社会科学 (ISSN:13425390)
巻号頁・発行日
no.16, pp.98-30, 2005

一、本稿はその題が厚紙の表紙にはペンにて、そして袋綴じにされた原稿用紙の第一ページ目には筆にて「犯罪豫防論綱」とそれぞれ記された手書き原稿を起こしたものである。表紙と本文は和綴じにされている。筆者名のサインはどこにもないが、使用されている原稿用紙は小河氏原稿用紙の文字が活字印刷された特製原稿用紙であり、また小河氏蔵書の印鑑が二箇所押され、綴じられた原稿用紙の中途に「犯罪豫防論講義目次」なる冊子が挿入されていて、そこには「法學博士 小河滋次郎講」と記されている。さらに表紙には1662(自4)という手書きの文字(横書き)が記されているが、これは日本生命済生会の小河文庫の一冊としての「犯罪豫防論綱」に付せられていた整理番号と考えられる。また原稿の筆跡も小河滋次郎のものと考えられる。以上の点から本稿ではこの「犯罪豫防論綱」を小河滋次郎の自筆原稿として扱う次第である。 二、以前に私は同様の小河滋次郎の自筆原稿「救貧要論」を本紀要第一一号(二〇〇〇年)にて翻刻しているが、それは小河博士の令孫小河彌榮氏が長く保管され、今日では上田市立図書館に同氏が寄贈されているものである。これに対して、今回の原稿は五山堂書店主加藤俊一氏のお世話にて古書市場より入手に至ったものであり、ここに小河滋次郎の未発表の業績として以前と同様紹介するものである。三、原本は半葉一〇行、一行二五字の赤色罫線の白色五百字詰原稿用紙に、墨書されている。同原稿用紙の綴りはまず表紙の一枚、続いて無記入の二枚、そして本文部分の漢数字で一から五十までのページ番号の振られている五〇枚と、それ以降のページ数の振られていない四三枚の計九六枚から成っている。なお、本文部分には計八枚の別紙が挿入されている。そのうちの六枚は同一規格のメモ用紙が使われ、それぞれの記載内容が本文何ページ目への注であるかは明記され、かつその指示ページの箇所に挿入されていた。他は前述の「犯罪豫防論講義目次」と活字印刷された四ページの小冊子と青色罫線の原稿用紙の断片に記入のある一枚である。この青色罫線の原稿用紙の断片には何ページ目への注記かは記されていないが、挿入箇所への注記であることはその記載内容から確認出来た。「犯罪豫防論講義目次」以外はいずれも当該別紙の挿入されたページへの注として、本稿では本稿末尾の編者注の箇所に記載した。なお、本稿では原文のページ数を、記載のない部分(五一ページ以降)も含めて上部欄外に①、②と表示した。原文の最終ページは九三ページになる。 四、この原稿の執筆時期については明記がない。ただ、本文の記載事項中に「〔(後筆) 三十二年前〕一八七五年ノ徴兵検査ニ際シ」(原文一八ページ)という箇所があり、ここから計算すると執筆当時は一九〇七年(明治四〇年)になる。(同ページ上方欄外に小河自身による計算の跡が残っている。)また小河の博士論文「未成年者ニ對スル刑事制度ノ改良ニ就テ」への言及が原文三三ページに見える。同論文によって法学博士号を授与されたのが明治三九年なので、また「犯罪豫防論講義目次」にも「法學博士 小河滋次郎講」と記されているので、右の計算の通り小河が法学博士になった翌年の明治四〇年の執筆と考えて間違いはないように思われる。当時小河は司法省監獄事務官であった。その小河が何のためにこの講義を行なったのかは未詳である。 五、「犯罪豫防論講義目次」は同冊子が挿入されていたページと特別の関係があるわけではないと判断し、ここにまず記載する。そしてその次に原本には目次が付属していないので、その代わりに本文中の各見出し部分を抽出し、比較対照を試みる。ただし、本文中の見出し部分では特に書き直しが多く見られ、かつ幾分かの混乱が見て取れるが、ほぼその書き直された最後の形と思われる文字を、第何章第何節という記載が未記入の部分も含めて、原文のまま記すことにする。
著者
梅澤 礼
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.60, pp.15-27, 2015

Mélanges offerts au professeur Suzuki Junji et au professeur Hayashi Emiko = 鈴木順二教授・林栄美子教授退職記念論文集はじめに1. 怪物学monstruologieから奇形学tératologieへ2. 奇形学と犯罪学3. 奇形学, 犯罪学, そして文学おわりに
著者
笠井 裕之
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.63, pp.75-154, 2016

構想の出発点について執筆時期について『地獄の機械』の各種草稿について
著者
磯野 直秀
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.36, pp.1-14, 2004

江戸時代に入って動植物への関心が高まるが,17世紀末までは本草家・博物家・園芸家などが作成した図譜は少なく,椿・菊など個別の園芸品の図譜(注1)を除けば,多くの種類を描いたものは百科図鑑の『訓きん蒙もう図彙』(1666刊,中村惕てき斎さい)や『五百介図』(1687頃成,吉文字屋浄貞)『草花絵前集』(1699刊,伊藤伊兵衛三之丞)くらいしか知られていない。そこで,17世紀に描かれた画家のスケッチが博物誌にとって有用な資料となる。 たとえば,狩野探幽のスケッチ集『草木花写生』(果蔬草花図巻,東博蔵)については北村四郎の解説(注2)があり,トマトやカボチャなどの渡来品が描かれていることが記されている。その探幽の甥で幕府御用絵師だった狩野常信(木挽町狩野家二世)も『鳥写生図巻』『草花魚貝虫類写生』(ともに東博蔵)の2点を残しており,いずれも優れた博物誌資料であることを拙報ですでに報告した(注3・4)。 これに類する資料に,国立国会図書館蔵『草木写生』があり,一応の調査を行なったので, 本報でまとめておきたい。
著者
向井 知大 大場 茂
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.55, pp.1-19, 2014

研究ノート野外における放射線強度を, 車での走行あるいは歩きながら調査するシステムを試行した。これは簡易型ガイガーカウンター(インスペクター)をPCにつないで放射線強度を3秒ごとに記録し, またGPSアンテナで位置情報も同時に取り込むものである。定点観測ならびに走行・歩行実験を行い, 測定条件やデータの解析方法について検討した。その結果, 統計変動を抑えるためには, 30秒間の積算計測数を用いてγ線にもとづく空間線量率を求めるのが妥当であること, また検出器の高さを地上1mから0.35mに下げても, 空間線量率は8%程度しか増えないことがわかった。
著者
萩原 眞一
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.43, pp.17-35, 2011

The aim of this paper is to demonstrate the relationship between "the Cave of Mithra at Capri" Yeats visited in1925 and "that curious cave" in Botticelli's painting Mystic Nativity (1501) in the National Gallery of London, and to propose their possible connection with Porphyry's treatise On the Cave of the Nymphs.This paper first discusses Porphyry's discourse. It interprets 11 verses of Odyssey in which Homer describes the cave of the water-nymphs on the island of Ithaca as an allegory of the soul's cycle of descent and return. Yeats might have read Porphyry's exposition through the translation made by the English Platonist Tomas Taylor. Porphyry's Neoplatonic view of Homer's cave is epitomized in Kathleen Raine's illuminating remark: "Porphyry's cave is the womb by which man enters life; but, seen otherwise, it is the grave in which he dies to eternity."Secondly, this paper refers to Yeats's visit to the Mithraic cave of Capri. Yeats and his wife Georgie first travelled to Sicily, where they joined the Pounds, and then to Naples and Capri. Pound remembered Yeats trying out the acoustics at the amphitheatre near Syracuse, and staring in wonder at the "golden mosaic" of the superb Byzantine walls at Monreale near Palermo. Unfortunately, there is no photographic record of the poet's visit to Capri, only the recollections recorded in the prose of the Dedication to A Vision and in the note discussing his visit to the cave. Yeats recollects the details he observed: "When I saw the Cave of Mithra at Capri I wondered if that were Porphyry's Cave. The two entrances are there, one reached by a stair of 100 feet or so from the sea..., and one reached from above by some hundred and fifty steps...." Yeats clearly links the Mithraic cave having "two entrances" with "Porphyry's Cave" telling the cycle of generation.Thirdly, particular attention is paid to Botticelli's Mystic Nativity. According to Yeats, the inscription at the top of the picture says that "Botticelli's world is in the 'second woe' of the Apocalypse," and that "after certain other Apocalyptic events the Christ of the picture will appear." Botticelli's work reflects catastrophic expectations at the end of the 15th century which echo the rebellious Dominican priest Savonarola's apocalyptic visions. In conclusion, Botticelli's use of the "curious cave" located at the centre of Mystic Nativity seems an appropriate way of symbolising "Porphyry's Cave" as a metaphor of the world of matter into which the souls are incarnated.
著者
石井 明
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.26, pp.1-56, 2011

The viola da gamba was a popular musical instrument in Europe between the sixteenth and eighteenth centuries. There were numerous types and sizes of the instrument, all affectionately played and enjoyed particularly by non-professionals like the aristocrats and bourgeois. The popularity of the viols, however, sharply declined towards the eighteenth century, especially at the dawn of the French Revolution.The revival of the viola da gamba became one of the essential elements in the Early Music movements of the early twentieth century. Many string instrument builders began attempting to manufacture viols, especially after the Second World War. By then, however, the tradition of the viola da gamba building had been entirely disappeared. The modern viola da gamba builders first imitated and adopted the technique used by the violin making. They eventually learned that the viol building is an entirely different matter from constructing violins or cellos. Today, various and numerous pieces of information on historical instrument making became available, and the viola da gamba builders of the twenty-first century finally began producing a true (truer) copy of the viols.At the same time, however, the modern viol builders now face another problem. The builders of the historical instruments today need to re-evaluate the aim and purpose of the viol making. Should they keep searching the true essence of the viol making of the past, or should they regard the viola da gamba as an instrument of the modern times as well as an artistic output of modern instrument builders? To find an answer to this question, this article looks at the history of the modern viol making and compares the modern Early Music instrument building with themodern Early Music performances.
著者
成田 和信
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.16, pp.1-28, 2001

本稿の目的は,「実践理性practical reasonは存在する」という主張を擁護することにある。ここで私が「実践理性」と呼ぶのは,我々が思慮de-liberationに基づいて一定の行為へと動機付けられるときに,その動機motiveを生み出す働きをする理性のことである。たとえば,ある事柄Eを目的として定め,どうすればEを達成できるか考えたすえに「行為Aを行えばEが達成できる」と判断し,その判断に基づいてAを行おうと思うときに,この思いが理性の働きによって生まれるとすれば,その理性は実践理性である。 実践理性の存在と能力に関して三つの立場がある。まず,「実践理性は存在しない」という立場がある。たとえばヒュームは,この立場に立つと考えることができる。次に,「実践理性は存在するが,それは(それによる動機付けがなされる以前から行為者が持っている)欲求と協同しなければ動機を生み出すことができない」という立場がある。この立場は,欲求と協同して動機を生み出すco-produce理性の存在を認める。私はこの立場を「合理的ヒューム主義」と名付ける。この立場を「ヒューム主義」と呼ぶのは,それがヒュームと同じく,いかなる行為の動機付けmotiva-tion(したがって実践理性による動機付け)にも欲求が必要になると主張するからである。「合理的」という言葉を付したのは,この立場が,鹽ヒュームとは異なり,(欲求と協同して働く)実践理性の存在を認めるからである。この立場に与している哲学者としては,たとえば,アルフレッド・ミールなどを挙げることができる。最後に,「実践理性は存在し,それは欲求と協同しなくとも,それだけで動機を生み出すことができる」という立場がある。この立場は,その起源をカントに求めることができるので,「カント主義」と呼ばれている。たとえば,トマス・ネイゲル,クリスティン・コースガード,ジーン・ハンプトンなどはこの立場に立つ。 私は二番めの立場,つまり,合理的ヒューム主義の立場に共感を覚える。この立場を擁護するためには,少なくとも次の二つのことを示さなければならない。(1)実践理性は存在する。(2)実践理性は欲求と協同しなければ機能しない。(2)の擁護は稿を改めて行うことにして,本稿では(1)の擁護を試みたい。 実践理性の存在の擁護を試みると言っても,本稿の議論は次の二つの点で限定されている。まず,実践理性を包括的に扱うわけではない。ここでは,「道具的動機付けinstrumental motivation」,つまり,目的の手段となる行為への動機付けだけに注目し,そこで働く実践理性,すなわち,「道具的実践理性instrumental practical reason」の存在を擁護するにとどまる。道具的実践理性の他に「非道具的実践理性non-instrumental practi-cal reason」が存在するかという問題は,実践理性をめぐる論争における争点のひとつになっているが,本稿ではとりあえず道具的実践理性の存在に焦点をしぼる。次に,道具的実践理性の存在の擁護を試みると言っても,体系的な理論構築に基づいてその存在を全面的に立証するわけではない。ここでは,道具的実践理性の存在の否定にコミットしている二つの理論,すなわち,ひとつはヒュームの動機論,もうひとつは「動機含意説」と呼べるような理論を批判的に検討し,それを通じて道具的実践理性の存在を部分的に擁護するにとどまる。このように本稿での試みは限定されているが,実践理性の存在の証明という難問への取り組みの端緒にはなるだろう。

2 0 0 0 IR 快さと楽しさ

著者
成田 和信
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-29, 2010

1. 心的事象に関する基本概念2. 快さとは何か3. 楽しさこの論文では,快さと楽しさという,似てはいるが異なる二つの心的事象をとりあげて,それぞれがどのような心的事象であるのかを考えてみたい。 これらの心的事象を解明することは,それ自体で哲学的に興味深いことであると同時に,快楽主義Hedonism を評価するうえで重要である。快楽主義といっても,いろいろな事柄に関する快楽主義がある。たとえば,「人は常に快楽を求めて行為する」という動機に関する快楽主義,「快楽だけが唯一それ自体で価値がある」という内在的価値に関する快楽主義などがあるが,ここで念頭においているのは,幸福に関する快楽主義である。幸福に関する快楽主義とは,「幸福は快楽から構成される」という考え方である。この考え方によれば,人生が幸福かどうかは,そこに含まれる快楽によって左右される。(以後,幸福に関する快楽主義を単に「快楽主義」と略して記す。)だが,何をもって「快楽」とするかによって,同じ快楽主義といっても,その中身が変わってくる。たとえば,快楽として,快さpleasantness だけを考える快楽主義を考えることもできるし,また,L. M. サムナーSumner などが示唆するように(Sumner 1996: 108-109),快さばかりでなく楽しさenjoyment をも含める快楽主義,あるいは,幸福を構成するのは快さではなく楽しさであると主張する快楽主義を構想することもできる。快さと楽しさは,よく似てはいるが,異なる心的事象であり,その相違のゆえに,これらの心的事象のうちどれを「快楽」の中に含めるかによって,快楽主義の評価も変わってくる。したがって。快楽主義をきちんと評価するためには,まずは,快さと楽しさのどこが似ていて,どこが異なるのかを明確にする必要がある。この論文でこれらの心的事象について考察する背景には,このような事情がある。 とは言っても,我われが日常において使用している「快さ」や「楽しさ」という概念は,その輪郭がぼけているために,それらを明確に区別することはとても難しい。にもかかわらず,快楽主義の評価に役立つようにそれらを区別するという目的からすると,それらにある程度の明確な輪郭を与えなくてはならない。このような事情のために,ここで語ることは,我われの日常的な理解と微妙にずれるかもしれない。だが,そのずれをなるべく大きくしない仕方でそれら二つの概念の輪郭を描くことが,この論文の目的である。
著者
今村 純子
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.23, pp.23-34, 2008

はじめに1. 「わたくし」が「わたくし」で「ある」ということ2. 第二の誕生3. 本質と属性4. 「現象としての死」と「本質としての死」5. 言葉と欲望結びにかえて