著者
馬場 重行
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.8, pp.52-61, 2011-08-10 (Released:2017-05-19)

田中実氏が提示する「読むこと」の理論を基に、小説作品の〈文脈〉を読むとはいかなることか、その具体的なあり方を、川端康成の「金塊」を素材に考察したのが本稿である。その結果、戦争へと傾斜していく国家の「地下性」に潜む暴力を語り手が暴き出す「金塊」の問題点を指摘し、この作品の重要性、および教材価値について示唆することができた。
著者
立尾 真士
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.38-48, 2006-04-10

大岡昇平『俘虜記』において「何故米兵を撃たなかったのか」という問いの解答が遂に記されないとき、それは唯一の「真実」へと遡行する物語の不可能性を告げているかのようだ。だがそれ以後、「何故米兵を撃たなかったのか」という問いが「敵はほかにいる」という言表へと変換し、或いは「真実のイリュージョン」という言葉が示され、さらには合本刊行後も不断に改稿が成されるとき、『俘虜記』の中ではそのような不可能な「真実」とは別の位相の、複数の/増殖する「真実」が問われていると考えられるのである。
著者
松林 靖明
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.34, no.5, pp.1-9, 1985-05-10 (Released:2017-08-01)

『承久記』諸本のどれを見ても後鳥羽院の怨霊が現われない。最古態の慈光寺本は後鳥羽院御霊の発動以前の成立だからであると考えられるが、前田家本は成立時期、『保元物語』の強い影響などから怨霊を描かないのは何らかの理由があったと見るのが自然である。『後鳥羽院御霊託記』等を見ると、前田家本成立時期の室町初期には足利氏が後鳥羽院御霊を畏敬しており、足利氏の立場を反映している前田家本はその畏怖感から怨霊を描くことを憚ったものと考えられる。
著者
柴田 勝二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.9, pp.40-52, 1998-09-10

『春の雪』は決して勅許の禁制を破って破滅に至る情念に身を挺する青年の恋物語ではない。むしろ彼は恋人聡子が勅許によって王の圏域に取り込まれるのを待って、その肉体のみを所有しようとしている。その狡猾ともいえる侵犯の仕方は勅許の禁制を保存しようとしており、逆に聡子が皇族との結婚をも拒んで仏門に帰依する選択の方が、天皇の価値を相対化している。この世俗と超俗の間で反転しつづける運動性のなかに『春の雪』は成り立っている。
著者
柴田 勝二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.9, pp.38-50, 1996-09-10

三島由紀夫の『鏡子の家』は時代の相貌を描くという意図のもとに書かれた作品だが、そこにあらわれているものはむしろ三島自身の内に生じるに至った「壁」である。夭折への志向を断念し、現実生活を受容しようとすることがこの作品の動機を成すとともに、作者における表現への衝動を希薄にしていた。この作品で追いやられた存在として登場する父親は戦後社会において追放されていた天皇の寓意であり、この「天皇」の導入が三島の世界に新しい基調をつくっていく。『鏡子の家』はその端緒となる作品であった。
著者
大久保 順子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.10, pp.14-21, 2004-10-10 (Released:2017-08-01)

モデルとされる敵討事件説話の「實」と異なる「虚妄の説」として椋梨一雪の批判を浴びた井原西鶴の『武道伝来記』は、先行作品や地方伝承等が方法的に織り込まれ仕組まれた諸国咄としての創造性に富む作品である。巻七の二「若衆盛は宮城野の萩」に描かれる登場人物の関係性や、事件展開の意味と精神性は、その舞台空間である「外が濱」の文芸的イメージを鍵として解読することができる。
著者
松本 和也
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.9, pp.47-57, 2004-09-10 (Released:2017-08-01)

戦争の<はじまり>をめぐる日付の一つとして、太平洋戦争開戦日である"十二月八日"の文学的言説を検討する。具体的には、"十二月八日"を主題として描かれた小説表現と、それらをとりまく同時代言説の布置・受容を多角的に検討し、その上で改めて、太宰治「十二月八日」の読解へと向かう。するとそこには、"日常=戦場"としての"十二月八日"という特異な主題に応じた、新たな小説表象が見出されることになるだろう。
著者
竹内 正彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.66, no.5, pp.34-46, 2017-05-10 (Released:2022-05-27)

『源氏物語』「夕顔」巻において、光源氏は「顔をほの見せたまはず」夕顔を訪問する。従来、三輪山式神婚譚がふまえられていることが指摘され、光源氏は覆面姿であるか否かといった議論がある当該箇所について、覆面の文化史的意義や光源氏の顔のあり方等をおさえながら、光源氏は覆面をつけていたと考えるのが妥当であるとし、そのことによって呼び起こされてくる伝承世界を考察したうえで、物語世界が構築されていくありようについて考えた。
著者
森山 重雄
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.13, no.6, pp.371-383, 1964-06-01 (Released:2017-08-01)
著者
李 勇華
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.23-36, 2017-04-10 (Released:2022-04-28)

魯迅の『故郷』は日中両国で半世紀以上読まれた名作である。本論の前半では『故郷』をめぐる藤井省三と田中実の読みを比較検討し、世界観認識の違いが「読み方」に決定的な違いをもたらすことについて論じた。田中実によって展開されている第三項論は「語ることの虚偽」との闘いを内包しており、それによって〈近代小説〉を〈近代の物語文学〉から峻別できる。『故郷』の場合は、〈語り手〉の「私」を相対化する〈語り手を超えるもの〉を読者が構造化することが必須である。また、第三項論の方向性はテクスト概念の提起以後、さらに転換していったバルトの理論の方向性に極めて近いと私には思われる。そのため本論の後半では『明るい部屋』というバルトの最後の著作を取り上げて、田中実との間にある相同性についても論じた。