著者
小川 豊生
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.32-45, 1993

中世的な知の岩盤を露出させた、いわゆる中世日本紀という新たな言説が生成する場の諸問題について、『彦火々出見尊絵巻』を中心にすえて論じた。後白河院の絵巻制作の工房が孕む政治性は、『日本書紀』原典から逸脱した『尊絵』というテクストにおいても具体的にあらわれているのであって、それを切り口に、異形化した日本紀が政治的中枢の場に兆しはじめる胎動期の様相を、信西や藤原教長の言説とからめて説き明かす事が可能であろう。
著者
阿部 泰郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.34, no.5, pp.31-48, 1985

古代王権がその根拠を示すために編んだ『日本書紀』は、中世に至り、王権を支える諸道芸能の一流なる「日本記の家」に伝承された。所謂中世日本紀である。その学問は訓古註釈に止らず、物語的言説として再創造され、その典型たる三種神器説(宝剣説話)は『平家物語』「劔巻」と関連し、また、その生成過程は、慈円の夢想記が示すように、天皇即位に関する旧仏教界の即位法伝承の形成とも不可分の関係にあって、中世王権を神話的に支える機能を果していた。『太平記』中の即位法と三種神器(宝剣)の二説話が南北両朝を批判する物語上の文脈は、そうした消息を伝えるものであろう。
著者
西原 志保
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.9, pp.22-33, 2009

女三宮は、研究史においてその存在が六条院世界や物語のありようを変容させたものの内面を語らないと言われるが、『源氏物語』中に心内語や心情に添った描写、会話文、和歌は少なくない。それゆえそれらを女三宮のことばとして総合的に捉え、結婚当初、柏木事件後、出家後の変容を考察する。「身」、「我」など自己をあらわす語と、対置される語である「心」「世」「人」に着目し、柏木事件後にあらわれる「身」「我」という意識が、出家後「心」は描かれるものの消えることを述べる。
著者
桜井 好朗
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.34, no.5, pp.49-59, 1985

歴史叙述は、出来事を選んでそれに歴史的意味を与える基準の設定の仕方に応じて、多様化する。近年の歴史学界における″社会史"に関しての論争は、そのことをあきらかにした。折口信夫は芸能史について独自の見解を示し、それは近代の歴史学の要求する論述の仕方には適しないと考えた。しかし歴史叙述についての既成観念を転換すれば、芸能も歴史的な意味を表現しており、歴史叙述として読むことができる。能の『三輪』をその具体的事例として、読んでみる。
著者
五味渕 典嗣
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.33-43, 2007-03-10 (Released:2017-08-01)

わたしの前任校・中央大学附属高等学校では、精読・多読・表現を柱とする独自の実践を続けている。これは、教員集団が、生徒を含めた関係者との継続的な対話と交渉自体を制度化したものだと言える。現在、文部行政は<国語科>の将来的枠組みを描きつつあるが、そこでは、「実用性」という名目で、学習者の受け手としての能動性・自発性が標的にされる。<国語科>教員には、従順な生徒を前に、権力の代理人となることが求められている。
著者
飯塚 恵理人
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.48, no.7, pp.43-50, 1999

夢幻能が観客に受け入れられるには、ワキ僧が夢を見ることの意味と、舞台上で演じている内容がワキの夢中のこととわかる「約束事」が成立していることが重要となる。本稿では「経文」「説話」において、「仏」を夢に見ることは、その僧の成仏が約束されたと捉えられていることを述べた。また「絵伝」において、夢を見るものと、その夢の内容が一枚の絵の中に描かれていることを述べ、夢幻能の舞台上の構図と共通することを述べた。
著者
島村 輝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.30-39, 2003

筆者は二〇〇二年秋、三ヶ月間、中国・広州の大学に出講した。中国人の「日本文学」研究者は、専門外であっても、日本との歴史・経済・政治など全般的な関係についての認識を要求されることになる。この点で、日本国内にいて「日本文学」を見、考える場合とは大きな違いがある。現在中国では新たな研究方法が模索されているが、従来の閉ざされた「日本学」研究の枠を越えるためには、日本の研究者の側にも、「日本文学」の自明性を疑う姿勢が必要である。
著者
藤原 和好
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.8, pp.41-50, 2013-08-10 (Released:2018-08-06)

小学校の文学の授業では、ストーリーに浸らせ、そこでのびのびと遊ばせることが大事である。だが、ストーリーをたどる読みは、教師の手のひらで遊ぶだけのものになってしまう。そこから抜け出すために、「語り」を意識させることはきわめて有効である。「語り」は、語られている世界を意味づけ、語られていない世界に出会う装置である。その「向こう側の世界」との出会いから紡ぎ出される子どもの読みは、教師の読みをも揺さぶる。
著者
鎌田 均
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.63-72, 2011-01-10 (Released:2017-08-01)

昨今の「日本語」あるいは「表現」のブームの過熱ぶりについてその背景が何かを探り、そのことに拘っている私自身の中の蟠りとは何かを明確にする。そして更に、言語技術教育の面ばかりが強調されがちな、いわゆるリテラシーについて私見を述べ、本来国語教育、就中文学教育における「ことばの力」とは何を目指し、どこへ向かって機能すべきかを論じている。その際、今年実践した川上弘美の『神様』を教材として考察してみた。
著者
橋立 亜矢子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.9, pp.23-32, 2012

<p>本稿では能舞台で他者になりかわることを可能にしている物着や移り舞といった演技形式に着目し、分身が見られる「二人静」、両性を具有する「杜若」、松を行平に見立てる「松風」、男女の性が交錯する「井筒」の四作品を取り上げながら、男女の性の越境と虚構の性の表れ方について考察する。そして「井筒」の作者である世阿弥自身の能芸論についても併せて考えることで、虚構によって表現された「幽玄」とはいかなるものであったのか考察する。</p>
著者
甘露 純規
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.48, no.11, pp.1-9, 1999

明治八年、永峯秀樹『支那事情』と仮名垣魯文『現今支那事情』との間に「盗作」事件が起こった。この事件は、誰が、どのような論理により、無断借用による出版物を告発するのかという問題をめぐり、出版物についての江戸期以来の考え方と新たに登場した版権思想が激しく争った事件であった。本稿では、永峯と魯文双方の言い分を等しく分析することで、この事件の実態と文化史上に持つ意味を明らかにした。
著者
黒石 陽子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.10, pp.13-22, 1995

「義経千本桜」序切で自害する卿の君は頼朝と義経の不和の中で自己犠牲によって義経を救おうとした女性である。浄瑠璃作品の中で頼朝・義経の不和に関して卿の君という女性が重要な人物として登場するようになったのは享保から延享・寛延期、つまり近松没後の合作期であった。卿の君という存在がこの時期の作者によって発見されたことにより、作劇における新たな枠組みが作られ、頼朝・義経の不和劇に深い解釈を与え、新しいドラマを生み出したといえる。頼朝が義経の討手を出した堀川夜討に関して『吾妻鏡』流布本『平家物語』『源平盛衰記』の記述から謡曲、幸若舞曲、古浄瑠璃、近松以降の浄瑠璃における描かれ方を検討し、合作期の浄瑠璃が発見した卿の君-その作劇の枠組みとしての意味-について検討する。