著者
西條 美紀
出版者
日本語学会
雑誌
國語學 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, 2001-09-29

SignalingやDiscourse markerと呼ばれる談話の構造を「示す」非内容的要素(談話に内容を付加しない要素)が談話理解を助けるのかどうかについては,1970年代から主に英語の談話を中心に研究されてきた。本発表では,まずこれらの先行研究の結果が,談話理解を助ける効果が「ある」とするものと「ない」とするものに分かれているのは,談話の理解は発信者と受信者の間で相互作用的に作られるものであることを先行研究は看過してきたからであると指摘した。さらに,このような相互作用的な理解過程を視野に入れて談話を考える場合には,今までSignalingやDiscourse markerと呼ばれていたものは,今何を伝えているかについて明示的に言及することによって,発信者と受信者間の伝達を調整するメタ言語と呼ばれるべきであることを主張した。また,メタ言語が実際に談話理解に役立っているのかという点について,日本語母語話者20名を対象とした聴解実験の結果を報告した。実験は,談話中の命題内容は全く同一であるがメタ言語があるテキストを聞いた群(メタあり群)とメタ言語のないテキストを聞いた群(メタなし群)との間で,命題の再生に差があるかを見るものだった。結果は,メタあり群の方が有意に多くの命題を再生しており,再生文の変容も少ないというものだった。本発表では,この実験の結果をメタ言語には談話の構成要素相互の関係についての心理的枠組みを発信者と受信者が共有するように働きかける役割があるのだと解釈した。つまり,メタ言語を聞いた聞き手は,これから語られることについて,今まで聞いたこととの関係をもとに,埋められるべき空白を用意する。そこにメタ言語に続いて語られる命題内容が入っていくことによって談話の内容と構成要素相互の関係についての,一貫し,発信者と類似した表象が作られるという解釈である。このような解釈を踏まえて,メタ言語には,「関係性の問い」としての性質があると述べたが,この点についての検証はまだ今後の課題として残されている。
著者
石井 久雄
出版者
日本語学会
雑誌
國語學 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.123-130, 2002-01-01

本書は、漢字と仮名とを日用の具とするなかで、うみはぐくんだ論である。読後、その感をふかくする。表語文字と表音文字とが知識にとどまる水準では、なかなかになしとげられなかったであろう。それが本書の存在意義である。初版刊行後一年余にして在庫がつきた由であり、おおかたの賛仰をえたと推測する。私は、しかし、著者のよい読者ではない。著者の主知的な論理には、いつも首をうなだれるしかなく、私はずぼらにいきるさと身をひくばかりである。本書もしかりであった。なにか得心がゆかないまま、世のながれにのることができない、そういう読者が片隅にのこっていると呟くことが、この文章の目的である。書評は、対象が読みたくなるように記すべきであるであろうが、この文章はそうなっていない。諸賢の寛恕をこいたい。
著者
川口 敦子
出版者
日本語学会
雑誌
國語學 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.1-15, 126, 2000-12-30

ヴァティカン図書館蔵写本Reg. Lat. 459.(バレト写本)ではジ=ji,ヂ=jji,ズ=zu,ヅ=zzuと表記しているが,ズヅの混乱例がジヂに比べて非常に多い。国内文献ではズヅの混乱例は極めて少ないのであって,バレト写本の表記が当時の日本語における四つがなの混乱の状態をそのまま反映しているとは言い難い。16世紀末当時のポルトガル語やスペイン語では破擦音はすでに失われており,ロドリゲスなどの文典からは,当時のヨーロッパ人にとって特にヅの発音が困難であったことがわかる。当然,聞き取りにも困難を感じたはずで,ヅをズと聞き誤ることも多かったと考えられる。外国人宣教師にとってはジヂよりもズヅの区別が難しかったのである。バレト写本におけるズヅ表記の混乱の多さは,その成立のある段階で音声を介在させていたと考えることによって説明がつく。写本のローマ字表記については,ヨーロッパ人の母語の干渉によって歪められた日本語の姿が映し出されている可能性も十分考慮に入れなければならない。