著者
和泉 司
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.77-92, 2014-05-15 (Released:2017-06-01)

邱永漢は台湾の日本語文学研究において、<台湾人>として最初の直木賞受賞者として注目されているが、その研究は十分進んでいるとは言えなかった。今回、邱永漢の代表作の一つ「濁水渓」に、これまで気付かれていなかった「第三部」が存在することがわかった。この「濁水渓」第三部は、第二部で香港亡命を決意した主人公「私」が香港に渡って台湾独立運動に関わる姿を描いていたが、第三十二回直木賞候補に「濁水渓」が選ばれた時には、単行本から削除されており、読まれなかった。本稿では削除の理由として、当時の国際状況を考慮した出版社・作家の自主規制の可能性を指摘した。そして、邱永漢はこの第三部をより<大衆文学>的に置き換え、政治性を希薄化させたものとして「香港」を執筆することで、直木賞受賞を果たしたと推測した。直木賞に象徴される日本の文壇と読者が邱永漢という作家を見出したことは評価できるが、彼が描いた東アジアの問題点からは目をそらしていた。この文学賞の意義と限界を指摘し、邱永漢のテクストの再検討に取り組むことの重要性を訴えた。
著者
大木 志門
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.77-92, 2015 (Released:2016-08-02)

本論は、「文学館」をめぐる歴史研究の試みである。一般に「文学館」の歴史は戦後の「日本近代文学館」設立(一九六二年)に始まるとされるが、実は戦前にも文壇をあげた「文学館運動」の萌芽が存在した。昭和九(一九三四)年に組織された「文芸懇話会」最初の事業「物故文芸家遺品展覧会」と併せて提起された「文芸記念館」構想がそれであり、主唱者である島崎藤村は文芸統制を利用して近代文学資料の保管施設を作ろうとしたのである。藤村が着想を得たのは昭和七(一九三二)年に新装された靖国神社「遊就館」からであり、この事業を菊池寛と「文芸家協会」が継承し昭和一四(一九三九)年に「文芸会館」を建てたが、それは当初の計画とは外れたものであった。しかし藤村の執念は昭和二二(一九四七)年開館の「藤村記念館」を生み、これが戦後の文学館運動を準備したと考えられる。
著者
坂 堅太
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.81-95, 2012-11-15

This paper explains Abe Kebo's motives for writing "Henkei no kiroku," focusing on a variety of representations of the dead during the Second World War. First, it introduces his ideas from around the same period about the recording of facts, and analyzes "the dead" as an allegorical signifier. This leads to the conclusion that Abe was not so much trying to depict the War itself as the linguistic environment surrounding the representations of the dead. It also suggests that the corpses of the Chinese people depicted in the story invalidate the narrative inside Japan that held that Japanese are the war victims. The analysis shows that Abe wrote "Henkei no kiroku" as a criticism of the Japanese discussion of war responsibility.
著者
山田 桃子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.81-94, 2013-05-15

Previous studies have shown that the series of concerts Kajii mentions in his "Kigaku-teki genkaku" were given by a French pianist, Henri Gil-Marchex(1894-1970), who visited Japan in 1925. Although Kajii's essay may appear to be merely testimony to his presence at a historic musical event in modern Japan, what the author tries to convey has deeper implications. This paper argues that Kajii was referring to historical transformations of the subject of perception. Kajii's text depicts two completely different reactions he had at a concert. While he notes that he listened attentively to a sonata, and that that was a moving experience, he also writes that listening to modern French musical selections at the same concert inevitably caused his focus to self-destruct, resulting in hallucinations. The contrast between the two musical experiences corresponds to the contrast in musical compositions between the classical and modern music of the West. Kajii, however, focuses on the transformation undergone by the perceiving subject. It is important to understand the transformation of the perceiving subject, delineated as a reaction to Western musical performance, in the larger context of the nascent mass consumer culture of the time.
著者
諸岡 卓真
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.96-110, 2012-11-15 (Released:2017-06-01)

Although mainstream mystery writers have in the past stayed away from unscientific elements such as superhuman powers and ghosts, the most recent trend in Japan is to have detectives in stories solve cases using supernatural powers. This is a reaction to the impossibility of problem-solving by inference within the limits of information given in one story, which detective fiction fans commonly refer to as "issues related to the later works of Ellery Queen." It is important to note that this trend of incorporating supernatural powers was a way to overcome the limitations placed by the rigor of inference expected by the reader. This study closely examines one of the latest such examples, Detective Fantasy : Nanase with a Steel Bar (2011) by Shirodaira Kyo, and offers an insight into how the structures of conventional mysteries have been abandoned, and what kinds of new issues contemporary writers are facing now.
著者
構 大樹
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.64-76, 2015 (Released:2016-08-02)

本稿では〈宮沢賢治〉において「雨ニモマケズ」が中心化された諸要因のひとつを、総動員体制下の文学場に着目することで、同時代的な文学的価値の再編という観点から考察した。『詩歌翼賛』第二輯と火野葦平「美しき地図」からは、「雨ニモマケズ」の価値が《私事性》《素人性》によって生じていたことが看取される。これらは当時、「素人の創作」の流行を受け、文学場の評価軸となったものであった。また「報告文学」をはじめとする文学ジャンルでは、「素人の創作」に文学者が到達できない価値さえ与えられていた。こうした文学場の動向によって、「雨ニモマケズ」は特権的な文学的価値を帯び、やがて総動員体制下で〈宮沢賢治〉が高く称揚されるという事態を生起させたと考えられる。
著者
鈴木 彩
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.32-47, 2014-05-15 (Released:2017-06-01)

「婦系図」が新派劇に脚色された際に加えられた「湯島天神境内」の場面を、後に泉鏡花が書き改めたことは、お蔦と主税の物語に焦点を当てた劇化への追従と見做されてきた。だが初期の上演には原作を意識した部分も多く、鏡花の「湯島の境内」はそこに原作に関わる要素を加え、他の場面との接続を円滑にしている。原作とは異なるようにみえる主税像も、河野家との対立関係においては原作の主税の立場に通じる。また鏡花の「湯島の境内」を加えた新派劇と、後の「婦系図」の改訂も相似形を成し、原作を志向した「湯島の境内」の書き改めが、「婦系図」の新たな形態を提起した可能性も考えられる。「婦系図」の劇化は原作から断絶したものではなく、原作テクストとの関係の中から捉え直される必要がある。
著者
副田 賢二
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.93-108, 2015 (Released:2016-08-02)

満州事変勃発以降『新潮』等の「純文学」の領域では「大衆文学」論が盛んになるが、「北支事変」勃発以降は〈銃後〉が〈前線〉に文学的アウラを「発見」するという言説モードが浮上する。一九三〇年代末には火野葦平や上田広等の「帰還作家」と「純文学」側との応答が「戦争文学」論として展開され、〈前線〉〈銃後〉の接続が擬似的に創出される。更に「帰還作家」の言葉の「空白」にこそあるべき〈理念的文学リテラシー〉が投影されるという転倒した事態が起きる。〈文学〉の生成において〈戦争〉が重要な要素として召喚される歴史的過程をそこに見出すことができる。対して『大衆文芸』等の「大衆文学」の領域では棟田博等の「帰還作家」の戦闘体験が強調され、〈前線〉と読者とのダイアローグ的な言説の構造が浮上する。『サンデー毎日』誌上でも〈前線〉〈銃後〉を超越的に接続する物語や「慰問」言説・表象の中に〈消費的文学リテラシー〉が発動していた。
著者
田中 祐介
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.49-64, 2012-11-15

A number of studies in the field of the intellectual history of modern Japan have analyzed from a variety of angles the importance of the discovery of the concept of "society" in the public arena after World War I. However, its effect on literary history has not been explored fully to this day. This paper attempts to explicate how the awareness of society affected literary circles and literary expressions by reexamining the significance of the "Socialization of Literary Art" debate in 1920. This debate was conducted primarily in the form of an article that attracted a number of comments by different critics in the Yomiuri newspaper under the title, "The Socialization of Literary Art. "This paper argues that the movement engulfed the entire literary world and explicates how the conception of society transformed the literary discourse of the time, which idealized "the self," "character," and "universality."
著者
高田 里惠子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.15-28, 2018-05-15 (Released:2019-05-15)

本稿では、漱石門下生のうちで、例えば安倍能成や和辻哲郎など、帝国大学文科大学に進み、「教授」となった者たちに注目する。彼らは、戸坂潤によって批判を込めて「漱石文化人」と名付けられたが、そのさい重要なのは、戸坂が「(「門下的漱石文化」は)もはや漱石自身の文化的伝統とは必ずしも関係のない現象」であると述べていることだ。「漱石文化人」たちは学歴エリートでありながら、あえて世間的栄達を捨てた「高等遊民」あるいは反骨の若者として出発するが、やがて帝大に職を得、現状肯定的な文化の守護者、体制側の「教授」と見なされるようになった。また、堅実な「学者」にも独創的な「作家」にもなれなかったどっちつかずのディレッタントと批判されもする。本稿は、こうした「漱石文化人」をめぐるさまざまな言説が近代日本における大学観や作家観などを図らずもあぶりだしてしまう様子を示す。
著者
木村 洋
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.32-47, 2021-11-15 (Released:2022-11-23)

とくに一九〇〇年代において文学と哲学は、社会道徳や国家に反抗する個人主義者たちの精神活動の土台になった。こうした動向が、小栗風葉の小説「さめたる女」(一九〇一年)のように、哲学的な知見に支えられた新しい女性像を生み出した。そして一九〇六年には哲学者風の女学生の過激な主張が話題を呼ぶ。一九〇〇年代に統治権力や保守派論客が哲学を有害と見るようになるのもそのためだった。平塚らいてうもこうした女哲学者の系譜の一員なのである。森田草平『煤煙』(一九〇九年)では、哲学的な思索を通じて社会道徳に反抗する平塚らいてうの姿が詳しく書き留められている。明治時代の思想界はこのように女哲学者の育成を通じて、自己を更新するきっかけを手に入れた。
著者
西村 将洋
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.33-47, 2015 (Released:2016-08-02)

谷崎潤一郎の日本文化論「陰翳礼讃」(一九三三年一二月~翌年一月)が、どのような国際的環境で生成したのかを二つの視点から考察する。第一点は一九二六年の上海旅行である。この時の中国知識人との交流を通じて、谷崎は日本文化や自らの幼少期を再発見し、「陰翳」に関する重要なイメージを獲得した。第二点は一九二七年の芥川龍之介との論争である。その際、谷崎は芥川の影響を受けつつ、ジャポニスムの問題に注目し始めるとともに、美術工芸などのモノではない、非実在的な文化に関する思索を展開していくことになる。以上の点を踏まえながら、「陰翳礼讃」のテクストを検討し、連続的な差異化という叙述方法や、一人称複数の攪乱的使用について考察する。
著者
佐藤 未央子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.49-62, 2014-11-15

映画界の隆盛を背景に、「青塚氏の話」は映画製作と受容をめぐる人々の欲望をアクチュアルに批評した。本作において映画は、監督の中田、観客の男を繋ぐ媒介となりながら、女優由良子の<性>を前景化し、視覚的快楽を提供するメディアとして描かれた。一九二〇年代半ばから内面性の表現が重視され始めていた映画は、原初的な記録媒体あるいは<見世物>に押し戻されているのである。男が一人快楽を貪るさまは、受容者による製作者からの所有権奪取を示唆していた。本作では映画の流通過程における主体性が問われ、谷崎が映画に見出した「民衆芸術」性が仮託されていたと考えられる。谷崎の<映画小説>群に通底する批評意識を、「青塚氏の話」からも看取できた。
著者
安西 晋二
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.95-107, 2013-11-15 (Released:2017-06-01)

「十九世紀的リアリズムの否定」と評価されてきた太宰治「女の決闘」(「月刊文章」昭和15・1〜6)の研究史を繙き、その源泉を探っていくと、そこには、この作品が内包する同時代の文学的状況との接点がある。特に森鴎外の存在は、近代小説におけるリアリズムの方法と言表行為主体<私>をめぐる昭和一〇年代の言説編成とを、「女の決闘」の方法論につなぐ楔となっていた。また、発表媒体である「月刊文章」との連動も、<私>の造型において同時期の私小説言説が意識されていたことを示す。つまり、「女の決闘」は、近代小説の機構や同時代の文学状況を批評し、小説化するという、文学史に対するパロディの視線をもった作品だと考えられるのである。