著者
斎藤 豊治 前野 育三 西村 春夫 西田 英一 土井 政和 足立 昌勝 林 春男
出版者
甲南大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1998

日本では、大震災後には無警察状態となり、社会が解体して犯罪が急増するという認識が広がっているが、そのような認識は妥当ではない。一般に自然災害は被災者の間や社会全体で連帯意識を生成、強化させ、犯罪を減少させる効果を持つ。例外的に災害後に犯罪が増加するケースでは、社会解体の状況が先行して存在し、災害が引き金となっている。1923年の関東大震災では朝鮮人に対する殺害が広がったが、それに先行して朝鮮半島の植民地経営による窮乏化と日本本土への人口流出、1929年の三・一独立運動に対する軍事的制圧などが行われ、民族的偏見が強まっていた。戒厳令布告の責任者たちは、三・一独立運動弾圧の当事者であった。阪神大震災後、治安は良好であり、自然災害は犯罪を減少させるという一般的な傾向を裏付けた。阪神大震災後には民族の壁を越えて食糧の配給や相互援助が行われた。もっとも、被災者の間での社会連帯の強化は、外部から侵入する者の犯行を抑止するだけではなく、「よそ者」、とりわけ在日外国人に対する不合理な排除を生み出しかねない。ベトナム人たちは日本人による排除を感じて、避難所を出て公園での集団生活を開始した。また、ボランティアたちはFM局を開設し、外国人への正確な情報の提供につとめた。われわれは、社会連帯の核の一つとして自治会に着目し、神戸市東灘、中央、長田および西宮市の自治会長全員に対し震災後の地域防犯活動についてアンケート調査を実施した。その結果、以下の点が確認さねた。これらの活動は、基本的に警察や行政から独立した自発的な取組であった。自警活動として最も多く行われていたのは、夜の巡回であり、以下危険個所の点検、昼の巡回、立ち番・見張りと続き、さらに立ち入りの禁止・道路の遮断、街灯増設の要望等であった。そうした活動について、多くの回答は不安感の軽減、犯罪予防の双方にとって有効であったとしている。
著者
三島 利江子 Rieko MISHIMA
出版者
甲南大学
巻号頁・発行日
2023-03-31

本論文の目的は,眼球運動による脱感作と再処理法(Eye Movement Desensitization and Reprocessing;以下, EMDR)の効果メカニズムを明らかにすることを長期的な目標にすえ,EMDRの特異的な特徴でありながらその効果について不明な点が多い両側性刺激(bilateral stimulation; 以下,BLS)に焦点を当て,その効果の検証を試みることであった。まず,EMDRのBLSにまつわる論争を概観し,手続きが曖昧なままになっている肯定的な記憶を扱うエクササイズ中のBLSを本研究のテーマとして扱うことを示した。また,BLSには3種類(眼球運動,触覚刺激,聴覚刺激)があり,どれを用いてもEMDRセラピーは成立するのであるが,実践の中で臨床家らが,触覚刺激(中でもタッピング)の利便性や強みを感じていることが推定される事例が増えており,本研究では触覚刺激に焦点を当てることとした。そして,触覚BLSに関する文献レヴューを行い,先行研究を整理した。その結果,EMDR研究の中では触覚刺激を扱った実証研究が非常に少ないこと,さらに触覚刺激の速度の違いを独立変数として検討したものがないことが判明した。現時点では,肯定的な記憶を扱うEMDRエクササイズ中は,BLSを用いても用いなくても構わないが,用いる場合は遅い速度で使用するという指針が出されているが,触覚BLSに関してその妥当性を裏付ける実証研究は存在していなかった。つまり,現時点の指針が,臨床上の印象が主な根拠となっており,神経生理学的な裏付けを伴ったものではないことが判明した。本研究では客観的な生理指標を判断材料として,方法の妥当性の検証を行いたいと考え,自律神経に着目した。実証研究では,肯定的な記憶を扱うエクササイズを,タッピングの有無の2条件で行い,主観評価と自律神経評価について調べた。その結果,主観と生理指標の結果に相違が見られたため,自律神経評価の方法論を検証する必要性が考えられた。そこで,次は複数ある心拍変動解析について調べ,事例を通してローレンツプロット解析の有用性を見出し,自律神経評価の信頼性を高めた。その上で,肯定的なイメージにひたる最中,タッピング刺激の速度だけを変えて実証研究を行った。探索的に用意した3種類のタッピング速度の中では,1回/1秒のときが自律神経系のパフォーマンスが良い結果であった。当該速度は3速度の中で心拍リズムに最も近い速度であったことから,今後は心拍数を考慮した速度の検証が必要と考えられた。最後に,本研究で明らかになったことと残されている課題を論じた。
著者
中西 尋子 Hiroko Nakanishi
出版者
甲南大学
巻号頁・発行日
2018-03-31

元来日本はキリスト教が根づきにくい国である。そうした状況にありながら、韓国出自のキリスト教会が日本で宣教を展開し、日本在住の韓国人のみならず、日本人信者も一定程度獲得している事例が見られる。在日大韓基督教会(1908年創立)、統一教会(1954年創立)および「韓国系キリスト教会」(1990年代以降来日)である。本論文の課題は、これらがどのように日本宣教を行い、信者を獲得しているかを問うことにある。 従来の宗教社会学は、これら3教会を別個に性格づけてきた。在日大韓基督教会は「在日の宗教」、韓国系キリスト教会は「ニューカマーの宗教」、統一教会は「反社会的宗教」として。確かにそうなのだが、3者を同じ俎上に乗せることによって新たに見えてくるものがある。申請者の狙いはここにある。 本論文は、以上の問題設定に加えて調査概要、概念枠組みなどを提示する序章に続き、全3部12章および結章で構成されている。 第Ⅰ部「在日大韓基督教会―民族の教会として」では、第1章「民族の教会としての教会形成―在日大韓基督教会を事例として」で、教団機関紙『福音新聞』(1951年創刊)の内容分析を行い、在日大韓基督教会の民族主義的性格を明らかにする。植民地支配下の朝鮮半島から日本に来た人々が受けた差別に向き合う教会の姿勢が鮮明である。 第2章「一世にとっての教会、二世にとっての教会」では、在日一世にとっては教会が日本での厳しい暮らしに耐えるための民族共同体であったのに対して、二世にとってはエスニック・アイデンティティの獲得の場であることを、信者の生活史から明らかにする。 第3章「在日大韓基督教会と韓国系キリスト教の日本宣教のあり方を比較して」は、在日大韓基督教会と韓国系キリスト教会の間に日本人信者の獲得で差があることを、教会での使用言語や民族主義的色合いの有無から説明する。 第4章「韓国系キリスト教会の在日大韓基督教会への加入」では、在日同胞の教団として日本に定着した在日大韓基督教会だったが、現在は牧師の3分の2が韓国の教団から派遣されていること、および、1980年代以降、韓国系キリスト教会が在日大韓基督教会に加入するケースが増えてきたことから、両者がボーダーレスの関係になりつつある現状を報告する。 第Ⅱ部「韓国系キリスト教会群―普遍主義のもとに」は、日本の植民地支配という日韓関係の「負の歴史」を乗り越えて、日本人宣教を精力的に行う韓国系キリスト教会がテーマである。まず、第5章「日本における韓国系キリスト教会の概要」で、これまであまり知られていなかった韓国系キリスト教会の全体像を明らかにする。データソースに『クリスチャン情報ブック』(2010年版)を用いて、当該教会が大都市圏だけでなく38都道府県に分布し、推計300近くもあることをつきとめた。また、1990年前後から2000年代前半にかけての設立が全体の81%にのぼることがわかった。 続く第6章「韓国人宣教師にとっての日本宣教―『汝の敵』『隣り人』としての日本」は、韓国系キリスト教会が活発な日本宣教を行う要因の考察である。キリスト教人口が25%の韓国では牧師が供給過剰であり、それが海外宣教の構造的要因となっている。だが、それだけでは盛んな日本宣教を十分に説明することはできない。韓国では儒教道徳がエートスとして国民の間に深く浸透している。ここで「儒教道徳」とは、ものごとを道徳的な上下関係に位置づける思考様式のことを言うが、これを韓国系キリスト教会も共有していた。韓国人宣教師にとって日本は韓国を侵略した道徳的に劣った国である。しかし、そうした恩讐を越えて日本人に福音を伝える崇高な使命として日本宣教が意味づけられていることを、牧師の語りから明らかにする。 第7章「なぜ日本人が韓国系キリスト教会の信者になるのか」は、日本人が信者になる教化過程の考察である。教会には「7週の学び」、「小グループ(筍)」、「Quiet Time」、など、学びのプログラムが用意されている。新来者はこのプログラムに沿って信仰を強化していくが、この点で日本の教会に物足りなさを感じる人が韓国系キリスト教会にアプローチしている場合が少なくないことを、本章は明らかにする。 第Ⅲ部「統一教会―建前の普遍主義、本音の民族主義」、第8章「韓国社会と統一教会」では次の諸点が明らかになる。第1に、統一教会の性格が韓国と日本では大きく異なっている。韓国の統一教会は宗教団体を越えて巨大な事業体である。第2に、合同結婚式で韓国人と結婚し、韓国に暮らす日本人女性が現在、7千人いることが韓国と日本の統計データから明らかになる。第3に、統一教会による韓国人男性と日本人女性のカップリングが韓国で許容される背後には、韓国農村における男性の結婚難や、男性の非正規雇用率の異常な高さといった社会構造の歪みがある。 第9章「日韓両国における統一教会のあり方の差異―新聞報道の比較から見えること」では、『朝日新聞』と『朝鮮日報』の統一教会関連記事を分析し、両国における統一教会のあり方を比較する。日本では霊感商法が1980年代後半から社会問題化した。『朝日新聞』にはその提訴、判決などの記事が多数見られる一方、『朝鮮日報』にはそのような記事は一切なく、統一教会や教祖の動向、および傘下の関連企業などの記事が多く見られた。統一教会の活動内容が日本と韓国では大きく異なっている。 続く第10章と第11章のデータソースは、合同結婚式を経て韓国で暮らす日本人女性信者38人の語りである。まず第10章「在韓日本人信者の信仰生活」では、彼女たちが韓国で暮らすことの意味づけを明らかにする。教団が決めた韓国人男性と愛情のない結婚をし子供を産むのは、日本の植民地支配を贖罪し、国境と民族を超えた「地上天国」を建設するためだと、彼女たちは語るのだった。 次いで、第11章「統一教会への入信―『女性性』の回復」は、日本人女性信者たちが統一教会に入信し、結婚に至る背後経験の考察である。日本で彼女たちは、結婚と家庭に関して深刻な絶望体験を持ち、職業経験からも「女は損」という感情を抱いていた。女性であることに積極的な意味を見出せない状況で、統一教会に救済を求めていた。そして統一教会で結婚し、子どもを産み育てることに宗教的な意義を見出すことによって女性性を回復できたと、彼女たちは信じている。 第12章「『本郷人』に見る祝福家庭の理想と現実」は、統一教会が発行する在韓日本人信者向けの機関紙『本郷人』の内容分析である。分析の目的は、1つに申請者の調査対象者を相対化すること、2つに教団が在韓日本人信者に伝えようとしているメッセージの解読である。調査対象者たちは現地で比較的平穏無事に暮らしていた。しかし『本郷人』の記事からは夫や子どもの問題、病気、生活苦などで問題を抱える信者が少なくないことがわかる。また、『本郷人』には教団の行事と、そこで語られる教祖や幹部の言葉がつねに掲載されている。それは、日々の生活で精一杯な信者に対し、初心忘れることなく、統一教会の信者として使命を遂行せよというメッセージであった。機関誌『本郷人』は、統一教会の思考の枠組みを維持・強化させる機能を果たしていた。 結章「日韓関係を背景にした三者三様の宣教」では、第1章から第12章までの知見をまとめ、3教会の日本宣教が日韓関係の「負の歴史」を背景に展開されてきたことを確認する。在日大韓基督教会の場合は、戦前の植民地から日本に渡った同胞を対象に宣教を始めた。そして戦後は、同胞の人権問題に積極的に関与することによって民族主義的な性格を強めていった。韓国系キリスト教会の場合は、負の日韓関係を倫理的な上下関係に置き直して宣教を展開する。宣教師にとって日本は「傷ついた隣人」であり、彼らはその隣人を助ける「よきサマリヤ人」の使命感をもって行動している。そして統一教会によれば、日本は朝鮮半島を植民地支配した罪深い国である。日本は贖罪のために韓国にできる限りの人的・財的協力をする事は当然である。こうした信仰を内面化した日本人女性がすすんで韓国人と結婚し、韓国で家庭を営んでいる。 以上のように、韓国出自の3教会は近代日韓関係史をそれぞれの仕方で定義づけることによって日本宣教を可能にしたと言うことができるのである。
著者
川村 直子 北村 達也 Naoko KAWAMURA Tatsuya KITAMURA
出版者
甲南大学
雑誌
甲南大学紀要. 知能情報学編 = Memoirs of Konan University. Intelligence & Informatics Series (ISSN:18830161)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.111-122, 2021-02-10

音声障害のリハビリテーション(音声リハビリ)で行う音声訓練において,発声時の顔面の皮膚振動感覚は効率の良い発声状態を表すとして重視されている.しかしながら,顔面の皮膚振動感覚はあくまで患者の主観に基づいた感覚であり,指導する言語聴覚士が患者の顔面の皮膚振動を把握することは現状では難しい.さらに,音声訓練中の顔面の皮膚振動について検証した報告は今のところ見受けられない.そこで,本研究では,音声リハビリ経験のある言語聴覚士を対象に,顔面の振動感覚を重視する3つの音声訓練法を用いて,スキャニング型レーザドップラ振動計により発声時の顔面の皮膚振動速度パターンを計測したので報告する.
著者
北村 達也 吐師 道子 能田 由紀子 川村 直子
出版者
甲南大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2016-04-01

本研究では,音声器官の形状や機能,基礎的な発話能力に病的な問題がないにもかかわらず,日常的に発話のしにくさを自覚する人々の実態を調査した.まず,15大学の学生約2,000名を対象にしてアンケート調査を実施し,調査対象の31%が普段の会話で発音がうまくいかないと感じていることを示した.次に,MRI装置などを用いて,発話のしにくさを自覚する人の音声器官の形状や機能に見られる特徴を調査した.さらに,ペンや割り箸などの細い棒を前歯で噛んだ状態で練習をする発話訓練法について調査し,この方法を用いることによって,下顎や舌の動きが大きくなり,1つ1つの音が明瞭に発声されるようになることを示した.
著者
玉利 祐三 土屋 和幸 宇野澤 景子 吉川 之菜 Yuzo Tamari Kazuyuki Tsuchiya Keiko Unozawa Shina Yoshikawa
出版者
甲南大学
雑誌
甲南大学紀要. 理工学編 = Memoirs of Konan University. Science and engineering series (ISSN:13480383)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.167-188, 2005-12-25

The trace lithium content of different kinds of samples was determined by flame photometry using the atomic absorption spectrophotometer with air-acetylene flame at the optimum instrumental conditions, after the decomposition of a sample with nitricperchloric acid mixture or the decomposition of a freeze-drying food sample with nitric-perchloric-hydrofluoric acid mixture. In the highpurity chemicals lithium content as impurity was considerably higher in calcium salt (metal: 39500ng/g, oxide: 21500ng/g, carbonate: 13700〜14400ng/g) than in magnesium (11〜67ng/g), sodium (198〜634ng/g) and potassium salt (196〜361ng/g). In the carbonate minerals the content was higher in aragonite (av. 21970ng/g) and calcite (av. 14100ng/g) than in dolomite (av. 9959ng/g) depending on calcium content as a matrix component. In the table-salt samples of sea-, lake- and rock-salt the content was 934, 724 and 870ng/g, respectively, and the lithium content was summarized to be 900ng/g as mean for all the 34 samples. In the rice the content was three times higher than in unpolished rice av. 12.7ng/g than in polished rice av. 5.2ng/g. Finally in the cow's milk the content was almost constant to be av. 23.7ng/g regardless with the different fat-content, pasteurized temperature and manufactured district (Prefecture in Japan). In addition to an annual variation of the lithium content of a same brand of cow's milk the content was also almost constant to be av. 24.3ng/g, regardless of four seasons.
著者
有村 兼彬 高橋 勝忠
出版者
甲南大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究においては形態論が統語論と意味論と接触する現象に取り組んだ。伝統的な統語論研究において、統語論は語レベルの中に入り込むことはできないとされてきたが、有村は英語におけるN-A形容詞を調査し、統語論研究で提唱された原理や原則が形態論のレベルにおいてもその効力を持つことを示した。一方、高橋は日本語におけるN+A複合語(e.g.油っぽい、男っぽい)と統語的要素を含む複合語(薬っぽい、嘘っぽい)が形態レベルにおいて違いを示すという事実(i.e.油っぽさ、*薬っぽさ)を指摘し、形態的緊密性は構造的・意味的に捉えることができることを示した。