著者
川勝 邦浩
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 看護学・リハビリテーション学編 = Studies in nursing and rehabilitation (ISSN:18825788)
巻号頁・発行日
no.6, pp.1-7, 2012-03-18

本来、理学療法は治療技術であり、リハビリテーションは理念である。理学療法とリハビリテーションは全く意味の違う用語であるが、新聞紙上やテレビ放送のニュース、病院内や教育場面で同義語のように使用されていることは多い。スポーツ選手の外傷後の機能回復を指して「リハビリ中です」と使われることはよくある。理学療法士が治療内容を患者に説明する時、「リハビリを行います」という言葉はよく聞かれる。理学療法士養成校へ入学してくる学生は、理学療法士が行うことは「リハビリ」だと思っている者は多い。何故、それらが同義語として使用されているのであろうか。少なくともリハビリテーションに関わる者は、その意味を正しく理解し広める責務がある。本稿では、「理学療法」と「リハビリテーション」の本来の意味を明確にし、これらの用語の適切な使用について、理学療法とリハビリテーションの歴史から考察する。
著者
馬場 伸彦
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 文学・文化編 (ISSN:1347121X)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.A75-A82, 2007

雑誌『犯罪科学』において,1930年代に登場した新しい「グラフ・モンタージュ」は,その実践者である堀野正雄,また写真評論家として活躍した伊奈信男や板垣鷹穂らによって,西欧で勃興した「新興芸術」の流れの中に位置づけられている。「グラフ・モンタージュ」と名付けられた一連の作品評を概観してみると,移入初期においては直裁的な翻訳のようであったが,その後試行錯誤を経て次第に独自の表現形式を獲得していったことが分かる。そこには社会の暗部や裏面をメディアの視覚を媒介にして安全かつ刺激的に覗き見たいという大衆の欲望が表象され,また,「シナリオ」を必要としたその構成と形式は,写真報道と映画を架橋する新しい表現であったにちがいない。
著者
橋本 満
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
no.50, pp.89-100, 2014-03-18
著者
細江 光
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 文学・文化編 (ISSN:1347121X)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.11A-54A, 2003-03-18

Sojin Kamiyama, one of the key figures in the creation of the modern Japanese theatre, was a friend of Junichiro Tanizaki throughout his lifetime. He is also known as one of the few Japanese actors who performed in Hollywood silent films in the 1920s. However, his life has not been sufficiently studied ; his fellowship with Junichiro Tanizaki has not been fully investigated either. This paper presents his personal history based on various data, information and interviews with members of his family.Sojin Kamiyama, one of the key figures in the creation of the modern Japanese theatre, was a friend of Junichiro Tanizaki throughout his lifetime. He is also known as one of the few Japanese actors who performed in Hollywood silent films in the 1920s. However, his life has not been sufficiently studied ; his fellowship with Junichiro Tanizaki has not been fully investigated either. This paper presents his personal history based on various data, information and interviews with members of his family.
著者
上野 益三
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要 (ISSN:03864405)
巻号頁・発行日
no.5, pp.89-108, 1969-03
著者
郷良 淳子
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 看護学・リハビリテーション学編 = Studies in nursing and rehabilitation (ISSN:18825788)
巻号頁・発行日
no.4, pp.181-187, 2010-03-18

30年近く入院している非定型精神病の女性患者Aさんとの語りを中心としたケーススタディーから、患者の「退屈」と「現実感覚を促す看護」について考察した。Aさんは、強迫症状を持ち、医療者にとって理解が困難な患者であった。しかし、散歩を中心とした看護者である筆者との週1回の1年半の関わりにおいて、理解困難と思われた精神症状の意味と健康的側面を見出すことができた。理解困難と思われる症状は、患者が訴えない「退屈」という症状である可能性が示唆され、散歩は、不安の伴わないメリハリのきいた時間感覚と現実感覚を持つことに繋がっていると考えられた。理解困難と思われる患者とも理解可能という信念を持ち、患者が語れる機会を提供すること、患者の語りと患者の行動と生きてきた歴史をつなげて理解することが、慢性期の精神科患者のケアのあり方を探る上で重要であることが示唆された。
著者
森 津太子
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.19-25, 2003-03-18

Most people have difficulty remembering events that occurred in their first years of life. Such a phenomenon has been studied for about 100 years since Freud termed it "childhood/infantile amnesia" . This article reviews the literature on the earliest memory, the emergence of which indicates the end of the childhood amnesia period, and examines current theories of childhood amnesia. A variety of theories of childhood amnesia were divided into three categories for discussion (the retrieval failure theory, the encoding/retention failure theory, and the social interactive theory) from the perspective of whether the theory assumes that memory is a permanent storage system or not (i.e., the retrieval failure theory vs. the encoding retention failure theory) and whether the theory assumes that memory is an intrapersonal process or an interpersonal proc- ess (i.e., the retrieval failure theory and the encoding/retention failure theory vs. the social interaction theory) . Finally, the implications of childhood amnesia for recovered memory and future directions are discussed.
著者
辻 平治郎
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.9-18, 2004-03-18
被引用文献数
1

今までの自己意識研究では, 自己意識をもっぱら受動的なものと捉え, その能動的側面を見失っていた。これはすべての自己意識研究に共通の問題で, 私たちの研究 (Usa et al., 1990 ; 辻, 1993) もその例外ではない。Buss (1982) もプライヴェートにではあるが, 「自己について考えることは自己意識には含まれない」と述べている。しかし, こうして受動的な自己意識と能動的な自己内省を区分すると, たとえば自己自身にかかわる侵入思考, 悩みや心配 (worry) として現われる自動思考, 坂本 (1998) のいわゆる自己没入などが「自己意識」の範疇に入り, 内省や瞑想, 自己の問題解決過程としての心配, あるいは森田の「思想の矛盾」の原因となる思想などは「自己内省」に入ることがわかる。それゆえ, これらを区別することによって, 臨床的にはより精緻な理解と研究が可能になると期待できる。そこで, 私たちは自己意識と自己内省を分化して測定できる「自己意識・自己内省 (SCSR) 尺度」を作成しようと考え, 試行錯誤の末にほぼ満足の行く尺度を完成させることができた。このSCSR尺度を辻 (1992) の完全主義尺度, Wells (1998) のAnTIと Meyer ら (1990) のPSWQとともに88人の女子大学生に実施して, 因子分析したところ, SCSR尺度は, (1)公的自己意識, (2)私的自己意識, (3)自己内省, の3因子に分化し, その因子的妥当性は確認された。AnTIとPSWQについては, 因子分析すると, 前者は「一般的心配」と「健康の心配」に, 後者は「心配の常在」と「心配へのとらわれ」に分化した。そこで, これらの尺度の因子間相関を検討し, 心配を基準変数として, 自己意識, 自己内省, 完全主義を説明変数とする重回帰分析を行った。その結果, AnTIの「一般的心配」とPSWQの「心配の常在」の間には高い相関があり, どちらにも完全主義の不完全性回避と公的および私的自己意識が有意な影響を与えていることがわかった。しかし各変数の影響力は異なり, 心配の常在には私的自己意識がより強く関与していることが明らかになった。また, 「健康の心配 (心気症的な心配)」には自己意識も自己内省も関与していなかった。さらに「心配へのとらわれ」に対しては, 自己意識と自己内省は逆方向の影響を及ぼしており, 自己意識は心配へのとらわれを強めるのに対して, 自己内省はこれを弱めて, 心配へのとらわれを少なくすることが明らかになった。これは能動的な自己内省と受動的な自己意識を区別することの必要性を支持するデータといえよう。ただし, この結果だけを見ると, 受動的な自己意識は不健康につながり, 能動的な自己内省は健康につながると見られるかもしれない。しかし能動的な自己内省も, 上記のように思想の矛盾などの問題を生じる可能性が考えられる。したがって, これらの問題についてはさらに検討を進めていく必要がある。最後に本研究の問題点について考えると, この研究結果はリーズナブルではあるが, 被検者が女子大学生に限定され, その数も88人に過ぎないという問題がある。SCSR尺度も因子的妥当性や内的整合性は認められたものの, 並存的妥当性や予測妥当性については検討されていない。再検査信頼性も確かめる必要がある。また心配の尺度も, 原尺度には信頼性や妥当性が認められていても, 翻訳によって変化が生じている可能性も十分考えられる。実際, 因子構造には違いが認められた。したがって, 今後被検者の範囲と数を増やし, 追跡調査をしていかねばならない。ところで, 文脈は少し異なるが, 最近杉浦 (2003) は心配を能動的なものと受動的なものに分けて研究を進めている。彼は問題解決のために能動的に開始した心配が, いつの間にか制御困難になって, 受動的なものになっていく過程を, 共分散構造分析によって見事に明らかにしている。その重点の置き所は本研究とは異なるが, ここには私たちの研究と共通の狙いを見ることができよう。本研究では自己意識と自己内省を区別して測定できることがわかったので, 今後は杉浦の研究などとも関係づけながら, さらに研究を進めていきたい。また, この理解を治療にも生かしていきたいと考えている。