著者
松永 裕二 マツナガ ユウジ MATSUNAGA YUJI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学人間科学論集 (ISSN:18803830)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.111-145, 2017-02

文部科学省の「平成26年度公立学校教職員の人事行政状況調査について」によれば、2014年度に9,677人の教職員が懲戒処分等(訓告等を含む)を受けた(前年度から183人の増加)。そのうち体罰で懲戒処分等を受けたのは952人で、前年度(2013年度)の3,953人に比べると3,000人も減少した。2012年度に体罰で懲戒処分等を受けた教職員数は2,253人であった。2014年度に体罰による懲戒処分者がこのように激減したのには理由がある。2012年12月に大阪市立桜宮高校の男子学生が部活顧問による体罰を苦にして自殺をするという痛ましい事件が起こった。これを受けて文部科学省が緊急の体罰実態調査を実施したところ、2012年度に公立学校で5,415人の教員が体罰を加えていたことが判明した。2012、2013年度と2年連続でこれらの体罰教員が大量に処分された結果、2014年度には処分者数が952人に落ち着いたというわけである。この952人という数字をどのように理解するべきなのだろうか。実は、文部科学省の統計によれば、体罰による懲戒処分者数は2002~2011年度の過去10年間平均で414人に過ぎなかった2。この数字と比べると2014年度の体罰による処分者数は例年の2.3倍だったことになるが、今後は400人程度という例年の数字に落ち着くようになるのであろうか。しかし、緊急調査を行えば体罰教員が急増し処分者も増えるがその嵐が去ってしまえばまたもとに戻るというのであれば、これは何とも奇妙な話ではないか。言うまでもなく、体罰による処分はその体罰が摘発されない限り実施されることはない。処分された教員はまさに氷山の一角であり、その下には多くの体罰教員が潜んでいる可能性が高い。教員集団だけでなく保護者や児童・生徒が体罰を見過ごしたり甘受したりする背景の一つには、体罰についての認識の甘さや誤解、「子どもの権利」意識の不徹底などが横たわっているように思われる。このような認識のもとに、筆者は、本学での担当科目「教師論」にて教員の体罰問題を積極的に取り上げるのみならず、2015年度からはPTA 会員(主として役員・委員)を対象に体罰根絶のための講演活動に取り組んでいる。本稿はその活動の評価報告である。最初に、その講演の内容について概説し、次いで、講演参加者の感想に基づいて講演の成果と課題を浮き彫りにする。最後にこのような活動を今後さらに充実する上で必要な条件などについて考察し結論に代えることにする。
著者
伊藤 慎二 イトウ シンジ ITO SHINJI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学国際文化論集 (ISSN:09130756)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.71-97, 2015-03

旧筑後久留米藩領の福岡県三井郡大刀洗町今(通称:今村)周辺は,江戸時代禁教期の潜伏キリシタン(かくれキリシタン)集住地区であったことで良く知られる。今村キリシタンは,九州の交通の要衝地である筑後平野中央部の開けた田園景観の中で,周囲の仏教・神道信仰社会と日常的に関わりながら,禁教期を通してキリシタンとしての宗教伝統を秘密裡に継承し続けた。他の潜伏キリシタン集住地区とのつながりは,長崎浦上の教会・信徒との接触・往来が幕末になって初めて行われたのみである。今村キリシタンは,多くの物理的に不利な制約のある環境的諸条件の中で,信仰という高度に文化的側面の独自性を孤立状態で長期間持続させた。強制的同調圧力の強い社会文化の中で,ヒトはどのように固有の地域文化・精神文化を形成維持できるのか。今村キリシタンの歴史的経緯は,人類史研究の上でも普遍的示唆に富む重要な事例といえる。しかし,幕末~明治時代初頭の久留米藩による今村キリシタンの一斉検挙拘束後,藩側のごくわずかな記録を除いて,禁教期の信仰細部に関するほとんどの同時代史資料を失ってしまった。禁教期の今村キリシタンの様相を探るためには,文字資料以外の物質文化に対して,考古学の観点から迫ることがこれまであまり試みられていない重要な課題と考えられる。そこで,小論では,久留米藩側による尋問に対してまとめられた口書帳類の記述と近世から近代の墓碑に着目して,考古学からの検証課題を試行的に整理する。
著者
崔 宗煥 ジョンホァン チェ JONG-HWAN CHOI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学経済学論集 (ISSN:02863294)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.21-47, 2016-09

近年,韓国経済は,中国経済の成長鈍化に伴う世界的な不況が懸念されている中で,その経済成長率の下落が危惧されている。いわゆる「チャイナ・ショック」による世界的な不況の兆しが,韓国経済のあらゆる部門において露呈し,その影響は拡大しつつある。第2次大戦後の日本経済の高度経済成長を追いかけるように,「ハンガン(漢江)の奇跡」ともいわれた高度経済成長を成し遂げてきた韓国経済の成長は,近年,その成長の勢いを失いつつあるのではないかという状況が続いている。本稿では,近年における韓国経済の成長率鈍化とそのパターンの変化に注目して,戦後から最近に至るための成長を振り返ることによって,成長パターンの変化がいつからであったのか,そして,その変化の背景にはどのような要因があるのかについて,主としてマクロ的な視点,つまり国民所得統計データから探ってみることを目的とする。
著者
奈須 祐治 ナス ユウジ NASU YUJI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学法学論集 (ISSN:02863286)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.133-186, 2016-03

本稿は,ジョン・ポール・スティーブンズ(John Paul Stevens)の法理論を検討する予備作業として,そのバイオグラフィを描出するものである。スティーブンズは1975年12月19日から2010年6月29日まで,34年を超える長期にわたって連邦最高裁の陪席判事を務めた。なぜこのアメリカの一判事を日本で紹介する必要があるのか。これにはいくつかの狙いがある。まず,日本の憲法学におけるアメリカ法研究はかなり蓄積しているものの,個々の裁判官のバイオグラフィにまで立ち入って,その司法哲学を研究する業績はいまだ少ない。アメリカ連邦最高裁判決の法廷意見は,通常1人の判事によって執筆され,その判事の司法哲学や方法論が解釈論に強く反映することが多い。そして,個々の裁判官の司法哲学や方法論を知るために,そのバイオグラフィを調べる必要がしばしば生じる。アメリカで個々の裁判官の分析が以前から盛んに行われているのはそのためである。アメリカ法研究が相当に深化したわが国においても,そのような研究を進める必要がある。それではなぜスティーブンズなのか。アメリカ連邦最高裁の判事には優れた業績を残した者が多く,どちらかと言えばスティーブンズは日本では有名ではない。しかし,その方法論,及び実体的な憲法解釈論は魅力的で,日本において詳しく紹介する価値が高い。方法論について言えば,スティーブンズは硬直的で柔軟性を欠く審査基準・テストを用いる最高裁多数派と真っ向から対立し,柔軟な方法論を用いてきた。この方法論はドイツやカナダ等で用いられる比例原則に近いもので,日本の最高裁の審査手法とも類似している。この点でスティーブンズは「異端」であるが,スティーブンズの方法論を触媒にしてアメリカの判例を再読することにより,アメリカの法理を日本に応用することがより容易になる。また,最近アメリカにおいて,スティーブンズの方法論を支持する立場から,そもそも最高裁多数派が硬直的な審査基準・テストを額面通りに用いていないのではないかという指摘もなされている(e.g.,Fleming 2006, at 2311; Araiza 2011, at 939-42)。それが事実であれば,スティーブンズは常に異端であったわけではなかったことになる。むしろスティーブンズの意見の検討により,アメリカの判例を正しく読み直すことができるのである。スティーブンズの実体的解釈論も非常に興味深い。後に触れるように,スティーブンズは,貧しい人々や人種的・民族的マイノリティ等の社会的弱者を包摂する,公正で開かれた民主政の構築に尽力してきた。また,スティーブンズは憲法第5及び第14修正に規定された「自由(liberty)」を根拠に,自己決定権を広く保障する立場に立ち,早くから同性間の性行為の自由を規制することが違憲であるとする判断を示していた。さらには「自由」の背景的価値に「尊厳(dignity)」を読み込み,受刑者等の弱者の権利を強く保障する意見を数多く執筆してきた。また,スティーブンズは徹底して手続的公正にこだわり,権力に対する拘束を重視してきたことでも知られている。激しい格差が存在し,いまだ黒人を初めとするマイノリティの地位向上が満足に進まない現在のアメリカ社会を見れば,このような弱者の権利を強く保障しようとするスティーブンズの憲法解釈は,合衆国憲法を進歩的に解釈する試みとして注目される。実際に,スティーブンズは制定者意思を重視する原意主義(originalism)を強く批判し,憲法を社会の変化に合わせて柔軟に解釈する姿勢をはっきりと示している(Amann 2012, at 751)。こうしたスティーブンズの解釈論を検証することにより,近時ますます保守化が進んでいると言われる連邦最高裁の判例法理の問題点を浮き彫りにすることができるだろう。スティーブンズの法理における,方法論と実体的解釈論の連関にも注意が必要である(Eisgruber 1992, at 33)。たとえば連邦最高裁において,日本国憲法解釈としても受容されている表現内容規制/内容中立的規制二分論が法人による選挙運動資金の支出を広く認めるために用いられたり,マイノリティの地位を向上するために打ち出されたアファーマティブ・アクションに,人種的マイノリティを差別する法令に用いられる厳格審査が適用されたりすることがあった。これに対し,硬直的な法理を用いることが進歩を妨げうることをスティーブンズは鋭敏に認識してきたように思われる。これまで日本のアメリカ憲法研究の多くは,連邦最高裁多数派のとる硬直的方法論を支持していたように見受けられる。スティーブンズの意見の検証により,こうした方法論をわが国に導入することが大きな問題を生じかねないことを明らかにできるのではないだろうか。以上のような認識の下,筆者はスティーブンズの経歴,司法哲学,方法論及び実体的な憲法解釈論について詳細に研究を進めることとした。本稿ではまずスティーブンズの経歴を検討することとし,別稿において順次,その方法論,そして実体的解釈論の検討へと移る。スティーブンズは,ロー・スクールに入学するまでは波乱に満ちた人生を送っている。そして,それ以降はまさに典型的なエリートのキャリアを辿った。スティーブンズのバイオグラフィを調べてみると,人生の各段階において法解釈の手法や憲法観に影響を与える事件や出会いがあったことが分かる。スティーブンズのバイオグラフィはアメリカにおいて詳細に分析されてきたが,本稿ではそのような先行業績に依拠しつつ,特に重要な事項に絞って叙述していきたい。
著者
尾上 修悟 オノエ シュウゴ ONOE SHUGO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学経済学論集 (ISSN:02863294)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.49-96, 2016-09

ツィプラス政権は,シリザのマニフェストで明らかにされたように,欧州と決別するつもりはなかった。かれらは,あくまでもユーロ圏に留まることを前提として,これまでに遂行されてきた緊縮政策から脱出し,自律的で内発的な構造改革を推進することを意図した。その上で債権団に対して金融支援を求めること,これがツィプラス政権の基本的なねらいであった。果して,それはスムーズに達せられたであろうか。そこには様々な問題が潜んでいた。首相のツィプラスにしても財務相のヴァルゥファキスにしても,対外的な交渉は初めての経験であった。ヴァルゥファキスに至っては,政治家としての経験も皆無であった。かれらにとって,交渉の直接的対象となるユーログループがいかなる組織でどのように運営されているかを知る由もなかった。主たる交渉相手が,政治家というよりはむしろEUのテクノクラートであったことも,かれらにとって大きな障害になったことは容易に想像できる。他方で,他のユーロ圏のパートナーが,そもそもツィプラス政権の基本的政策に対して反対する姿勢を強く示したことは,交渉を一層難しくさせた。ドイツはもちろんのこと,南欧の盟主であり,ギリシャをサポートできるはずのフランスさえも,規律を守る責任と義務を強調しながらかれらに譲歩する姿勢を示さなかったのである。さらには,ツィプラス政権が一枚岩の政策を打ち出すことができなかったことは,大きなマイナス耍因となった。シリザの党内において,穏健派と過激派の対立が当初より見られたし,また連立与党内においても,シリザと独立ギリシャ人党との間で意見の食違いが生じたのである。以上のような様々な要因が絡む中で,ギリシャと債権団の金融支援交渉は初めから難航し,最終的に決裂した。本稿の目的は,そのプロセスを詳細に追跡しながら,一体,両者の間で何が問題になったかを明らかにすることである。そうすることによって,それらの問題が,ギリシャと欧州にとって何を意味するかを考えること,それが本稿の間接的動機となっている。
著者
近藤 春生 コンドウ ハルオ KONDO HARUO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学経済学論集 (ISSN:02863294)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.103-124, 2014-12

我が国では,特にバブル崩壊後の1990年代に景気対策として公共投資が積極的に用いられてきたにも関わらず,景気回復が思わしくなかったこともあり,公共投資の有効性や,社会資本の効率性について懐疑的な見方がなされるようになって久しい。しかしながら,2012年の総選挙で約3年ぶりに政権に復帰した自民党は「国土強靭化」をスローガンに,再び公共投資を増額する意向を示している。少子高齢化を背景に,我が国の財政状況はより厳しくなることが予想され,効率的な予算配分を実現するためには,公共投資(もしくは社会資本)の質を高めることは喫緊の課題であるといえる。また,不況局面に入ると,特に公共事業への依存度が高い,非都市圏において,地域経済対策として公共投資を求める声も依然として聞かれ,公共投資(社会資本)が地域経済にどのようなインパクトを与えているかを分析することは今なお重要であると考えられる。公共投資を含む公的支出や社会資本と地域経済の関係について実証的に分析したものとしては,例えば,土居(1998),林(2004a,b)や近藤(2011)があげられる。これらの研究では,都道府県単位のパネルデータを用いて,社会資本を含んだ生産関数の推定や,ベクトル自己回帰(VAR)モデルによる分析を行っている。ただし,公共投資の効果や社会資本の効率性は,その内容(産業基盤か生活基盤か,道路か住宅か)によっても大きく変わるであろう。そこで,本稿では,地域経済への貢献がしばしば期待され,事業規模が最も大きい道路に着目して,社会資本ストックとしての道路資本と地域経済との関係について,都道府県単位のパネルデータを用いたVARモデルによって明らかにすることを試みる。具体的には,道路資本と生産量,民間資本,雇用との相互関係を明らかにする。また,道路の種類による違いを考慮すべく,国道と地方道に分けて分析するほか,地域および時期による違いも考慮に入れるべくサブサンプルを用いた分析も行うこととする。本稿の構成は,以下の通りである。第2節では,社会資本や道路資本の経済効果に関する先行研究を概観し,論点整理を行う。第3節では,実証分析の枠組みとデータを説明し,推定結果について述べる。第4節はまとめである。
著者
武末 祐子 タケマツ ユウコ Yuko TAKEMATSU
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
フランス文学論集 (ISSN:02862409)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.27-36, 2010

La légende de saint Julien l'Hospitalier de Flaubert est une histoire de par-ricide écrite à base de la Vie des Saints diffusée couramment au XIXe siècle et à base aussi du vitrail de la Cathédrale de Rouen. Flaubert place la prédiction du parricide rendue à Julien par le grand cerf dans une scène presque onirique. Il insère une petite description du rêve du personnage tout au milieu du récit avant son meurtre. Il met le personnage dans un état de cauchemar après son meurtre. Les rêves de Julien, disposés ainsi autour du parricide, nous semblent importants tout au long de l'histoire. L'histoire racontant la vie du saint médiéval s'adresse au lecteur du XIXe siècle. Le texte s'étend donc sur plusieurs siècles dans l'espace occidental chrétien. La critique flaubertienne relève les sources du texte. Pour les sources hagiographiques Pierre-Marc de Biasi étudie dans son article toutes les versions antérieures de ce conte dont deux nous semblent particulière-ment importantes pour nos études : l'Essai sur les légendes pieuses du Moyen Age d'Alfred Maury, un des amis de Flaubert et la Bible. A propos du rêve, François Lyotard souligne son paradoxe : « l'expérience du rêve est universelle, mais c'est l'expérience d'une singularité incommuni-cable. Ces aspects à la fois personnel et universel du rêve sont déjà remar-qués au Moyen Age. Jacques le Goff étudiant la théorie du rêve du théolo-gien au haut Moyen Age constate : « Pris entre la croyance aux rêves et la méfiance à leur égard, Tertullien insiste cependant sur le rêve, phénomène humain universel. Il étend dans le dernier chapitre de son petit traité, (…) l'expérience du rêve à toute l'humanité. Le chrétien médiéval et l'homme des temps modernes partagent cette expérience du rêve à la fois singulier et universel. Les contes et légendes d'autre part, récits populaires fabuleux, comme l'indique le dictionnaire, sont à la fois création anonyme et création individuelle. D'après Raymonde Debray-Genette, critique flaubertienne « la légende est bien le lieu possible d'un universel singulier. La légende est donc une forme littéraire privilégiée du rêve comme l'expérience paradoxale humaine. Nous prenons cette piste pour voir comment Flaubert constitue les images oniriques du parricide qui est l'expérience singulière de saint Julien. Ciblés sur les rêves du saint nos études ne seront ni psychanalytiques ni psycholo-giques, mais se proposent essentiellement esthétiques et poétiques. Abor-dons maintenant les deux moments précis du rêve du personnage dans le chapitre II et le chapitre III. (voir le tableau qui montre la structure du conte)
著者
三宅 伸治 ミヤケ シンジ MIYAKE SHINJI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学経済学論集 (ISSN:02863294)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.73-97, 2015-09

若年失業の問題は広く知られている.若年世代の失業率が他の世代の失業率よりも高いことは多くの国に共通する特徴である.若年失業は,所得分配の問題だけでなく,人的資本蓄積の阻害を通じ経済成長とも関連があると考えられ,将来の雇用問題やGDPへ与える影響が懸念される.このような状況のもとでは,若年失業と経済成長の関係を分析することは自然な流れのように思えるが,そのためには,労働者の世代を明示的に区別した経済成長モデルが必要となる.しかしながら,そのような経済モデルは,筆者の知る限り,それほど多くない.近年,失業を含む世代重複モデルが様々な分野に応用されるようになった.例えばBean and Pissarides(1993) は失業と経済成長の関係,Ono (2010) は年金と経済成長の問題,Yakita(2014) は財政赤字の持続可能性の問題,Azariadis andPissarides(2007) およびHiraguchi(2011) は国際資本移動の問題を世代重複モデルによって分析している.しかしながら,このようなモデルは,労働する世代を区別しない.すなわち,若年期に労働を供給するのみで,翌期は引退するという設定になっている.複数の世代が労働を供給するモデルとしては,Modesto(2008) やGorry(2013) があるが,資本蓄積も同時に分析する目的には適していない.三宅(2010) では,若年の労働者と壮年(2 期目) の労働者を明示的に分けて失業と資本蓄積の関係を描写しようとした.しかしながら,三宅(2010) にはモデル内で資本蓄積が生じにくいという問題があった.これは分析を簡単化するため,引退世代を捨象,すなわち,存在する2世代ともに労働を供給すると仮定したことが原因であった.この仮定は二つの経路から経済全体の資本蓄積を阻害する.一つは,壮期にも所得を受け取るため若年期に貯蓄が少なくてもすむことである.もう一つは,壮年期の翌期は存在しないため,壮年期にも貯蓄をする誘引がないことである.このような理由から,経済全体として貯蓄が増えず資本蓄積が進まなかった.そこで,貯蓄を発生させるために,壮年期の所得が著しく少なくなる,あるいは,壮年世代の失業率が高くなるようなパラメータを設定した.三宅(2010) は異なる世代の失業率が変化していく様子を分析可能であるという利点はあるものの,現実的な政策的含意を得るためには,この問題点を改善する必要がある.本稿のモデルの特徴は,(1) 引退し労働を供給しない世代(老年世代),および,(2) 外部性として学習効果(Learning by Doing) を導入したことである.(1) は,前述の通り資本蓄積を促進させる効果を持つ.引退前の世代は貯蓄をすることになり,経済全体の貯蓄水準を引き上げるからである.しかしながら,(1) の設定により動学的性質は均衡経路は3 階差分方程式として描写されることになる.そこで(2)仮定により,均衡経路を2 階差分方程式に簡単化することが可能になった.(2)の設定は内生的成長を生む源泉となることが多いが,本稿の設定のもとでは内生的成長は発生せず,定常状態へと収束していく.また,一定の条件のもとで,定常均衡が少なくとも一つ存在する条件を示した.さらに,定常均衡が安定的であることを数値例によって示し,その過程で,両世代の失業率が推移していく状況を示した.本稿の構成は次の通りである.第2節でモデルの設定を述べる.第3節で競争均衡を描写し,数値例により定常均衡の存在およびその安定性について分析する.第4節はまとめである.