著者
尾上 修悟 オノエ シュウゴ ONOE SHUGO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学経済学論集 (ISSN:02863294)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.1-48, 2015-12

ギリシャは周知のように,巨額の公的債務を抱えたことから,2010年以来,再三にわたってディフォールトの危機に晒された。それを回避するために,ギリシャはEU,ECB,並びにIMFから成るいわゆるトロイカ体制によって金融支援を受け,それと引換えに厳しい引締め政策と構造改革を強いられた。ギリシャの一般市民の生活は,この5年間で困窮ぶりを極めた。失業の増大や賃金・年金の減少は,一挙に人々を貧困に追い込んだのである。それは,ほとんど人道的危機とも言える状況であった。ギリシャ市民は,そのような悲惨な生活を送る中で,既成政党の政策に対する反感を非常に強めた。こうした市民の動きが,ついに新しい政権を誕生させたのである。2015年1月25日のギリシャの総選挙において,A.ツィプラス(Tsipras)の率いるシリザ(Syriza)が勝利を収めた。一般に急進左派連合と称されるシリザは,2012年の選挙で急激に台頭してから3年でついに政権を握った。既成政党以外の左派政党が勝利したのは,戦後のギリシャで初めてであった。それが欧州全体,及び全世界に与えた衝撃は極めて大きかった。ただ,ギリシャ国内においては,戦後の左翼勢力の継続的な大きさからして,とりたてて驚くほどのものではなかった。とりわけ2012年の欧州による第2次金融支援以降におけるギリシャの経済・社会状況の著しい悪化は,人々の気持を,彗星の如く現れたシリザの支持に傾かせた。かれらこそが,我々を救ってくれるという思いを一般市民は抱いた。そして,そうした思いはギリシャのみならず,スペインを代表とする他の南欧諸国の人々,ひいては欧州全体の左翼を支持する人々に伝
わったのである。一体,シリザはどのようにして勝利したか,かれらを勝利に導いたのは何であったか,かれらの基本方針は何であるか,あるいはまたその勝利の影響はどのように現れたか。思い浮かぶ問いは尽きない。本稿の目的は,これらの問題を検討しながら,ツィプラス政権がギリシャで成立したことの経済・社会・政治的意味を総合的に考えることである。
著者
佐藤 正弘 サトウ マサヒロ SATO MASAHIRO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学商学論集 (ISSN:02863324)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.335-351, 2016-03

インターネットが普及し始めた1990年代後半以降、我が国においても「コントロール革命」が起き、消費者の情報コントロール力が増大している。Shapiro(1999)によれば、コントロール革命とは、情報のコントロール力が政府、企業、そしてメディアから個人である消費者に移行したことを意味する。たしかにインターネットが普及する以前は、情報のコントロール力を握っていたのは政府、企業、そしてメディアであり、我々消費者たちは彼らが発信する情報を一方的に受信するだけの受け身の存在であった。しかし、インターネットの登場により、我々消費者も能動的に情報を発信することが可能となり、以前のようにただ情報を受信するだけの存在ではなくなってきた。例えば、近年では製品・サービスに不具合などがあった場合、消費者はtwitterやFacebookなどのSNS上で簡単にその情報を発信することが可能である。最近では、カップ焼きそば「ぺヤング」の中にゴキブリが混入していたことをtwitter上にアップした消費者のツイートが拡散したことによって、製造元のまるか食品が「ぺヤング」の販売中止を決定した。このように、消費者がインターネット上に発する情報が、企業の売上や経営などに多大な影響を与える時代、それがコントロール革命によってもたらされた現代の情報化社会である。そして、日本でコントロール革命が起きていることを知らしめた最初の事件は、1999年に起きた東芝クレーマー事件である。この事件によって、企業は消費者の苦情対応の重要性を痛感させられたのである。従来であれば、消費者が製品・サービスに不満を持って企業に苦情を言い、その対応が悪かったとしても、その情報は消費者の周囲の人々にしか拡散することはなかった。しかし、コントロール革命後の社会では、インターネットを通じてこれらの情報が簡単に日本中あるいは世界中に拡散してしまうようになった。そこで、企業は従来よりも苦情対応に細心の注意を払う必要に迫られ、苦情マネジメントの重要性が高まっている。しかし、苦情マネジメントに関する先行研究を振り返ってみても、苦情行動や苦情対応に対する研究は存在するものの、東芝クレーマー事件のような情報化社会を視野に入れた苦情マネジメントモデルは存在しないのが現状である。そこで、本稿の目的は、近年このように重要性が高まっている苦情マネジメントについて、2種類のVoice行動を考慮した新たなモデルを提案し、情報化社会の苦情マネジメント研究に貢献することである。本稿では、まず2章にて日本でのコントロール革命の契機と言われる東芝クレーマー事件について、その概観を整理し、インターネットの特性についても言及する。その後、2章では、東芝クレーマー事件、小林製薬、スターバックス・コーヒー、そして米マクドナルドの事例をもとに、2つのVoiceを考慮した苦情マネジメントモデルを提案する。最後に、4章では、本稿のまとめと今後の課題について述べることにする。
著者
武末 祐子 タケマツ ユウコ TAKEMATSU YUKO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学フランス語フランス文学論集 (ISSN:02862409)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.47-77, 2014-02

ジョヴァンニ=バティスタ・ピラネージは、1752年(32歳)にアンジェラと結婚するまでに、『建築と透視図法、第一部』、『グロッテスキ』、『牢獄』など創作性が強いカプリッチョ作品を制作するが、同時に『古代現代のさまざまなローマの風景』(1745)、『共和政および帝政初期時代のローマの遺跡』(1748)、『ローマの景観』(1748年以降)などヴェドゥータといわれる写実的な風景版画を制作している。このヴェドゥータは、かなり正確に当時のローマの風景を描いており、幻想性、想像性が強い前者とは少し性質を異にする。1 グロテスクな美は、その幻想的性質の強さからヴェドゥータにおいては見出されないように思えるがはたしてそうであろうか。本稿では、古代ローマの廃墟が18世紀当時のローマの建築物とともに描かれているピラネージのヴェドゥータについて検証していく。実際の都市風景を描いたという『ローマの景観』において、「グロテスク風」の美がどのように描かれているのか、廃墟をモティーフにしてどのような「グロテスク風」の美的効果を生起させているのか論じてみたい。『ローマの景観』(全137作品)は、いわゆる18世紀、ピラネージの時代の絵葉書といってよく、実際ピラネージ作品のなかでも、観光客によく売れた版画である。このシリーズは、個別に販売されもしたが、ときどきアルバムにして売られ、たとえば1751年には34枚をブーシャール印刷所が発行している。当時、イタリアのヘルクラネウム(1738年発見)やポンペイ(1748年発見)、ローマなどで遺跡の発掘が進められ、古代ローマ史を学んだイギリス、フランス、ドイツなどの貴族の子息がグランドツアーでローマを訪れ、お土産に版画を買って帰ったのである。『ローマの景観』Vedute di Roma アルバムは、タイトルページに「ローマの景観、ヴェネチアの建築家、ジョヴァンニ=バティスタ・ピラネージによって描かれ彫られた」と刻まれた石板とそれを美しく飾るカルトゥーシュ、フロンティスピスには「ミネルヴァの彫刻がある廃墟のカプリッチョ」と題された『グロッテスキ』とほぼ同じ印象を喚起する作品があり、そのあとにローマ各所の風景が綴られている。まずピラネージの廃墟作品の植物的特徴、次にハイブリッド性、最後にその化石的特徴をみていきたい。
著者
黒木 重雄 クロキ シゲオ Shigeo KUROKI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
人間科学論集 (ISSN:18803830)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.119-134, 2010-02

数年前から自分の政策を学生に公開している。ゼミの時間には、この一週間で上手くいったことや失敗したこと、ついでに次の作品の構想など、私の制作にまつわる諸々を話すように心掛けている。さて、今回、本稿では、2008年9月の個展に出品した作品7点を掲載した。いずれも構想から完成までを学生に公開してきた作品である。解説文で書いたようなことは、おおよそ学生に話したつもりだが、いまひとつ記憶が定かではない。ともあれ、作品の解説を文字で残すことは、自分自身の資料としても重要なので書き留めておくことにした。書き留めながら思ったことがある。私が学生だった頃、先生の言葉はキラキラしていた。講評会での山本文彦先生の「絵には品というものが要るんだよ」だとか、学食での雑談中に聞いた河口龍夫先生の「ナンセンスって重要なんじゃないかな」だとか、上手く文字には起こせないけれど、数多くの先生に数多くの言葉を貰った。いずれも、若い私にとっては、後の制作の指標となるような金言だった。それに比べ、私の言葉はどうだろう。ちょうど、あの頃の先生方の年齢に近づいているにも関わらず、迷いやブレだらけだ。これは、とりもなおさず、作品制作に対する迷いやブレだ。実は30年近く絵を描いていながら"何を描くか""どう描くか"のいずれにも明確な答えを持ち合わせていないのだ。つまりは、日々移ろうおぼろげな答えを頼りに指導(?)に当たっているわけだ。前稿では、あたかも自信たっぷりに指導しているかのように書いてしまったが、しどろもどろなのが正直なところだ。私としては誠実に絵と向き合っていつるもりなのだが、やっぱり、学生には頼りなく映ってしまっているのだろうか・・・。 そう!だからこそ、そんな理由もあって、自分の制作を学生に公開しようと考えたのだと思う。洗いざらいを曝け出して、中途半端に迷ったり、中途半端にブレたりしているんじゃなくて、まじめに迷って、まじめにブレているんだということを、伝えたいのだ。
著者
平井 佐和子 ヒライ サワコ Sawako HIRAI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学法学論集 (ISSN:02863286)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.87-111, 2005-07

「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟に対する熊本地裁判決(二〇〇一年五月一一日)は国のハンセン病政策の過ちを認め、その後の国の控訴断念によってこの判決は確定した。こうして、なぜ九〇年にわたって誤った隔離政策を続けてきたのか、このような誤りを再び繰り返さないためにはどうしたらいいのか、という真相究明あるいは再発防止等の課題を引き継ぐため、「ハンセン病問題に関する検証会議」(二〇〇二年一〇月〜二〇〇五年三月)が、このようなハンセン病政策の歴史と実態について、多方面からの検証を行い、再発防止のための提言を行うための第三者機関として設置された。ハンセン病患者が被告人とされた「藤本事件」も検証課題の一つとして掲げられ、最終報告書ではこの事件の捜査・裁判過程が「憲法の要求を満たし」ていなかったことが指摘されている。ハンセン病であるがゆえの差別・偏見が、裁判所を含めた司法プロセスにいかに深く影響を及ぼしていたか、という問題を解明する上で、藤本事件の真相究明は避けて通れない。そこで、「検証会議」の成果を引き継ぎ、ハンセン病問題解決のための努力を継続する一つのきっかけとして、今回のシンポジウム「司法における差別―ハンセン病問題と藤本事件―」を企画した。基調講演は、一九五四年の上告審以降、弁護人を務められた関原勇弁護士にお願いした。関原氏は、一九二四年生まれ。一九五一年に弁護士登録され、東京合同法律事務所に所属し、、その後一九五六年に第一法律事務所を立ち上げた。八海事件をはじめとして、菅生事件、白鳥事件など、多くの著名な刑事事件に関わる。パネルディスカッションには、上記ハンセン病問題に深く関わるお二人に加わっていただいた。徳田靖之氏(弁護士)は、ハンセン病違憲国賠訴訟西日本弁護団代表で、原告勝訴へと中心的な役割を果たしてこられた。内田博文氏(九州大学教授)は、「検証会議」の副座長として、また最終報告書の起草委員長として、再発防止策の提言をまとめられた。藤本事件について簡単に紹介しておきたい。藤本事件とは、一九五一〜一九五二年に熊本県菊池市で起きた二つの事件をいう。この事件の背景には、戦後の「無らい県運動」と菊池恵楓園の増床計画、ハンセン病患者専用となる菊池医療刑務所設立に伴う強制隔離政策があると考えられる。本件被告人である藤本松夫氏は、未収容患者に対する「全患者」収容方針のもとで、入所勧告を受けた一人であった。そして、一九五一年八月、藤本氏に対する入所勧告に関わった村職員方にダイナマイトが投げ込まれる事件が発生すると、「逆恨み」の末の犯行だとして逮捕されたのである(殺人未遂事件)。藤本氏は、ハンセン病療養所である菊池恵楓園内の菊池拘置所に収容され、懲役一〇年の判決を受ける。被告人は、無実を主張し、福岡高裁に控訴したが、その控訴審中一九五二年六月一六日、拘置所を脱走した。この脱走中に発生したのが同一被害者にかかる殺人事件である。「逆恨み」という文脈のもとで、当然のように藤本氏の犯行だととらえられ、五回の公判ののち、一九五三年八月二九日、熊本地裁は死刑判決を言い渡した。この事件の特異性は、療養所内に設置された特別法廷で出張裁判が行われ、被告人は裁判所構内の通常の法廷に一度も立つことなく、死刑判決が言い渡され、そして死刑が執行されたということにある。シンポジウムは、二〇〇五年三月一九日、西南学院大学において開催され、約一五〇名の参加を得た。以下は、当日の基調講演と、それに続くパネルディスカッションの模様を書き起こしたものである。括弧内は筆者が補足した。なお、文責は筆者にあることをお断りしておきたい。
著者
西野 宗雄 ニシノ ムネオ NISHINO MUNEO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学商学論集 (ISSN:02863324)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.35-86, 2015-03

私は本稿(1)において次の3つの論題を考察し、また一つの新しい仮説を提示する。第1。私は前稿(2)において2014年世界同時不況(仮説)を提示したが、この仮説は2014年度末の時点でどこまで証明できるのか、あるいはできないのか。これが第1の論題である。第2。2014年後半に発生した原油価格の急落が日本のような石油消費国側の国民経済に及ぼす影響とはどのようなものとして理解できるのか。これが第2の論題である。第3。日本銀行は2%インフレ目標値の達成を最優先する異次元金融緩和政策を実施しているが、この政策の効果、副作用、弊害とはどういうものであるのか。これが第3の論題である。最後に残された課題を提示しておきたい。私の判断では、2015年世界経済論議のもっとも重要な論点の一つは、2015年中に「逆オイルショック」の発生可能性はあるのか、また世界各国における同時的な生産の大幅な収縮の発生可能性、すなわち世界同時不況の発生可能性の現実性への展開はあるのかどうか、というものである。私は、現実の世界経済の探究作業を進めるうえで、この世界同時不況の発生可能性論こそ有用な仮説と考えている。そこで、改めて、2015年世界同時不況(仮説)、あるいは14年と15年を有意味に連続した期間としたうえで立てられる2014-15年世界同時不況(仮説)を提起しておくことにする。
著者
井口 正俊 Masatoshi IGUCHI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
国際文化論集 (ISSN:09130756)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.1-22, 2005-08

*「踊りにおいてだけ,至高なるものの比喩を語ることが出来ることを私は知っている,しかし今は,私の最も高貴なる比喩は語られずに,私の身に残り続けている!最高の希望は,語られもせず,救済されることもなく私の中に残存し続けていた!そして,私の青春の面影と慰めの言葉は私にとってすべて死んでしまった。……しかし,墓のあるところに,復活もまたあるのだ」(ニーチェ『ツァラトウストラはかく語りき』第二巻「墓の歌」)*「終末論の世俗化に代わっての終末論による世俗化」(H・ブルーメンベルク『近代の正統性』Ⅰ-4)*「誰が語っているか,あるいは誰が書いているかがもはやわからなくなるや,テクストは黙示録的になる」(J・デリダ『哲学における最近の黙示録的語調について』)
著者
土方 久 Hisashi HIJIKATA
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
商学論集 (ISSN:02863324)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.1-42, 2007-12

筆者が「ドイツ簿記の16世紀」に想いを馳せて,複式簿記の歴史の裏付けを得ながら,その論理を解明するようになったのは,いつも筆者の脳裏から離れなかった問題,会計制度,会計理論と「複式簿記」の関わりを解明したかったからである。本来ならば,さらに,17世紀から19世紀までのドイツ簿記を解明してから,この問題に立ち向かわねばならないのかもしれない。しかし,「ドイツ簿記の16世紀」を解明してきたところで,そこまで取組むだけの時間は,筆者にほとんど残されてはいない。そのようなわけで,筆者がこれまでに模索してきた卑見だけでも披瀝しえたらということで,この問題を整理しておくことにしたい。まずは,「会計」と「複式簿記」の関わりであるが,Littleton, Ananias Charlesが表現する有名な言葉を想起してもらいたい。「光は初め15世紀に,次いで19世紀に射した。15世紀の商業と貿易の発達に迫られて,人は帳簿記録を『複式簿記』(double-entry bookkeeping)に発展せしめた。時移って19世紀に至るや,当時の商業の飛躍的な前進に迫られて,人は複式簿記を『会計』(accounting)に発展せしめた」という例の言葉である。複式簿記については,世界に現存する最初の印刷本が,Pacioli, Lucaによって出版されたのが15世紀,さらに,「産業革命」がヨーロツパ諸国に波及したのが19世紀,この歴史事実ないし経済背景が意識されてのことであるにちがいない。15世紀以降は経済覇権が移行するに伴い,複式簿記が世界の各国に伝播されて,19世紀以降は産業構造が変化するに伴い,複式簿記と関わりながら,会計へと進化したことによって,会計理論,会計制度が想像ないし創造されてきたからである。商業から工業へと移転していく産業構造の変化,特に製造業,鉄道業などが必要とする固定資産の増大は,「資産評価」の問題を引起こさずにはおかない。そればかりか,企業形態の変化,特に資本集中を容易ならしめる株式会社の急増は,「報告責任」はもちろん,「配当計算」の問題を引起こさずにはおかない。事実,筆者が知るかぎりでは,近代会計学の父であるSchmalenbach, Eugenによって出版される大著『動的貸借対照表論』("Dynamische Bilanz",Leipzig. / Köln und Opladen.)が,そうであるように,ドイツでは,「会計」を意味するのは「貸借対照表論」(Bilanzlehre)。「貸借対照表」の標題を表記する印刷本が出版されるようになるのは,19世紀の末葉,たとえば,1879年にScheffler, Hermannによって公表される論文「貸借対照表について」("Ueber Bilanzen", in: VIERTEL JAHRSCHRIFT FÜR VOLKSWIRTSCHAFT, POLITIKUND KURTURGESCHICHTE, Bd.LXII, S.1-49.)を初めとして,1886年にSimon, Herman Veitによって出版される印刷本『株式会社と有限責任会社の貸借対照表』("Die Bilanzen der Aktiengesellschaften und der Kommanditgesellschaften auf Aktien", Berlin.)からである。したがって,世界の各国に伝播されて,展開かつ発展された「複式簿記」を包摂して,資産評価,報告責任,配当計算の問題に対応しうる「会計」へと進化したわけである。進化することによって,会計理論,会計制度として展開かつ発展されるようになったわけである。もちろん,進化したからといって,複式簿記が退化してしまったわけではない。したがって,複式簿記を包摂して進化したとするなら,複式簿記から「会計」として進化したというよりも,複式簿記から「複式簿記会計」として進化したというべきであるのかもしれない。そうであるとしたら,複式簿記から「複式簿記会計」へと進化する,まさに接点にある問題は「年度決算書」。いつから作成することが規定されたか,どのように作成されたかである。したがって,会計制度,会計理論と「複式簿記」の関わりを整理するとしたら,「年度決算書」と複式簿記の関わり,この問題から解明しなければならない。そこで,「年度決算書」であるが,世界で最初に法律に規定されたのは,1673年の「フランス商事王令」(Ordonnance de Louis XIV pour le Commerce)によってである。破産,特に詐欺的な破産の横行に対抗するために,したがって,債権者を保護するために,すべての商人は「商業帳簿」(Livres et Registres)を備付けねばならない。さらに,普通商人(Marchand)に限定して,隔年でしかないにしても,「財産目録」(Inventaire)を作成しなければならない(第III章第8条)。さらに,フランス商事王令を模範に,1807年の「フランス商法」(Code de Commerce)によっても,すべての商人は「商業帳簿」を備付けねばならない。しかし,普通商人に限定するのでもなく,隔年でしかないのでもなく,すべての商人(Commerçant)は,毎年,「財産目録」を作成しなければならない(第I編,第II章第9条)。したがって,年度決算書としては,財産目録を作成することが規定されたのである。
著者
青野 太潮 アオノ タシオ Tashio AONO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.1-35, 2008-03

昨年度(二〇〇六年度)後期には、私は講義・ゼミ、そしてさまざまの大学内の職務から解放される国内研究を与えられましたので、私のいない教授会で決まりましたこの二〇〇七年度の開講講演の担当は、当然の義務として受けさせていただきました。そして、二〇〇七年三月にもたれました昨年度の「卒業生のための神学シンポジウム」では、私の「十字架の神学」に対する天野有教授および片山寛教授の批判が展開され、それに対して私が応答することを求められましたので、そのようにいたしましたが、議論が十分になされたとは言い難いように思われますので、そこでテーマとなりました「贖いの思想」、それは多くの場合「贖罪論」と同一のものとして扱われるのですが、それとの関連における「十字架の神学」について、この開講講演でさらに展開してみたいと思った次第です。
著者
西野 宗雄 ニシノ ムネオ NISHINO MUNEO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学商学論集 (ISSN:02863324)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.1-35, 2013-12

2013年10月1日安倍首相は現行消費税率(5%)の8%への引き上げ(14年4月実施)を決定した。様々な立場の人たちが2013年10月現在にまで至るまでに消費増税の是非について見解を開陳してきた。私は、消費税はそのうちにどのような軽減措置などを導入してもいわゆる逆進性を解消できない形態の税制とみており、実質的な税負担の社会的な平等や公平の観点を擁護する立場から、現行の消費税制度それ自体を現行の行財政の変更を前提に廃止するべきものだと考えている。それゆえ、消費税増税は当然不適切であると考えていることは言うまでもない。ちなみに、消費税増税は富裕者層の税負担も強化する効果があるという説について批評するなら、その効果はその限りで否定できないのであるが、しかし富裕者層の税負担の増大をはかることを是とするなら、所得累進性をもつ所得税率体系の修正こそがその趣旨に最適である。本稿の第1の作業はこれらの論点のうち今回の消費税増税の目的や意義などを巡る側面を批判的に整理し、消費税増税を回避するための諸方策に言及することである。その第2の作業は、今日的な内外の社会経済環境の中で消費税増税が惹起する国民経済への悪影響について一定の判断を提示することである。消費税増税が国内の経済事情からみて景気の減退をもたらす可能性は非常に強い。この点は消費税増税に賛成する側も反対する側からも大方支持されているようである。だからこそ総額5兆円の消費税増税対策が出てきたのである。しかしこの対策はまったく的を外しているし、この対策が消費税率引き上げ以上の賃金引き上げをなんら保障していない。それゆえ、賃金デフレ、賃金停滞の下での消費税増税の実施は、それに起因した大衆の消費購買力の削減や停滞を契機とする景気減速をもたらす可能性は大きいと言わなくてはならない。だがそれ以上に、私の考えでは、消費税増税は特に海外経済事情の観点からみて景気の悪化を加速する可能性が強いという点でもまことに愚策である。というのも、私は今夏以来、2014年に世界経済は同時不況に陥る公算が大きいという仮説を立ててその動向を観察してきたのであるが、この公算が現実化する諸条件が時間の経過とともに形成されているからである。消費税増税の14年4月実施による日本の景気減速は世界経済を縮小させる一因であるとともに、この増税は世界不況に巻き込まれた日本の産業社会に大幅な景気減退など倍加された災厄をもたらし、多くの住民を苦境に追いやることになると、思念できるからである。本稿では第1章で第1の作業を行い、第2章で第2の作業を行う。
著者
井口 正俊
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学国際文化論集 (ISSN:09130756)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.1-42, 2014-09-02

「…人々は,此の世は再びばらばらの原子の粒子に帰ったと感じているのである。総てが粉々の破片となって,あらゆる統一が失われた。総ての公正な相互援助も,総ての相関関係も喪失した。王様も,家臣も,父親も,息子も忘れ去られてしまった」ジョン・ダン「一周忌の歌・此の世の解剖」「ある誰かがやってくる, 私ではない誰かが, そして発言する:"私は絵画における特異な言語〈l'idiome〉に関心がある"…そもそも絵画は一つの「言語」〈langage〉であり…しかも絵画芸術におけるその言語の, いかなる何ものにも還元されない"単独なるものあるいは特殊なるもの"に関心があるのだ,と。」(J・デリダ『絵画における真理』)