著者
能 登志雄
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.19, no.4, pp.153-156, 1967 (Released:2010-04-30)
参考文献数
12

Recent development in various fields of science made it ineviatable to rewrite the history of Polynesian migrations. Among the recently developed methods, perhaps the most important is the dating of absolute chronology by radiocarbon activity. By this means the origin of Polynesian settlement in this part of the world was pushed backwards to several centuries before Christian era. This is a short review of the recent contributions made by scholars in various fields interested in the Pacific realm.
著者
漆原 和子 乙幡 康之
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.99-110, 2007-08-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
10
被引用文献数
2

南西諸島の防風対策は, 屋敷囲いとして石垣のみを用いる場合と, 石垣に防風林のフグギを組み合わせる場合がある。本研究では屋敷囲いとしての石垣とフクギの防風林を同時に用いる例として, 集落が第二次大戦の影響をほとんど受けず, 防風に対する屋敷囲いの原型を残している沖縄県の渡名喜島を取り上げた。渡名喜島はハブが多く, トンボロ上に住居を築かねばならなかった。低平なトンボロ上に立地し, 屋敷を掘り下げて防風をおこなうことが渡名喜島の特色ある景観である。掘り出した砂を母屋のまわりに積む必要があり, 内石垣で砂が崩れないようにした。道路側には外石垣を用い, その間に砂を積んで, フクギを2~5列を植えることにより防風効果を高めている。村落の道路は交差軸を少しずらし, 道路を吹き抜ける強風が弱まるように工夫がされている。しかし, 1973年以降, 失業対策のたに外石垣をブロック塀に変えた。その後, RC工法の母屋も全戸の34%に増え, 強風に対して母屋の強度が増してきた。それにともない, 近年屋敷の掘り下げを埋め戻す例が多くなり, 屋敷囲いが変化しつつある。
著者
野村 幸加 吉田 圭一郎
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 = Quarterly journal of geography (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.225-233, 2010-01-31
被引用文献数
1

本研究は,東京ディズニーランドに対して抱くイメージを,その対象者の地域的な背景,特に対象者との距離に着目して明らかにした。居住地の異なる大学生を対象に,SD法に基づいた評定尺度法調査を行い,因子分析を適用して,イメージの構成要素を抽出した。また,因子得点をもとに,東京ディズニーランドまでの距離によるイメージの差異を検証した。因子分析の結果から,東京ディズニーランドのイメージは,主に「心理的因子」,「視覚的因子」の2つの要素によって構成されていた。第1因子である心理的因子には,「わくわくする」「楽しい」など対象者の主観的な感情が表れており,第2因子の視覚的因子は「静か」「緑が多い」といった景観を客観的に捉えたものであった。スピアマンの順位相関係数によると,心理的因子は距離と関係があり,その理由としてカリギュラ効果が考えられた。また,訪問回数を介して距離が視覚的因子に影響を与えていると考えられた。
著者
高橋 信人 岩船 昌起
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.22-38, 2015
被引用文献数
2

東日本大震災後に建設された岩手県宮古市の仮設住宅の室内で2012年3月以降の約2年間,温湿度の観測をおこなった。この観測結果に基づき,主に夏季と冬季の晴天日における温湿度の平均的な日変化に注目して,仮設住宅の室内気候の建築タイプによる違いと,高齢者が生活する仮設住宅内での室内気候の特徴を調べた。建築タイプによって仮設住宅の室温の日変化は異なり,軽量鉄骨造りで室内にむき出しの鉄柱がある仮設住宅は,木造の仮設住宅に比べて冬季には1.7~3.4°C程度低温に,夏季日中は1°C程度高温になり,冬季,夏季ともに室温の日変化が大きかった。この仮設住宅内では,冬季,夏季ともに室温に比べて日中は鉄柱が高温,床面が低温になっており,夜間は鉄柱が低温になっている様子も認められた。この仮設住宅は相対湿度が他に比べて高く,夏季には熱中症危険度「厳重警戒」以上になる機会が,他の仮設住宅に比べて5割以上高かった。この仮設住宅に高齢者が生活する場合,冬季には室温に暖房の影響が大きく現れ,日最低気温が低い日ほど,室温の日較差や場所(高さ,部屋)による気温差が大きくなり,それらの値は平均的には7°C以上に及んでいることなどが明らかになった。
著者
井田 仁康
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.276-286, 1991-11-15 (Released:2010-04-30)
参考文献数
21
被引用文献数
2 2 3

新潟県を出発地・到着地とする航空旅客の多くが利用するのは新潟空港である。新潟空港の乗降客数は, 上越新幹線が開業する前の1981年までは増加傾向にあったが, それが開業した1982年から1983年にかけて乗降客数は激減した。1983年の航空旅客動態調査に基づき, 新潟県における航空旅客の分布をみると, 新潟市と長岡市において航空旅客数が著しく多いが, 市部においてはその数が多くなる傾向がある。さらに, 航空旅客数と地域属性との関係を明らかにするために, 各市町村の社会経済的特徴を表すと考えられる13の変数に因子分析を施し, そこで得られた3因子の因子得点と空港からの距離を独立変数とし, 航空旅客数を従属変数として重回帰分析を行った結果, 航空旅客数はその地区の都市性と深く関係していることが明らかになった。また, 社会経済的特徴からみると, 多くの市および新潟市周辺の町村ではより多くの航空旅客が期待できるのである。新潟県を出発地・到着地とする航空旅客の流動に注目すると, 多くの都道府県との間に航空旅客流動を生じているが, 特に, 北海道, 宮城県および京都府, 奈良県以西の府県との流動が多い。その中の北海道, 南九州, 沖縄県などの比較的長距離の流動において, 新潟県の居住者および観光客の割合が高くなる。他方, 新潟県と中京, 関西, 四国, 九州北部の県間とに生じる流動では, 新潟県に居住しない者の割合およびビジネス客の割合が高くなる傾向にある。
著者
酒井 宣昭
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.19-29, 2004
被引用文献数
1

地場産業の産地存続に必要な機能としては技術伝承, 原料および市場の確保があげられる。本研究では宮城県の鳴子, 遠刈田, 弥治郎こけし産地を例に, 近年の技術伝承形態, 原木の入手形態, 流通販売形態について検討し, その特徴を明らかにした。<br>技術伝承についてみると,「家」での技術伝承形態のみが一部の事業所において存続している。多くの事業所では経営難が続き, 子に他の職業を薦める傾向にある。原料の入手についてみると, 伝統的に使用してきた原木を現在も継続的に入手しているため, 特に原木の量の制限などに関する問題はみられない。しかし, 一部の事業所では経営難という状況から原木の購入資金が不足し, 入手量を制限せざるを得ない状況にある。製品は各事業所が伝統こけし, 創作こけし, 木地玩具を生産している。なかでも需要の多い伝統こけしの生産が中心である。流通販売形態についてみると, こけし産地には産地問屋があるものの, 産地問屋の取引先の需要減少に伴い, こけし産地の事業所との取引回数や量は少なくなっている。また, 小売店などへ卸す経路も縮小している。そのため, 各事業所での販路を開拓する必要があるが, 独自の経営戦略を持って安定した販路を確保している事業所は少ない。
著者
米地 文夫 大木 俊夫 秋山 政一
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.157-170, 1988-08-01 (Released:2010-04-30)
参考文献数
30

1888年7月15日の磐梯山噴火後1世紀の間にこの噴火に関して多くの論文が公にされたが, なお未解決の問題も残っている。著者らはその一つである噴火開始時の状況の解明を試みた。これまで知られていなかった資料の発見や目撃者の証言の検討によって次の結果を得た。1. 時刻: 噴火は1888年7月15日7:45a. m. に起こった。(Sekiya・Kikuchi 1890)。しかし多くの目撃者は8:00~8:10または8:30前後と証言している。検討の結果, 証言間の時刻の不一致は, 主として時法の混乱期にあったことによるものと推定された。1888年は, 1872年までの不定時法, 1873~1887年の定時法・地方時, 1888年以降の定時法・日本標準時という三種の時法・時刻の移行期であり, この地方では各時法・時刻の共存期にあったのである。2. 地点: 煙柱の噴出すなわち水蒸気爆発のあった地点は小磐梯山頂の西麓と銅沼付近とであることが, 噴火時に磐梯山麓の住民が撮影・描写した写真やスケッチから推定された。3. 噴煙高度: 最初に噴出した噴煙柱の高度は, これまで述べられていた1,200m程度という数値よりも更に小さく, スケッチや証言からわずか800mであったと推定される。この事実は, 守屋 (1980) の見解を裏付け, これを発展させた Yonechi (1987) の仮説, すなわち磐梯山の最初の水蒸気爆発自体はあまり大きくなく, 引き続いて起こった複数の, 時間間隙を持つ地すべり性の崩壊が大きかったのであるという考え方を支持している。
著者
村山 祐司
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.34, no.4, pp.224-235, 1982 (Released:2010-04-30)
参考文献数
14
被引用文献数
6 3

“Urban system” is defined as an aggregate of interrelated sets of cities which are interdependent in such a way that any significant change in economic activity, occupational structure, total income or population of one member city will directly bring about some modification of the other set members (Pred, 1977). The study of urban systems has moved from the static analysis in the 1960's to the dynamic one in the 1970's and it has linked with the study of spatial diffusion which puts stress on the spatial process.This paper attempts to clarify the diffusion patterns of innovation in the three levels of urban systems—international, national and regional, employing the Lions Club as the index. Japan is selected as the case study of the national level, and Yamanashi Prefecture as the case study of the regional level.Several primary findings might be summarized as follows: (1) The peaks of diffusion in the international, national and regional levels were in the 1950's, in around 1960 and in around 1965, respectively, and the distinct time lag of diffusion was recognized from the higher level to the lower level. On the other hand, the regional level has the highest gradient and the international level the lowest in terms of the regression lines between the years of diffusion and the population size (Fig. 3, 7 and 12), indicating that spread of diffusion has been accelerated with time from the international level to the regional level. (2) In the national and regional levels most of the links of the diffusion channels were in accord with those of the nodal structures. Thus in those two levels innovation has been diffused through the socio-economic linkages with the strong interdependency, while in the international level the diffusion channels have been greatly influenced rather by the political structures and the historical circumstances.
著者
八木 浩司 高野 岳彦 中村 靖 村山 良之 檜垣 大助
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.161-180, 1991-08-01 (Released:2010-04-30)
参考文献数
20
被引用文献数
3 2

東北地方のスキー場についてその開発過程を整理し, いくつかの視点から立地特性を検討して類型化を行い, スキー場の特徴の包括的な把握を試みた。東北地方における初期 (主に1950年代) のスキー場は温泉集落に付属するものが多数を占めたが, 1960年代には夏型観光地の田沢湖高原や磐梯山などにもスキー場が開かれた。また国体の開催を機にするもの、幹線交通路に接するもの, 都市近郊に開設されたものなど, 立地要因が多様化してきた。1974年以降はリフトの増設は低調になり, 温泉地スキー場の廃棄が目立った。1978年以後, スキー場開発は以前にないほど活発化かつ大規模化し, 人込み客数は急増した。これは, 高速交通体系の整備とレジャー時間の拡大に伴うものといえる。次にスキー場の類型把握のため, (1) 地形的条件, (2) 社会的条件, (3) 規模, (4) 開発経営主体の4点を整理検討した。はじめに, (1) によって以下の3つの自然立地的グループを設定した: i) 山麓型, ii) 山地中腹型, iii) 脊陵主稜型。次いでこれらと (2) を合わせて以下の7つの基本類型を設定した: i)…温泉地型, 集落近隣型, 都市近隣型, ii)…夏季観光地型, 交通依存型, iii)…景勝地亜高山型, 非景勝地脊梁型。これらと (3) (4) との対応から, 各類型の特徴を明確にした。
著者
日野 尚志
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.10-15, 1973 (Released:2010-04-30)
参考文献数
9

The formation of the Oda District during the Ritsuryô Period is un-documented. We may safely assume, however, that formation took place in the Pre-Taika Period by the aggregation of parts of the two agata of Kibi-Naka and Kawashima to Hokuki which, consequently, became the central part of the Oda District.Oda is the name of both the whole district and the central part of the district. Many names connected with the Gûke (District Office) have been found in the central part and the Kôri-gongen-gu, which was probably the central shrine for the entire district during the Ritsuryô Period, is still extant.The so-called Oda Umaya (Oda Relay-station) was probably located in Maido east of Oda. Many roof tiles from the temple which was probably the Gunji (the district temple connected with the Gûke) have also been found in Maido.Since both Oda, which gave its name to the whole district, and Maido, which is near Oda, show traces of having been centers of the district, we conclude that the Gûke was established in Oda.The San-yo Road is thought to have passed through the southeastern part of the Gûke area; thus, we can infer that the Gûke had easy access to land transportation. Moreover, since the Gûke was situated on the Oda River, it must have been connected to good water transportation links.Judging from the fact that three different Jôri systems have been found in the comparatively small Oda valley, it seems certain that the Gûke was established at the time when the Jôri systems were being enacted. As the southern side of the Gûke is 6 cho (about 654 meters) in length, it can be assumed that the Gûke was 6 cho square.
著者
根田 克彦
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.148-159, 1989-11-30 (Released:2010-04-30)
参考文献数
21
被引用文献数
4 2

本研究では, 釧路市の新橋大通商店街を事例として, 大規模小売店の立地を契機とする周辺商業地の変化を考察した。結果は, 以下にまとめられる。新橋大通商店街では, 大規模小売店の開店以降, 最寄品販売の独立店の廃業と, 買回品を販売する駐車場を備えた多店舗小売業と, 飲食店および個人サービス業の進出という変化が主として生じた。また, 大規模小売店の立地により新橋大通商店街の買物吸引力は急激に高まったが, 現在この商店街来訪者の目的は, 主に大規模小売店の単独利用である。
著者
加藤 武雄
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.23, no.3, pp.164, 1971 (Released:2010-10-29)
参考文献数
4
被引用文献数
1

At Daiichi Dam of the Tachiyazawa River, the amount of dissolved oxygen and the water temperature are observed throughout the day. The hourly observation reveals that the linear relationship (negative correlation) is found to exist between the two. Regarding this river, the following equation is obtained:DO=13, 98-0.367 Tw (r=-0.933), where DO is dissolved oxygen in ppm and Tw in °C.
著者
木村 和雄
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.1-18, 1994-03-25 (Released:2010-04-30)
参考文献数
34
被引用文献数
2 2

阿武隈高地北部は侵食小起伏面の発達が良好であるが, その層序的, 編年的位置づけは確定していない。本稿は先第三紀の基盤岩類とは区別される表層堆積物の分布, 堆積構造を調査し, それらの層序と侵食小起伏面との編年上の関係を検討した。侵食小起伏面は高位から, 高位面群 (750-1,000m), 中位面群 (550-730m), 低位面群 (300-550m) に区分され, いずれも陸上削剥によって成立したと考えられる。侵食小起伏面の形成と関係する堆積物は下部中新統と鮮新~更新統に大別される。下部中新統は調査地域北部に発達し, 下位より, 河成の砂岩および円礫岩互層を主とする比曽坂層, 陸成の亜円礫岩や海成砂岩からなる塩手層, 火砕岩類からなる霊山層で構成される。これら中新統は高位面群を開析する化石谷に分布し, 中位面群によって切られる。鮮新~更新統は山地西縁に分布し, 河成砂礫層である三春砂礫層と火砕流堆積物の白河層からなる。これら鮮新~更新統は低位面群を開析する旧河谷を充填するように堆積している。これらの調査結果から, 阿武隈高地北部の侵食小起伏面は層序的に次のように規定できる。高位面群は新第三紀より前に形成され, 中新世の初めには開析を受けていた地形面である。中位面群は中新世前期以降に形成され, 中新~鮮新世には開析されていた可能性が高い。低位面群は中新世後半以降から形成され, 鮮新~更新世境界頃から開析され始めた地形面である。侵食小起伏面は年代的にみて, 比較的平穏な構造運動と相対的な高海水準とが一致する時期に形成された可能性がある。
著者
藤田 佳久
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.273-286, 1998-12-15 (Released:2010-04-30)
参考文献数
22
被引用文献数
1 1

本稿は, 1901年に中国貿易を扱い得るビジネスマンの養成を目的として上海に開設された東亜同文書院の学生達が1907年から1942年にかけて行った中国調査旅行の実態を明らかにし, 彼らが記録した調査報告書および日誌の資料的価値について説明した。書院生の旅行コースは全体で700コースに及び, 中国全土をカバーするとともに, 調査テーマも中国社会を知る上でバランスのとれた内容であった。調査報告書は日本人の手になる初の本格的中国地方誌であった『支那省別全誌』(18巻) および『新編支那省別全誌』(18巻刊行計画中9巻まで刊行) に最大限に活用された。日誌は状況証拠として間接的に利用された程度であった。しかし, 日誌は清末から民国期の混乱期に, 中国全域をとらえる研究が空白になった部分を埋めることができる貴重な資料である。
著者
藤本 潔
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.139-149, 1988-05-16 (Released:2010-04-30)
参考文献数
10
被引用文献数
2

福島県南東部に位置する夏井川下流沖積平野, 藤原川下流沖積平野, 鮫川下流沖積平野にみられる浜堤列について, 空中写真判読, 現地調査, 1/2,500国土基本図による地形断面図の作成および14C年代測定により, 各平野間での浜堤の対比および形成時期の推定を行った。その結果, 本地域にみられる浜堤列は3列に大別され, それぞれの形成開始時期は, 内陸側のものから順に約4,000年前以前, 約3,000年前, 1,700~1,600年前頃であることが判明した。さらに, 本地域の各平野間でみられる浜堤列の形態上の相違 (浜堤の有無, 浜堤頂部の堤間湿地からの比高, および, 浜堤列間の距離) は, 海岸線の湾口部に対する相対的な位置関係による波の影響の度合や, 堆積の場としての沖積層下の基盤地形の相違に大きく関わっていることが明らかとなった。
著者
車 相龍
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.241-253, 2004-12-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
19

農村地域であった大田は, 鉄道, 高速道路などの内陸交通の要地として都市化を経験した。韓国の科学技術拠点はそういう大田の近隣にある大徳で開発された。この大徳研究団地が大田に編入されたことで, 大田は科学技術都市としての新たな発展の転機を迎えた。国の経済危機の影響で大徳研究団地の雇用が不安定化し, 起業家の道を選んだ研究員が増えたことで, 大田では大徳研究団地を中心とするベンチャー企業集積地である大徳バレーが形成された。これは先端技術産業地域として発展し始めた大田の地域変化を意味する。このような大田における地域変化には, 国や自治体による多様な地域政策的な介入が作用してきた。さらに, 近年, 大田では大徳バレーに基づく革新の持続・強化を目指す新たな地域政策が展開されつつある。ここで革新とは「知識創造による新価値の創出をもたらす新結合」を指す。大田が空間的・主体間・政策的な新たな結合を繰り返しながら経験した地域変化は, 革新を支える関係の構造, すなわち「革新の地域構造」の形成と発展をもたらしたといえる。