著者
佐々木 明彦 苅谷 愛彦
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.283-294, 2000-12-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
26
被引用文献数
3 4

三国山地平標山の亜高山帯斜面に分布する泥炭質土層の生成開始期を検討するために, 48地点で土層断面を調査した。その結果, 鬼界アカホヤ (7,200cal y BP), 浅間平標山第3 (6,600cal y BP), 妙高赤倉 (6,600cal y BP), および浅間平標山第2 (6,300cal y BP) などの完新世中期のテフラを挟む泥炭質土層が斜面の随所に分布することが明らかとなった。テフラの年代と分布深度から見積もられる泥炭質土層の平均堆積速度から, 各試坑における泥炭質土層の生成開始年代を推定すると, 早いところで9,000cal y BP頃, 一般には8,000~7,000cal y BPであることが判明した。これは, 他の日本海側多雪山地における泥炭質土層の一般的な生成開始年代と調和的である。一方, 完新世後半に生成し始めた泥炭質土層も存在するとみられるが, その分布は化石残雪凹地の中心部のごく狭い領域に限られる。
著者
横尾 実
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.17-34, 2000-03-01 (Released:2010-04-30)
参考文献数
45

ここで言う都市の地域構造の移行とは, 江戸時代の城下町構造を旧構造, 現代の都市構造を新構造と区別した時, 時間的経過とともに旧構造が崩壊し, 新構造が成立していく過程を指す。その移行形態を実証するため, 江戸時代から第2次世界大戦期における東北地方の城下町起源11都市を事例にあげた。都市地域の形成過程を個別に復原した著者による先行研究に基づき, 帰納的立場から, 江戸時代, 明治前期, および明治後半から戦前期までの3時期における都市構造をモデル化した。都市地域構造の移行形態は明治後半以降,都市間で異なっている。それを旧構造残存型, 旧構造修正型, 新旧構造競合型, 新旧構造併存型, そして新構造誘導型の5つに整理した。これら5つの型相互間の関係から比較的単純な構造移行の順序系列が得られ, それは近代産業発展による影響を強く受けなかった東北地方の都市の性格を反映する。
著者
池田 雅美
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.91-95, 1975 (Released:2010-04-30)
参考文献数
10

When one refers to 1/50, 000 topographical maps of Iwate Prefecture, the names of the settlements or localities seemingly related to Gôzoku (medieval village lords) habitations can mostly be found in the southern part.Among those names, “Tate” appears most conspicuously occupying 73% of all cases, and then follow “Shiro”, “Yôgai”, “Horinouchi”, and “Minowa”, in order of percentage respectively. “Tate” is seen to distribute mainly in the southern part of Iwate Prefecture especially in the area between Senmaya and Mizusawa. “Shiro” also occupies 61% of all those found in Iwate Prefecture. As for “Yôgai” and “Minowa”, they are exclusively found in the same area and nowhere else.The reason of the above mentioned distribution can be attributed to the historical fact that Gôzoku, descendants of the lord Kiyoshige Kasai used to live and govern the area in the Middle Age.The settlements of Gôzoku, from the morphological viewpoint, can largely be seen to distribute on the alluvial lowland along the River Kitakami in numbers and also at the hills along the Kitakami adjacent to the same alluvial lowland.
著者
米地 文夫
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.267-284, 1995-12-15 (Released:2010-04-30)
参考文献数
38
被引用文献数
4

明確な地名としての「東北」の初出を, 岩本 (1989など) は慶応4年7月の木戸孝允の建議書をその初現であるとし, 難波 (1993) は同年閏4月から太政官日記にみられるとしたが, 筆者は同年正月の久保田 (秋田) 藩主への内勅や, 2月の仙台藩主からの建白書に, 「東北」の語があることを見いだした。岩本は「東北」を「東夷北秋」を約めたもので, 勝者が敗者に押し付けた地名とした。しかし「東夷北秋」の略は「夷秋」で, 当時は欧米を意味していた。また朝廷側が味方の秋田藩を「東北の雄鎮」と呼んだり, 奥羽側でも自らをも含めて「東北列藩」と呼んだりしており,「東北」に蔑視的な意味は無かった。この「東北」は, 東海, 東山, 北陸の三道全体, すなわち東日本の意味で, 現東北6~7県地域を指すものではなかった。明治初年のこの広義の「東北」は当時の歴史教科書にはみられるが, 地理教科書にはほとんど登場しなかった。
著者
籠瀬 良明
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.24-33, 1978 (Released:2010-04-30)
参考文献数
1

There are several irrigation channel patterns peculiar to Tsugaru Plain, which are classified as follows.1) Parallel channel group: Several channels run in parallel and each one flows into a group of fields.This pattern was perhaps established against heavy droughts in Edo era, whose origin is not yet certain and it has not been reported elsewhere in Japan. The peculiarity of this pattern is not recognized by local farmers.2) Passing through channel group: Several channels run long way through paddy fields of other village directly downstream.3) Channel group without distinct draining end4) Channel group without distinct nourishing origin.5) Crossing-over channel group
著者
今野 修平
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.95-100, 1966 (Released:2010-04-30)
参考文献数
10
被引用文献数
1

This is a report on the changes of the characteristics of the Muroran Port on the southern coast of Hokkaido.The history of the development of this port can be divided into the following four periods. The first period is the age of this port as an entry of immigrants (1872-1898). The second period is the age as a shipping port of coal (1899-.). The third period is as the domestic liner port (1907-), and the fourth period is as an international port as an iron industrial port (1950-).The total cargo of the port is 1881 million tons in 1964 ranking eleventh in Japan. The raw materials and products of the iron work (The Fuji Iron Manufacturing Co.) and some other plants associated with the iron work occupy 45% of the total cargo, and the coal for shipping is 30%.The wharfs of the port consist of the private wharfs and the public wharfs, and 91% of the total cargo is handled at the private wharfs of the Fuji Iron Manufacturing Co. Compared with the development of the other industrial ports of Japan, the rapid modernization of Muroran Port is noticeable.
著者
高木 亨
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.121-136, 2005-10-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
26
被引用文献数
1 1

本研究は, 醤油醸造業者の存立要因の一つとして消費者の醤油嗜好の地域性を想定し, 醤油の生産統計をもとに, 醤油生産の地域的な特徴について考察した。醤油の二大産地は千葉県と兵庫県であり, 千葉県産が関東地方で, 兵庫県産が関西地方で圧倒的なシェアを占めている。しかし, それらの周辺地域ではあまり高いシェアを占めてはいない。全国で広く生産されている醤油は,「濃口」,「本醸造」,「特級」であるが, その生産方式は一様ではなく, 同じ「濃口」でも東北, 北陸, 中国, 九州の各地方では「新式醸造」と「アミノ酸液混合」が多いなどの地域差がみとめられる。これは, 消費者の醤油嗜好の地域的差異の表れと考えられる。醤油の生産と流通の特徴を整理すると, 各都道府県は (1) 県内産醤油の割合が高い「県内産醤油優位型」, (2) 県内産醤油と県外産醤油との割合がほぼ等しい「県内・県外均衡型」, (3) 県外産醤油の割合が高い「県外産醤油依存型」の3つに大別できる。以上の検討から, 醤油嗜好の地域性の一端を明らかにすることができた。
著者
小長谷 一之
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.264-275, 1991-11-15 (Released:2010-04-30)
参考文献数
21
被引用文献数
2

近年のアメリカ都市構造に関するいくつかのデータや研究 (Pisarski, Orski, Cervero など) によれば, 1980年代が, 都市構造に大きな変化が生じた時期であったことを示す兆候がいくつも見られる。それらを総括すると, 1980年代は, 戦後の構造変容の基調をなしていた郊外化が, 決定的な段階を迎えるに至った時期であるといえる。その特徴としては, (1) オフィス (中枢管理) 部門の郊外化, および, (2) 郊外核の集積の2つが上げられよう。こうした都市構造の変化は都市交通の問題と深く関っているため, 特に都市交通地理学の分野で活発な議論がなされたきた。交通流動や都市圏の側面からニューイングランドをあつかった Plane は, 通勤流動を類型化した上で, 郊外への雇用の移転に伴い従来見られなかったような逆通勤や交差通勤が急増し, 都市構造が複雑化していることを示した。シカゴでも Sachs が, インナーシティ雇用の衰退と, 対照的な郊外核の成長の結果, 大規模な逆通勤が発生し, 交通混雑を引き起こしいることを指摘している。このように郊外雇用の中心となってきた郊外核は, Lineberger や Cervero などにより分類されその実態が把握された。その結果, (特に交通に関する) 都市問題の観点からは, 郊外核の集積度や機能混合性を高めることが重要であるとの見解が示されている。
著者
竹内 淳彦
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.23, no.4, pp.193-203, 1971 (Released:2010-10-29)
参考文献数
15
被引用文献数
1 2

The Chukyo area (Aichi and Gifu Prefectures) and The Keihin area (Tokyo, Kanagawa and Saitama Prefectures) are two major automobile producing areas in Japan. Toyota City, a small city in the Chukyo area, has developed hand in hand with the growth of the Toyota Motor Company, ranking first among the car makers in Japan, and the population of the city has been increased remarkably since about 1960. Toyota Motor Company has much effected on the municipal administration and the economic activities.Accordingly, Toyota City should be considered as one of the typical mono-industry city in Japan. Both Toyota City and Kariya City where large scale parts makers (controlled by the Toyota Co.) are located take a leading position in the automobile industry in the Chukyo area.
著者
米地 文夫
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.188-191, 1996-08-30 (Released:2010-04-30)
参考文献数
13
著者
岡崎 清市 砂村 継夫
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.160-166, 2001-09-01 (Released:2010-04-30)
参考文献数
17

九十九里浜平野において, 完新世における砂質微高地列 (strandplain ridges) の形成過程が議論されて来たが, これら微高地列の区分を明治中期 (1883年頃) の迅速測図の土地利用区分を手懸かりに再検討した。その結果, 従来の区分と異なる6区分をすることができた。海岸寄りの2群は従来通り, 内陸側は4群に区分することができた。
著者
横尾 実
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.201-219, 2002-12-26 (Released:2010-04-30)
参考文献数
50

江戸期城下町を起源とする東北地方の11都市を取り上げ, 今日の都市内部の地域構造はかつての城下町構造とどのような形で関係して形成されたかを明らかにする。第2次世界大戦時までの対象都市の形成過程に関してはすでに論じたところであり (横尾, 2000), 戦後約半世紀が本稿で取り扱われる期間である。11都市における都市地域の形成過程を追跡した後, 各都市における今日の地域構造と城下町構造との関係を記述モデル化した。各都市に内在する具体的条件を還元するなら, 現在の都市は旧城下町における城郭縁辺の商業中心を都心形成の根源として継承し, さらにその周囲に, 城下町構造と一定の関係を保ちながら, 新しい圏状構造を発達させたことになる。このような都市地域の形成様式は欧米の古典的な都市成長理論が提起する様式と符合しない一面を持っている。
著者
米地 文夫
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.257-261, 2001-12-21 (Released:2010-04-30)
参考文献数
8
著者
佐藤 慎吾
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 = Quarterly journal of geography (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.23-39, 2008-03-28

本研究は, 衆議院富山県第三区を対象に, 当該議員の集票組織の分析から, 後援会の空間組織の地域的差異を導出し, その上で後援会の空間組織とその編成要因について検討した。<br>A議員の集票組織には, 職域別の政治団体が20, 地場企業やその関連組織の自民党職域支部が7, A議員が私的に組織した後援会が44存在した。このうち, 政治団体役員の居住地と自民党職域支部の所在地, および後援会の設置地域は高岡市に偏在していた。また, A議員の事務所と秘書も同様に高岡市に設置されていた。<br>とくに, 後援会は高岡市内に26あり, 小学校区を単位として編成され, 支持者への日常世話活動が強化されていた。この背景には, 高岡市が富山三区内最大の票田地域であるにもかかわらず, 都市的地域特有の流動層と同じ党派のライバル議員によって, A議員の相対得票率が比較的低い値で推移してきたことがある。<br>一方, 高岡市外の18の後援会は市町村を単位に配置されていた。これは, 市町村が住民意識に強い影響を及ぼしているだけでなく, 有力な集票組織である農協の管轄地域や系列県議の選挙区地域, さらには公共事業の執行地域とその見返りとしての票の集計地域である点とも深く関係していた。
著者
千田 昇 松本 秀明 小原 真一
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.36, no.4, pp.232-239, 1984-11-25 (Released:2010-04-30)
参考文献数
20
被引用文献数
5 7 4

Sanriku Coast located northeastern part of Honshu-island is one of the typical “rias coast” in Japan. In this area, a small delta plains develop at each enbayment. The Rikuzentakata coastal plain, about 2km from north to south and about 2.5km from east to west, is larger one of these plains. The most part of the plain is lower than 5 meters above the sea-level. A beach ridge is recognized along the present shoreline, and a lagoonal area locates behind it. The Kesen river and the Hamada river flow on the western and eastern part of the plain, respectively (Fig. 1).The sequence of Alluvium along the shoreline is shown in Fig. 4. There are two buried valleys corresponding to each river. Excepting the Basal Gravel, which recognized on the buried valley floor about 10m in thickness, the thickness of Alluvium is about 28m. From their textural characteristics, Alluvium is devided into four layers as follows.(i) Lower Sand layer includes marine shells and shell-fragments, is considered as foreset bed sediments. Shellfragments collected at the upper part of the layer, were dated 7, 660±170 yr B. P. by radiometric method.(ii) Middle Mud layer, including a lot of marine shells, consists of silt or sandy silt. This layer is considered as bottomset bed sediments. At the period of Middle Mud sedimentation, the rate of sea-level rise had been superior to the rate of sediment supply. This period was estimated between 7, 500 and 5, 000 yr B. P.(iii) Upper Sand layer also includes shell-fragments. Sedimentary environment of this layer is considered as delta front (foreset bed). The relative rate of sediment supply during this period, exceeded the rise of sea-level gradually. In other wards, the sea-level rise became slower or nearly stable.(iv) Uppermost layer consists of fluvial deposits. At the primary time of this sedimentary period, the sea-level was slightly dropped (2m-4m) than the final sea-level which recorded at the top of Upper Sand layer (-2.7m a. s. l.). Several shallow valleys, dissected the Upper Sand layer, indicate above.From these, the Holocene sea level change curve was restored as the solid line in Fig. 7. On the other hand, annual subsidence about 0.8mm was calculated from the remeasurement of bench marks (Fig. 6) in and around the plain. If this subsidence have been assumed during Holocene, the sea-level curve would be expressed as the broken line in Fig. 7. The highest sea-level during Holocene is estimated at +1.3m a. s. l. and the age is considered about 5, 000 yr B. P.
著者
四津 隆一
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.7-12, 1960 (Released:2010-10-29)
参考文献数
2

The forests in Northeastern Japan occupy 13.8% of the national acreage of wooded land, but in accumulation they show as high a percentage as 17.8%. In spite of such abundant holdings, their exploitation is not advanced, the amount of timber production being only 12.5% of the nation. Main reasons are (1) their inaccessibility, (2) in-convenient transportation, (3) remoteness from markets and (4) lack of local capital to exploit. Another and the major reason, however, is the fact that the forests are mainly of broad-leaved trees of low economic value. Therefore it has been encouraged to increase the forestation of coniferous trees of higher economic value. Present writer wants to add another reason to explain undevelopment of forestry in Northeastern Japan. In the feudal age, some of the more important forest areas such as that of Cryptomeria japouica in the northern part of Akita Pref., and that of Chamaecyparis obtusa in Tsugaru Peninsula had been carefully saved from the view point of resource maintenance, and the same policy has been adopted since they were annexed to the national forest in the Meiji era. As the result, cutting has been limited to an amount low enough to maintain them. In Northeastern Japan, national forests cover half of the total acreage of the region. The percentage is higher than that in any other region and this fact contributes greatly to maintain the forest resources. Viewed from economic exploitation, however, far more rational management is expected. The forests of broad-leaved trees are distributed in almost every part, but more important ones are the national forests in the interior such as Tadami and Kurikoma wood-lands. However, these resources have been regarded as valueless because most of them are superannuated. After World War II, however, they regained their economic importance as Japan lost her coniferous forest resources in her former territories, and at the same time manufacturing technique was greatly improved for the utilization of hardwoods. There is an inceasing demand for them as materials for the pulp and fiber board manufacturing industries. One cannot forget, however, that the forests in the interior are of much value not only as the sources of raw materials, but also as protection for the prevention of soil erosion and floods, and at the same time they are indispensable as the protector of water resources for hydroelectricity. Therefore, it is desirable to consider the exploitation of forest resources from many angles. Tadami and Kurikoma areas are included in the Government's multipurpose development areas, and much is expected from their exploitation.
著者
平井 幸弘
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.81-91, 1983 (Released:2010-04-30)
参考文献数
32
被引用文献数
4 1

This paper explains the formation of lacustrine and sublacustrine microforms of Lake Ogawara, one of the brackish-water lakes in Northeastern Japan, with relation to the lake-level changes after the maximum phase of Postglacial Transgression. In addition to morphological observation, surface-geological survey and bore-hole record analysis were made on land and echo sounding and sediment sampling were made at the lake bottom. Some of the sediments were analysed mineralogically.Various microforms are recognized and mapped and they are classified into the four groups, each of which was formed at the different lake level from others. Chronology of the groups is established on the basis of morphostratigraphy with the aid of tephrochronology and archeology. The results are summarized in the following table.All the microforms discussed were successively formed near the shore line which shifted corresponding to changing lake level within the height range between +4.0m and -1.5m above the present sea-level. The small difference in height causes the partial superposition of younger microforms to older ones. It contributes to the development of apparent littoral shelves which are in fact composed of several microforms of different ages in late Holocene. The fact that the littoral shelves of Japanese brackish-water lakes are wider in general than those of inland lakes will be partially explained by the processes as above.