著者
太田 純貴
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

平成22年度の主な研究業績は、フィールドワーク、口頭発表と論文、翻訳の三点である。フィールドワークは、採用一年次に予定していたナム・ジュン・パイクアートセンター(ソウル、韓国)での調査及び、メディアアートのフェスティヴァルである「メディアシティ・ソウル」(ソウル、韓国)、光州ビエンナーレ(光州、韓国)への参加である。ナム・ジュン・パイクアートセンターでは、メディアアート、ヴィデオアートの祖とされるパイクの作品の調査を行った。上記のフェスティヴァルに関してはメディアアート作品の分析及び、カタログなど文献資料の収集も合わせて行った。これらのフィールドワークの研究成果は、最先端の動向(作品と理論)の把握、芸術作品(主にパイク)の調査である。帰国後には京都大学でアウトリーチ活動として、これらの報告会を行った。口頭発表と論文では、ヴィデオアートと同時代の歴史的社会的文脈との関わりを分析した。具体的にはヴィデオアートとドラッグカルチャーとの関連性について議論を行った。特にLSDがもたらした感覚や意識の変容が、ヴィデオアートにおいても表象され、その際に生じるのが共感覚的な感性的体験ではないかということを、具体的にはリンダ・ベングリスの作品分析を通して、口頭発表および論文による理論的考察を行った。翻訳は、メディア考古学に関する英語論文と、英語で執筆された思想事典の項目のいくつかを担当した。前者は、書籍に収蔵されることが決定しており、日本では紹介の薄いメディア考古学という手法を導入するための端緒となる論文になると思われる。後者は、事典という性質上、哲学、美学など様々な理論的なアプローチを行うための基礎的な資料となることが考えられる。
著者
角田 幸彦
出版者
明治大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

ルキニウス・アンナエウス・セネカ(紀元後1〜65)はローマ帝政期を自らの重々しい運命として生きた哲学者である。彼はローマ初代皇帝アウグヌトゥス、二代皇帝ティベリウス、第三代カリグラ、第四代クラウディウスそして第五代ネロの時代を生き、時代との対話において哲学した。この帝政期ローマは共和政期ローマとちがって、自由な言論政治は封ぜられていた。国家統治は宮廷の中でいわば密談でとりしきられていたのである。セネカは30歳あたりから雄弁力でローマ社会で認められ、かつ彼は哲学者としてもその深く鋭い発言で反響をまきおこした。しかし41歳のとき政治の争いにまきこまれてコルシカ島に流されてしまう。8年間に及ぶ追放生活が、しかしセネカの哲学を一層深くかつ温かいものにした。彼は苦しんでいる者、悲しんでいる者を慰めることに、その後哲学の中心を置くようになる。哲学の今日までの2500年の歴史の中で、セネカほど人間の弱さ、苦悩、悲嘆と向き合い、この姿勢で哲学を作っていた哲学者はいない。対話的に同じ次元に彼はいつも立って、行きづまっている者を元気づける。このセネカは、同時に、ローマ最大の悲劇詩人であった。ローマには意外であるが、悲劇の誕生のギリシア以上に大勢の悲劇詩人が出たのであるが、作品が完全な形で残ったのはセネカの作品のみである。それほど彼の作品はすぐれていた。そしてセネカはギリシア悲劇を徹底的に学びながら、それらの受け売り、模倣ではなく、ローマ人の心性を表現する悲劇を作ることに努力し、見事に成功した。本研究は哲学者セネカと悲劇作家セネカの緊張関係を、欧米の入手できる限りの研究書を読んで究明した。そして『ローマ帝政の哲人セネカの世界-哲学・政治・悲劇-』で成果を世に知らしめた。
著者
長谷川 三千子
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1973, no.23, pp.162-173, 1973
著者
浜渦 辰二
出版者
静岡大学
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.A1-A24, 2005-01-31

シュッツはウィーンに生まれ、ウェーバーの理解社会学をフッサール現象学で基礎づけようとした処女作『社会的世界の意味構成』でフッサールの知遇を得たのち、ナチスの迫害により米国へ亡命し、現象学的社会学の創始者となった。シュッツがフッサール現象学のなかで最も重要と考えたのは、間主観性の問題圈であった。シュッツは、フッサール現象学の枠組みを継承しながらも、初めからレ超越論的現象学の問題は意図的に放棄し、「自然的態度の構成的現象学」である「現象学的心理学」にとどまることを宣言していた。そのことを知りながら、フッサールはシュッツの処女作を絶賛した。それは、晩年のフッサール自身が繰り返し主張していた「現象学的心理学と超越論的現象学」という枠組みが、シュッツの現象学的心理学(ひいては、現象学的社会学)の構想を受け入れるものだったからである。処女作脱稿直後にフッサールの『デカルト的省察』(仏語版)を読み終えた前期シュッツは、「問題の解決のための本質的な手がかりを与えている」と評価していたが、亡命後の後期シュッツは、「その解決を一歩一歩吟味」していき、「フッサールの議論にある明らかな失敗」を主張するに至った。シュッツが失敗の原因と考えたのは、「〈構成〉という概念の意味がずれていったこと」であった。しかし、フッサールの〈構成〉概念の用語法を見ると、能動態、受動態ともに再帰動詞の形が次第に多くなる傾向が見られ、この再帰動詞形に着目していく時、後期シュッツの読みとは異なる読み方が可能になるように思われる。私見によれば、フッサールが未刊草稿で求めていたのは、まさにこの異なる読み方の方向であったが、シュッツは生前にこれら未刊草稿を読むことはできなかった。間主観性の問題を、フッサールは超越論的現象学において解明しようとしたのに対して、シュッツは自然的態度にとどまり、生活世界の存在論において解明しようとしたと、とりあえず言うことができる。その時われわれは、生活世界の存在論と超越論的現象学を対立構図のなかで考えている。しかし、フッサール自身そのような対立構図で考えてはいなかった。それゆえにこそ、フッサールはシュッツの現象学的社会学を受け入れる余地があったのである。現象学的心理学と超越論的現象学の間にはさまざまな対話可能性がある。シュッツの功績は、哲学的な関心をもつ社会学者と社会学的な関心をもつ哲学者の間に対話の可能性を準備しておいてくれたことにあろう。
著者
山脇 雅夫
出版者
京都大学哲学論叢刊行会
雑誌
哲学論叢 (ISSN:0914143X)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.1-13, 2006

"Es werden in der Einleitung in Hegels Phänomenologie des Geistes die zwei Seiten des Bewußtseins unterschieden: Wissen und Ansich. Meiner Auffassung nach sind diese Seiten des Bewußtseins die Strukturkonstienten des Anspruchs, den es als erscheinendes Wissen darauf erhebt, daß das,was ihm wahr ist, auch an sich wahr sei. Was dem Bewußtsein wahr ist, kann mit der Seite des Wissens, was es aber für an sich wahr hält, mit der Seite des Ansich identifiziert werden. Wenn diese Auffassung richtig ist, dann ist der Inhalt des Ansich von dem des Wissens nicht verschieden. Auf die Vergleihung beider, durch die die Selbstprüfung des Bewußtseins vollzogen werden soll, scheint keines Neues zu erfolgen. In diesem Aufsatz wird diese Aporie zu lösen versucht, indem die Dialogstruktur der Prüfung in Betracht gezogen wird. Die Prüfung kann eine Art von Dialog zwischen dem Standpunkt von ‘für es’ und dem vom ‘an sich oder für uns’ betrachtet werden. Was an sich wahr ist, muß nicht nur für den, der es dafür hält, sondern auch für den anderen, der an dem Dialog teilnimmt, wahr sein. Deshalb kann der Dialogspartner das ihm Dargestellte von seinem eignen Gesichtspunkt aus betrachten und davon eine neue Ansicht abgeben. In dem Gedankengang der Phänomenologie des Geistes wird eine dem Bewußtsein bis dahin nicht bekannte Bedeutung der Sache häufig mit der gegensätzlichen Konjunktion ‘aber’ herbeigeführt. In diesem ‘aber’ bricht der dem Bewußtsein entgegengesetzte Gesichtspunkt des Dialogspartners durch. Daraus erhellt, daß die außer der Beziehung auf das Wissen seiende Seite der Sache der Ansicht aus dem Aspekt des Dialogspartners entspricht."