著者
文 智彦
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 経営学部篇 (ISSN:13470523)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.201-208, 2012-12

本研究では、戦略的意思決定プロセスのあり方についての諸見解を、コンティンジェンシー・アプローチ、戦略的選択アプローチ、社会的相互作用アプローチ、実践的アプローチなどに分類して考察することにより、意思決定者が主体的に戦略的意思決定プロセスを構築するという見解を展開している。それらを通して、戦略的意思決定プロセスの構成について概念化し、意思決定主体がこのようなプロセスを構築・設計するためのインプリケーションを提示している。1)
著者
服部 友香
巻号頁・発行日
2016-06-30 (Released:2016-08-05)
著者
柚木 英恵
出版者
東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学研究系自然環境学専攻
巻号頁・発行日
2011-03-24

報告番号: ; 学位授与年月日: 2011-03-24 ; 学位の種別: 修士 ; 学位の種類: 修士(環境学) ; 学位記番号: 修創域第3898号 ; 研究科・専攻: 新領域創成科学研究科環境学研究系自然環境学専攻
著者
松浦 利隆
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.179-205, 2002-03

安政六年六月の開港は国内の経済構造に大変化をもたらし、幕藩体制が崩壊するきっかけを作った大事件である。そこで初期の生糸不足により大混乱におちいった関東随一の織物産地である上州桐生新町がこの事件をきっかけにどう変化したかを考察した。この混乱へ桐生新町の対応は三つの段階に分けられる。最初の段階は幕府への生糸輸出禁止や在郷商人の取引抑制を中心とした嘆願の段階である。夏から冬にかけて続いた嘆願は大老への駕籠訴までエスカレートしたがついに何の効果も無かった。次が嘆願の失敗、冬を迎えて困窮の進展により抑えきれなくなった町内の織物職人・労働者(=小前層)の不穏な行動とそれを地元商人処罰等によって懐柔し、さらなる先鋭化を抑えた段階である。最後が翌春の町役人層と小前層の相互の直接的な対向関係、つまり小前層の打ち壊しを材料にした各種要求、町役人層の権力を動員した抑圧と施米等の実施による懐柔といった従来の支配関係を超越した両者の力のバランスが町政を動かす段階である。このように開港という新状況は、まずは幕府による経済統制がもはや無力であることを露呈させ、さらに地域においても従来的な社会機構や制度が機能不全におちいった側面を強調してゆく過程であり、そこから生じたのは従来の身分制度の枠にとらわれない経済的な階層格差を背景にした混乱と対立であった。かつ、その解決(=救い米等)がこの新情勢から経済的な恩恵を受けたと思われる階層(=生糸商人に代表される)の経済力によって支えられる新状況をもたらしたわけである。このように安政六年の桐生の事例は、開港と開放経済が封建社会の基礎を揺るがし、最終的にはそれを突き崩してゆく歴史過程のひとつの端緒的な事例といえるのではないだろうか。The opening of ports in June, Ansei 6 was a major incident that brought about a great change in the domestic economic structure and started the fall of the Tokugawa Shogunate regime. This paper considers how Joshu Kiryu-shinmachi, the best textile producer in Kanto fell into a great confusion due to the raw silk shortage in the earlier days, changed after this incident.We can divide the measures that Kiryu-shinmachi took against such confusion as three stages : in the first stage, it entreated the Government to ban the raw silk export and control the trade by rural merchants. The entreaties that continued from summer to winter went so far as to resort to kagoso (the direct entreaty to the palanquin of tairo), but there was no effect gained after all.In the next stage, after the failure of the entreaties and with the arrival of the winter, the town pacified frustrated textile craftsmen and workers by punishing the local merchants. Further, in the next spring, the town politics were influenced by the power balance that transcended the direct conflict between the class of town officials and that of komae (working class live in rented houses), i.e., the controlling relationship, as represented by various requests involved in uchikowashi of the komae class and suppression by mobilized power of the town official class and such appeasement measures as the rice giving.Thus, the new situation brought about by the port opening was a process that revealed the economic control by the government not to be effective any longer, while it emphasized the aspect that the conventional social structures and systems failed to function properly, from which conflicts and confusion arose in the context of the differentials in economic status difficult to understand by the traditional framework of social class. At the same time, the solutions to this (rice giving, etc. ) resulted in such new circumstances supported by the economic power of the class (as represented by raw silk merchants) that seemed to economically benefit from such new state of affairs. Thus, it can be said that the example of Kiryu of Ansei 6 was one of the very first incidents in the historical process in which the port opening and open economy started shaking the foundation of the feudal society and eventually destroy it.
著者
近藤 金助 久保 正徳 板東 和夫
出版者
Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
雑誌
日本農芸化学会誌 (ISSN:00021407)
巻号頁・発行日
vol.12, no.11, pp.1077-1087, 1936

(1) 我が國の河海湖沼に饒産するイセエビ,クルマエビ,ホツカイエビ,及びマエビについて一般を知り,前二者に併せてシラサエビの生鮮なるものについて雌雄別に,又季節別に定量分析を行つた.又ホツカイエビに就ては市販の罐詰肉について定量した.其の結果を要記すれば次の通りである.<br> (a) 三種の蝦に於て可食肉量の最も多いのはクルマエビの55%,次はシラサエビの50%にして最も少なきはイセエビの40%であつた.蓋し後者の甲殻肢節が特に大であるからである.<br> (b) 可食肉量の割合は同一種の蝦にありては雌雄別,又は大小別による相違はなかつた.<br> (c) イセエビにありては初夏のものは雌雄共に水分84%に達し,蛋白量は14%にすぎずして新鮮肉100gの保有する利用性熱量は僅かに60Calsであつた 然るに秋季のものは水分減少して78%となり,蛋白は20%に増加し更に脂肪,及びグリコーゲンも亦増加した結果,新鮮肉100gが保有する利用性熱量も亦増加して83~84Cals.となつた.<br> (d) クルマエビにありては初夏のものも亦秋季のものも水分78~79%,蛋白20%であつて,薪鮮肉100gが保有する利用性熱量は82~83Cals.であつた.<br> (e) シラサエビにありては水分82%,蛋白量16%であつて,新鮮肉100gが保有する利用性熱量は約70Cals.にすぎなかつた.<br> (f) ホツカイエビ罐詰にありては一罐内の可食肉量は約110~120gであつて,蛋白が31~32g利用性熱量が約135Cals.保有されて居つた.<br> (2) 蟹及び蝦肉は共に全固形成分の85~92%が蛋白であつて,脂肪,グリコーゲン及び灰分は微量にすぎない.然しながら此の少量成分たる脂肪並びにグリコーゲンは季節によつて稍々規則正しく増減して居るが故に,其の消長は食昧に對して相當なる影響を與へるものと考へられる.<br> (3) 蝦肉蛋白の窒素の形態を定量し其の結果から新鮮肉中に存在するアルギーニン,ヒスチヂン,リジン,及びシスチンの量を算出表示した.<br> (4) 蝦肉蛋白の窒素の形態を定量した結果から知り得た事項を要記すれば次の通りである.<br> (a) 鹽基態のアミノ酸は夏季のものよりも秋季のものに於て多い.<br> (b) 就中アルギーニン,リジン,及びシスチンの含量に於て然りである.<br> (c) ヒユーミン態窒素は秋季のものに於て増加して居る.<br> (d) 夏秋を通じて雌肉蛋白は雄肉蛋白に比して,アルギーニンとリジンの含量は少ないがヒスチヂンの含量は多い.<br> (5) 蝦肉蛋白の窒素の形態が雌雄により,又季節によつて變動するのは生體蛋白の彷徨變異性の自然的表現であることを論證し,蝦肉及び蟹肉が種類別に産地別に又季節別に差別的特味を有する反面に於て又共通的食味を有することを指摘し,其の原因のうち肉蛋白が關與する限り後者の原因に關しては蛋白基成分が共通して居るが爲めであることを論述し,併せて差別的特味の原因を肉蛋白の組成のうちに見出し得ることを暗示した.<br> 本報告のうちシラサエビ,クルマエビ,及びイセエビに關する實驗の全部は久保が行ひ,ホツカイエビに關する實驗の大部は板東が行つたのである.
著者
小林 道彦
出版者
北九州市立大学法学会
雑誌
北九州市立大学法政論集 (ISSN:13472631)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.364-343, 2007-03
著者
高村 忠成
出版者
創価大学法学会
雑誌
創価法学 (ISSN:03883019)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.109-139, 2001-03

3 0 0 0 Serie mystery

著者
白泉社 [編]
出版者
白泉社
巻号頁・発行日
1988

3 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1922年11月09日, 1922-11-09
著者
鹿持雅澄 [著]
出版者
日本古典全集刊行会
巻号頁・発行日
vol.上巻, 1929
著者
五十嵐 立青
巻号頁・発行日
2007

筑波大学博士 (国際政治経済学) 学位論文・平成19年3月23日授与 (甲第4214号)

3 0 0 0 週刊ポスト

著者
小学館 [編]
出版者
小学館
巻号頁・発行日
vol.12(5), no.535, 1980-02

3 0 0 0 OA 明治文明綺談

著者
菊池寛 著
出版者
六興商会出版部
巻号頁・発行日
1943