1 0 0 0 OA 絵画と類似性

著者
佐藤 英明
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.79-84, 1996-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
12

従来, 絵画的描写は言語的記述と異なり, その対象との間に何らかの「類似性」が存在するものと考えられてきた。だが, N.グッドマンは『芸術の諸言語』において, そのような考え方が誤りであることを指摘し, 言語的記述と絵画的描写との違いは, その記号系が「稠密」か否かに求められるとした。本稿は, このグッドマンの理論の難点を明らかにし, その克服の方途をフッサールの像理論に見いだそうとする試みである。そして, それによって, 逆にフッサールの像理論をグッドマンの理論に基づいて再構成し, そこに「類似性」を考察する新たな視点を求めたい。
著者
佐藤 透
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.41-46, 1994-12-25 (Released:2009-07-23)
参考文献数
14
著者
佐藤 純一
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.32, no.2, pp.25-37, 1999-11-10 (Released:2009-05-29)

本稿で論じた論点において,論者のコミットしたい「医療の哲学」は,医学の方法・概念を対象化し,医療が社会的文化的行為(現象)であることを確認し,人々(患者・layman)の視点・realityを包摂するようなものとして構築される「医療の哲学」である.そのような「医療の哲学」の構築には,医学や哲学だけではなく,社会学・人類学などの様々な領域・方法の共同作業が必要であることは,ここまでの議論で明白であろう.とくに「科学哲学」の参加への要望・期待は非常に大きいものである.なぜなら,医療・医学の分析においての科学哲学のもつ方法の可能性と同時に,本稿で論じた「医療の哲学が検討せねばならない諸問題」は,科学哲学が検討して行かねばならない「問題」と通底していると思われるからでもある.感応する議論が出てくるのを期待したい.
著者
富安 聡 大塚 百華 四丸 知弥 澁田 樹 宿谷 賢一 大田 喜孝 三宅 康之 佐藤 信也
出版者
一般社団法人 日本臨床衛生検査技師会
雑誌
医学検査 (ISSN:09158669)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.562-569, 2020-10-25 (Released:2020-10-29)
参考文献数
11

背景・目的:病理診断において,マッソン・トリクローム(Masson trichrome; MT)染色は重要な染色法の一つである。しかし,MT染色は工程が多く煩雑であり,1時間程度の時間を要する。今回,MT染色における迅速法を検討したので報告する。方法:色素の調合およびマイクロウェーブ(microwave; MW)による時間短縮効果の検討と染色工程の簡略化を図り,従来法と染色結果を比較した。結果:鉄ヘマトキシリン:1分,オレンジG・酸性フクシン混合液:1分,リンタングステン酸:MW 10秒照射,アニリン青:MW 10秒照射後,腎臓は3分,肝臓は7分で,従来法と同等で良好な染色結果を得ることができた。さらに,染色工程の簡略化として第1媒染剤,1%塩酸アルコールによる分別,第2媒染剤,1%酢酸水による洗浄の工程を省略した結果,染色性の低下は認められなかった。考察:MT染色において,染色工程の時間短縮と簡略化を実現できた。これは,現在報告されているMT染色の中では最短時間である。迅速化の要因は,細胞質染色における分子間の競合をなくしたこと,MWによるリンタングステン酸の媒染効果促進によるものと考えられる。したがって,この迅速法は従来法と同等の染色結果を得ることができ,臨床の現場において推奨できる方法と考える。
著者
佐藤 憲一
出版者
日本法哲学会
雑誌
法哲学年報 (ISSN:03872890)
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.154-162,200, 2005-09-30 (Released:2008-11-17)
参考文献数
25

What kind of meaning exists in discussing legal indeterminacy today It is often said that there is no meaning since legal indeterminacy is stale common sense. However, the radical thesis that law is wholly indeterminate is not common sense. It is the very radical thesis that we want to discuss. According to this thesis, law does not have the capability to determine the legal rightness of actions in advance. This conclusion is obtained from Wittgenstein's rule-following considerations. According to Wittgenstein, any rule cannot pre-determine the rightness of actions. The current legal practice is characterized by legalism which premises the conventional understanding that law is (partially) determinate. But, the radical indeterminacy thesis collapses such an understanding. We have to turn toward post-legalism.
著者
佐藤 節子
出版者
日本法哲学会
雑誌
法哲学年報 (ISSN:03872890)
巻号頁・発行日
vol.1984, pp.49-70, 1985-10-20 (Released:2008-11-17)
参考文献数
6

国の立法が、また私人の立法が意思の表示であるとされた歴史的起源は十七、八世紀の自然法論にある。ヘェーガアシュトレームによればローマ法は意思表示の概念をもたない。ローマにおける売買の方式である握取行為 (manci patio) では、権利の変動は厳格な言葉と厳格な儀式によってもたらされた。成人に達したローマ市民五名と銅衡器保持者の前で、買主は売買の客体である奴隷を握り、「私はローマ市民の法によってこの奴隷が自分のものであると宣言する。この者はこの銅片と銅衡器によって買いとられよ」という定められた式語を唱え、その後で売主に銅片を交付する。この銅衡器による儀式において、奴隷を握り「……買いとられよ (mihi emptus esto) という文言が発せられたときに、所有権は売主から買主へ確実に移転する。この象徴的行為の履行とこの一定言語の表出に小さな欠陥でもあれば所有権の移転という効果は発生しない。一定の言葉と象徴的行為とが買主と奴隷との間に目に見えない絆 (unsichtbar Band) を発生させるのである。それが買主の所有権である。権利者にとってそれは目的物を支配する力である。その目的物が毀損されたり、債務者の債務の履行が不完全な仕方でなされたとき、債権者が訴訟を提起しうる可能性はこの絆から生じる。ヘェーガァシュトレームは握取行為によって代表される権利の変動を呪術行為と呼んだ。それはrepräentativ Magie とWort Magie の所産だからである。かかる法律行為の全過程を通じて行為者の意思は全く問題にされていない。 しかし、ヘェーガァシュトレームによれば、ローマ法においても法律行為に関して意思が問われるであろうと考えられる事例が一つある。それは遺言の場合である。ウルピアヌスによれば遺言は我々の意思の表示 (contestatio mentis nostrae, voluntatis nostrae) だとされる。しかしヘェーガァシュトレームは、これは意思の表示ではなくして願望の表明でしかないという。その理由として彼は次のことを提示する。ガイウスによれば「私は欲する」(volo) は信託遺贈 (fideicommissum) における正しい表現である。しかし信託遺贈は私法上の効力をもたない。「私はティティウスが相続人であることを欲する」(volo titius heres esse) という表示は無効である。すなわち遺言が願望の意味における意思表示であるならばその遺言は効力をもたないのである。遺言は遺言者が死後の自分の財産について、これこれのことを望むということをステートする表示ではないからである。遺言の正しい定式は「ティティウスは相続人たるべし」(Titius heres esto) である。それは遺言者の欲するところを命ずるという意味においてのみ彼の願望の表明である。しかしここに「命ずる」は誰かに命令を下すことではなくしてティティウスを相続人たらしめることである。 ローマ法の呪術行為は後に意思行為にとって代わられた。意思理論によれば、言葉と行為が法的効果をもたらすのではなくして、それは行為者の意思それ自体から生ずる。この理論は近世自然法論者によって体系的に展開された。その代表的人物であるグロティウスは次のようにいう。 自然状態における各人は彼のものsuum、彼に固有の領域propria cuiqueを有する。それは各人の生命vita身体membraおよび自由libertasである。suumは各人の人格であり、自然法によって保護された領域である。他の人のsuumに対する攻撃は侵害行為であり、それゆえ不正injustumである。かかる原初的suumは消費使用すべく占取するという行為によって、自己の人格の外にある物質的な物を包含するまで拡大されえたのである。自己の人格はかく取得された物の上にまで伸長され、人格と物との間に精神的結合が生ずる。所有者はそれを支配する力potestas, facultasをもつ。同時に自由なる主体は自分の行為を支配決定する力potestas in seを有する。かかる力をもつ主体が自由なる主体である。ところで自己の行為を決定する力の中には、自己の行為を決定する力の一部分を自己から切り取り、それを他人に移転させる力も当然に含まれている。potestas in se の譲渡は約束という意思行為によってなされる。それによって自己の potestas in se の一部分は相手方の otestas in se の中にはいる。金銭の支払いを約束するとき、要約者の potestas in se の中から、金銭の支払いという行為に対する自己の決定権は諾約者に移転し、それゆえ彼にはその部分の自由は存在しなくなる。所有権の譲渡もこれと同じように説明される。自己を支配する力の中に自己を支配する力の一部分を他人に譲渡しうる力が含まれているように、所有権の中には所有権譲渡の可能性が含まれている。それは所有権に固有の権利である。
著者
佐藤 篤士
出版者
日本法哲学会
雑誌
法哲学年報 (ISSN:03872890)
巻号頁・発行日
vol.1979, pp.87-110, 1980-10-30 (Released:2008-11-17)
参考文献数
33